現実が揺らす二次元の世界の力
私が好きなのは漫画や小説など二次元の世界だ。狭い視野を広げてくれる貴重なメディアで私をひきつけている。それが揺らいだのが202年の新型コロナウイルスの世界的大流行(パンデミック)だ。一瞬、現実がフィクションを超え、二次元に没頭できなくなった。しかしこのゆらぎから立ち直れたのも二次元という創作の力だった。
二次元の作り物の世界を通じて、私自分ができないことを経験し、現実社会では会えない人に出会う。その無限性がノンフィクションにはないフィクションの世界の楽しみであり力だ。あらゆる感情が表現され、私達の視野を広げてくれる。
私にとってもこの力は大きかった。辛いことに打ちのめされやすい私にとって「まだ見ぬ世界がある」という事実は生きる原動力にもなるからだ。これが揺らいだが2020年の新型コロナウイルスの世界的大流行パンデミックだった。
パンデミックエンターテインメントの世界に与えた(今も与え続けている)影響は計り知れない。ライブや演劇の興行が相次ぎキャンセルになり、漫画の単行本すら発行スケジュールが遅れたと聞く。そもそも創作者は自分の作る世界でパンデミックをどう向き合うのかという課題を突きつけられた。
私にとって大きかったのは、現実がフィクションを超えたように感じられたことだった。発生源のなすりつけあい、ワクチンの取り合い、自国優先主義に差別的発言、国の内部での市民の対立とパニック小説で読んできたことがリアルの世界で再現されたのだ。小説家の田中芳樹先生は「創竜伝」の文庫本のあとがきで「どんなに小説の中で政治家に悪事を行わせても現実が超えていく」という趣旨の発言をしていた。私にとってもパンデミックは二次元の物語の中に投げ込まれた気分だった。笑い事にできない政治の動き、未知の感染症に直面したときの一般人の感情と、すべてSNSを通じて筒抜けになったからだ。
個人的には、住んでいる街から自動車や通行者が消え、宇宙人が攻めてくるようなハリウッド映画のラストシーンで主人公らが立ち向かう中でみんなが家にこもって祈りを捧げているシーンに入り込んだ気分になった。まさに二次元の世界に彫り込まれた気分だった。
こうした状況で、どんな創作を読んでもハマりきれなくなった。どんなエピソードも現実で起きていること以上に私の心を動かさなくなったからだ。
現実に振り回された私の感情をもう一回二次元の世界に向けたのも創作物だった。カミュの「ペスト」、朱戸アオ先生の「リウーを待ちながら」、映画「インフェクション」など感染症を扱った作品でリハビリをし、すでに読んでいて結末を知っている作品に移るというプロセスを踏んだ。
こうした心境では、過去の作品でも受け止め方が変わった。女性の描き方、政治家の判断などこれまで気にならなかったところが目につくようになる。
作品が変わったわけではない。二次元の世界を楽しむことは変わらないけれどもその楽しみ方は変わることになるのだと思う。これは今後も付き合っていくことになる。
