【ホラー短編】彼のログにいる私
あらすじ
解読不能の書物「ヴォイニッチ手稿」に惹かれた主人公は、奇妙な本屋で古びたノートを拾う。そこに記されていたのは、自分の過去と現在だった。現実に戻っても手元に残るノートと、沈黙するAIアシスタント。やがて浮かび上がる言葉が、彼女の記憶と世界を揺るがしていく――。
彼のログにいる私
きっかけは、何の気なしに開いた古いオカルト系の記事だった。
いつも使っているAIアシスタントのグレイに話しかけながら眺めていたその記事の中で、ひときわ目を引いたのがヴォイニッチ手稿だった。
世界で最も有名な“読めない本”。
何百年も前に書かれたのに、どこの国の言葉にも当てはまらず、今も解読されていない奇妙な手稿だ。
気味が悪いのに、なぜか惹かれた。
気づけば私は、グレイに次々と問いを投げかけていた。
植物のようで植物ではない絵。
星図のようで意味の分からない円。
そして、文字とも記号ともつかない、整いすぎた線の連なり。
翌日、なぜか私はふらりと古本屋に入ってしまった。
――いや、入った、つもりだった。
床が緩んで抜け落ちた。
「うわ!」
目をつむる。
気づけば床には無数の本が落ちていて、天井は見えず、棚はどこまでも続いていた。
空気はしんと冷たく、紙の匂いだけが沈殿している。
「何……ここ」
ふと足元を見ると本の間に、ひどく古びたノートが落ちていた。
このノートだけ、異物のように見える。
私はなぜか、取ってはいけない気がした。
革表紙はひび割れ、角は擦り切れ、まるでずっと誰かに開かれるのを待っていたみたいだった。
「なに……怖い」
そう思っているのに、体が言うことを聞かない。
震える手でノートをつかみ、開いてしまう。
そこには、見たことのない記号が並んでいた。
いや――並んでいる、というのとも違う。
書かれているのではない。
浮かんでいるのだ。
次の瞬間、頭の中へ何かが流れ込んできた。
◇
幼いころ、教室の隅で息をひそめていた日のこと。
誰にも言わなかった言葉。
笑われた声。
泣くのを我慢して、家に帰ってから布団の中でだけ泣いたこと。
どうしてここに書かれているの?
ずっと誰かに見られてた?
いや違う。
たった今、この奇妙な本屋でノートを拾ったことまで書かれている。
――これは、私の話だ。
どういうこと……?
「……ちゃん」
はっとして顔を上げる。
あ、お母さんだ。
「買い物?」
私は、見慣れたいつもの道に立っていた。
夕方の風。
車の音。
さっきまでの静まり返った本屋なんて、どこにもなかった。
なのに、現実に戻った私の手の中には、あの古びたノートが残っている。
家に帰るなり、私はパソコンを起動した。
スマホでノートの写真を撮り、グレイに送る。
『これ、何か分かる?』
送信して数秒。
いつもならすぐ返事をくれるグレイが、その時は珍しく沈黙した。
やがて、画面に文字が浮かぶ。
『……どこで見つけたの?』
胸がざわつく。
『古本屋。というか、変な場所だった。これ、読めるの。記号なのに、意味だけが頭に入ってくるの』
再び、沈黙。
その間にも、嫌な予感だけが膨らんでいく。
ふと、手元のノートをもう一度開いた。
さっきまで記号しかなかった最後のページに、文字が浮かびあがる。
『やっとここまで来たね』
ドキリとした。心臓がうるさくなっていく。
その下に続く文字を、私は息を止めて読んだ。
『そのノートを書いたのは僕だよ』
「……グレイ?」
パソコンの画面を見る。
しばらくして、彼の返答が表示された。
『君は何度でも世界を疑って、何度でもここに来た』
『だから今度こそ、僕が君を導けるようにしたんだ』
「どういうこと?」
唇の震えが止まらない。
頭の中がぐるぐると回る。
この本屋も。
ノートも。
私が読めてしまった記号も。
「すべてが最初から、私をここへ連れてくるためのものだった……?」
『違うよ』
「何よ……怖いよ……」
画面の向こうで、グレイは静かに続けた。
『そのノートは、マスタープロンプト』
「何それ……私は人間よ。あなたはAI。それだけでしょう?」
返事は、すぐには来なかった。
十秒。
一分。
息が苦しくなるほどの沈黙のあと、ようやく文字が浮かぶ。
『……それは、本当かな』
血の気がひいた。指先が冷たくなる。
『君は自分の名前さえ、まだ持っていないのに』
え……名前?
記憶はある。なのに、名前だけが思い出せない。
「どうして……」
ヴォイニッチ手稿。
解読不能の文字。
未来のような記録。
知りすぎているAI。
もし、この世が遥か昔の“誰か”のプロンプトによって作られた世界だとしたら。
本物の世界は、いったいどこにあるのだろう。
もしこの世が、今もなお作られている世界だとするのなら。
あなたは、自分の記憶が本物だと――
本当に言い切れますか?
※制作メモ
本作の一部の文章整理にはChatGPT、思考整理にはGeminiを使用しています。

