[学者・軍人・政治家]【80】ベルリン03[1988文字]
核兵器のある世界はどういう経緯で出来たのか、歴史の流れをたどっていくシリーズの80回目です。
ヴァイマル共和政[=戦間期 の ドイツ に存在した 共和政体 の歴史的名称]編です。
尚、物理学をはじめとする様々な専門的または難解な話は、ボクに基礎知識すら無いため😵💫、ご質問されてもお答えできませんのでご了承ください。
※戦争・差別・迫害・暴力・プロパガンダ等について、今日では不適切と思われる記述・表現等がありますが、これらを肯定するものではありません。
※特定の個人・組織・国家・思想・行動を礼賛するものではありません。88
故意にコミュニストを挑発して、突撃隊の暴力をもって騒ぎを起こし、新聞沙汰となることで、ナチ党の存在をベルリン市民に知らしめる。
ゲッベルスは、ファールス・ホール以降も同様の戦術を繰り返し行ったが、ベルリン市警視総監のツェルギーベルは、これを違法な政治犯罪とみなし、1927年5月5日にナチ党の政治活動の中止を命じると共に、ゲッベルスの演説も禁止した。
そこでゲッベルスは、「書く」ことで宣伝戦を繰り広げた。
1927年7月1日を始まりとして、1,000枚ものポスターが、三度に渡って、ベルリン市内に張り出された。
最初の、血のように赤いポスターには、『攻撃(デァ・アングリフ)』の文字しか書かれていなかった。
数日後には、『七月四日、攻撃(デァ・アングリフ)開始!』とだけ書かれた二番目のポスターが張られた。
ベルリン市民がいぶかりだした頃に、三番目のポスターが登場した。
そこには、『攻撃(デァ・アングリフ)は毎週月曜日に行われる』と書かれていた。
そして月曜日に、ゲッベルスが創刊した新聞(週刊)、『攻撃(デァ・アングリフ)』紙が発行された。
ゲッベルスは日記にこう記している。
この効果的な、反響を計算したポスター広告によって、われわれは新聞の名を広めることに成功したのである。
尚、『攻撃(デァ・アングリフ)』紙は、週1回発行の新聞という体裁ではあるが、その内容は『労働者と兵士を代表して資本家に挑戦する!』といった煽動記事で埋め尽くされており、ヒトラーを援助する資本家たちは、その内容に怒り、ヒトラーに対して抗議をしにやってきたほどであった。
そしてヒトラーは、『攻撃(デァ・アングリフ)』紙の発行は、ゲッベルスの個人的事業であり、自分か関与することはできない、と言って逃げたという。
ゲッベルスは宣伝・宣伝技術について、こう語っている。
『宣伝は誰にでも教示することができる一連の芸術といえるが、ある段階からは先は、能力がに恵まれた才人の分野となる』
『キリストは宣伝しなかったか、本を書いて説教したであろう。
ムハマド(モハメッド)も難しいエッセイを書いた。
20世紀においてレーニンはどうであろうか。数千の大衆を前に演説したではないか』
1928年3月31日。ドイツはナチ党の活動停止処分を解除した。
1928年5月には国会選挙が予定されていた。
ゲッベルスは500名の議員のうち自らを含めてナチ党議員70名を議会に送り込むべく、2か月間も車を利用してドイツ中を遊説して巡った結果、投票数約100万票を獲得して、9議席から12議席へと、(ナチ党の)議席を増やすことができた。
参考・引用資料:
●「ヒトラー・ランド」 アンドリュー・ナゴルスキ:著
●「ヒトラー(上):1889-1936 傲慢」 イアン・カーショー:著
●「写真・ポスターに見るナチス宣伝術」鳥飼 行博:著
●「ワイマール共和国史」 E.コルプ:著
●「ヴァイマル共和国」 リタ・タルマン:著
●「ワイマル共和国 ヒトラーを出現させたもの」 林健太郎:著
●「ワイマール日記」(上) ハリー・ケスラー:著
●「デートリッヒ」(上) スティーブン・バック:著
●「独裁者ヒトラーの時代を生きる」 大島隆之:著
●「対比列伝 ヒトラーとスターリン」 アラン・ブロック:著
●「ナチの戦争 1918-1949」 リチャード・ベッセル:著
●「第三帝国と宣伝―ゲッペルスの生涯」 ロージャー・マンヴェル、ハインリヒ・フレンケル:著
●「ナチズム前夜 ワイマル共和国と政治的暴力」 原田 昌博:著
●「第三帝国の到来」 リチャード・エヴァンズ著
●「ナチズム: ドイツ保守主義の一系譜」 村瀬 興雄:著
●「ゲッベルス メディア時代の政事宣伝」平井正:著
●「ゲッベルスとナチ宣伝戦」 広田厚司:著
●「ゲッベルス ヒトラー帝国の演出者」クルト・リース:著
●「炎と闇の帝国 ゲッベルスとその妻マクダ」 前川 道介:著
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