飽きっぽいから、愛っぽい|無力なパンダは不幸にならない@神戸ハーバーランド
キナリ☆マガジン購読者限定で、「小説現代4月号」に掲載している連載エッセイ全文をnoteでも公開します。
「今回の表紙は、岸田さんも喜びますよォ」と編集部の人からもったいぶって伝えられてたんですが、地球が生んだ奇跡こと櫻井翔さんでした。喜びますっていうか恥ずかしい記憶が先に浮かび上がってくるので、直視できませんね。
表紙イラストは中村隆さんの書き下ろしです。

スーパー銭湯の休憩所で、わたしはパンダになっていた。
平日の昼すぎで、客はまばらだ。後ろのカップルはスマートフォンで動画を見ながらクスクス笑いあい、前のおじさんは本棚から拝借した漫画『ザ・シェフ』を読みふけり、隣のおばさんは豪快な寝息をたてている。彼らには、思い思いに身体と心を休めるという目的がある。
忙しい現代において、それは生産性がある。
一方のわたしはどうだ。
このところ一日二時間しか寝ていないのに、眠ることもできず、かといって漫画や動画を楽しむ気力もなく、大の字に倒れこむ。ときどき五分ほど気絶するように眠りに落ちても、天井の送風機の音ですぐに目覚めてしまう。休憩所で、まったく休憩できていない。
神戸市立王子動物園で、昔お目にかかったパンダはよかった。
ごろんと寝返りを打ち、でろんと座っているだけで、胸の奥がキュウンとなるほどの価値があった。
わたしは、パンダだ。
こうしているだけで価値があるのだ。
そう思わなければ、自らの非生産性に身を焼け焦がされそうだった。
ふと目線をあげれば鏡に映るのは、ふくふくと幸福そうなパンダとは似ても似つかない、貧乏神でも気の毒がりそうな青白い顔である。
わたしはここで、母の手術が終わるのを、じいっと待っていた。
家族の手術を待つといえば、目に浮かんでくるのはだいたい「手術室の前のベンチで手を組み、祈り続ける」シーンである。「スーパー銭湯の休憩所で、呆然とパンダになる」のは、わたしだけだと思う。
神戸に住んでいる母が、感染性心内膜炎で入院し、手術することになった。
診断が下る前から、母は二週間も自宅で高熱に耐え続けていた。最初はコロナを疑い、いくつもの病院に電話をして、ようやく診てくれそうな病院で検査をしてもらった。結果は陰性だった。
母は「コロナじゃなくてよかった」と息をつき、医師も「コロナじゃないから大丈夫でしょう」と言った。どちらの表情にも安堵が浮かんでいた。
原因は特定できないが、たちの悪い風邪をこじらせているか、ばい菌によって炎症を起こしているので、抗生剤を飲めば治るだろうということになった。
コロナじゃないとわかった母は、とたんに気が抜けたのか、
「おそばが食べたい、とろろがけの」
「できるだけいろんなフルーツがブレンドされたジュースが飲みたい」
などと、食欲を大爆発させた。
それらすべてを買い物競争のように走りまわって集めたあと、わたしは仕事のために自宅のある東京へと急ぎ足で戻った。
数日、自宅で休んでいる母の様子を電話で確認していたら、高熱が微熱にかわり、少しずつ回復していった。
かのように、思えた。
発熱して二週間、母の熱は39度台から下がらなくなり、猛烈な頭痛が起こった。
「大丈夫ではないかもしれへん」
電話越しに母が弱々しく言った。
これはただごとではないので、東京での打ち合わせを切り上げ、新幹線に飛び乗った。検査をした病院では手に負えないとのことで、十三年前に母の大動脈解離の手術をしてくれた大学病院に電話をすると、すぐに救急で来いと言われた。
その大学病院では、コロナ疑いの患者を受け入れていない。たくさんの重症患者が入院している院内で感染が広まれば、手に負えなくなるからだ。
すでに母はコロナの検査をしていて、陰性だとわかっていたことは、一つ目の奇跡だった。これがなければまず、別の病院を受診するように指示されていたはずだ。そんなことをしている間に、手遅れになっていたかもしれない。
ぐったりした母が乗る車いすを押し、駐車場から救急外来の入り口まで一目散に向かう。腕にかかる重さが、いつもとは違った。車いすではなく、荷物をギッチリ載せた台車を運んでるみたいだ。体重は変わらないはずなのに、母のしんどさが重さになって伝わってきた。
救急外来へ行くと、先生と看護師が出迎えてくれた
「岸田さん、よくがんばりましたね」
熱と血圧を計りながら、でっぷりと恰幅のいい先生に微笑まれたとき、わたしと母がまとっている張り詰めた空気はたちまち緩んだ。
ずっと不安だったのだ。
自宅で待機していたのは間違いだったのではないか。市販の解熱剤を飲んではいけなかったのではないか。大学病院にまで来るのは大げさだったのではないか。経験したことがない症状とこのご時世だからこそ、自分たちの判断に自信が持てなかった。
でも「よくがんばりましたね」という一言で、しんどさと戦ってここに辿り着いた、という事実は認めてもらえた。
がんばったのは、決して責められることなんかじゃない。
弱りきった心に、その言葉はとんでもなく効いた。
もしこの先、どうにもつらくなってわたしを頼ってくれる人がいたら、結果はどうであれ同じ言葉を口にしようと誓った。
母はその日からすぐ入院となった。原因がわからないので、身体のあちこちを検査するらしい。
「ちょっと聞いてや。カメラを吞んで、食道から心臓を診るって言うから、細い管を予想しててん。そしたら予想の三十倍くらい太くて! 節分の巻き寿司を丸吞みするような感じやねん。巻き寿司やで? 節分もう過ぎてもうたのに」
病室にいる母から、のん気な電話がかかってきた。
「ちゃんとカメラ、吞めたん?」
「それがな、わたしがあまりにもオエオエ苦しむもんやから、麻酔かけてもらってんけど。効き目が強すぎたらしくて、吞んだ瞬間に意識失って、気づいたらベッドの上やった」
「へえ」
「ちょっと損した気分やわ」
人はオエオエ苦しんでいても、こういう経験は覚えておきたいもんだろうか。
こんな話を笑ってするくらい、わたしたちは安心していた。病院にいれば、とりあえず面倒を見てくれる人がいるし、悪化することはないはずだ。
そう思っていたのだけど、ひととおりの検査が終わった、入院三日目の夜。
「検査の結果、かなり悪い状況だとわかりました。手術が必要になるので、いまから病院に説明を受けにきてください」
先生から電話がかかってきた。しかも救急で出迎えてくれた先生とは、違う先生だった。心臓血管外科にかかっていた時の、母の主治医だ。ものすごくえらい人のはずだ。
「あっ、これはやばいぞ」
直感した。
深夜、病院に到着し、七階のカンファレンス室へ入ると、二日ぶりに顔をあわせる母がいた。げっそりしているが、車いすを自分でこいでいる姿を見ると「そこまで悪くはないかも」と思えた。
先生がモニターに白黒のエコー映像を映し、サクサクと説明をはじめる。
「これはお母さんの心臓です。いつもとどこが違うか、わかりますね?」
まったくわからなかった。
わたしは母を見る。母もまったくわかってなかった。
これが顔にできたニキビならどんだけ小さくてもわかるのに、内臓になるとさっぱりわからないとは、人間は不思議である。
「通常、心臓の血管には弁があって逆流を防ぎますが、お母さんの血管はジャジャ漏れです」
「ジャジャ漏れ……」
ジャジャ漏れ、というインパクトの強すぎる言葉を繰り返しながら、二人して間抜けな顔でモニターを見つめた。ジャジャ漏れの心臓を。
「感染性心内膜炎といって、ばい菌が心臓に棲みつき、弁を食い荒らしてるんです。お母さんの弁は、大動脈解離の手術で人工弁に変えていますから、ばい菌がよりつきやすくて」
ゾンビ映画みたいに恐ろしいことが母の心臓で起こってるなんて、想像もできなかった。
「このばい菌は、血流に乗って脳にも散らばっていきます。病院へ来るのがあと数日遅ければ、心不全か脳出血で亡くなっていたはずです」
あと一歩遅れていたら、命を落としていた。
実はそのフレーズを先生から聞くのは、人生で三度目だ。
一度目は、心筋梗塞を起こした父の主治医からだ。彼は「もう少し遅ければ、ダメだったかもしれませんが、今ならまだ大丈夫ですよ! 安心してください」と、付き添った母に言った。それを聞いて母はホッとしたのだが、手術で開胸すると状態がよっぽど悪かったらしく、父は目覚めることなく亡くなった。
二度目は、母の十三年前の手術のとき。二度目と今回の共通点は、先生は決して「大丈夫ですよ」とは言わず、まっすぐこちらを見据えて「命を落としたり、重い後遺症が残ったりする可能性の高い、きびしい手術になります」と言うことだった。
それを聞くと、ヒッと声が上ずってしまうけど、最悪のことを告げてでも覚悟させてくれる先生の方がなんとなく信用できた。
「できるだけ早く手術をしたいのですが、いまは集中治療室も手術室も空きがなくて……明後日になるかと」
「もしかして、娘と顔を見て話すのは、これが最後になるかもってことありますか?」
母が先生に聞いた。すごいことを聞くなと思った。
先生はうなずいた。
マジかよ。
「この病院では、コロナ対策で患者さんへのお見舞いをすべてお断りしています。なので、次に娘さんにお会いできるのは、退院するときになります」
「退院ってどれくらいかかりますか?」
「そうですね、二ヵ月くらいでしょうか」
あくまでもそれは、手術が成功した場合だ。手術中に死んだら、それもできなくなる。そうなれば、正真正銘でこれが最後だ。
心の準備が、まるでできていなかった。
父の死にも、母の大手術にも、立ち会った。そのときは突然で、大切なことはなにも話せず、すごく後悔した。特に父とケンカしたまま語りあえなかったことは、今でもつらい。
でも、三回目になっても、わたしの頭にはなにも浮かばないのだ。
「大丈夫、大丈夫やから」
カンファレンス室を出る母の背中をさすさすとなでた。
不安にさせたくないから、絶対に泣くもんかと思ったけど、ぼろぼろと涙があふれてしまった。母は「大丈夫や」とだけ答えて、看護師に車いすを押され、廊下の奥へと消えていった。
七階から一階へゆっくりと階段をつかって降りながら、母とLINEのやりとりをした。
『来週、ドライブレコーダーを取り付けてもらう予定やったから、ディーラーに電話して、二ヵ月後になりますって言うといてくれへんかな』
死ぬそぶりがまったくない、おつかいの指示だった。いつもの母だ。
そのとき、ふと思った。
ああ、とりつくろった最後の会話なんていまは必要ないくらい、普段から母にはいろんな気持ちを伝えられていたのだ。だからわたしたちは、大丈夫、と伝えあうだけでよかった。
なにも後悔することなんてない。
一階の廊下で、救命救急センターの入り口を横切った。十三年前に母がかつぎこまれた場所だ。当時と変わらず、待合用のベンチの前には、黄色いワンピース姿でうつろな目をした女性の絵画が飾られていた。
前は一晩中、この人と目が合っていたので、ものすごく怖かったけれど、今はすこし心強く思える。
ねえ、どうか、母を頼むよ。
翌日、二つ目の奇跡が起きた。
なんと手術を予定していた患者さんの一人が、直前になって、手術をキャンセルしたそうだ。一刻を争っていた母が、その空き枠にぶち込まれることとなった。
「いまから手術になったらしいわ」
朝八時に母からLINEがきて、あわてて電話をかけると、なんともうつながることはなかった。
あまりにも突然のことだったので、母は有無を言わさずストレッチャーに乗せられ、かっぱ寿司のすし特急のごとくガラガラと手術室へと直行していったのだ。命をかけた手術なのに、呆気なさすぎて、びっくりしてしまった。
手術は最低でも十時間、長ければ二十四時間もかかるという。
この時間が、とてつもなく長く、とんでもなく苦しい。医師も看護師も母も、頑張っている。だけど、わたしができることなんて、なにもない。手術室の前で祈れるならまだしも、病院にすら行けないから、家で布団にくるまっているしかない。
無力だ。
無力に打ちひしがれると、時間は異常なほど遅くながれる。
その日は昼から編集者とオンラインで打ち合わせだったから、中止してもらおうとしたけど、彼は「こういう時こそ、雑談でもして時間をつぶした方がいいよ」と言ってくれた。それもそうだ。
「岸田さん、ものすごく顔色悪いな。寝れてないよね」
「寝れてないですね」
こういう時、無理にでも寝ろ、というのはよく言われることだ。しかし彼はちょっと違った。
「マッサージでもなんでも行って、無理やりにでも気絶させてもらった方がいいよ」
「気絶?」
「うん。自分では眠れないと思うから、そういうところに行った方がいい」
そんなことをすすめられたのは、初めてだった。
家族が命をかけて手術を受けているのに、リラクゼーションなんて不謹慎だ。そう思っていたけれど、この時間のながれの遅さにそろそろ耐えられなかったので、彼の言葉を信じてみることにした。
わたしなりに考え、マッサージだと長時間電話に出られないことが不安なので、サッと身体を温められるスーパー銭湯を選んだ。場所は神戸市のハーバーランドで、病院からも近いので、それも少し心強かった。
湯船につかったのは、一週間ぶりだった。
気持ちよさに身体が溶けそうになる。湯冷ましに館内をうろうろしていると、最上階に展望足湯庭園というのがあると知った。
神戸の夜景を見下ろしながら、足湯につかってみた。ちょうど、病院の方へつながる高速道路を、ライトを灯した車がせわしなく行き来している。
モニターで見た、母の心臓みたいだなと思った。
動脈と静脈。上り車線と下り車線。どちらも休むことなく流れていく。眠っている間にも、いまこの瞬間にも。
それをじっと眺めていると、時間が過ぎていくのが目に見えて、嬉しかった。
わたしは今、無力だ。
人は「努力をしても無駄だ」と思い込んだ瞬間、不幸の沼に沈んでしまうらしい。その思い込みは呪いとも言う。
呪いを断ち切るには「無力を受け入れた上で、努力する」しかない。無力を受け入れるというのは、自然を受け入れるのに似ている。
雷雨や豪雨のなか、洞窟にもぐり、耳と目をふさいでじっと待つ。だけど待つことさえできれば、いつか雨はあがる。
待つことは、努力だ。
いまのわたしは、努力している。
不幸に沈んではいけない。
雨があがった時、洞窟の外へはい出す気力を失ってしまう。
そういえば先日、今の医学では完治しない病気にかかっている人たちに、インタビューをする仕事があった。その人たちはみんな明るくて、人生を楽しんでいた。もちろん、夜中にフッと気分の穴に落ちてしまうことはあるけれど。それでも共通していたのは「未来を考えないようにしている」ことだった。
未来をちゃんと考えなさい、とわたしたちはかつて学校で教わった。しかし、未来を考えないことが、明るく生きる武器になることもあるのだ。
現在を見る。この瞬間を見つめて、ただ、待つ。意志を持って過ごしてきた時間は、すべてを解決してくれると、わたしは思う。
足を湯から出して、休憩所で寝転び、わたしはパンダになった。とにかくパンダになることで、待った。
手術がはじまってきっちり十二時間後。先生から電話がかかってきた。
「無事に終わりました。いまは集中治療室で眠っていますが、明日の午前中には目を覚ますと思います」
「……ありがとうございます!」
スーパー銭湯の非常階段で、わたしは叫んだ。まだ油断はできなかった。重い後遺症があるかどうかは、目が覚めるまでわからないからだ。
とにかくまた、明日の午前中まで耐えよう。そう思っていたら、三十分も経たずして、また電話がかかってきた。
ヒヤッとした。
なにか、あったんじゃないか。
「あのねえ!お母さん、もう目が覚めちゃった。よっぽど起きたかったんだね。後遺症もないよ」
予想外のことに、先生は笑っていた。
「早すぎたから、痛み止めがまだ効いてないみたいで、痛いみたい。鎮静剤打つね」
「はやく眠らせてやってください!」
わたしも笑ってしまった。母もきっと、もっと寝ておけばよかったと、笑っているだろうと思う。
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