ソコデコソダテ 第1回「我輩はオムツがラクなのである」
かれこれ20年近く子育てをしてきた。子どもが5歳くらいずつ年齢が離れているせいで、ひとりが育つとまた次に小さいのが現れる、という感じで、現在も4歳児がいる。
4人の子はそれぞれオムツのとれる時期はぜんぜん違った。上の子(長女)がいちばん早くて、次が長男、その次が次女、で、末っ子はというと、4歳の現在もトイレに行ったり行かなかったりだ。
上の子のときにオムツがとれるのが早かった理由はわかっている。父親も母親もまだ学生だったし時間も有り余っていた。とにかく世話を焼いたのだ。トイレトレーニングにかける時間もたんまりあった。保育園の手も借りた。
しかし現在はというと、なかなかに忙しい日常を送っていることもあり、トイレトレーニングの徹底がむずかしい。いやこれは私の怠慢もある。しかし、幼稚園のおかげもあって、おしっこだけはトイレでしてくれることが増えた。
だが、どうも本人はやはりオムツのままでいたいようだ。本音を言えばトイレなんて面倒くさくて行きたくないのだろう。遊んでるうちに何となく出て、それを替えてくれる大人がいる。パンツみたいに濡れたら気持ち悪い感触になったりもしない。1,2回ならサラサラの心地を保ってくれる。つまり、「我輩はオムツが好きなのであるよ、何が問題なのだ?」と。こういうことなのだ。
上の三人を育てたときは、何とか周りに合わせようとか、「この年齢でオムツがとれないのはおかしい」とか、そういう知識のもとにある時期にゴールを設定して動いていたように思うのだが、どうもこの末っ子に対してはそういう気が起こらない。4人目ともなると、心境が孫を見守るような感じになるせいもある。だがそれだけでもない。
オムツがとれないと何が困るのだろう? というのが、煎じ詰めるとよくわからないのだ。本人がそのうち羞恥心が芽生えてオムツが恥ずかしいと思えば、勝手にトイレに行くだろう。今だってトイレの行き方は知ってるわけだし。でもまだ恥ずかしいとか思わないからオムツのほうがラク。それじゃいけないのだろうか?
オムツ会社も、幼児にこんな快適な代物を開発しておきながら、ある年齢になったら不快感を伴うパンツに移行しようね、というなんて、幼児にしたらひどい話かもしれない。言ってみれば、ヤク浸りにしておきながらヤクはよくない、と取り上げるようなものだ。違うか。違うな。今のは例がわるい。
まあそれはともかく、息子はいまも遊びに夢中になればトイレに行き忘れてしまうし、うんちに至ってはパンツだろうがオムツだろうが絶対にそのまましてやる、トイレなんぞでするものかと決めている。
こういう話をよそですると、たいへんですね、と言われたり、苦笑まじりに「それは何とかトレーニングがんばらなきゃですね」なんて言われるのだが、んん、ごめんなさい、あんまりそんなこと思ってないのである。そりゃオムツはとれたほうがいいだろうが、しょうじきに言えば「ふうん、この子はこういう子なんだぁ」くらいの心境でしかないのだ。
「小学校に入ってもオムツだったら困るだろう!」「中学に入ってもそうだったら?」「大人になってもそのままでいいの?」こんな声が聞こえてきそうだが、いやぁ、どうかな。困るのかな、それ。困るって、誰がだろうね? 本人がそれでいいと思ってるのなら、べつにいいのでは? まあさすがに公衆の面前で匂いがしたらよくはないとは思う。だが、本当に本人が大人になってもオムツでいたい人間なら、私は森の中とか山の中にでも引っ越して、できるだけ人に接しなくても生きていける方法を教えてあげるだろう。
たとえば息子はディズニーのアリエルが大好きでアリエルの靴を履いているし、夏になるとワンピースを着たりもする。おともだちのことはかたくなに「おとだちみ」と言っているし、幼稚園に迎えに行ったときは「無事でよかった!ずっと探してたんだよ!」をキメ台詞にして抱きついてくる。
そのいずれも社会性という意味でいえば、たしょうのズレはあるのかもしれないが、それが彼の現在の個性でもある。私には、オムツに対する距離感というのも、ある種の個性のように感じている。なので「それは困りましたねえ」なんて言われると、「そうなんですよぉ」なんて言いながら内心では「え、ぜんぜん」と思っている。
ふと思い出すのは自分の子どもの頃のこと。自転車に乗れるようになったのが人より遅く、小学3年とか4年とかだった。それまではずっと三輪車。こちらを馬鹿にするクラスメイトに対して「なぜコロつきで転ばずに済む便利な乗り物があるのに、わざわざ二輪の糞危ない代物に乗らねばならんのだ、馬鹿者どもめ」と思っていたものだった。
だがどこかで「ああ阿呆くさい。そんな言うならやってやらぁよ」って時がくる。それが私の社会性の妥協ラインだったのだ。いずれ、どんな子にも社会と自己とのあいだに妥協ラインを引く日がくる。そのラインがどこか、というのも、その子の個性なのではないか、と最近はそんなことを思いながら子育てをしている。たぶん、自分にとってこの子が最後の子育てだ。次は本当に孫の代だろうな。そう思うと、1秒も目を離していたくないし1秒も否定したくない、という気持ちで日々を見守っている。
(画像は発売中の自著↓↓↓)

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