苦痛の波に飲まれる前に読むエッセイ
人はなぜ生きるのか。
なぜ生きなければならないのか。
ふと、そんなことを考えてしまう時がある。
自分の過去を振り返ってみると、楽しかったことより、辛かったことの方が圧倒的に多い。
それが人生なんだって言うなら、生き続ける価値なんてどこにあるのだろうか。
辛いことを耐え忍ぶためだけに、ぼくは生まれてきたのだろうか。
もっと生活に困っている人がいて、おまえはそんな人たちと比べたらまだまだ幸せだろ、って言われたとしても、ぼくの気持ちが晴れる訳ではない。
苦労にランキングなんてない。
誰かの苦労がぼくより上で、ぼくの苦労が誰かより下で・・・、そんなランキングは誰にも決められない。
明日の食事の心配をして生きている訳じゃないが、心の苦痛を取り除いてくれるなら、明日の食事を抜いてもらったって構わない。
だから、心を痛めている人に、そんな意味のない比較やアドバイスは必要ない。
そんなことを言う人は、何の苦労もしないで平々凡々と生きてきた人なのだろう。
苦痛は繰り返す波のように押し寄せる。
やって来た波に全身が飲ま込まれる。
何とか呼吸を確保して、足を踏ん張って耐える。
やっと波が引いて、やれやれと思っていたら、別の波がまた押し寄せてくる。
ちょっと待ってくれ、こっちはまだ次の波に飲まれる準備なんかできてない。
そんなことを訴えたところで、波は容赦なく押し寄せてくる。
止めどなく押し寄せる波に、何度押し流されかけたかわからない。
踏ん張り続けてきた足より先に、心が疲労してしまう。
良いことなんて、波に合間に呼吸ができることくらいじゃないか。
ただ息をするために立っている、これを生きていると言えるのだろうか。
でも、波は潮の満ち欠けで、ほんの少しの間だけ波が引く。
その間だけ遠くに水平線が見えて、運が良ければそこに朝日が昇る。
毎日見ている人にすれば、素晴らしくも何ともない景色なのだろう。
しかし、波を掻い潜って、苦しい時間を生き延びたなら、それは絶景に見える。
それは、ほんの一瞬で消えてしまうが・・・
また、波に飲まれる。
次はどんな素晴らしい景色が見れるのか、そんなことを考える心の余地なんてない。
ひたすら息をするために、もがき続ける。
これが人生だと言うのなら、いっそのこと波の中に沈んでしまおうか。
全身の力を抜いてみる、体は静かにゆっくりと水の中に落ちていく。
でもだめだ、苦しくてまた息をしてしまう。
だから、もがき続けるしかない。
気が付けば、また新しい景色が見えている。
目を奪われるような絶景だ。
やっぱり、水の中に沈んでいなくてよかったと思う。
ほんの一瞬だけど・・・
だから、呼吸を続けていよう。
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小説を読んでいただきありがとうございます。鈴々堂プロジェクトに興味を持ってサポートいただけましたらうれしいです。夫婦で夢をかなえる一歩にしたいです。よろしくお願いします。