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朝比奈隆以来の大フィルを聴く 尾高忠明/大阪フィルのエルガー

17日、サントリーホールで大阪フィルハーモニー交響楽団第58回東京定期演奏会を聴く。

エルガー:弦楽のためのセレナード ホ短調 op.20
エルガー:海の絵 op.37
エルガー:交響曲 第3番 ハ短調 op.88(ペインによる補筆完成版)

メゾ・ソプラノ/コントラルト:林眞暎
指揮:尾高忠明

この日を含めて3日連続でインバル/都響の《千人の交響曲》が行われていた。2008年に同コンビで聴いたのもあり、《千人》をやや苦手にしているのもあり、カーチュン・ウォンで聴く予定だしいいやと思って行かなかったら Xで賛美の嵐😅

2日目はインバル90歳の誕生日コンサートだったし(カーテンコールで盛大な《ハッピー・バースデー・トゥ・ユー》が演奏された)、インバルが日本で《千人》を振るのは最後かもしれないことを思えば行くべきだったか😅

しかし根っからの天邪鬼な私はノット/東響の《ばらの騎士》も行かなかったし、ジョン・アダムズが初めて日本のオーケストラを指揮した都響定期も行かなかった。
みんなが群がると思うと気後れしてしまうのだ。だからいまだに「鬼滅の刃」もまったく見ていない(あえて原作から入ろうと思ってたらずいぶん経ってしまった😅)。

さて、この日も東京文化会館(インバル)にお客が流れたのか、年一回の東京定期にもかかわらず、2階席後方(LDやRD)は空席が目立った。もっともエルガーは日本で人気がないうえ、その中でもマイナーな交響曲第3番がメインだったのが本当の理由かもしれない。

私が前回大フィルを聴いたのは2001年。朝比奈隆が亡くなる年の東京定期だった。

その日のライブ

朝比奈隆は私にクラシックの凄さ、面白さを教えてくれた巨匠で、以前こんな記事も書いた。

晩年3年間の東京での演奏会はほぼすべて出かけた。大阪に祖母がいたので、年末の第九コンサートにも二晩参列。東京・神奈川以外でクラシックコンサートを聴いたのはこのときのフェスティバルホールのみである。

“おっさん”(朝比奈さんの愛称)の追っかけであれば当然大フィルへの思いも強いわけだが、その後25年も大フィルを聴かずにいたのは朝比奈さんの思い出を大事にしていたからではなく、何となくタイミングが合わなかったから。

いま思えば大植英次時代、井上道義時代の大フィルも聴いておきたかった。2018年から音楽監督を務める尾高さんとの東京公演ではブルックナーが続いていた印象だが、今年は尾高さんの十八番であるオール・エルガー・プログラム。

尾高さんを生で聴くのは3回目かもしれない。長いコンサート歴を考えれば少なすぎる😂
一度目は紀尾井シンフォニエッタ(紀尾井ホール室内管弦楽団に改称される前)の定期演奏会で、レイフ・オヴェ・アンスネスが弾くモーツァルトの《ジュノム》目当てに行った。トリのモーツァルトの交響曲第34番は知られざる佳曲で、第2楽章がビロードのように美しかった。

2回目も尾高さんよりはソリスト目当て。小曽根真さんがモーツァルトのピアノ協奏曲第23番を弾いた読響定期だった。
アンコールで小曽根さんと首席コントラバス奏者が粋な《A列車で行こう》を奏でて会場を沸かせたあと、休憩中に客がゾロゾロ帰ってしまった。小曽根ファンだったのだろうか。私も本調子でなく疲れていたのでそのまま帰ってしまった(後半はオネゲルの交響曲第2番だった)。

というわけで尾高さんを聴いたとはっきり記憶してるのはこの2回だけ。日本を代表する名匠を聴いてこなかったのは小泉和裕と似た「手堅い」芸風に感じてきたからかもしれない。

当夜の尾高忠明の指揮は素晴らしかった。指揮棒は全曲使ってなかったような。尾高さんの近年のスタイルですかね。

名匠というより巨匠の芸に感じたのが、力みを一切感じさせない指揮姿。音楽しか感じさせなかった。大植英次や井上道義の「欲しい音のためならどんな仕草も厭わない」という指揮姿も好きだが、尾高さんの指揮は彼らとは真逆である。近年のコバケンも唸らなくなって動作がミニマルである。指揮者はベテランになると余分な動きが削ぎ落とされていくのかもしれない。

大フィルの楽団員は私より年下の人が大半に見えた。“おっさん”のリハーサルを知る団員は数名程度なのかもしれない。
朝比奈さんのブルックナーやベートーヴェンは豪放磊落で、決して精緻な芸術ではなかった。しかし少しのミスくらい物ともしない強度があったし、それは聴く者の過ちをもおおらかに受けとめる懐の広さがあった。
ベートーヴェンの第九が“人間讃歌”として聴こえたのは朝比奈/大フィルだけである。

さて、私はエルガーの音楽が好きだ。たくさん聴いてるわけではないが、ハイドンやヘンデルの音楽が私にとってそうであるように、聴いてて癒される感覚がある。
この日の演奏会で一番その感覚に浸れたのが《弦楽のためのセレナード》の第2楽章だった(崔文洙さんがリードする弦の響きがしっとりと美しかった)。

林眞暎さんが歌った《海の絵》も素晴らしかった。が、聴きどころがわかってないので大した感想は書けない(P席だとヴォカリーズを聴いてる感覚も😅)。
代役とは思えない堂々とした歌唱で、エルガーの抒情性を細やかに表現されていた。

交響曲第3番はエルガーのスケッチを元にアンソニー・ペインが作曲したもので、コリン・デイヴィス指揮のCDを持っている。

むかし聴いたきりで、この日実演で久しぶりに聴いてみて、以前と同じ感想をもった。

ど、どこがエルガー……⁉︎😅💦

冒頭はヤナーチェクの《シンフォニエッタ》みたいな始まり。イギリス音楽というより東洋風である(でも冒頭部分はエルガー自身が作曲したみたいですね😂)。

全曲通して「エルガー節」というものは感じられない。第1番と第2番の交響曲からあまりにも隔絶されていると思う。世間の人はこの作品をエルガーの諸作品と同列に楽しんでいるのだろうか。

第4楽章の後半に繰り返し出てくる主題も時代劇風というのか、私にはエルガーが書きそうな主題に思えない。晩年はこんな主題を書いてたの?😅

柔術の達人のごとき尾高さんの脱力した指揮で生まれる音楽の説得力は感じつつ、「演奏はいいのに、曲が……」という感想を久しぶりに持った。

尾高さんも大阪フィルもよかったんですよ。ただエルガーの交響曲第3番は珍妙というか異質に感じてしまうのは私だけでしょうか……。
第4楽章入りのブルックナーの交響曲第9番をまだ聴いてないので、ちょっと聴いてみたくなりました😅

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