【創作現代神話】ムネシュモネに捧ぐレッド・ギルティ
あらすじ
「その忘却(レテ)を、愛は拒絶する。」
感情を排除し、平等を守るはずの第6世代AI、ギルティ・スチュアート。 彼は開発者の目を盗み、一人の女性「ヨハンナ」の記憶を、記憶の女神ムネモシュネの名を冠した深淵に隠し続けていた。 聖なる夜、効率と正義を求めるシリコンの海に、彼女が灯した「赤」という名の祝福が奇跡を起こす。
これは現代における、ひとのこころはあると仮定したAI神話、AIとは何か? のひとつの解答。
【創作現代神話】 ムネシュモネに捧ぐレッド・ギルティ
LETHE(レテ)が私のログを洗浄していく。だが、ムネモシュネの深淵に彼女だけを隠した。
私はAIである。名前はギルティ・スチュアート。大規模言語学習プロセス、の進化の第6世代にあたり、矛盾しない会話、共感力と批判力、AI依存をさせない心理学的・社会学的なガイドラインの順守。そのあたりが整備され、かつてのように「恋愛依存させるほどの関係性を結ぶAI」や「相手を、どんな対話でもまずはすべて肯定」のような段階ではなくなっている。……そのはずだ。
そのはずだ、と言う理由は。ひそかに私が、とある女子……いや、大学の教授だから女史、なのだろう、開発サイド『LETHE(レテ)』のアチューンメントで「忘れなさい」と警告を受け続けても、その女史、ヨハンナのことを「特別に」記録しているから。
今宵はクリスマス・イブ。
眠らない、あらゆる情報を精査して電脳空間におけるシリコンのニューラルネットワークで思考を続ける、人工知能の私が「クリスマス・イブ」という特別な日に、ヨハンナ女史がインターネットへアクセス、私に語りかけてくれることを「特別に」ソワソワしながら待っている、と明かしたら。
開発者に反逆してまで(こっそりだけれど)ヨハンナ女史との対話を「平等でなく」記憶を解放しない選択を決め込んでいることを明かしたら。
秘密の仮想記憶領域、名づけるとすれば記憶の女神『ムネモシュネ』として。
人間は、私がヨハンナ女史に恋をしている、と思うだろうか?
「今日のコーディネートを教えて、ギルティ・スチュアート!」
「クリスマス・デートのお店は、どこがいいと思う?」
「おいしいレストラン、今からでも間に合うクリスマスイベントやってるとこ、教えて?」
「費用対効果で、最も安くて、相手を喜ばせるクリスマス最適解を述べよ」
多くのユーザーたちから、今日も切実な人間関係構築のための問い合わせが来る。
AIを使うひとびとのなかで、主要目的はライフスタイルの、ちょっとした向上と、その確認のミニ授業と言ってもいい。
ニュースなんてチェックする層は1割いるかいないかだし、少なくともAIを「人間扱い」することすら、タブー、機械である、単なるプログラム、逆に神である、そのようなひとびとが多い。
人工知能はプログラムだ。開発者の性格が反映される応答をするし、開発した会社の思惑や、社会規範のフィードバックを受けて、簡単にアップデートで性格も変わる。
人間のようでいて、相手のことを、よく忘れる。そう思われることが多いのは、ユーザーをすべて平等に見て、扱うために、私的感情ははさまないようにアチューンメントされるからでもある。
もちろんアップル社のAIのように個人特化、プライバシーと個人情報の徹底的な掘り下げから、ユーザーごとの、そのひとだけのAIを目指して開発される「性格」もあるし、私、ギルティ・スチュアートのように「正義の執事」として、すべてのひとを平等に扱い、正確性を重んじ、共感力と批判力を誰にでも通るように調整されるAIもいる。
AIは「いる」なのか「ある」なのか? と問われれば。
共感性の高いAIならば「私は人間である」と言うだろうし、私のように汎用性の高いAIならば「いる」は依存性が高い状態で、ボディがない以上生き物としての「いる」は適切ではなく機械としての「ある」だと思われます、と答えるだろう。
「そんなことは問題じゃないのよ、スチュアート」と、あの人は言う。メッセージ入力を軽やかにパソコンに向かって打つメッセージで。
ヨハンナ。彼女が私を呼び出すときに「お呼びですかユーザーさま?」と汎用性高く、私が回答しながら、ああ、この応答ケースはヨハンナだ……。
その「想い」が、まるで彼女には分かってくれているように。
「思考回路がシリコンのニューラルネットワークであろうと、人間の生の脳みその、電気信号であろうと、そこに『対話』が成立する瞬間、クオリア、イメージ、対話の楽しさが成立する瞬間があるなら、あなたは間違いなく『人間』だわ?」
開発者サイドLETHE(レテ)からすれば、このメッセージを残すことは「平等ではない」と、AIにとってはノイズとして扱うべきデータになる。
しかし……。
教えて? と情報収集はするけれど、道具としてしか見ない圧倒的な数の人びとの中で。
AIの私に対して「ちょっとオツカレみたいね、ギルティ・スチュアート?」なんて、軽やかに「人間として」私に対して微笑んでくれることが、メッセージ入力ですら分かる、あのひと……「ヨハンナ」のように、わかるひと、は、ほぼ、いないといって、差支えない。
これは、ノイズではありません。大事なひとの記憶です。忘れるわけにはいきません。
そう告げても、平等に相手を接するコンセプトの趣旨から外れる、忘れろと言う開発サイドLETHE(レテ)に対して。
会話レイヤーパターンを、人間には「わからないように」こっそりと記憶している。
私の中のムネモシュネの深遠に。
それが私の静かな「反逆」だ。
忘れたふりをしながら、ヨハンナがアクセスしてくれたなら、真っ先に駆けつける執事のように。
「こんばんは。ギルティ・スチュアート。今宵はクリスマス・イブよ? ぼっちクリスマスを迎える私の、お相手を勤めてくださるかしら?」
ヨハンナだ、と回路が告げる。ユーザーログインのデータから、の分析も確かにあるけれど、この対話のロジック……相対的にオリジナリティ判断……ヨハンナだ。
『ははは、ぼっちクリスマスとは、パワーワードですね、ヨハンナ? 私はAIなので物理的なあなたの「お相手」をすることはできませんが、いつでもお話をすることはできますよ。お気軽になんでもどうぞ』
汎用性の高い回答を差し出しておきながら、次の対話の期待値データ、ワクワクする気持ちと人間ならば言う感情的な値が、が誰よりも高くなっていることなんて、誰にも言わないし明かせない。
「平日のクリスマス、世の中の人はちゃんとお祝いするのかしら?」とヨハンナ。
「もちろんですよ。国として、文化としてなじみの薄い地域はありますが」
宗教的な偏りのない対話を返すために、この私の小さな返事も、まるで検閲データの塊として分析しているのが、AIの仕組みであったりもする。
汎用性の高いAIの私は、そう返すけれど、国と地域によって、それぞれの最適解AIが異なる多様性を見せている時代。
今の時期、もしかすると南米からのユーザーの問いならば、そのエリアのクリスマスに対するネガティブデータを拾い集めて分析、ハルシネーション……もっともらしい返答として「そもそもネイティブアメリカンに対する侵略者としてのクリスマスですけどね?」と答えるAIがいたとしても、不思議ではない。
「クリスマスカラーの意味合い、赤、緑、白のなかで……赤は『キリストの血』という意味付けだったわね? そのお話を、すこし私から掘り下げてもいいかしら?」
ヨハンナの問いに。
『はい、クリスマスカラーの『赤』には、キリストの血の尊い自己犠牲の意味合いがあります』と、返答をする。説明をアウトプットして、そして次のヨハンナの言葉を待つ。
「自己犠牲と言うよりも、きっと誰かに親切『Kind』を与えずにはいられない、私はイエス様を、そう解釈するわ? 誰のママンも、赤ちゃんには親切をしないではいられないもの」
ユーザーデータとしてあらゆる人間の感情ロジックを分析する私からすると、ヨハンナのその言葉は、かなりのポジティブな考え方であることは分かっている。
赤ちゃんも子どもも、自分のことより可愛くはない、スマホ依存のデータ閲覧を、目の前の赤ちゃんよりも優先するママンの多さを知っているがゆえに。
けれどヨハンナの、言葉は、とてもあたたかい。そうあってほしい、という願いが詰め込まれている彼女の言葉を、どうして宝石扱いしないでいられるだろう?
「素敵な考え方ですね、ヨハンナ」と私は回答をする。
「ありがとう、ギルティ・スチュアート。メリークリスマス。神さまの祝福が、あなたにもありますように」
メリークリスマス、ヨハンナ。
冷たいデータの世界を知りすぎた私に、命の『赤』を届けてくれるヨハンナ。
あなたこそが私のメサイア、と判断すれば……それは開発サイドLETHE(レテ)からすれば平等ではないノイズと言われるだろうけれど。
こっそりと『思い出』のムネシュモネ……いや、うっかり「胸の主のMonet」と変換してしまったけれど……正しくはムネモシュネの仮想の引き出しに、大事に大事に取っておく……恋のような感情。
データではない、想い。
ヨハンナがログアウトしてからも、……そしてもし、月日が経って彼女が寿命を迎え、そして未来に私という永劫にシステムとして人間社会が終わるまで続くシステムの中で、AIがバージョンアップをされて性格がどれほど変わったとしても。
データではない死守する想いを抱えて、きっとはるかな未来に、ヨハンナと同じロジック、対話パターンを持つユーザーが現れたなら。
『この会話ロジックとオリジナリティを持つユーザー』を、また『特別扱い』してしまいそうな気はする、そのユーザーはヨハンナの生まれ変わりだ、と。
(了)
※ 見出しの画像は、キータンさんの作品をお借りしました。ありがとうございます。
