肉声を聴く
ご飯食べながら、YouTube見ながら、その動画へのコメントをスクロールしながら、おすすめ欄に表示されてる別の動画もチェックしながら、LINEの通知がウィジェットに表示されるのを見ながら、ながら、ながら、生きている、現代人の皆さん。
毎日、お風呂の時間なんかよりもずっと長く、情報シャワーを浴びている。
そんな、日常。
便利でもある。たまに、窮屈でもある。この情報シャワーを浴びない時間をあえてつくるために「デジタルデトックス」なんて言葉もうまれたくらいだ。でも人は、本当の意味でのデトックスなんてできやしない。
「情報が欲しい」
その人間の感情の発露が、そもそも時代をこうさせてきた。
就職に必要な情報がほしい。テストに出る範囲の情報がほしい。仕事の取引先の情報がほしい。海の向こうの国の情報がほしい。将来進むべき道の情報がほしい。気になるあの子の情報がほしい。明日の天気の情報がほしい。冷蔵庫の余り物で作れるレシピの情報がほしい。今度渋谷にできる新しいカフェの情報がほしい。
人は、生きている限り、知りたいという欲求から免れることはできない。情報は、多ければ多いほど安心する。準備ができる。情報の多さは心の豊かさにもなる。
だから、デトックスした気になっても、何度でもまた同じようにこの場所に、戻ってきてしまうのだ。
この、情報過多の、日常へ。
仕事で、93歳のおじいさんの家によく行く。
台所と茶の間と寝室に別れた六畳ずつの部屋が2つあって、その家で一人暮らしをしている。心不全のリスクは高いけれど、毎日4階までの階段をゆっくりゆっくり昇り降りしている。認知症があって、突然ふりかかってくる『いつもと違う任務』には対応できないし、2日おきに家に行きはじめて3年が経つ私の名前も覚えてはいない。
だけど、毎日の繰り返しは出来る。
朝起きて、布団をしまう。ちゃんと畳んで押し入れに入れる。布団を出しっぱなしにしている所を見たことはない。朝食に、台所で2杯分のみそ汁をつくる。しいたけと、人参の皮と、鰹節をすり潰したお手製の調味料でダシをとる。具は毎日同じ、豆腐とワカメとネギ。炊飯器で2杯分のお米を炊く。冷蔵庫には、いつも少しのたくあんが常備されている。朝ご飯は、そのたくあんと、炊いた白米、そしてみそ汁1杯分。余りのみそ汁の鍋は、鍋ごと冷蔵庫へ入れて、夕飯にとっておく。ご飯の余りはタッパーに入れて、同じように夕飯用に冷や飯にする。食べ終えると、炊飯器のお釜とお茶碗を洗う。「まんま食うのが仕事だ。」その言葉通り、毎日ちゃんと、その仕事をこなす。
ある日、この方に「ご飯はどこで食べるているのか」と問うと「そんなの台所の机にきまっているだろう」と、何を言っているんだという目で見られた。てっきり茶の間へ運んで、テレビでも見ながら食べているのかと思っていた。何もないシンと静まり帰った台所で、壁に向かって置かれた机とイスに座り、ただモクモクと、ご飯だけを食べるのだそうだ。
私自身が最後に「ただご飯を食べる」という食べ方をしたのはいつだったかと、思い出すことが、できなかった。毎日2度か3度、食事の機会が訪れる。昼間何を食べたのかさえ、夜には忘れてしまうこともあるくらい、仕事中は食事という行為そのものを重んじていなかった。時には移動時間の隙間に、片手でパンをかじりながらパソコン入力をすることもあるくらい、普段の食生活なんてものは「胃の中にものを入れておく作業」になっていた。
あぁ、『ただご飯だけを食べる時間』というものが、私の生活から随分と遠い場所になったのだと、そう感じた。
そのおじいさんは、決まった朝のルーティンを終えると昼ごはんを買いに4階の階段をゆっくりと降りる。私が歩くと5分程度のスーパーへ、およそ20分くらいかけて歩いていく。そこでまず、夕飯のハマチの刺身を買う。毎日毎日、ハマチの刺身を買う。「ハマチは養殖だから安いんだ。」この3年間、行くたびにそう言っていた。「マグロは高くて買えねぇよ。ハマチは安い。」
そしてスーパーからの帰り道に、通りのセブンイレブンで昼ごはんの幕の内弁当を買い、また4階の階段を、えっちらおっちらと登って、ようやくひと仕事終える。
昼食の時間になると、買ってきた幕の内弁当を、また壁と向かい合って、ただひたすらに、もくもくと食べる。
それからテレビを見て一休みをし、また4階の階段を降りて喫茶店に行く。100円のアイスコーヒーを飲む。毎日毎日、100円のアイスコーヒーを飲む。机の上に、毎日毎日100円のアイスコーヒーのレシートが積もっていく。
それはそうと、都内でまだ100円でアイスコーヒーが飲める喫茶店があるのだなぁと、そちらにも驚く。老舗の喫茶店は強い。昔から東京に店を構え、ただ近所の人に愛されるだけの喫茶店。原価がどれだけ上がろうと、ただ100円でアイスコーヒーを出し続ける喫茶店。決してInstagramに映えなくとも、ある人にとっての『日常』に溶け込む、そんな喫茶店も、まだ此処東京に存在するのだなぁと思った。
アイスコーヒーを飲み終えると、また4階への階段を上がり、ゆっくりゆっくりと自宅に帰る。その頃にはもう、夕飯の時間だ。朝のタッパーに入れた冷や飯をあたため、朝の残りのみそ汁一杯分をあたため、買ってきたハマチをおかずに、夕飯を食べる。
もちろん、壁に向かってただもくもくと、ひたすらに、ご飯を食べるのだ。
お風呂はカラスの行水のように、ざぶんと湯船に潜るだけ。着ていた下着は亀の子たわしでこするらしい。それらをベランダに干して、ふすまからまた布団をおろし、寝床につく。
毎日、365日、もう何年も、その同じ繰り返しの日々を過ごしてきた。
階段を昇り降りする速度は、年々遅くなったかもしれない。スーパーに行く速度はこれから25分、30分と、さらに遅くなっていくのかもしれない。
一人暮らしが難しくなる時は、この階段を昇り降りできなくなる時だ。
93歳。もうその時は、すぐそこまでやってきているのかもしれない。
もしそうなれば、いよいよ施設に入るほかないことも、分かっている。
認知症だとしても、分かっているのだ。
3食ごはんを食べて、喫茶店でアイスコーヒーを飲むだけの、生産性のない生活だ。誰にも迷惑をかけない。ヘルパーも家政婦も、介護保険で賄うことのできる生活援助の一切を受けようとはしない。
唯一の情報源は、新聞の朝刊。
ほとんど読まなくなった朝刊を、それでもとり続けている理由を聞くと、「今日が何年の何月何日何曜日かを教えてくれるから」だと教えてくれた。認知症になっても、分からないことを、忘れてしまうことを自覚して、それでも朝になるとポストにコトンと投函される新聞を頼りにして、今日の日をまた迎える。
何を聞いても同じことしか言わないけれど、今日の日付けを聞くと、それだけは、間違いなく、答えることができる。
「今日も、そこにそう書いてあるから。」
そう言って、新聞をさす。
そして「また、明後日来ます」と毎回そう言って部屋を出ようとするたびに、同じ台詞を言うのだ。
「後期高齢者なんて早く死ねばいいんだよ。生きていることが税金の無駄遣いさ。隣のおとっつぁんみたいに、『死んでも死なねぇよ』って言ってスコーンと死んじまうほうがいい。そのほうが若い人のためだ。俺なんか税金泥棒だな。だけど、俺が死ねばあなたたちの仕事がなくなるだろう?だから今のところ、まだ、生きてるよ。」
情報過多の現代に生きながら、対極の暮らしをするある1人の人間の生き方を通して、毎日の繰り返しが出来るということは、簡単なようでとても難しいことを知る。
でもこれは、どんな「ていねいな暮らし」よりも、丁寧な生き方だと思う。
高齢者になった時、たとえ認知症を抱えても、こんな風に生きていられたらと、そう思う。
そのかわり、前線にいる今はまだ、例え丁寧じゃなくたって、この情報の渦の中でがむしゃらに生活する方を選んで生きる。
◇◇◇
私の従事している訪問看護という仕事は、病院に来ていただくのとは反対に、こちらから、患者さんのご自宅に出向いていく仕事です。
そのような仕事柄、初めてお会いする方の人生についてを、いきなり聞いていくという特殊さがあります。
訪問看護の仕事に従事して、4年が経ちました。これまでの巡り合いの中で、300人くらいの方と「はじめまして」をしてきました。
看護師として接するわけですから、そうして出会う皆さん全員に共通していることと言えばただ一つ、何かしらの病気やケガを抱えている、ということです。
そうした患者さんのお家まで行き「看護師です。これから3日おきに様子を見に来させていただきますね。」 と語りかけると、ホッとした表情をされることがあります。
そして、何時間でも、ご自身の、人生のお話しをしてくださるのです。
例えば「今、どこか痛いところがありますか?」 という単純な質問にも、痛みの話に行き着くまでに「あの時代では珍しく、私は女だったというのに高校にまで行かせてもらって、親にはとても感謝をしているの。そして…」 というようなところから、話が始まるのです。
定められた訪問時間の中でお邪魔させていただく中で「この話の終着点にたどり着くまでに、あとどれだけの時間がかかるだろうか」と、頭を悩ませることもありました。
時が経つにつれて、なんとか問診は時間内に終わるようになったのですが、こうして慣れてきた今でも、そのような患者さんの“一見何の関係もない世間話”を聞くことは、多くあります。
「それ、サシで5回くらい飲んで、ようやく人に打ち明けるような話なんだよな〜」みたいなことも、打ち明けられることがあります。
そうやっていろんな人の人生の話を聞いていくうちに、結局、人というのは、誰かに自分の物語を聞いてもらいたいのだな、と思うに至りました。
人の話を深く聞いていく時に、この物語はどこへ 向かっていくのか・・・長い話や、終着点が見えない話を聞く時、聞いている側がその話を遮ったり「それで?」など話の行方をコントロールしてしまうことがありますが、それでも、口を挟みたくなる気持ちを自制して、ジッと耳を傾けていると、激しく心を動かされた体験、悔しさ、悲しさ、辛さ、痛さ、寂しさのような気持ちが沸き起こった体験が、どういうきっかけで起こり、 それがどうなっていったのかということが、今のその症状へと、不思議と繋がるのです。
ただたんに、今「めまいがする」という一つの症状だけであっても、その方にとってみたら、脳梗塞の後遺症のせいなのか、はたまた再発しているのか、低気圧の影響か、家族との折り合いの悪さからくるストレスなどの心因性のものなのかと、めまいという1つの症状の背景に、たくさんの不安要素があることが分かるのです。
そこに至るまでの経緯を話そうと思えば、その人にとっての省略できない人生についての事実というものが確かにあって、それこそが、その人自身の「ものがたり」なんだと思うようになりました。
そう思ったのは、その患者さんが心を開いてご自分の物語を語ってくださることが、治療方針までもを左右させることに、気づいたからです。
治療方針を決める、ということは、その後の人生の時間の使い方も変わる、ということです。
積極的に治療するのであれば、その分副作用が辛く出ることもある。治療はせず症状緩和につとめれば、命の時間が短くなる可能性もある。
だからこそ、その人がどうしたいのかを話してもらうこと、そして、その人が自分の物語を十分に語れるように、いかにして、聞くか。私は、訪問看護という現場にうつったこの4年間は、とりわけこの“聞く姿勢”というものを、培うための時間だっようにも思います。
医療は発展しています。
かなりの病気が、高精度で治療できるようになり、予後が予測出来るようになり、良い薬が沢山開発されました。
「治せる」疾患が増えて、治療の選択肢も増えて、希望さえすれば、医師を、患者が選べる時代になりました。
それでも、人間の長い歴史の中で、変わらないのは「感情」の部分です。
冒頭に書いた、93歳のおじいさんが、先日、息をひき取りました。
最期まで、ずっと、同じ生活を続ける中で、家で倒れているところを発見しました。
認知症があっても、同じ生活を続けて、一人暮らしを継続できるということは、稀なケースです。それを、自分の意思で、やり遂げた人でした。
◇◇◇
「余命がわかっていたら、どれだけいいだろうね」
「この人ね、先生に、あとどのくらい生きられますか?なんて聞くのよ。だけど、先生、何年とは、はっきりと言ってくれなかった。10年も生きられるなんて贅沢なことは思っちゃいないんだけど、あと1年なのか3年なのか5年なのか、それすらも、教えてもらえなかった。ねぇ、あなた。」
「・・・椅子が、壊れたんだ。」
「え?」
「椅子が、壊れたんだよ。
明日死ぬってわかってたら、新しいのを買うのは勿体無いだろ?ホームセンターで椅子を見繕って、5年生きたら儲けもん。だけど10年も生きられるとしたら、もっと立派な椅子にしたい。そう思う。余命3ヶ月なら、この壊れた椅子のままでいい。その判断が、できないって、いうことなんだな。
…余命10年。余命10年と決まっていたら、明日にでも、新しい椅子を買いに行くのに。」
なんの映画でもドラマでもなく、ごく普通の、仕事をする日々の中で聞いた、訪問先の夫婦の会話です。『どう生きるか』という問いの前に「余命10年だったら」がついたら。そのことを、考えたことが、なかったかもしれません。
余命10年だったら、どう生きるか。
余命5年だったら、どう生きるか。
余命3ヶ月だったら、どう生きるか。
いつか、どうせ死ぬんだとしたら?
私なら、どう生きるのだろうか。
◇◇◇
先月、とても大切な新聞記事を見つけた。読めたことが嬉しくて、私も頑張ろうと思えたものだった。今日の日があることは、昨日の地続きであることを忘れてはいけないと思うのとともに、子供たちが、夢を見ることのできる世界が、未来永劫続きますようにと、心から、祈りを捧げたくなった。
遠い場所に住む知らない少女の夢を知れたのは、私がこうして情報シャワーを浴びているおかげだ。
この情報まみれの東京で、私は今日も、生きていく。
◇◇◇
今、また1人、私が導入から4年に渡り訪問してきた患者さんが、人生のさいごの時間を過ごされています。
先ほども、緊急出動があり、処置を終えたところです。まだ、命を燃やして、精一杯生きています。
アルツハイマー型認知症と診断をうけてから40年。治療薬は何ひとつ使わずに、自然の経過の中で、ゆっくりと過ごされてきました。
最初の頃は、初めての存在に嫌悪感を示し、「帰って」「嫌だ」「なにするん」「あっち行って」と、ケアひとつ、させてもらえない1年間がありました。
それでも、根気強く関わりを持ち続け、少しずつ家族の輪の中に溶け込む時間がもてるようになりました。
その方や、その方のご家族と対峙すると、大切なのは、“今、生きていることなのだ”ということに、ハッと気付かされます。
意識レベルが悪くなっている時、病院にいれば、窒息だ、誤嚥だとリスクばかり述べて「お食事を一度やめましょう」と制されてしまうことも、おうちにいれば「のどが渇いていそうだから」とありのままの普通の理由で、飲ませてあげる方法の模索ができる。
最後に大好きだった場所に連れていってあげたいと言われれば、普段なら医療者として「血圧60を下回っている状態では動かすだけでリスクが大きい、今は静かに寝かせてあげたほうがよい」などと思うところも、在宅の中では「行けるためにはなんの準備を整えるか」という話ができる。
信じる力の欠如は、ほんとうに、現代病だなと思います。なんでも即効性のあるものばかりが増えていった結果、目に見えないほどじわじわ進んでいく変化に、少しずつ、いつの間にか耐えられなくなっている。
昔は、祈るという文化がありました。それはつまり、信じるということだったんだと思います。
私たちは当事者ではないので、決して同じ痛みを感じることはできません。同じ病気になって、腹を切り裂かれてみることもできません。それでも看護師である私は、その痛みのもつ意味を一緒に考えることはできる。 完全に共感はできなくても、他の症例で別の選択肢をした方の気持ちを聞いてきた経験もある。そういう風に、たとえ分からなくても、分かろうとする姿勢をもって話が聞ける。その聞き方が、患者さんの思考を整理させるのを手助けし、心の中の本当の思いを引き出すのに役立つことがあるのかもしれない。
だから、私は今日も、思いを「いかにして聞くか」という、そういう部分を、大切にしていようと、心がけながら看護師を続けています。
年単位で関わってきた人が亡くなるということは、その人が生きていた人生の時間との共有の終わりも意味する。
悔いの残らないよう、伴走します。
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最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
このnoteが、あなたの人生のどこか一部になれたなら。