厳しくされない時代に、どうやって成長するか
なんとかハラスメントが増えている日々
「なんとかハラスメント」という言葉が本当に増えましたね。パワハラ、セクハラ、モラハラ、カスハラ……言葉としてはもう当たり前のように並ぶ時代になっています。
もちろん、これまで見過ごされてきた不当な扱いや理不尽な行為に光が当たるようになったこと自体は、とても大切な変化だと思っています。
一方で、現場にいると「これはどこまでが指導で、どこからがハラスメントなのか」という線引きが、以前よりもずっと難しくなっている実感もあります。
職場のパワハラの定義と、現場でのリアル
職場のパワハラについては、よく次の3つの要素で説明されます。
① 優越的な関係を背景とした言動であること
② 業務上必要かつ相当な範囲を超えていること
③ それによって労働者の就業環境が害されていること
文章で読むと理解できるようで、実際の現場に当てはめると途端に曖昧になります。「業務上必要かつ相当」って、誰の目線で、どこまでが相当なのか。管理職と若手側で、その解釈がズレることも珍しくありません。
そのズレをすり合わせる時間自体が、正直なところ、コストになってしまう場面もあります。
以前書いた「厳しくできない時代」と、その逆側
以前、私は「厳しくできない時代に、どう人を育てるか」という記事を書きました。管理する側の立場として、どう指導すればいいのか悩んでいる、という話です。
https://note.com/zerodraft/n/n2c32c7c40d63
でも最近は、逆の現象も強く感じるようになりました。それが、「厳しくされない時代に、どうやって成長するか」という、若手労働者側の問題です。
残念ながら、管理職が人を育てる難易度は、間違いなく上がっています。
強い言葉が使いにくい時代
もちろん、暴力や人格否定のような行為は論外です。それはもうハラスメント以前に、別の次元の問題です。
ただ、学ぶべき重要なことを、ある程度強い語彙で伝える、ということすら、やりにくくなっている場面が増えました。
「これって業務上必要か?」「相当な範囲か?」と考え始めると、管理する側としては、ほどほどの言葉で、ほどほどに指導する、という選択を取りがちになります。
ほどほどの指導が生む、静かな分岐点
しかし、その結果どうなるか。
改善が見られないままだと、いつの間にか「あ、あいつは言ってもダメなやつなんだ」と判断されて、新しいチャレンジや出世のルートから外れていくことがあります。表立って何かを言われるわけでもなく、ただ静かに期待されなくなります。
この現実に気づいている若者は、優しめの言葉の裏にある本音を汲み取って、行動を変えていきます。一方で、「あ、その程度しか言われないんだ」と受け取ってしまう人は、正直、その先の伸び方もその程度で止まってしまうことが多いように感じます。
個人的には、強く言われることよりも、こっちの事実の方が怖いように思います。
私自身の、ある指導の経験
私も、若い人を指導していたときに、こんな経験がありました。
普通の言い方ではまったく変化がなかった人がいました。仕事だけの関係のときは、何を言っても響かない。でも、一緒に仕事を重ねて、食事をしたり、雑談をしたりして、ある程度の関係ができたあとで、少し強めに伝えたことがあります。
そのとき、初めてその人は変わり始めました。私も「あ、少し変わったな、やっとか...」という感じでした。
嬉しさと同時に、成長の遅さ、気づきの遅さを憐れんだ感覚がありました。
信頼と、受け取る側の準備
今振り返ると、それは指導した時点で、こちらとの関係性や信頼がある程度できていたからこそ、成立したのだと思います。同時に、若手側も、強い言葉を受け取れる状態になっていた。
管理する側としても、「この人なら、言っても大丈夫だろう」という感覚があったからこそ、踏み込めた部分がありました。
その人に最初からポテンシャルがなかったわけではありません。ただ、そこに至るまでに、時間が必要だった、というだけの話です。
同じ時間でも、広がる差
一方で、最初からどんどん変化していく若者もいます。
同じ時間、同じ環境で過ごしていても、数年後に振り返ると、その成長量や進化量には、正直、雲泥の差がついていることも珍しくありません。
優しい言葉を、厳しめに受け取るという選択
だから私は、管理される側の立場として、こんな意識を持っておくのも一つの生存戦略だと思っています。
上司から「これ、ちょっとやっといて」とか、「ここが今日の反省だね」と、優しめに言われたとき。
それを心の中では、「絶対やれよ」とか、「ここがダメなんだ、次は同じことをするなよ」くらい、少し厳しめに翻訳して受け取ってみる。
そして、それを自分の中で咀嚼して、行動に落とす。そのためのメンタルは、ある程度、鍛えておいたほうがいいと私は思っています。
早く成長する人はこれができていると感じます。
管理側からしても、「今の時代、こっちから強く言えないんだから、自分で解釈して動けよ」って思っている人も少なくないのではと思います。
それがしんどい人へ
「それはきつい」「正直、目を背けたい」という人もいると思います。
それはそれで、全然大丈夫です。
過度に期待されなくなるだけであって、急に仕事がなくなるわけでもないし、人生が終わるわけでもありません。ただ、選ばれる側からは、少しずつ外れていく、というだけの話です。
どっちでいたいか、、という話です。
「普段は強く言われたくないけど、仲良くなったら強く言われても納得できるようになる、その分成長は遅いけど、我慢してね」という人が「選ばれる側」に来る機会は多くないです。というか、残念ながらほぼ来ないです。
まとめ:解釈の力→「あらゆる状況を捉えて理解する力」が、これからの武器になる
管理する側の難易度が上がっているのと同時に、働く側に求められる「解釈の力」も確実に高まっている気がします。
簡単に言えば、「強く言わないでくれ」と主張している分、「だったら強く言われないでも自分でやれよ」という話であって、求められていることそのものが変わっているわけではないとすると、より自律を期待されているということです。
言葉通りに受け取るだけでなく、その裏にある期待や意図、社会的な背景、相手の立場を想像して、自分なりに置かれている状況を理解して行動に変えていく。
この事実に気づけた人が、きっと会社の中で、少しだけうまくやっていけるのだと、私は自分の経験から感じています。
ちなみに、自分も社長というわけではなく、いうて部長なので上司はいます。また少し違う世界線ですが、それでも上司からの語気は必ずしも強くない、、という中で言われたことに対して状況を読んで解釈して動く、というのはやらないとなと思います。
世の中の管理職さん、お疲れ様です。
