日常の隙間にある些細な違和感をエッセイに書く可愛い女性になりたかった 2025/10/6の日記

とにかく最近こういうタイプな人間が羨ましいなあと感じることがある。
抽象的な文章もめんどくさいので具体的に名前まで出しちゃうんだけど、金井球とかいう謎の可愛い女性が、有名なイラストレーターに写真をトレスされたという事件があった。その時の対応のXの文章が名文だみたいな褒められてて、羨ましいなあって思った。

Xでよくある現象だが、自撮りを上げて普段何してるか全くわからないがフォロワー数の多い女性たちがいる。なんかそこに添える些細な日常を鮮やかに切り取るような文章でファスト文学のようなエモさをかましだす彼女らは、顔だけじゃなくて、その彼女ら紡ぐ言葉や空気感そのものまでもファン達に肯定されて、男女問わず彼女のファンはいるのだろう。

私は数年前までは、そういう人々を親の仇のように敵視していたのだが、2025年に素直な気持ちを言うならば、嫉妬していたということだ。

例えば彼女らがもし最初から音楽や文学やモデルや俳優を志している人間で、その道一本でやってるのであれば、何も思うことがないでしょう。
だが、私に近い位置にあるかのような彼女らはやっぱり、日常の些細な事を呟いてみたり、なにか日常の些細な楽しみを見つけつつ、可愛い自撮りをあげて、少しサブカルにも精通していて、そんな生きてる空気そのものが大多数のフォロワーやいいねで肯定されていく。
もちろん自身の演出もあるのだろうが、彼女らは生きているそのものが、肯定に値する人間に思えてくるのだ。

バカみたいな話なのだが、もしかしたら私がたまたま容姿に恵まれていたのであれば、同じような事をして、もっと人気になってたんじゃねえかと思うから、余計に敵視に値するのだろう。

もし彼女らにも苦悩や影の努力があると言われたら、はい、そうですねと引き下がるのだが、やっぱり心の底では納得できないと思う。

彼女自身が言ってたことだが、なにもしてない人間の中で一番有名になりたい、みたいなことを呟いてた気がする。
実際のところそれは的を得た発言で、自撮り系のインフルエンサーみたいなものって生きてるそのものが彼女らの魅力であって、それこそが商品価値になっている。

私が到底たどり着けない領域だ。私が何もしなければ何もしないまま年齢を重ねて過ぎ去っていくだけだ。私がアイスを片手に散歩した自撮りの写真何の意味ないだろうし、私がサブカルチャーを知っていたり、マイナーな音楽を聴いていたとしても、誰も喜ばないだろう。

でも彼女らはきっと喜ばれるわけで、それは彼女自身に自分を重ねるに値する人間だし、日常が絵になるということだし、同じ趣味ならきっと近づいたみたいで嬉しいんだろう。

そうじゃない人間はどうしたらいいかというと、何かを動かすしかなくて、新しい価値を提示しなきゃいけないし、日常を生きてるだけじゃきっとダメで、生きているだけじゃ絵にならない人生だってことだ。

そんなことも忘れて呑気に過ごしていたら、もういい年齢になっていて、寿命が来て、取り返しはつかなくて、しかし最後の希望みたいな可能性に欠けるしかないところまで来て、ふと彼女のような人間を見るたびに自分の無価値さを思い出して、そうだった私は絵にならないクソな人生だったんだって感じで少しだけ闘士が芽生えて、次の日には忘れてるって感じだ。

人それぞれに苦悩があるみたいなクソな事言うなよ?知ってるよそんなことは、正直言って他人の人生の苦悩なんてどうでもいいことで、共感なんてしなくても、表面的に捉えるのがある種の礼儀ってもんだ。なので私だって同じように捉えてもらって構わない。

とにかくあれだ、私は私として頑張るしかないって感じだよね。一番言いたいのはそれな…。


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