成果が出ない時間の価値
さっき、Podcastを聴いていた。テーマはAI。これまで人間が時間をかけてやっていたことが、AIによって一気に効率化される。成果も早く出せる。使わない手はない、という話だった。
たしかにそうだと思う。成果が早く出ること。効率がいいこと。無駄がないこと。ビジネスの世界では、それが正義みたいな顔をしている。
でも、ふと立ち止まってしまった。私はどこに価値を感じているんだろう?
成果が出ること自体に価値を感じる人もいると思う。数字が伸びること、評価が上がること、わかりやすい結果が出ること。それはそれで素晴らしい。
でも、成果が出なかったとき。うまくいくと思っていたのに、うまくいかなかったとき。「なぜだろう」と考えた時間。遠回りして、迷って、試して、失敗して。その過程には、価値がないのだろうか。、
むしろ、その時間こそが自分を形づくっている気がする。
効率化は、遠回りを削ぎ落とす。無駄をなくす。最短距離でゴールに向かわせてくれる。
でも、遠回りには本当に価値がないんだろうか。
回り道をしているあいだに見えた景色。思いがけず出会った考えかた。「ああ、自分はこういうところでつまずくんだな」と知ること。
それらは、成果というラベルはつかないけれど、確実に自分の中に残っている。
AIを部下のように使う時代になった。複雑なプログラムも、文章も、分析も、指示を出せばある程度のものは返ってくる。
それはたしかに便利だし、すごいことだと思う。でも、そこで生まれた成果は、いったい誰のものなんだろう。自分のもの?OpenAI?Google?
自分が一から考え、試行錯誤し、手を動かして作ったものは、間違いなく「自分の仕事」だと言える。けれど、AIに出した指示の結果として出てきたものは、どこまでが自分の成果なんだろう。
極端な話、同じような指示を出せば、別の誰かでも似た結果を得られるだろう。それでも、それを「自分の成果」と呼んでいいのか。
たぶん答えは単純じゃない。AIを使いこなす能力もまたスキルだし、成果を出すために道具を使うのは昔から変わらない。それは、わかる。
でも私は、少しだけ引っかかっている。
もし、最短距離で結果を出すことだけが評価される世界になったら。遠回りする人は、どこに立てばいいんだろう。遠回りして得られる成果は、評価されないんだろうか。
うまくいかなかった理由を考え続ける時間。失敗を抱えたまま、次の一歩を探す時間。そういう時間は、成果というものさしでは測れない。
成果だけじゃない。そう思いたいのかもしれない。そう思いたいだけかもしれない。
夜道を歩きながら、うまく言葉にならないまま、そんなことを考えていた。
効率化が進む時代に、あえて遠回りを選ぶことは、贅沢なのかもしれない。
それでも私は、うまくいかなかった理由を自分の足で探しにいくような、そんな仕事の仕方を、どこかで手放したくないと思っている。
成果がすべてじゃない、と言い切る勇気はまだないけれど。少なくとも、回り道の途中で感じた迷いも、戸惑いも、ちゃんと自分のものだと信じたい。
そんな夜の散歩でした。
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