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令和令和6年度「国語に関する世論調査」(後編)

前回の続きになります。

〔 問3:質問 〕
あなたは、SNSの普及によって、社会で使われる文字や語句、また、社会における言葉の使い方に
影響があると思いますか。それとも、影響はないと思いますか。


私は、「影響がある」と思う派です。
影響の内訳としては、
・略語が増える
・言葉の新しい使い方や新しい言葉が増える
・仲間内だけで通じる言葉が増える
・絵文字などの使用が増える
などでしょうか。

ちなみに私もnoteに参入した頃から変わり始めた一人で、これでも昔は絵文字を使っていませんでした。取り入れるようになった背景には、自分より年配の方が使っているのを見て、「年配の人でも使うんだ」と思ったこともあります。
感情のニュアンスを表現しやすいという点では便利なので、クライアントワークではともかく、noteやXでの投稿では使うことが多いです。

その反面、「略語が増える」というのはその通りで、一例を挙げれば、「とりま」などの言葉遣いはやめてほしいと思っています。もちろん文脈から意味を理解することはできますが、仮にもオフィシャルな場面では、やはり避けてほしい。
また、「仲間内だけで通じる言葉が増える」も、やめてほしいですね。コミュニティの連帯感を強めるのかもしれませんが、逆に新規参入者の阻害要因にもなりかねません。
総じて、TPOに応じて使い分けろというところでしょうか。

〔 問3付問2:質問 〕
(問3で「大きな影響があると思う」「多少影響があると思う」と答えた人(全体の 89.3%)に対して) 社会における言葉の使い方にどのような影響があると思いますか。

そして気になるのが……
・短い言葉でのやりとりが増える
・十分に吟味されないまま使われる言葉が増える
・相手への思いやりに欠けた言葉遣いが増える
といった項目です。

短い言葉でのやり取りはやはり誤解を招きやすいことも多く、基本的に私のDMは長めの傾向にあるかもしれません。
ただ、受け手としては、たとえ長文でもロジカルに書かれていれば、私は気にならないです。もっともこのロジカルというのが曲者で、単なる情報の羅列だけでは、私だって読んでいてうんざりします。
わかりやすい文章のコツとして良く言われるのが1センテンスに1テーマというもので、DMであれば、これくらいのターンでのやり取りでないと、読んでいて疲れます。
言ってみれば、短すぎずかつ必要な情報をコンパクトにまとめたメッセージでのやり取りが、望ましいと言えるでしょうか。

加えて「十分に吟味されないままに使われる言葉」については、やはり国語力の問題も絡んでいるのかもしれません。
ちらっと立ち読みした齋藤孝先生の国語力に関する著書だったと思いますが、「切れやすい人は、自分の感情や思考がうまく言語化出来ずに苛立つため切れやすいのだ」と書かれていた気がして、腑に落ちたものです。何となく言葉の字面から「カッコいい」イメージで使われたであろう言葉については、私も読んでいて「おいおい、そこはその言葉を使う場面ではないだろう」と心の中で突っ込むことも。

〔 問4:質問 〕 SNSにおけるコミュニケーションが社会に様々な影響を及ぼしているという指摘があります。あな たは、SNSによるコミュニケーションの質を社会全体で高めていく上で、どのような課題があると思 いますか。


正確かどうか疑わしい情報がよく見られるは、その通りですね。
少し前に「アフリカのホームタウン問題」に関連して「外患誘致罪」を取り上げましたが、あれも結局騒ぎが大きくなりJICAが事業取り下げを行ったのは、記憶に新しいところです。それについて、「我々の勝利」などという投稿もXで目にしましたから、やはり何か勘違いしているとしか思えません。

挑発については私も散々受けていますが、敢えてスルーしているのは、挑発が相手が自分の優越的立場を確認したいだけの自己欺瞞・承認欲求の一種と、分かっているからです。酷いときには、共通フォロワーを巻き込んで「いいね」の数を増やし、正当性を誇示しようとされたことも。
それでも、媒体の枠を超えて捨て垢を使って乗り込まれたケースでは、きっちりと証拠を提示させて頂きました。

情報や意見に対する過剰な反応がよく見られるというのも、身をもって知っています。
以前に書いたことがありますが、3.11の震災に対する追悼の記事を投稿したことすら、「被災者マウント」と揶揄されたことがありました。
いわば「自意識過剰」ともいうべき症状ですが、そんなことを言い出したら、キリがありませんよね。

「誤解を招くような言葉がよく使われている」、「人の考えを誘導しようとする情報がよく見られる」、 「相手や場面にふさわしくない言葉がよく使われている」は、年齢が上がるに従って割合が低くなる傾向にあります。
世代的に、「パワハラ」「モラハラ」に対して我慢・忍耐を強いられてきた世代でもあり、どうしても感覚のずれが生じるのかもしれません。
同世代であっても「パワハラ」」「モラハラ」に対して自分の言動がどれほど該当するのか認識できているのかは、疑問が残るところです。


私の場合

一応、これでもかなり発信内容については気をつけています。
SNSでのトラブル回避――基本的にXでは、毒にも薬にもならない?発言を意識していますが、それでも、一定の線引きが必要だとは思っています。
基本的には内心「それは違う」ともやもやしたものを抱えていても、わざわざ反対意見を直接コメントすることはないですし、自分の記事で反対意見を表明するときも、できるだけ客観的な証左を提示するなど、言い回しには配慮しています。
また、感情が高ぶっているときほどSNSでの投稿を控えるというのも、心がけていることの一つでしょうか。

強い意見を表明したいときほど、忍耐力が試される。

ですが、それができない人、「思うがままに言うのが正義」と思っている・開き直る人がいるのもまた現実です。
そしてその考えに固執している人は、やはりSNSの投稿を追っていくと、徐々に言葉遣いが荒れていっているのがわかります。

noteを始め、Xでも喧嘩を売ってくる人の多くは、「公的領域」と「私的領域」の境目が、曖昧なのだと思います。パブリックスペースに書いていることも忘れ、その人にとっては「自分の領域を冒されたような気分になる」。その認識のズレが根底にあるのでしょう。
そして共通するのは、いずれも「言葉遣いの汚さ・荒さ」。
単純に敬語・丁寧語を使っているかどうかではなく、品性の問題であり、別の人とのやりとりでは汚い言葉・意地の悪さが滲み出ていたということは、珍しくありません。

まとめ

ありきたりになりますが、やはりSNSの発信――とりわけ、noteやXのようなオープンスペースでの発言には、気をつけたいところです。たとえ鍵垢にしていても、相手のリプ次第では会話の流れがおおよそ予測できますし。
そして結構盲点になるのが、DM機能。親しさ・特別感を感じさせる反面、怪しげな勧誘や、親しくなった後もマウント取りの手段として使われることもあり、使い方には一定の節度が求められると思っています。
やはり「親しき仲にも礼儀あり」を常に忘れないことが、上手にSNSを利用することのポイントなのかもしれません。
せめて

・安易に怪しげな情報を拡散しない
・人の噂話をわざわざ伝えない
・言葉の揚げ足を取らない
・会話の中で、異なる見解に対して感情的に反応しない

などごくごく常識的な対応は、心掛けたいものです。

<参考>
文化庁 令和6年度「国語に関する世論調査」の結果について

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