詩って結局その人を好きかどうか 2025/9/29の日記

またしてもしょうもない日記なのだがご勘弁を

たまに話題になるのが、新聞に載った詩がなんJで詩の才能もないみたいに言われてみなに同意されてるというレスがあって、それを切り抜いたツイートがXでもバズってて、みんなあれやこれや言って詩の評論家になっていた。


彼等が過剰に酷評しているのは、彼に詩のセンスを感じないからではないと思う。

彼のことを人間的にあまり魅力を感じないからである。56歳で独身で普通の人に戻れないという切実な詩は等身大のものであって、そこに巧みな比喩もないのだがそれを恥ずかしげもなく言えるのは私は凄いと思うし、これだけ反響があるのはそれだけで十分いい詩だと思う。

みんなは彼のことを尊敬してないし、同情もしないから詩自体が魅力を感じないのであって、やっぱりネットというのは普通の人生とかそういったものを案外重要視していて、そういう外れたものには嫌悪があると思う。

その裏返しが過剰な陽キャ陰キャといったカテゴライズや、昔ならリア充みたいな言葉を流行らせたんだと思う。

私が思うにスポーツならどんなにその人が嫌いであっても、結果を出してしまえば認めざるを得ないのが一般的な評価で、それをどうにか歪めることというのは出来ない。

しかし、芸術分野に関しては、どれだけ世間で評価されようが、その人が嫌いであれば、評価に値しないというのは両立することが出来てしまう。

なので、何が言いたいかのいうと結局のところ詩に良し悪しなんてほとんどなくて、その人が人間として、好きか嫌いかが先にあって、評価や才能なんてものは後付けのようなものということだ。

私も私で、嫌いな人がいくら素晴らしい詩を書こうが好きになることはないし、気に食わないという評価をするに決まってるのである。

つまり54歳で夢破れて独身という彼の存在そのものが、ネットの好感度を得なかっただけのであって、詩の評価なんてものは後付けだと思う。

もし、彼が別の詩を書いていてそれに別名義にしていたら評価されるものもあると思うし、彼の詩だと知った瞬間にやっぱりそんなだらしない奴の詩はしょうもないと切り捨てると思う。

なので私もバンドの詩を担当してる身として思っていることは、私自信がある程度みんなに好かれていないと、評価もされないってことだ。
まあ私の場合音楽だから、詩そのものではないので話は変わってくるのだが。

だから、たまにネットで子供が書いた詩とか絵がとても評価されるのも、やっぱり子供は純粋で良いものと信じられてるからだし、もしそれがいけ好かない東京出身の金持ち美大生の詩とかわかったやいなや、酷評されるものだと思う。

そういう身も蓋もない話ではあると思います。なので私はスポーツは好きです。そこに好き嫌いなんて跳ね飛ばすほどの残酷な勝者があるからです。

芸術はその日の気分によっては素晴らしい作品もクソの塊に見えるという欠陥分野なので。

ということで、わたくしウは、この詩を書いた島塚さんを私は応援しております。なぜなら56歳にもなって比喩にも逃げずに自分を素直に書ける彼が人間的に好きだからです。

おわり!


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