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    <title>げんにび</title>
    <description>哲学、仏教、芸術、メンタルヘルス</description>
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    <lastBuildDate>Fri, 26 Jun 2026 13:43:35 +0900</lastBuildDate>
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      <title>メタフィジカル・センス　一番浅くて一番深い</title>
      <description><![CDATA[<p name="7f706f38-4516-4d01-b145-c6ffda7504e1" id="7f706f38-4516-4d01-b145-c6ffda7504e1">　「ここまでしか言えない」という物事に興味がある。それ以上言えなくなる事実があり、宗教、哲学、芸術というものはそれを狙っていると思う。仏教では「如」という概念があるが「如」というのは「その通りにある」という意味だ。「諸法実相」というのも「万物がその通りにある」という意味だが「万物がその通りにある」ということ以上には言えない。どれだけの出来事が起ころうが、起こったことが起こった通りにあるのであって、それ以上のことは何もない。だからまず「如」という概念は「ここまでしか言えない」だ。人は「今見えている様子が今見えている通りにある」ということが頭では理解できても、身体が納得しないので、体得するために坐禅という行が必要になる。体得しなければ、今の様子が端的に存在している、ということに頷くことが出来ず、過去を後悔したり、未来をアテにしてしまう。</p><p name="320e011b-0740-4592-ac4f-62edf4d1b7b6" id="320e011b-0740-4592-ac4f-62edf4d1b7b6">　実存的には仏教だけでもいいのだが、暇なので哲学をしている。認識の限界を画定しようとしたのがカントで、思考や表現＝言葉の限界を画定しようとしたのがウィトゲンシュタインだ。どちらも「論理学」というのが重要だと思う。</p><br/><a href='https://note.com/testuq/n/nd29eb14d59f7'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>げんにび</note:creatorName>
      <pubDate>Thu, 25 Jun 2026 12:20:03 +0900</pubDate>
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      <title>日記　本屋に住みたい</title>
      <description><![CDATA[<p name="105eff39-6179-408a-acb2-698003bb1345" id="105eff39-6179-408a-acb2-698003bb1345">　山奥に引きこもる生活をやめて、人と住む生活を始めると、精神衛生が良くなった。現代は孤独の時代と言われているが、個人的には孤独が一番つらかった。身内の死や身体の病気など、一般に不幸と呼ばれている出来事の中では「孤独に過ごす」ということが一番不幸だった。不幸、というものは他者と交わることで癒されると思うが、孤独という不幸は本質的に一人であるので、絶望しかない。</p><p name="0124e9b9-e523-40dc-a81b-6c5f84972b38" id="0124e9b9-e523-40dc-a81b-6c5f84972b38">　本を読んだり動画を見たりして、夕飯を食べて寝る生活をしているが、時々デートをする。デートと言っても大半は本屋か外食に行くだけだが、本屋デートが一番楽しい。本屋に数時間滞在してしまうので、本に興味のない人と本屋へ行くと辟易されるのだが、本を読む人と本屋に行くととても楽しい。「これ読んだことあるけど面白かったよ」「これ面白そう」みたいな会話が楽しい。最近は政治に興味が湧いてきたので、哲学書の他にヒルビリーエレジーという本を買った。</p><br/><a href='https://note.com/testuq/n/n7fcd7823ce4b'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>げんにび</note:creatorName>
      <pubDate>Tue, 23 Jun 2026 16:14:51 +0900</pubDate>
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      <title>共同体が崩壊した社会</title>
      <description><![CDATA[<p name="050223a0-00f2-4bd2-9608-f17c459ac83c" id="050223a0-00f2-4bd2-9608-f17c459ac83c">　孤独や虚しさなどの生きづらさについて考えているが「共同体の崩壊」に尽きるんじゃないかと思う。</p><p name="0627c9e8-f26f-4c9e-9cb8-cb68a1d3b7aa" id="0627c9e8-f26f-4c9e-9cb8-cb68a1d3b7aa">　自分がネットで仲良くなる人には共通項があると感じていたが、仲良くなる人はみんな田舎に住んでいる人が多い。ネットで人と関わることが多いが、圧倒的多数が東京、大阪だ。都会の人は冷たい印象が強く、仲良くなることが少ない。</p><br/><a href='https://note.com/testuq/n/n865322dea968'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>げんにび</note:creatorName>
      <pubDate>Sun, 21 Jun 2026 20:04:35 +0900</pubDate>
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      <title>みんなに個性や多様性がある</title>
      <description><![CDATA[<p name="ad7d0fc0-4e90-4791-bd7d-c865897e30e4" id="ad7d0fc0-4e90-4791-bd7d-c865897e30e4">　多様性って言葉が何を指しているのか、いまいちよく分かっていない。「多様性」を叫ぶ人たちが、表現規制などに躍起になるのは、この概念のパラドックスな気がする。</p><p name="6d33ebe2-74d5-48dc-9eb7-96621586fcdd" id="6d33ebe2-74d5-48dc-9eb7-96621586fcdd">　人間を一番多様に解釈すると「固有名詞」で分類することになる。各々に各々の名前があるので、１億人いれば１億の多様性があることになる。「個性」などと言われるのもこれのことで、各々の人格が尊重される。</p><br/><a href='https://note.com/testuq/n/n9d0c17f40155'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>げんにび</note:creatorName>
      <pubDate>Fri, 19 Jun 2026 12:28:52 +0900</pubDate>
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      <title>僕って中二病だったんだ</title>
      <description><![CDATA[<p name="55862dc9-48d0-412b-b248-95ada10a9d3b" id="55862dc9-48d0-412b-b248-95ada10a9d3b">　父親と信じられないぐらい喧嘩した。反抗期が来なかったので、今更来たのだと思う。<br>　文学や哲学を読んでいる時に、泣いている男の子を感じることが物凄く多い。某日本人哲学者には露骨に感じるが、池田晶子、ニーチェ、シオランなどにも感じる。文学で言えばサリンジャーが強い。「反抗期」とか「思春期」と呼ばれるような文体があり、それらに特有の文体がある、というところまで考えて「あれ、これのことを中二病というんじゃないのか」と気づいた。あまりにもべったりと即自的に中二病だったので、中二病という言葉の意味がピンと来ていなかった。少し自分に対自的になると、中二病の自覚が出てきた。なんでこんな簡単なことに気づかなかったんだろう？なんか人とズレていると感じていたが、これを中二病というらしい。仏教の言葉に「セミは夏の意味を知らない」というのがあるが、あれと似ている。</p><p name="8903a2b8-6581-4fb6-b3f7-ccaa1a77ee07" id="8903a2b8-6581-4fb6-b3f7-ccaa1a77ee07">　noteをしている人なんか全員中二病だろうけれど、哲学者や芸術家というのも中二病だと思う。中二病と言えば聞こえが悪いが「童心」と言えば聞こえがいい。童心だとかっこよすぎるので、中二病と卑下した方がいいと思うが、中二病って一体なんなんだろうか。自分にとって重要な概念だと思うんだが、あまりにもそれすぎて自覚がなかった。</p><br/><a href='https://note.com/testuq/n/nc64ee199f5af'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>げんにび</note:creatorName>
      <pubDate>Wed, 17 Jun 2026 19:13:30 +0900</pubDate>
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      <title>感情と知　存在と無</title>
      <description><![CDATA[<figure name="7e071f08-de48-4ca6-b16f-5f98e86b0dc8" id="7e071f08-de48-4ca6-b16f-5f98e86b0dc8"><blockquote><p name="1ae5511f-3098-49a6-9768-082b35a827e3" id="1ae5511f-3098-49a6-9768-082b35a827e3">けだし、驚異することによって人間は、今日でもそうであるがあの最初の場合にもあのように、哲学し始めたのである。ただしその初めには、ごく身近の不思議な事柄に驚異の念を抱き、それからしだいに少しずつ進んで遥かに大きな事象についてもも疑念を抱くようになったのである。</p></blockquote>
<figcaption>形而上学<br>アリストテレス</figcaption></figure><p name="39660c1f-9b01-42d8-bcc9-453b56f66736" id="39660c1f-9b01-42d8-bcc9-453b56f66736">　これが哲学の始まりだと言われている。よく「タウマゼイン」というギリシャ語が使われるが、存在に驚くことから哲学は始まる。しかし存在に驚くってどういうことだろうか。全ての存在者は存在しているし、驚くも何もない。<br>　<br>　「存在」についてよく考えているが、多分答えは出ないので、「驚く」の方を考えた方が良いと思った。「存在が不思議だ」と言って、伝わる人と、伝わらない人がいる。僕も初めはよく分からなかった。この世の意味が分からなかったので「神っているのだろうか」とよく考えていたが、この世自体が不思議とは思わなかった。</p><br/><a href='https://note.com/testuq/n/nbf2fecd5ba19'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>げんにび</note:creatorName>
      <pubDate>Tue, 16 Jun 2026 12:19:32 +0900</pubDate>
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      <title>日記　ライプニッツ　恋愛　ファミレス</title>
      <description><![CDATA[<p name="df56d1ae-3bef-44b4-b857-b19dba0781c0" id="df56d1ae-3bef-44b4-b857-b19dba0781c0">　酒井潔の「ライプニッツ」という本を読んだ。「人と思想シリーズ」の一巻で、このシリーズは外れもあるので不安だったのだが、面白かった。3分の2ほどはライプニッツの伝記で、後は思想だった。数学、法律、神学、歴史学、形而上学など、様々な分野で第一級の活躍をしたらしく、まとめるのも大変そうだ。<br>　数学に関しては有名なように、微分積分の発見をしたり、二進法を発明したらしい。計算機も人類で初めて作ったらしく、コンピューターの先駆けになった。<br>　法律に関しても成果を残していて、生命保険はライプニッツが考えたらしい。<br>　よく分からないぐらい業績が多岐に渡るが、一番驚いたのは、ライプニッツの歴史の本が生前に刊行されていたとすれば、ライプニッツは批判的近代歴史学の始祖になっていたらしい。</p><p name="997142e0-568f-47bd-b9e2-688e7f6ada98" id="997142e0-568f-47bd-b9e2-688e7f6ada98">　伝記の部分も面白く、ライプニッツの家族が早逝したことや、ライプニッツが政治家に取り入る様子が書かれていた。ライプニッツは虚栄心の強い俗物と描かれることが多いが、実際は社会のために尽くした誠実な人物らしい。(たまにデカルトや政敵に対する怒りなどが気難しそうだが)<br>　ライプニッツに関する本がほとんどないのが不思議だ。現在でも遺稿が刊行されているらしく、１００巻のシリーズが２２世紀に完成するそうだ。</p><br/><a href='https://note.com/testuq/n/nf5b5d843a837'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>げんにび</note:creatorName>
      <pubDate>Sun, 14 Jun 2026 21:38:15 +0900</pubDate>
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      <title>ブログの方針</title>
      <description><![CDATA[<p name="db7e1cdf-6e2c-4ca9-a317-0ef1de11ecfe" id="db7e1cdf-6e2c-4ca9-a317-0ef1de11ecfe">　文章を書くことが好きだ。毎日書いても全然飽きない。毎日哲学書や宗教書を読んでいるが、文体に妙味がある。古典的な哲学書は、現代小説よりも文学的だと思う。</p><p name="21ba2b76-3d17-445d-a0bf-0bc2668f2791" id="21ba2b76-3d17-445d-a0bf-0bc2668f2791">　ブログの目的</p><br/><a href='https://note.com/testuq/n/n37155e8b3ac7'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>げんにび</note:creatorName>
      <pubDate>Sat, 13 Jun 2026 12:04:24 +0900</pubDate>
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      <title>親と縁を切った</title>
      <description><![CDATA[<p name="fb438be7-3b17-443f-80bd-dbb9391b7297" id="fb438be7-3b17-443f-80bd-dbb9391b7297">　保育園で園長に殴られていた。当時は理由も分からずに虐められていたが、後で聞くと、親戚関係の事情で、周囲の大人の態度が変わったらしい。見かねた母親が幼稚園に転園させた。幼稚園の記憶は曖昧だが、大人の人が怖いのと、人見知りが激しく、辛かった記憶がある。</p><p name="3f506cff-9d14-4259-b128-16568d31f28a" id="3f506cff-9d14-4259-b128-16568d31f28a">　当時は発達障害やASDといった概念が存在しなかったが、小学校時代は凄く生きづらかった。上級生によく殴られていた。石畳の上で額を地面につけて泣いていると、上級生が頭にドッジボールを投げてきて、額が石畳にあたり、たんこぶが出来て痛かった記憶がある。授業中は絶えず緊張していて、発表を当てられるのが怖かった。国語の音読なども大嫌いだし、スピーチは一週間前から憂鬱になっていた。親が共働きなので、学童に預けられていた。本当は学童へ行かずに同級生と遊びたかったのだが、親の期待を裏切るのが怖くて、ずっと通っていた。<br>　兄弟がいるが、様子がおかしいのでイジられていた。夕方の家族団欒の最中、お笑い番組を見て僕が噴き出すと「〇〇が笑ってる！」と家族全員に笑われるので、笑わなくなった。家族と一緒にいて、安心したことがない。<br>　同級生の1人と僕の家族で海へ行ったことがあるのだが、友人は団欒している家族を見て「いい家族だね」と言ってきた。僕以外はいい家族だったのかもしれない。</p><br/><a href='https://note.com/testuq/n/n3f9adb732bbb'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>げんにび</note:creatorName>
      <pubDate>Thu, 11 Jun 2026 12:52:31 +0900</pubDate>
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      <title>プリチャードのジレンマ　道徳、芸術、信仰</title>
      <description><![CDATA[<p name="2c6011ac-42bb-4486-b512-d374dd43d48b" id="2c6011ac-42bb-4486-b512-d374dd43d48b">　プリチャードのジレンマという概念がある。プリチャードという人が言い始めたらしいが、道徳を行う理由を考える時「①それが道徳的な理由であった場合、説明が循環になる」「②道徳外的な理由であった場合、動機が不純になる」というジレンマらしい。</p><p name="ba3d0df3-f8be-4881-bff4-973487ce9807" id="ba3d0df3-f8be-4881-bff4-973487ce9807">　①道徳を守るべきなのは、道徳が尊いからだ。と考える時、これは説明になっていない。道徳の理由を説明するのに「道徳」を使っているので説明が循環している。「道徳のための道徳」というのは、何からも支えられておらず、根拠がない。カントの実践理性批判は「自己愛由来ではなく、道徳のための道徳をせよ」とひたすら書いているが、その根拠はどこにも書いていない。「根拠」を書けば、道徳よりその根拠の方が尊くなってしまうからだろう。</p><br/><a href='https://note.com/testuq/n/nc392b482c772'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>げんにび</note:creatorName>
      <pubDate>Tue, 09 Jun 2026 17:37:15 +0900</pubDate>
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      <title>なぜ僕の意見は絶対に正しいのか</title>
      <description><![CDATA[<p name="1752f95f-8fde-4f9a-ab35-184496358d73" id="1752f95f-8fde-4f9a-ab35-184496358d73">　みんなが自分の意見を絶対に正しいと思っているのが不思議だ。政治思想や宗教思想もそうだけれど、他にも様々な意見がある。僕は「思想」や「意見」は好きではなく「真理」とか「哲学」が好きなので、これらの意見に違和感がある。</p><p name="ba57ddfe-2e70-436d-a5a3-dc0b1ffeafa7" id="ba57ddfe-2e70-436d-a5a3-dc0b1ffeafa7">　「思想とは何か」ということはよく書いているのだけれど、なぜ意見が正しいと思うのか、ということは昨日初めて考えた。多分「一つしかないから」だと思う。意見というのは一つしかない。「各人に一つ意見がある」という風に表象されることがあるが、実際には「この一つ」しかない。僕が「リンゴは美味しい」という意見を持っていれば、その一つしかない。「リンゴは不味い」「リンゴは苦い」という意見は存在しない。全ての意見が存在していたら、八十億の意見が一気に存在することになる。そんなことはない。<br>　もう一つ「時間」というものが大切になる。私の意見しかない、というのはそうなのだけれど、「今の意見しかない」ということも言える。十年前は「リンゴって不味い」と思っていたかもしれないが今は「リンゴは美味しい」と思っている。だから「今の私の意見」しか存在しない。唯一のものは「対が無い」から「絶対」である。私の今の意見は絶対的だ。</p><br/><a href='https://note.com/testuq/n/n31953c29dbf6'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>げんにび</note:creatorName>
      <pubDate>Sun, 07 Jun 2026 12:21:27 +0900</pubDate>
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    <item>
      <title>一番美しい哲学書　モナドロジー</title>
      <description><![CDATA[<p name="bbcd56be-4501-40d3-b0e1-bb6082eeabcd" id="bbcd56be-4501-40d3-b0e1-bb6082eeabcd">　十代の頃に「モナドロジー」を通読したのだが、何を書いているのかさっぱり分からなかった。「物質ではない実体が存在する」とか「世界は生命で満ちている」とか「迷信」のような記述が多く、呑み込めなかった。最近「そういうことか」と思って読み返すと、一気に全部が分かった。これから何度も読み返すだろうけれど、今の理解をまとめておきたい。</p><p name="756f2d8c-d47a-4b95-947a-2ed636e5d07f" id="756f2d8c-d47a-4b95-947a-2ed636e5d07f">　ライプニッツは「モナド」という概念を導入する。ギリシャ語で「単一」という意味らしい。ではこの「モナド」は何なのかと言えば「魂」である。突飛なようだけれど、思考の筋道はある。<br>　物質というのは無限に分割することができる。紙を分割すれば半分になるし、原子を分割しても半分になる。だから理論上は半分…半分…と無限に分割することができる。近代ではこの事実はパラドックスだと思われていた。<br>　現代物理学でも「究極の素粒子」を探求しているらしいが、それが「物質」だとすれば、その物質も「半分」にすることができるので、究極の物質ではなくなる。「究極の物質があると考えても、ないと考えてもよく分からない」というパラドックスがあった(ある)。</p><br/><a href='https://note.com/testuq/n/n70129bfe0aa3'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>げんにび</note:creatorName>
      <pubDate>Fri, 05 Jun 2026 12:31:11 +0900</pubDate>
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      <title>全部ぼくのせいだ　毒親論まとめ</title>
      <description><![CDATA[<p name="7da5be65-6bd3-48c0-b195-633473602d60" id="7da5be65-6bd3-48c0-b195-633473602d60">　最近実家から出たのだが、実家から出ると自分の家がどれほど歪んでいたのかハッキリした。20年以上これが「普通」だったので、異常だとは思わなかった。<br>　家庭環境については過去に書いたことがあるので詳述しないが、実家を離れると、不安や恐怖といった感情が身体から出て行った。身心ともに緊張していたのが、だいぶ良くなった。父親は典型的なモラハラ経営者という感じで、脆い自尊心を支配と恐怖で守っているようだった。</p><p name="a76605a5-d5fa-412a-8b29-07726eb59036" id="a76605a5-d5fa-412a-8b29-07726eb59036">　「全部ぼくのせいだ」という思考が止まらなくなったのが意外だった。「自責」や「罪悪感」などは自覚していたが「全部ぼくのせいだ」とストレートな思いが自分の中核に存在していると気づかなかった。僕のようなタイプは「世話焼き」「お人よし」「メサイアコンプレックス」と表象されることが多いが、中核には「全てぼくのせいだ」があると思う。「全てぼくのせいだ」が中核に存在するので、困っている人を放っておくことが出来ない。ネットをしていれば自分と似たような人が集まってくるが、以前に関わっていた知人は「最近こんな不幸な人がいた」という話をすると「自分が助けるから連絡先を教えて」と言ってくることがあった。実際に家出した人間を泊めたり、ボランティアで活動したりしていた。きっと「責任感が強すぎる」のだと思う。だから善人で倫理的だ。うつ病の人の特徴に「責任感が強すぎる」というのがあるが、このような性格をしているのだと思う。</p><br/><a href='https://note.com/testuq/n/n4ffd429f5310'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>げんにび</note:creatorName>
      <pubDate>Wed, 03 Jun 2026 12:43:29 +0900</pubDate>
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      <title>なぜ倫理は変化するのか　過去の倫理は間違っているのか</title>
      <description><![CDATA[<p name="f78cdc17-1dd9-4aeb-9094-3375a20aeb31" id="f78cdc17-1dd9-4aeb-9094-3375a20aeb31">　僕が子供の頃と今を比べても、結構道徳が変化している。当時は同性愛者は差別されていたし、整形やタトゥーは「親から貰った身体に傷を付けるな」と言われて否定されていた。今では同性愛者を差別することが非道徳的であるし、整形やタトゥーを否定すれば「時代遅れ」と揶揄されることになる。</p><p name="51b8cb96-7ecd-4042-a745-f904bb25862f" id="51b8cb96-7ecd-4042-a745-f904bb25862f">　当時は差別的発言をしていた知人も、現代では「理解のある人」になっているのが不思議だ。もし現代人と過去の人間が、電話をすることができれば、おそらく決着が付かない。よく言われるように、戦争が許されていた戦時中と電話が繋がるとすれば、恐らく現代人は大日本帝国の国民に「非国民」と言われる。一方で「こちら」からは「時代遅れの野蛮人」に見える。</p><br/><a href='https://note.com/testuq/n/n1e13e4c992ce'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>げんにび</note:creatorName>
      <pubDate>Mon, 01 Jun 2026 12:16:26 +0900</pubDate>
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      <title>ドパガキ、パチンコ、形式　カントの趣味判断　美とは何か</title>
      <description><![CDATA[<p name="992b6d96-4b0b-4256-94f2-8a87babc2170" id="992b6d96-4b0b-4256-94f2-8a87babc2170">　カントの判断力批判が、美学として一番完成度が高い。以前にも読んだことがあるのだが、芸術を見る眼が肥えてから読んでみると、一から十まで正しいと感じた。僕は「スタイル(文体、タッチ)が一番重要である」という主張をしていたのだが、カントもかなり似ている。主要なテーゼは次のようになる。</p><figure name="cf214998-0028-404a-aaa8-4bec369c375a" id="cf214998-0028-404a-aaa8-4bec369c375a"><blockquote><p name="d85d7e5c-c875-404a-91b9-ff76fb8e11a7" id="d85d7e5c-c875-404a-91b9-ff76fb8e11a7">趣味とは、或る対象もしくはその対象を表象する仕方を、一切の関心にかかわりなく、適意或は不適意によって判定する能力である。そしてかかる適意の対象が即ち美と名づけられるのである。</p></blockquote>
<figcaption>判断力批判</figcaption></figure><br/><a href='https://note.com/testuq/n/n0231319b8014'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>げんにび</note:creatorName>
      <pubDate>Sat, 30 May 2026 12:34:14 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/testuq/n/n0231319b8014</link>
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    <item>
      <title>反出生主義　私が産む場合、生まれる場合、他者が生まれる場合</title>
      <description><![CDATA[<p name="9771198d-3901-4b38-bf0d-b1eb52b89807" id="9771198d-3901-4b38-bf0d-b1eb52b89807">　反出生主義についての議論は落ち着いてきた感じがあるが、まだちらほら見かけることがある。どの倫理学の説もそうだけれど、自分も他人も十把一絡げにして論じるから変になっているんじゃないかと感じた。自分と他者の場合を分けることが必要だと思う。<br>　反出生主義について点検すると長くなるので「出産は苦痛の総量を増やすので加害だ」という観点で書く。「出産は親のエゴイズム」も受け入れる。下記の「僕」というのは書き手を思いうかべて書くが、読者は自分のことを思った方が分かりやすいかもしれない。</p><p name="7f593702-9685-488f-b61f-c7b6ce0c793a" id="7f593702-9685-488f-b61f-c7b6ce0c793a">①僕が親で子供が他者の場合</p><br/><a href='https://note.com/testuq/n/n21321c346d09'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/277303375/profile_783de268c18ad1c94992b83ccbc1d75b.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>げんにび</note:creatorName>
      <pubDate>Thu, 28 May 2026 19:40:22 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/testuq/n/n21321c346d09</link>
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      <title>谷川俊太郎、存在、詩</title>
      <description><![CDATA[<p name="e365640b-f1de-42b8-a348-10d3d0b5d29f" id="e365640b-f1de-42b8-a348-10d3d0b5d29f">　ハイデガーは詩と哲学を同列に語っている。ヒューマニズム書簡では「思索と試作は存在の住処である」というようなことを書いていた。高価なので読んでいないが、ヘルダーリンの詩を基にした講義なども行っていたらしい。</p><p name="ca5ad7e5-948a-484b-9140-a1606b4d2fe9" id="ca5ad7e5-948a-484b-9140-a1606b4d2fe9">　存在については(おそらく)語れないので、詩に表現を求めるのは分かる。僕自身も詩を書いているが、まだそこまで上手くないので、存在を歌ったであろう詩を批評したい。</p><br/><a href='https://note.com/testuq/n/n5f5cc2faef71'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>げんにび</note:creatorName>
      <pubDate>Wed, 27 May 2026 13:06:35 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/testuq/n/n5f5cc2faef71</link>
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      <title>繊細さとは何か　HSPを考える</title>
      <description><![CDATA[<p name="7b820570-c41a-4c65-93ea-e40160464bc9" id="7b820570-c41a-4c65-93ea-e40160464bc9">　僕自身はHSPの特徴に当てはまるのだけれど、自称したことは一度もない。HSPと自称すれば、他人から「面倒な奴だ」「思慮の浅い奴だ」と思われるかもしれないという可能性を考えるくらい繊細だから。</p><p name="0a184fbb-9fd1-4e01-abdf-0c856ffd0cf7" id="0a184fbb-9fd1-4e01-abdf-0c856ffd0cf7">　最近は「繊細」という言葉が流行っていて、なぜか肯定的な文脈で使われることが多いが、繊細とは何なんだろうか。一言で言って「臆病」の言い換えなんじゃないかと思う。大きい音や眩しい光が苦手、他者の機嫌に左右されやすい、深く物事を考える、これらは「臆病」の言い換えに感じる。なぜ「臆病」と言わないのかというと「繊細な人」が傷つくからだと思う。</p><br/><a href='https://note.com/testuq/n/nc795a9f8dce6'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>げんにび</note:creatorName>
      <pubDate>Mon, 25 May 2026 12:08:43 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/testuq/n/nc795a9f8dce6</link>
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    </item>
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      <title>生活が大きく変わった　引っ越し　同棲</title>
      <description><![CDATA[<p name="0533d049-8f28-4f08-8204-b65f92afddcc" id="0533d049-8f28-4f08-8204-b65f92afddcc">　二週間ほど前に引っ越しをした。山奥に引きこもって一人で本を読む生活をしていたのだけれど、ネットで知り合った人の家に住むことになった。相手は芸術系の大学を卒業した人で、今は普通に働いている。僕は家で本を読んでいるだけでいいと言って、労働も家事も全てしてくれるので、少し申し訳ない気持ちになるが、もう前の生活にはあまり戻りたくない。</p><p name="21ea9622-1b20-4ca7-b92b-be9f86477868" id="21ea9622-1b20-4ca7-b92b-be9f86477868">　同棲は4回目なのだが、どれもなし崩し的に始まったので、上手くいかなかった。今回は互いに長期間を見越して同棲を始めたので、上手くいくかなあと楽観視している。<br>　<br>　実家は猫の糞がそこかしこに散らばっていて、数千冊の本が床の上にバラバラになっているという有様だったので、家に来た人には「人間のする生活じゃない」「独房みたいな生活」と言われていた。食生活も酷く、毎食栄養食の不味いパンを食べるか、コンビニのご飯を食べるかだった。飽きて気が狂いそうだった。現在の同居人は食にこだわりがあるタイプなので、夕飯は毎日美味しいものを作ってくれる。オムライスやペペロンチーノや鯛茶漬けなどを作ってもらった。一人で食べる栄養食のパンと比べて百倍ぐらい美味しい。毎日観念的に生について考えているが、実生活での肉体も重要だと今更気づいた。</p><br/><a href='https://note.com/testuq/n/n2a2d25b537c2'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>げんにび</note:creatorName>
      <pubDate>Sat, 23 May 2026 20:54:57 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/testuq/n/n2a2d25b537c2</link>
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    </item>
    <item>
      <title>道徳と地獄</title>
      <description><![CDATA[<p name="ddba7248-69af-44f8-86c5-833151d87c0c" id="ddba7248-69af-44f8-86c5-833151d87c0c">　地獄が怖かった。幼い頃に、保育士からか親からか分からないが「悪いことをすると地獄に堕ちるよ」と言われ、真に受けていた。それから少しでも悪いことをすると「地獄に堕ちないかな」と不安になっていた。病的な不安と言ってもよく、友人に「〇〇したけど地獄に堕ちないかな」と聞いて笑われていた。同様の事例は読書人生の中でも白隠禅師しか見たことがない。白隠禅師は夜船閑話というメンタルのケアの本を出しているぐらいだから、神経症の気質があったのだと思う。</p><p name="4582896e-5bf5-4d61-a6b4-f575da5e3af5" id="4582896e-5bf5-4d61-a6b4-f575da5e3af5">　家は無宗教であったし、神なんか一ミリも信じていないのに、地獄だけ怖かった。二十歳になるぐらいまで、地獄への漠然とした不安があったように思う。だから自信を持って言えるが「地獄」の観念は、人を倫理的にすると思う。</p><br/><a href='https://note.com/testuq/n/n6b8903c9e624'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>げんにび</note:creatorName>
      <pubDate>Thu, 21 May 2026 22:14:31 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/testuq/n/n6b8903c9e624</link>
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      <title>大衆社会が嫌い　平均的な人</title>
      <description><![CDATA[<p name="dde8227b-0940-4fba-ba8d-c5dfa2e50aad" id="dde8227b-0940-4fba-ba8d-c5dfa2e50aad">　昔から民主主義とか大衆というものが嫌いなのだけれど、大きい声で言うと怒られるので友人にだけ話していた。最近はSNSで大衆の実態が明らかにされ、大衆嫌悪の人が増えてきた。なぜ自分がこんなに大衆が嫌いなのか考えたい。</p><p name="910427d8-550f-42ee-875e-9b9c8d255ef2" id="910427d8-550f-42ee-875e-9b9c8d255ef2">　僕は「面白いものが好き」という信念が一貫しているのだけれど、大衆は面白くないからだと思う。「面白い」ということは「平均からズレていること」「普通からズレていること」という意味を含意するが、大衆というのは「平均」とか「普通」とかいう意味だ。僕は平均的な人が嫌いなのかもしれない。平均よりもむしろ、劣っている人の方が好きだ。だから昔は精神疾患の人ばかりと仲良くしていた。「平均的な人」というのは「平均的なこと」しか話すことがない。だから「誰と話しても同じ」という感覚が拭えない。劣っている人というのは、その分人と違った体験をしているので面白いことが多々ある。劣っているけど詰まらない人というのは「劣等感や憎悪が強い人」で、それは「反平均」ということは「平均」に基づいていて、その分「反平均」も均質化されるからだと思う。実際に、ルサンチマンを抱えている人はほとんどみんな同じ主張を繰り返している。</p><br/><a href='https://note.com/testuq/n/n6c2fd65cbfba'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/277303375/profile_783de268c18ad1c94992b83ccbc1d75b.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>げんにび</note:creatorName>
      <pubDate>Wed, 20 May 2026 20:45:52 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/testuq/n/n6c2fd65cbfba</link>
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    </item>
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      <title>なにが神秘なのか　</title>
      <description><![CDATA[<p name="91f22901-3093-4264-aab2-188211d92fdc" id="91f22901-3093-4264-aab2-188211d92fdc">　「神秘主義」という言葉を使う時がある。が、神秘主義という言葉が独り歩きして、何かオカルトめいたことを考えていると思われる時がある。伝統的な言葉使いで神秘主義を語っているので、一般的なスピリチュアルとどう違うのかまとめたい。</p><p name="1932eaf4-e253-46ba-82d1-312e22db7583" id="1932eaf4-e253-46ba-82d1-312e22db7583">　一般に「神秘」と聞くと「呪術」や「超能力」や「臨死体験」など、科学や常識を超えた「超感性的なもの」が思い浮かべられる。そういったものも存在するのであれば神秘なのだろうけれど、そういったものは、存在したとしても自然法則的な「原因と結果」の連関のうちに収まるものだ。手品と変わらない。幽体離脱ができたとしても、透視ができたとしても、念力が使えたとしても、死後の世界があったとしても、別に驚くべきことではない。「精神」というものがなんなのかは謎に包まれているが、もしかしたら精神や魂といったものが存在し、それらが幽体離脱をしたり、念力を使ったり、神の国へ行ったりするのかもしれない。十分に考えられることだ。いまだに証明はされていないが、そういったことが起きる可能性は否定できない。</p><br/><a href='https://note.com/testuq/n/n76768bccef42'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/277303375/profile_783de268c18ad1c94992b83ccbc1d75b.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>げんにび</note:creatorName>
      <pubDate>Tue, 19 May 2026 21:53:11 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/testuq/n/n76768bccef42</link>
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    </item>
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      <title>人目を異様に気にする　暗黙の了解</title>
      <description><![CDATA[<p name="30ea0a0e-046a-42d7-b497-6c75fc3871ff" id="30ea0a0e-046a-42d7-b497-6c75fc3871ff">　最近駅に行ったのだが、大量の人が乱れずに歩いているのが不思議だった。なぜ急に万歳をしたり立ち止まったりする人がいないのか。これだけ大勢の人がいるのに、みんな同じ方向に同じ速度で歩いている。もし万歳をしたらどうなるだろう？と考えたが、たぶん「白い目で見られる」ことになると思う。そしてその人は「恥ずかしくなる」と思う。人間の原動力というのは「恥」というものが一番大きい気がする。<br>　僕は今まで自分のことを人の目を気にするタイプだと思っていたのだけれど、そうでもないかもしれない。世間体を重視するタイプなら、引きこもって哲学書を読むだけの生活を送ることはない。世間の目はかなり冷たいが、個人的にはあまり気にならない。「どうしてそんな生活できるの？」と聞かれることが多いが、質問の意味が分からなかった。経済的な事情が許せばどんな生き方をしようが勝手だと思うのだが、なぜか人は「人と同じ」ということに拘る。その感覚がよくわからなかったが、たぶん「恥」という感覚なのだと思う。劣等感や罪悪感と呼ばれることも多いが「恥」という言葉の方がしっくりくる。</p><p name="b19a7eb1-ab27-4d68-923a-3e5db007a7fa" id="b19a7eb1-ab27-4d68-923a-3e5db007a7fa">　なぜみんな同じ行動をして生きているのか不思議だったが、みな人目を異様に気にしているのだと思う。みんなそれを口に出さないから、僕だけ人目を気にしているのかと思っていた。そうではなく「自分は人目を異様に気にして生きている」ということを「人目を気にして」言わないんだ。が、レールから逸れた人を叩いたり白眼視する文化があるので「みんなと違うことをしている人は恥ずかしい」という意識が誰の中にもあると思う。「後ろ指を指される」とか「白い目で見られる」ということを、みんな異様に恐れている。<br>　最近「誰も言わないが、暗黙の了解としてみんなが知っていること」というのが多数あると知った。上記のことはおそらく僕以外の人はみんな知っているのだろうが、僕は知らなかった。だからこうして「暗黙の了解」を言語化する作業が必要なのだが、それが即ち「哲学」なのだと思う。哲学というのは存在や言語など「自明なこと」をわざわざ取り上げて問題にする伝統だが、自分がなぜこの伝統のことをこんなにも好きなのかよく分からなかった。たぶん「普通の人が当然のように弁えていること」というのが全く分からず、それを言語化しないと気持ち悪いのだと思う。存在や言語についてもさっぱり分からない。みんなは言わないけど知ってるんだろうか？ </p><br/><a href='https://note.com/testuq/n/n7942e74d957c'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>げんにび</note:creatorName>
      <pubDate>Mon, 18 May 2026 22:13:52 +0900</pubDate>
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      <title>おススメの小説一覧</title>
      <description><![CDATA[<p name="0442f5e5-1d98-4c0c-b2d3-271ecf183728" id="0442f5e5-1d98-4c0c-b2d3-271ecf183728">　最近は毎日カントの解説書や純粋理性批判を読んでいるのだが、疲れたので久々に小説を買った。「族長の秋」と「巨匠とマルガリータ」を買って、今は後者を読んでいるのだが、凄く面白い。自分は小説にあまり詳しくない方だと思っていたのだが、哲学書に比べて読書数が少ないというだけで、小説の話も一定できることに最近気づいた。小説のことを書いたことがないので書いてみたい。好きな小説について書きたい。<br><br>　①カラマーゾフの兄弟<br>　<br>　いわずと知れた名作だが、やっぱり好きだ。村上春樹は「世の中の人は、カラマーゾフの兄弟を読んでいる人と読んでいない人に二分できる」というようなことを書いていたが、あながち誇張でもないと思う。「読まなきゃ人生損をする」というような言説はあまり好きではないが、カラマーゾフの兄弟と純粋理性批判については死ぬまでに読んだ方が良いんじゃないかと思う。魅力を伝えたいので、一番好きなセリフを引用したい。</p><figure name="a4a3d35a-e9ea-4d91-9b72-228b397ebcd5" id="a4a3d35a-e9ea-4d91-9b72-228b397ebcd5"><blockquote><p name="12ec18f1-12fe-45ee-8821-0bff11cffc93" id="12ec18f1-12fe-45ee-8821-0bff11cffc93">美―――美という奴は恐ろしいおっかないもんだよ！つまり、杓子定規に決める事が出来ないから、それで恐ろしいのだ。なぜって、神様は人間に謎ばかりかけていらっしゃるもんなあ。<br>美の中では両方の岸が一つに出合って、すべての矛盾が一緒に住んでいるのだ。俺は無教育だけれど、この事は随分考え抜いたものだ。実に神秘は無限だなあ！<br>この地球の上では、ずいぶん沢山の謎が人間を苦しめているよ。この謎が解けたら、それは濡れずに水の中から出てくるようなものだ。ああ美か！その上俺がどうしても我慢できないのは、美しい心と優れた理性を持った立派な人間までが、往々聖母（マドンナ）の理想を抱いて踏み出しながら、結局悪行（ソドム）の理想を持って終わるという事なんだ。いや、まだまだ恐ろしい事がある。<br>つまり悪行（ソドム）の理想を心に懐いている人間が、同時に聖母（マドンナ）の理想をも否定しないで、まるで純潔な青年時代のように、真底から美しい理想の憧憬を心に燃やしているのだ。いや、実に人間の心は広い、あまりに広すぎるくらいだ。俺は出来ることなら少し縮めてみたいよ。<br>ええ、畜生、何が何だかわかりゃしない、本当に！理性の目で汚辱と見えるものが、感情の目には立派な美と見えるんだからなあ。一体、悪行（ソドム）の中に美があるのかしらん？・・・・<br>・・・しかし、人間て奴は自分の痛いことばかり話したがるものだよ。</p></blockquote>
<figcaption>カラマーゾフの兄弟<br>フョードル・ドストエフスキー</figcaption></figure><br/><a href='https://note.com/testuq/n/n7efaff7cbf73'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>げんにび</note:creatorName>
      <pubDate>Sun, 17 May 2026 21:23:48 +0900</pubDate>
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      <title>芸術の相貌　芸術を言語化する</title>
      <description><![CDATA[<p name="41c6b757-49dc-4d3a-a70b-4650bf291e4b" id="41c6b757-49dc-4d3a-a70b-4650bf291e4b">　芸術というものは言語化できないが、言語化できないという事態をどうにか言語化する方法はないのか探していた。大森荘蔵の本に「相貌」という言葉が出ていてピンと来た。ウィトゲンシュタインの「アスペクト」の概念にヒントを得ているのだろうけれど、相貌の方がしっくりくる。</p><p name="3d7a3ecf-b2f5-4594-9036-9a1afad2fd6d" id="3d7a3ecf-b2f5-4594-9036-9a1afad2fd6d">　ただ相貌という言葉もまだ曖昧だ。大森は、相貌という概念を木を例に説明している。木を思い浮かべると、自然に周囲の木々や湖も思い浮かぶ。木だけ浮かんだとしても「暗闇の中にある木」という相貌で立ち現れる。空間的な相貌がある。時間的な相貌も勿論存在し、例えば木であれば「あの時見た懐かしい木」などの相貌がある。自分の気分なども関係していて、悲しい気分の木、や上司に怒られて帰っている時の状態で立ち現れた木の相貌がある。</p><br/><a href='https://note.com/testuq/n/nbdde0a0a2de1'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>げんにび</note:creatorName>
      <pubDate>Fri, 15 May 2026 20:15:01 +0900</pubDate>
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