生きる意味。~#3 「表現」と「感情」と「創造」と
『生きる意味。 ~#1 「表現」すること』を書いた後に
いただいたコメントで印象に残っているワードが二つありました。
Naoto Kasaharaさんが書いてくださった
「創る」のは何かかたちに残さなければならない「縛り」の様な感じがありますが、「表現」はかたちさえも必要でない、純度の高いキラキラの発動だけ。
という「表現」についての言葉。
そしてひろっさんさんが書いてくださっていた
地球の感情が、銀河系内でかなり特殊だ、といううわさ。
という「感情」についての言葉でした。
ーー
#1の記事を書いた数日後、猫草を買うために渋谷駅を経由して、そのあと用事先へ行くという移動中、なぜか電車の中で、どどどーーーっと、何か、降りてきた感じだったので、iPhoneにメモしていました。
私の中のキラキラが外側に投影されて
世界に現れている
「表現」をしつづけていると
やがて世界と自分は逆転して
世界は私そのものであり
私の意識が この世界すべてを
創っている と わかる
あーーー そうか 創っている
私は世界そのものを創っている
私が 観ている 体験している こと
すべてが私である
すべては私という神の計画において(比喩ではなく本当に神)
奥深い場所から投影され現れ出ている
水面近くに住む魚が
深海の生物に出会うことすら叶わず
海の奥深くに何がいるのかさえ
そもそも そこに何かがあるとさえ
知り得ないように
私たちが認識している自分の意識では
到底理解できない神の計画が 意識が そこにある
それが私
目の前に現れた
世界に現れたすべてのもの
すべての出来事は
私(神)が生み出し創ったもの
この人生というひとつの物語を
世界を 宇宙を 私は 創りつづけている
毎瞬間
ーー
渋谷駅に降りて 歩いていると
券売機もSuicaも この駅 この場所
すべて私がこのように
デザインし 創ったんだと わかった
必要なタイミングで
すべてが創られ ただ 現れてくる
昨日までなかった建物が 立ち現れ
1秒前まで知らなかった人が 目の前に現れる
私たちは 奥深い場所から投影して
この時 空間そのものを 文字通り創り出し
自叙伝的映画を まるごと一本創っている
感情は
この地球体験をするために
意識が持ってきた食料で
媒体にもなるけれど
(奥深くの本来の)その場所 その意識に在るとき
あらゆる感情は 食事となる
喜び味か 悲しみ味か
自由に自分で選んで食べている
(奥深くの本来の)その場所に ある時
すべては愛に溶けて 消化(昇華)されるから
意識は膨らんで満腹になる
これって、先に書いた、気になっていた2つのコメントの言葉に
対応というか感応?するような内容だなぁ。と思ったんです。
前回の記事の最後にも書きましたが、
実は私たちは常に「表現」をしているのだと思うんです。
人との会話の些細な一言、その感情の動き、身体の動き、表情、まばたき、
実は呼吸ひとつまで、すべて表に現している「表現」なんです。
「表現」の方法はいろいろ在って、そして意識的にも無意識的にも常に「表現」を繰り返して私たちは生きているんだと感じたのですが、「表現」は、自分の意識の層から現れているモノで。
どの意識の層からどんな意図で出されたモノなのか、で、
表に現れてくる現象は変わってくると思います。
その話はまた次回に。
そんな中で、私は「本音」って、純度の高いキラキラだと思うんです。
それは、文字通り、その時の自分の存在そのものの「音」だから。
そして、どんな本音も繕うことなく、隠すことなく「表現」し続けているとそれは自分という存在として世界に放たれて、すべて自分に戻ってくる。
循環しているんです。
戻ってきた「本音」は、自分の深部にさらに、どんどん深く届くようになっていくと同時に、自分の世界も、自分という存在「本音」がどんどん響いていく。
やがて世界は自分が響かせた「本音」になるから、世界と自分の境界が薄くなって。
ふと、「世界と自分」の感覚が逆転したように感じた時に、
すべては自分の深部からの「光」が世界に投影していて、世界そのものを「創っている」と、腹落ちしてわかる。のだと。
ーー
あ。まったくの余談ですが。
私、昨夜思ったんです。
普通に考えたら(というのかな?)私は地球の中の日本という国を選んで生まれてきて、今の両親を選んできたんだ。ってなると思うのですが。
これ、そもそも、地球だの日本だのが、謎に最初から在った風味ですけれど、、、違うと思ったんです。
もともとは何もなかった。
でも(材料となるものは)全てあったんです。
それで、私は、地球の中の日本って国自体を想定し「創った」んだなぁ。と。
まるで昔からずっとある国みたいに、それが当たり前みたいに、世界地図も詳細な歴史も登場人物も、みんな、全部、私が想定して私が創ったんだ。と。
実際、私の世界には、私が住む日本以外には、実際に行ったことのある国々と、情報として知っている国々しかないんです。
でも、知っているつもりの日本、知っているつもりの東京でも、行ったことのある場所は限られていて、それ以外は今の私の世界にはない=創っていないんです。
たとえば、です。何度か行ったことのある駅を思い浮かべてください。
私の場合は、代々木上原駅とか。
駅と、駅前と、いつも飲みに行く店と、以前仕事でお付き合いのあったデザイン事務所と、、、そこまで行くその道、しか知らない。
それ以外の店も道も私の世界にはない。(=創っていない)
本当に知っているのは、創っているのは、ごくごく一部なんです。
でも常に創り続けていますから、これまで知らなかった道、場所に行った時には、自分に新しい空間、世界が創られた。ということなんです。
以前、全く知らない国の名前がSNSで登場して、びっくりしましたが、そういう時も、自分の中の意識がなんらかの変化をして、世界の作り変えが起きているのでしょう。
それがいわゆるパラレルワールドなのかもしれません。
なので、これまで行ったこともなくて、聞いたこともなかった駅、場所に、あえて行くことで、自分の世界の中に新しい場所が創造されるので、自分自身の世界も自分自身もなんらかの変革が起きると思います。
(そういえば、以前、そんなぶらり旅的なこともしてました(笑)。
何か変化を起こしたい時に、お試しを。
ーー
話は戻って。
「表現」は、カタチを持たない。波であり音であり、光なんだと思います。私たちは、常に毎瞬「表現」をくりかえしていて。
その「表現」の重なり、反射、が、私という人、世界、人生を、まるごと「創っている」。
つまりは日々の「表現」のその重なりによって
この世界、人生そのものが刻々と「創られている」のだと思いました。
なーーーんだ。
私は「何かを創りたい」と思っていたけれど、Kaloそのもの、この世界そのものを、ずっとずっと創り続けていたんだなぁ。と。
ーー
そして、「感情」について。
これまで、私は感情をセンサー、媒体のように思っていたので、降りてきた内容「食べ物」というのは、目から鱗でしたがとっても腑に落ちました。
前回の記事でも書きましたが、
私は「心の琴線が震えるような体験」をしたい。
その「震え」は、ただ、愛の状態で震えている時が本来かもしれませんが、時に感情から誘発されたり、と、感情をともなっている時も多いと
思うのです。
自分の中の深い場所に居る時には、
そこにはネガティブとかポジティブもない。
幸せも喜びも悲しみも恐れも痛みも苦しみも、ただ味わうごとに「愛」に溶けていき、結局、後味は、すべて「愛」になってしまう。
そして、その意識の場所、空間が「愛」で満たされる。
もしかしたら、「感情」をどのように捉えるか、で、
見えてくる景色(創られていく世界)も変わるのかもしれません。
そして、この日の電車の中では、このあとも意識の層についての話が
降りてきたのですが、長くなったので次回にします。
最後までお読みいただいてありがとうございました。
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