わたしは忘れるために書いているのかもしれない。
人は忘れる生き物だから生きていけると言ったのは、誰だっただろうか。
短い忘備録を書こうと思う。
わたしはぽかっと大事なことを忘れる。細かいことはやたら覚えているくせに、どうぞ呆れてほしい。
でも最近ふと思うのだ、わたしは忘れるために書いているのかもしれない、と。
Kindle執筆で思い出した
Kindle執筆をするためにnoteの棚卸しをしている。
自分が書きたいことを整理するときに、noteのビュー数やスキ数、コメントをとても大事な指針にさせていただいている。
今絶賛3冊目を執筆中なのだけど、どういったことを書いたら、誰かのちょっとした指針になるかって、その声はnoteで拾い集めているのだ。
すると、自分が書いたはずの記事なのに、「あれこんなこと書いていたっけ」「このときこんな気づきがある」なんて改めて気が付く。
出来事はなんとなく覚えていても、気持ちや感情なんてさらりと流れていっちゃうもんだ。
生きやすくなるために忘れたい
思い出すとつらい、会社でのできごと。挨拶されても無視され、怒鳴り声にみんなが萎縮していた毎日。わら人形のつくりかたをAIで調べることが憂さ晴らしだった。
学校に行きたくなさすぎる母と娘の攻防。
書いて認められたい嫉妬やドロドロ。
日々の無力感や、誰にも言えないグチなんか。
日々が過ぎ去ると記憶は薄れていたのだけど、当時のnoteにしっかり染み込んでいた。
直接的に書かなくても、思い出す。まざまざと、そこにはわたしの日常があったから。
忘れたほうがしあわせになることも、覚えていたくても忘れちゃうささいなことも、書いていたから思い出せたのだ。

わたしの記憶なんて消えても大丈夫
書き続けることは、何とか生き抜いた日々を体裁をととのえ、言葉にして吐き出すこと。
毎日更新をやめた日から、今書きたい気持ちを最優先に更新できるようになった。718記事たまった記事はわたしの生きてきた記録だったような気がする。
書いてきたから、わたしは安心して忘れることができる。
自分語りにも、やはり価値があったのかもしれない。
(過去にはみくまゆたんさんの自分語り企画にも参加した。懐かしい!)
誰のために、何のために書いているのか。
まずは忘れちゃう自分のため、気持ちを表現したい自分のため。そこからやっと、始まる気がする。
めぐりめぐって、今日も世界のどこかで、誰かの「ちょっとだけ自分のことを好きになれる」一瞬に結びついたらいいなと思っている。
今日もお付き合いいただきありがとうございます。大それたことはできない自分が、通勤電車に揺られながら、また今日も自問自答しました。
やっと木曜日!アイスがおいしい季節になりましたねえ✨

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