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やさしいあなたの王の咆哮

唸る。吠える。吼える。
音がうねるようにステージから立ちのぼって、
人が所狭しと詰め込まれたライブハウスを、ぐわりと熱で包み込んだ。


「生きてる、」


正直なところ、具体的なことは何も覚えていない。ただその体躯から立ちのぼる音が、柱となるさまに貫かれるだけ。自分が音を聞いているのかそれとも音に叩かれているのか、わからなくて、半開きの口でただ衝撃波を喰らって、立って、精一杯で。

生きてる。なぜかそう思った。あなたが生きていて、私も生きていて、ああなんてつよく、やさしく、うつくしく。

わかった。終わったんだ。
死にたい私が。消えたい私が。音の柱に貫かれて。
もう私は子供じゃないんだ。死にたいと泣いて漫然と過ごす幼子から、自分で生きてゆかねばならぬ大人になってしまったんだ。私にはそれを喜んで受け入れてしまう日が来たんだ。わかった。わかったよ。

灼熱の太陽。百獣の王。全てを焼き払うまっさらな光。
わかった、きっと、世界はこうして始まった。


2023年7月1日、ステージ上で初めて青山亮さんを見た日。
それは私にとって、自分の生を嬉しく思った、記念すべき最初の一日となった。


11月12日、スマホ睨めっこ大会

なぜこんな懐かしい話を唐突に綴り始めたかというと、先日が亮さんの誕生日だったから。(と言いつつ、1ヶ月くらい過ぎてしまいましたが……)

だってさあ、人生の新章を始めてくれた人の誕生日だよ?
なんていう言葉が相応しいだろう。どんなお祝いが相応しいだろう。なんて言ったらこの気持ちは伝わるだろう。


いろんなことを考えているうち、ふと、ありのままを書いてみるのがいいんじゃないかと思い立った。
嬉しいこと。大切なこと。幸せなこと。生まれた時から心にぽっかり空いていた穴が、いつのまにか埋まっていたこと。

生まれてきてくれて、嬉しい。ありがとう。
あなたが生まれ、あなたが育ち、あなたが歌い続けること、こんなにも喜んでいる私がいる。
あなたが生み出したものをおすそ分けしてもらうことが、こんなにも幸せな私がいる。

そういうことを綴ることができたら、
私のお祝いの気持ちが、少しでもちゃんと乗ってくれるのではないかと思ったのです。

つよく、やさしく、うつくしく

記憶にある限り、人生で初めて読んだ漫画は、『キャンディ♡キャンディ』だった。小学一年生、いじめられて塞ぎ込んでいた私に、親が勧めてくれた漫画。
その一節に、たしか「強く、優しく、美しく」という決め台詞みたいなのがあった(気がする。なにせもう20年も前に読んだので、正確には覚えていないけど……)。
以降、その言葉は私の準・座右の銘になり(ちなみに、座右の銘は「良くサボる」です)、何かと大変なことが起こると、脳内で自分を支えてくれるセリフとなった。

強く、優しく、美しく。

準・座右の銘と言いながら、正直なところ、その言葉の意味はよく分かっていなかった。苦しい思いをするたびに、ぼんやり脳内でその言葉が響くのみ。背筋は伸びるけれど、だからどうなりたいとか、どうすべきとか、そういうのを思うわけではない。
なんとなく私の背骨となっていた、それだけの言葉。強く、優しく、美しく。

その言葉の意味を初めてちゃんとわかったのが、
亮さんの歌を聴いた時だった。


ところで私はかつて、音楽とは、ひょろっとした人間がやるものだと思っていた(特大偏見)。
これは何も自分と無関係な話ではなくて、何よりもこの私が、拒食気味でひょろっとしている時期に、一番、歌に縋っていたからだ。

音楽とは、病んで病んでどうしようもない時に縋るもの。
越えられない夜を誤魔化すためのもの。
やめられない自虐を、自傷を、フラストレーションをぶつけるためのもの。

それはそれで非常に価値のあることだと思うし、私を助けてくれたと思う。でも同時に、そう思っていたからこそ、私は音楽の可能性を、狭めていたのかもしれない。とても、悔しい。


初めて見たステージ上の亮さんは、生きていた。生命力に満ち溢れていた。
縋るためにだけではなく、生きるためにだけでもなく、何よりも自分の命で誰かを生かすために、燃える魂を歌に乗せて歌っていた。そう思った。

カメラのフラッシュを焚き続けているようだった。
目が焼けて焦げて潰れてしまいそうで、それでも離せなかった。

やめてよ。その言葉が浮かんで、そしてすぐさま光に焼かれ塵となって消えていった。
人生を呪いながら、ずっと必死に生きていた。いつも胸にはぽっかり穴が空いていて、空虚で、それが私だった。

その穴を埋められてしまったら、
私は違う人になってしまうのでは?
私はずっと、それを恐れていたのでは?

……そしてそれすら、もうどうでもよかった、
ステージの上に立つ、亮さんの前では。


私も、ああなりたい。誰かを生かすために歌いたい。
迷いも悩みも全部抱えたまま、自分の生命を力の限り輝かせて、自分は生きているんだって歌いたい。一緒に生きようぜって歌いたい。
自分のことをまず抱きしめて、それからみんなのことも抱きしめて、みんなで思いっきり高く高く飛べるような、そんな歌が歌いたい。

つよく、やさしく、うつくしく。

まるで百獣の王のよう、あるいは大空を羽ばたく鷲のよう。ステージの上、全身で生命を謳歌する亮さんを前にして。
生きている。
明日からも生きていく。

もっともっと、力の限り輝いて、私は生きていく。

私は今日から、人生の第二幕を始めるんだ。
亮さんみたいになりたいから。

届かぬものに手を伸ばし、やっと会えたね

心の穴が埋まり始めたのが、2023年の7月1日なら、
それが完全に埋まったのは、2025年の4月5日だと思う。

亮さんファンの方は章タイトルからご推察の通り。『ヒバリ』の、リリース日です。


変な話をします。
小さい頃から、私の頭の中では、ずっとなんだか懐かしい音がしていた。でもなんの音なのか取り出すことはできず、楽譜に起こすこともできず、ただ「なんか音が鳴っているなあ」という認識だけがぼんやりとあった。聞こえないのに、わからないのに、たしかに聞こえていた。変でしょ。
まるでCMソングがずっと流れているようだけど、でもなんなんだかわからない。歌うこともできない。ただ「音が鳴っているなあ」と思っているだけ。

存在しない故郷。私の帰る場所。
ぼんやりと明るくて、透き通るようで、それでいてどこか温かく、物悲しくて、でも爽やかで。
その姿を一目見たかった。一度でいいから、その音の中に帰りたかった。だけど26年間それは許されなかった。
帰りたい。ああ、帰りたい。なんとかして実際にその音を聞くことができないかと、音楽のできる知人に言葉を尽くして音を説明し、ピアノでなんか弾いてもらったりもした。
でも和音一つは肉薄できても、曲として完成させることは到底無理だったし、帰れるとも思えなかった。わずかに出会える瞬間瞬間をかき集めながらしがみついては、脳内に鳴り響く「音楽」に追い詰められ、申し訳ない気持ちになり、そして会いたい気持ちを募らせ続けて。

私は自分の意思で「音楽」をやっているんだろうか。それとも頭の中に鳴り響く「音楽」をやらされているんだろうか。
ごめんね。私の体に入ったばっかりに、外に出てこられなくて。私がもっと音楽の才能があったら、音楽を頑張れる人だったら。ごめん。ごめんね。あなたはこんなに素敵なのに。
お風呂の中で「音楽」が強くなるたびに、何度も泣いて謝った。シャワーの水が涙を流すから、痕跡ひとつ残らなかった。


だから『ヒバリ』を初めて聞いたときは、
涙が勝手に飛び出して出て行った。

いる。いる。
私の故郷が、そこに。

私の頭の中で鳴っていた音楽と、本当に同じかどうかは、知らない、言えない。なぜなら私は自分の中の「音楽」を曲として知覚したことはなかったから。確かに音楽がそこにあっただけで、曲なのかどうかも言うことができなかったから。
まあ実際に全く同じなんてことは絶対なくて、そんなことはわかっているんだけど、
だけど私の体は、これが故郷だと叫んでいる。

会えた。会えたよ。26年間会いたかった、あなたにやっと会えたよ。
私のおうち。誰も見つけられなかった、私のおうち。
私がただひとつ、今日も明日も帰る場所。


CDとはなんて素敵な文明だろう。私はもう帰る場所を失うことはない。『ヒバリ』を何度も何度も何度も聞いているうち、ぽっかり空いた私の心の穴が、いつの間にか修復されていた。
(ちなみに、実はライブ当日は全てに舞い上がりすぎてヒバリのCDを買い忘れました。なんてこと。親が持っているので、甘えている……が、再販チャンスも待っています…………)

「帰りたい」と、思わなくなった。だって私は、いつでも帰れるから。
「消えたい」と、思わなくなった。私には確かに、歩ける地面ができたから。

「ごめんなさい」と、言わなくなった。
私は、私のために歌うんだ。

やさしいあなたの王の咆哮

ひとつ書いておきたいのが、私は亮さんに救われたけれど、亮さんのことを神様だと思っているわけではない(失礼だったらごめんなさい)。

イメージは、完全にライオンみたいな感じ。美しいけれど、神ではない。王ではある。

等身大の亮さんが、そこに生きていること。
時に喜び、時に傷つき、時にへこたれ、時に苦労することもある、それを全身で乗り越えてゆく気高い亮さんの歌声が、
私をずっと引っ張っていってくれる。生きる方へ。輝く方へ。

神ではないからこそ難しくて、神ではないからこそ救われる。そう思う。
一人の人としてそこに生き続け、音を奏で続けることが、どれほど困難なことか。
それをずっとし続けてくれる亮さんだから、私はいつも、私も頑張ろうって思える。


どうか亮さんがずっと幸せであって欲しい。どこまでも自由に、生きてゆきたい方へ、羽ばたいていって欲しい。
私は自己肯定感が低いので、私のようなファンの存在がいつか枷になってしまったら嫌だなあと、ときたま思う。この先も歌い続けて欲しい気持ちと、それが重荷になって欲しくない気持ちと、時折それが入り混じって、
でもきっとそんなことも全部織り込み済みで、亮さんは自分で自由に羽ばたいて、歌って、お裾分けしてくれているのだとも思う。この自己肯定感が終わり散らかしている私でさえそう思えるほど、ステージの上の亮さんは自由に、生きて、輝いているように見えている。


亮さん、遅くなりましたが、お誕生日おめでとうございます。
生まれてきてくれて、生き続けてくれて、歌い続けてくれて、ありがとうございます。亮さんの歌に出会えて、亮さんに出会えて、私は本当に幸せ者です。
この先の世界が、あなたに少しでも優しくありますように。自由に楽しく生きられる世界でありますように。私はそう願っています。

もっと亮さんを知りたい皆様へ

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舌出してるの、可愛い……(3度目)
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