闘病記 当たり前を失って③
入院当初に居た一人部屋からは、駐車場と周りに大きな木立が有るのが見えた。
ツクツクボウシが鳴いていて、その木漏れ日が病室の障子に反射して、生い茂る葉が影絵の様にゆらゆらと煌めいていた。
晩夏に40歳にして初めての実質1人仮住まい。
これが入院生活でなく、もっと若い内の一人暮らしだったら、私の人生の方向性は変わっていただろうし、だとすれば、此処に居なかったかもなぁ…とぼんやり思っていた。
居場所が変われば、人との出会いも当然変わるからだ。
8月末頃の入院で、手術は1週間後。
その準備として、術前のオペ室には貯血(自己血輸血として使う)の為に入った。
肌寒かったことだけは、妙に覚えている。
私と同時期に手術の女性が居て、その日に
一緒のタイミングで貯血になった。
不安なことは一人じゃないと大分ハードルが下がるもの。ちょっと、ホッとした。
整形外科は長い入院が殆どなので、こんなささやかな同席(?)で、後々親しくなっていく。
入院した日に、術後初めての入浴で、担当看護師が介助して来ていた方に、気さくに声を掛けて頂いた時、経験したからこその「これから」を教えて頂いて、随分心強かったのを覚えている。
もう残念ながら、お名前は忘れてしまったが(折り紙のユニットで作られた八角形の重ね箱に「頑張ってね」のエールを゙添えて下さった)そんな寄り添う気持ちに溢れる方も多かった。
心を固めて、大腿骨骨頭部分の2箇所同時骨切の手術をした。
「骨切術は、実質骨折と同じだからね。あなたの場合は2箇所だから、大変な手術だったね」
ドレーン(血抜きの管)の抜き取り時(麻酔無しで相当痛かった)、担当外の先生から労われて、改めて大変なことだったんだと気付かされた。
今まで骨折の経験がないから、ただそういうものなんだと受け止めるしかなかったけど、これだけは間違いなく言えるのは、自分史上、最悪の痛みと麻酔後の吐き気の気持ち悪さのダブルパンチ(例え方が昭和テイスト)だったということ。
硬膜下麻酔と全身麻酔の二刀流で、術後の痛みはスポット的に硬膜下麻酔で補うのだが、鎮痛効果が時間の経過で薄れるので、そのぶり返しの波が、本当に辛かった。
あと、弾性ストッキングを穿いた両足にフットポンプが取り付けられ、数日間だったと思うが、終日の吸排気音と足裏の圧迫にも眠りを妨げられた。
血液の循環を助けるもので、確か血栓予防に使うのだった気がするが、先日の息子の術後にも使われていた。
器具も大分仕様が変わり、息子のは当時よりもスリムでふくらはぎに巻き付けるタイプで、音が比較的静かに感じられた。
話は手術に戻り、オペ室は低温に保たれているので、完全に冷えた身体で帰ってくる。
残暑の季節に電気毛布の出番が来たのは、この為だったのだ。
前後してしまって分かりにくく申し訳ないが、麻酔は10秒数える間もない速さで直ぐに効き、意識が見事なまでにストンッ!と遮断される。
麻酔から覚めた時には、おぼろげながら、軽いワープ感が有ったが、またしてもそんなことに浸る間もなく、唾を飲めない喉の痛みと寒気、猛烈な吐き気と患部の堪えがたい痛みが噴火の如く一気に押し寄せる。
部屋の外で長時間、手術の無事を願い、心配して待機してくれていた家族や親戚に顔を見せて話す余裕すらなく、吐き気に襲われて、本当はこんな不義理こそ、したくなかったが、感謝の気持ちを伝え損ねたまま、皆さんには申し訳ないと詫びられないまま、帰って頂いた。
経験したことの無い痛みと過ごす、途轍もなく長い夜になった。
地獄そのものだった。
→④へ続く
