断捨離とその向こう側を考えてみた
先日、家の整理をする必要性が生じて、不要なものを大掛かりに処分しました。
私の場合、書籍や各種書類が収納スペースの結構な容積を占めます。
書籍については、最近はこまめに古本買取サービスを利用していたのですが、長年整理していなかった生活や仕事に関連した資料、旅行に行った先のパンフレットや過去の写真、これまで頂いた年賀状など、とりあえず置いておこう、と思って捨てずにいたものが結構な量となっていました。
これらを溜め始めた頃にはあまり問題になっていなかった個人情報保護の意識が高まったこと、また当時は「庭で燃やしちゃえばいいや」と思っていたものがそうもいかなくなり、昔の名簿や書簡類など、プライバシーを漏洩させることなく処分するのが難しくなっていることを改めて認識しました。
少量ならば家庭用シュレッダーで処理するところですが、大量になると大変な作業です。
何か良い方法はないものか…と思ってネットで検索してみると、ニーズのあるところにはビジネスが成立する様で、今ではこれに対応したサービスもあるんですね。
初めて知りました。
不要なものを処分する、いわゆる「ゴミ出し」については、私の大好きな蟹めんまさんの漫画「出戻りて奈良。シカ県民やりなおし日記」の中にも出てきます。
そもそもが私の好きな奈良をテーマにした作品だけに、どのお話もとても面白かったのですが、その中で主人公(めんまさん)が「このSDGsの時代にゴミ出しを面白がってよいものかという一抹の不安が‥」と言いつつ、背徳感の一方で「脳汁が出る」程の「すごい爽快感」を感じるお話が出てきます。
この本は、ごみ出しのお話以外にも、奈良を知る方には大いに楽しめるお話が満載ですので、まだ読まれていない奈良好きの方にはおススメです!
ところで、不要品の処理というと、断捨離という言葉を思い浮かべる方も多いかと思います。
不要品の処分と断捨離というのは、密接に関わってくるお話ですよね。
めんまさんの不安感、背徳感の背景にあったものは何か、私たちは今後どういうことを意識し、どう行動すれば良いのかについて、ちょっと考えてみました。
もしよろしければお付き合いください。
断捨離とは
断捨離とは、戦後日本におけるヨガの草分け的指導者である沖正弘氏が提唱したヨガ思想です。
それぞれの文字は、ヨガ(Yoga:ヨーガ)の行法である断行(だんぎょう)・捨行(しゃぎょう)・離行(りぎょう)に対応しています。
断:新たに手に入りそうな不要なものを断る
捨:ずっとある不要な物を捨てる
離:物への執着から離れる
という意味があるため、不要な物を「断ち」「捨て」、物への執着から「離れる」ことにより心を開放し、身軽で快適な生活と人生を手に入れようとする考え方です。もともとはヨガの行法が元になっているため、単なる片付けとは異なるものです。
これを、2009年に作家のやましたひでこ氏が「新・片付け術 断捨離」(マガジンハウス)として出版・提唱し、商標登録しました。
不要な物を減らし、生活に調和をもたらそうとする思想で、この書籍のヒットにより一般に知られるようになりました。
この著書により「断捨離」は流行語となり、やました氏以外にも多くの著者により断捨離を扱った本が出版されるようになりました。
今では、仕事や人間関係などについても断捨離の考え方が勧められることが珍しくなくなっています。
断捨離のメリット
断捨離にはいくつかのメリットがあります。
経験済みの人もいらっしゃると思いますが、まず生活空間が整います。視界に入る情報量(物の量)が減ることで、脳の疲れが軽減され、「片付けなければ」という強迫観念からも解放されてリラックスしやすくなります。
物が少ないほど管理も楽になります。探し物の時間やストレスが減って日常の効率が上がります。すでに持っている物を把握できるため、重複購入による無駄な出費が減ります。
床や棚に物が少なくなれば、掃除機がけや拭き掃除がスムーズになります。埃が溜まりにくくなって、アレルギー対策や健康維持にも役立ちます。
また、思考が整理されるという側面も大きく、不要な物を手放す過程で「自分にとって本当に必要なもの」が明確になり、判断力や価値観の軸が磨かれます。
ごみの行き先
さて、そうは言っても、快適な空間づくりのためには、これまでに溜め込んだ不要品という「負の遺産」を、まずは何とかしないといけません。
今はメルカリに代表されるように、自分が要らなくなったものを使いたいという人に使ってもらえる仕組みがかなり発達してきていますが、誰も使う当てのないものについては、リサイクルに回すか、それができないものはごみとして処理するほかありません。
江戸時代までの日本は、使っていたものの大部分が自然に帰るものだったため、ある意味理想的な循環型社会であったと言われますが、産業革命と近代化という大きな社会の変化が起こってからは、そのままでは自然の姿に戻ることがない物質が多量に生産・廃棄されるようになりました。
現在、どのような状況になっているのでしょうか。
燃えるごみの焼却と環境負荷
日本は世界でも有数の「焼却大国」と言われます。燃えるごみの多くは焼却処分されますが、これは大まかには次のように整理されます。
まず懸念されるのは、焼却時に発生する二酸化炭素(CO2)による地球温暖化への影響です。プラスチック類が混入している場合、化石燃料由来の炭素が放出されるため、負荷はさらに高まります。
一時かなり問題になったダイオキシンなどの有害物質の発生については、新しい焼却炉が高度なろ過システムを備えることで、有害物質の排出リスクを極めて低く抑えられる様になっています。
また、最新の施設では「サーマルリサイクル(熱回収)」が行われています。焼却時の熱を発電や温水プールに利用することで、エネルギーの有効活用を図っています。
とはいえ、根本的な解決には「燃やす量を減らす(リユース・リデュース)」ことが不可欠ですね。
埋め立て処分の限界と環境への影響
焼却処理された後の灰や、家庭でどうしても発生してしまう「リサイクルできない不燃ごみ」は、最終処分場に埋め立てられます。
環境省のデータによれば、一般廃棄物の最終処分場の残余年数は全国平均で約20年程度とされています。特に都市部では場所の確保が困難で、海面を埋め立てるなどの対策が取られていますが、限界は刻一刻と近づいているようです。
私たちの年代になると20年前なんてつい最近の様に感じますよね。
あと20年で限界って、もうすでに具体的な対策が決まっていないといけない時期ですが、大丈夫でしょうか…
さらに問題なのは、埋めた後、その先どうなるかということです。
埋め立てられたごみは、長い年月をかけて分解されますが、その過程でメタンガス(強力な温室効果ガス)が発生したり、重金属を含む汚染水は生物に対して有害です。
現代の処分場は遮水シートで保護されていますが、地震などの自然災害による破損のリスクを完全にゼロにすることはできませんので、その場合はガスや浸出液が漏れだすことになります。
運よくシートがずっと無事だったとしても、地面の中をそんなもので満たしてしまうという人類の営みについては、どう捉えれば良いのでしょう…。
ちょっと視点を広げて‥核のごみ問題
石油等の資源の乏しい日本に住む私たちの豊かな生活は、原子力発電に少なからず依存しています。
原子力発電から出る「核のごみ(高レベル放射性廃棄物)」は、極めて高い放射能を持ち、安全なレベルに下がるまで数万年という途方もない時間が必要です。
1966年に廃棄物の処分方法を決めないまま原子力発電を開始した日本では、そのまま溜め続けた核のごみが、ガラス固化体(核のごみをガラスと混ぜて固めた約500㎏の容器)換算で既に約27000本分を越えているそうで、現在も日々増え続けています。
これを「地層処分」と言って、地下300メートルより深い安定した岩盤に埋めることが計画されています。しかし、数万年間にわたって火山活動や地震の影響を受けない場所を特定できるのか、将来の世代に負の遺産を押し付けることにならないかという倫理的・技術的な課題が残っています。
AIの進歩で飛躍的に多くの電力が必要となっている現在、豊かな生活を享受している私たちは、このことに無関心ではいられませんね。
宇宙ごみ(スペースデブリ)と将来の予測
2026年4月にアルテミス計画の宇宙船「オリオン」によって、1970年のアポロ13号以来、56年ぶりに人類最遠の飛行記録(約40万キロ)」が更新されました。
また、このアルテミス計画による有人月周回飛行は、アポロ計画で最後の月面着陸を行った1972年のアポロ17号以来、約53年ぶりの有人月周回飛行となります。
日常的に手放せないものとなっているGPSをはじめ、人工衛星や宇宙開発は、私たちが現在享受している豊かな生活には欠かせません。
一方で人工衛星の残骸などは「スペースデブリ」と呼ばれ、地球近傍の軌道上に溢れつつあります。これらは秒速数キロという猛烈な速度で移動しており、わずか数センチの破片でも稼働中の衛星を破壊する威力があります。
現在、これらを回収する有効な手段は確立されておらず、放置されているのが現状です。また、デブリ同士が衝突してさらに細かい破片が増え、連鎖的に衝突が繰り返される「ケスラー・シンドローム」という事態が懸念されています。
これが現実となると、特定の軌道がごみで埋め尽くされ、将来的に新しい衛星の打ち上げや宇宙探査、さらには現在のGPSや気象観測などのインフラ維持が不可能になる恐れさえあるといいます。
各国の競争が激しくなる一方で、宇宙開発に関する国際的な法は未だ整備されていません。
国同士の競争といえば、軍事目的のミサイル実験のニュースも良く耳にしますよね。私なんかはニュースを聞くたびに「日本海に落としたミサイルはちゃんと自分で拾って片付けとけよ!」と思います。
(もちろん本質的な問題は、そこではないのですが…)
断捨離を行う上での注意点
ちょっと話が大きくなりすぎましたが、上記の様な現状も認識したうえで、私たちはどのように「メリットが多い」断捨離生活を目指していくのが良いのでしょうか。
捨てる時に注意すること
断捨離で物を処分する際、最も多いトラブルは、自分以外の持ち物を処分してしまうことだと言われます。たとえ家族であっても、他人の価値観を尊重し、必ず本人の許可を得ることが大切です。
また皆さんは、片付けを始めたはいいけれど、途中で挫折してしまった経験はありませんか?
一気に完璧を目指すのではなく、無理せず「今日はこの引き出しだけ」と場所を区切って進めるのも一つのコツだと思います。
捨てることを目的にしないということも大切で、物を減らすことはあくまで手段であり、目指すのは「快適な生活を送ること」です。
必要なものまで勢いで捨ててしまって生活が不便になったり、大切なものが無くなって空虚感に苛まれたりしては本末転倒ですから…
そもそも、物を買う時によく考える
私の住む自治体では、つい最近、ごみの収集サービスを少し縮小しました。
中東情勢の不安定化による焼却炉運営や収集コストの上昇などの影響もあるかと思われますが、ごみをなるべく減らし、「新しいごみ出しの習慣」を定着させたいという方針がある様です。
ごみを出すのは家庭からすると「出口」ですが、これには「入口」としての買い物があります。
この入口が断捨離において非常に重要で、「本当に必要かどうかを良く考えて買う」というスタンスが、実は最も大切な点なのではないかと思います。
こんなことを書くと、物を作ったり売ったりして生活している人達から、「物が売れないと経済が回らない」「景気が悪くなる」などのご批判を受けるかも知れません。
ただ、消費者の求めるものが「長く使えるもの」「リサイクルできるもの」に変化し、企業側もそういう品物あるいはビジネスを提供して利益を維持できるという好循環になれば、社会にとって良いことではないでしょうか。
今からでもギアチェンジを
断捨離の話から始まって、自分の分を超えた出過ぎたことまで好き放題に書いてしまいました。
特に廃棄物の問題に日々取り組んで大変な努力をされている方などからは、「そんなに簡単な問題じゃない」とお叱りを受けるかも知れません。
それはその通りだと思います。
何事においても軌道を修正するというのは容易ではありません。
ただ、そのままだと悲観的な結果が予想されるものを変えたいのであれば、たとえ難しくても強い意志を持ってギアチェンジに挑戦しない限り、望む結果を得ることができないのは確かです。
これは問題の大小を問わず言えることで、そういう意味では「問題の向こう側まで視点を広げて目の前の事に取り組む」というスタンスを常に持っておくことは、とても重要なことだと思っています。
今回の不要品処分をきっかけにして、私のささやかな人生も、より良いものになればいいな、と期待に胸を膨らませています。
実際に膨らんでくるのはおなかばかりですが…(^^;)
お付き合いありがとうございました。
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