出来の悪い自分を認め、それでも日々を生き抜く
ミニチュア作家のいわなり ちさとです。
紹介した作品は販売します。気軽にお問い合わせください。
時々、お寺で手伝いをするようになって、長い間に確立しているお寺のルーティンの中で私の出来なさを痛感すること多々です。
また、いらぬ口出しをしかける自分という存在を目の当たりに見て、時にしょげています。
私なんか手伝いになってるのかな?邪魔なだけ?と思うことも多々。
でも、猫の手でも借りたい様子なので、猫になって手伝えばいいんだと自分を慰めています。
いい歳をしたおばさんにがんばってるねなんて言葉をかけてもらえることもないんだし、自分の中で自分を責めてもいいことないしと思うわけです。私はやりたいことをするためにお寺に行くんです。
清潔にしたい人から見ると私の掃除や食器洗いは実にいい加減なのです。
基本、ばい菌と仲良くなって免疫を上げたいと思っているのは変人枠の私だからだとわかってはいますが、他の人には不快なことが多いだろうなと反省しだすといけません。
それでも、私はこんな変人である自分がお気に入りなのです。
ミニチュアを作る才能はあっても、緻密ではなく、抜けていてあちこちで忘れ物するし、物忘れもなかなかなものだし、、、言い方がきついと言われてそんなつもりじゃなかったんだけどなと下を向いたり、、、
先日、noterの耀さんの記事に私がこんなコメントをしました。
"画一的なIQ重視の、序列化した学歴社会ではなく、人間力を主軸に据えながら、共鳴する人と共に自らの居場所を見い出していく社会である。"という一文が今の私にしっくりくるなと思いました。
共鳴する人を見出すことは簡単ではないでしょうけれど、それを目指して生きることが何よりだと思えるのが幸いだと感じました。
これに対して耀さんがこう返してくださいました。
ちいさん こんばんは まったくその通りだと思います。共鳴する人と出会うのは今の世の中では奇蹟的なことです。あまりにも価値観が多様化し過ぎてしまい、四方八方分裂状態ですよね。 だからと言って、八方美人でいる必要はなく、むしろ孤独に生きる、というか一人我が道を歩むということの方が、はるかに価値があると思います。 そこで共鳴する人と出会うことができたなら奇蹟。いなかったらいないで構わない。 でも結局のところ、自分自身を貫いて生きる人の方が、好かれますよね! いつもコメントありがとうございます。
このお返事の後半、”八方美人でいる必要はなく、むしろ孤独に生きる、というか一人我が道を歩むということの方が、はるかに価値があると思います。 そこで共鳴する人と出会うことができたなら奇蹟。いなかったらいないで構わない。”という言葉が私を救ってくれました。
ここ数年、だんだんと友人の数が減ってきている私です。我が道を行っているつもりでも、時に不安にさいなまれ、自信を無くす時があります。
が、それでいいんだという言葉は私の生きざまを肯定してもらえたと感じました。
AIのことなど今まで理解しようと思わなかったし、できなかったけれど、この記事を読んで少しだけわかりました。私は人でよかったと思います。
自分の出来が悪いことを知っていて、それでもそんな自分がお気に入りだというのはなにより幸せなことじゃないかなと思えます。
何でもできるなんて嘘ついても化けの皮はすぐにはがれるんだから、失敗すればその場で謝ることができるほうがいいに決まっているなとわかります。
年々動きが悪くなる体のことも自分なりに思いやって、ぼちぼちストレッチしてほぐし、少し歩きます。昔と違って、怠けたり、がんばったり、、、この冬は雪の時にこもって食べていたらしっかり太りました。まぁ、冬の間はそれでもいいかななんて自分を甘やかしています。
つまるところ、今日も一日無事に生き抜いたなと思えることが一番だと思っています。
ミニチュアちさと工房
松江市山代町425-7
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