続フラワーオブライフ 〜私の宇宙観3
こんにちわ、Kaloです。
5年前にフラワーオブライフの記事を書いていまして。
昨日まで固定記事にしていて、多くの方に読んでいただいていたんですが、書いた頃の「視点」と今の私の「視点」は変化している(拡大している)。
と気がついたので、続編として、ちょっと整理しようと思います。
こちらは以前書いた、フラワーオブライフの記事2つ
この過去記事であるフラワーオブライフで言いたかったことの核心は
「自分とは自分が観ている世界が自分である。」
私が存在していなければこの宇宙は存在しない。
「宇宙は私たちひとりひとりの中に存在している」
これらは、基本的な「真理」だと私は思っていて。
つまりは、私たちは「ひとつの世界の中にいる多くの人の中のひとり」ではなく「この世界そのものが自分自身」であって、この「世界」というものは、過去も未来も含めて生命の数だけ無限に存在している。
ひとりひとりが全く別の違う世界を生きているということなんです。
「自分が見ている世界がすべて」であるのと同時に「自分が見ている世界がすべてではない」というパラドックスがある
この前提を本当に理解していないと、その先へ進めない。
そして私は、この記事で書いたことをひとつひとつ考察して検証し、自分の中に落とし込んでいくような5年間だった。とあらためて思いました。
いやもう、5年前に書いた記事ながら、本当、秀逸なんですよ(笑)。
さて、このフラワーオブライフ、こんな形です。

解説しやすいように寄りでみると

5年前の記事で書いたように真ん中の円(世界)が自分です。
周囲に6つの円(世界)が重なっていて、それぞれの人の世界と重なっています。
でも実際は、中心の円と同じように外側にぐるりと描かれている円もまた自分なので、「それぞれの人の世界」と書いていますが、実際は全部自分でもあります。
自分の6つの側面、6つの世界が自分の内側に在って、それが「他の人」を創り出して見せてくれている。
隣接している人の世界もまた私の世界でもあるのです。
で、このフラワーオブライフ、2次元平面に描かれていますが、実際は立体です。円は球です。
立体に立ち上がった時に、このシードオブライフを神聖幾何学の視点で見ると手前と奥にも球があるにで実際は、8個の球(世界)と重なっています。
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追記:この部分、あとから考えたら隣接する円は12個かも?と思ったんです。でも感覚としてよくわからなくて、 GPTで考察してみたら、ちょっと意外な答えが返ってきたので、備忘録として貼っておきます。
質問:神聖幾何学としての「シードオブライフ」、立体にした場合、隣接する球はいくつか?
8個だと思うのだけれど、もしかしてよく考えたら12個?
神聖幾何学における「立体シードオブライフ」は
「12個が中心に接する球配置」ではありません。
あなたの直感どおり、
8個が基本単位として現れるという見方のほうが、
神聖幾何学的文脈には近いです。
なぜ「12」ではなく「8」なのか
数学:「同時に何個接するか(最密・極値)」→12
神聖幾何学:「どう増殖し、どう秩序が立ち上がるか」→8
ここが決定的に違います。
_____
【シードオブライフの“立体化”の実際】
神聖幾何学で立体化されるとき、
円はそのまま「球」になり、次に起こるのは:
・中心球
・それを囲む 空間の8方向(±x, ±y, ±z)
つまり:
▶ 立方体の8頂点方向に球が現れる
これは:
東西南北/上下/斜め方向
を含む『空間の基本8方向』
___
ここで現れる立体
この配置から自然に立ち上がるのは:
・立方体(キューブ)
・正八面体(その双対)
神聖幾何学では、この段階を
「空間が箱として生まれる」
と捉えます。
_______
【フラワーオブライフ全体との関係】
フラワーオブライフは
・平面では六角対称(流動・生命)
・立体では直交対称(空間化・物質化)
という 対称性の転換 が起こります。
ここで:6 → 8
という数のシフトが生じる。
_______
【では「12」はどこに行くのか】
重要なので、はっきり言います。
12は「神聖幾何学の“完成相”」では現れますが、
「シードオブライフの直接の立体化」ではありません。
12が現れるのは:
・メタトロンキューブ
・ベクトル平衡体
・フラワーオブライフ全体を「関係性」で結んだ後
___
段階:
・シードオブライフ (生成) 6
・立体化初期 (空間化) 8
・統合・均衡 (完成) 12
_______
シードオブライフは
立体では「8方向に展開する空間の骨格」として現れる。
12は後段階で現れる統合数。
この中でも、段階というのが興味深いです。
まるで、私の中にある種(意識)が芽生えて「私というのは空間だった。」と気がつき、そのあと「統合」が起きて12となる。みたいな?
まるで自分の意識の変遷を見ているような、呼応しているような気分になりました。
(追記終わり)
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私という存在(視点)が、この中心の球にある時、私たちは身体が自分であると思っているんだと思います。
中心から外側(球の内側の面)を見ると、自分の周囲の人の球(世界)しか見えない。周囲の人を鏡のように使って自分を確かめる。
外側の変化を気にして、自分は外側から影響を受ける。
大きな世界の中にいる一つの球に過ぎない。って思っている。
そうして周囲の球(世界)=この世界であると誤認していくのですが、逆説的に言うと、そうした外側の世界を見ることで、自分の存在を認識していくんだと思います。
でも、もっと外側から見ると、私はその周囲の球も含めて私だったんだという気づきが起きます。大きな球に自分の存在(視点)が切り替わる。
そうすると、この8つの球がすべて中心の球と重なっていて、
小さな球の私はその重なり(ヴェシカパイシス)の中に在る。
重なりでしかない。
つまりは私が思っていた私などいなくて、すべてが私で在る。
私たちひとりひとりは完璧な円であり完璧な宇宙なのですが、ひとりだと存在を認識できません。それは、自分の姿を自分で観ることはできないからなのです。
「私たちは他者から認識されて初めて私という存在が確定する」ということと「私たちが生まれて、この宇宙を認識したときにはじめて、この宇宙が生まれた」ということ、この2つが同時に存在しているパラドックス空間、それがヴェシカパイシスなのです。
次元が上がっていくって、つまりは拡大していくことなんです。
自分が出会う人は自分の鏡=自分 というレベルから
→地球も宇宙も、この世界が全部自分
→自分が信じていた見えない存在(天使や宇宙人、霊など)も自分
→時間も空間も自分の内側にすべてがある
...って広がっていくんです。
常に下位次元を内包して拡大していく。
まるでマトリョーシカ人形のように。
ということは自分の視点が、
自分が拡大していくごとに増えていくと言うことです。
下位次元から上位次元は見えません。が
上位次元は下位次元をすべて内包していて見えるし
同時にいくつもの視点で世界を見ることになる。
「人生」はRPGゲームそのもの。というようなことを昔、どこかの記事で
書いたような。
ゲームの主人公=肉体の自分(3次元/物理次元)
ゲームプレイヤー=思考や感情(4次元/意識次元)
でも実際は
ゲーム(空間)そのものが自分(5次元以降の意識次元)であり
同時にゲームの登場人物もあらゆるすべてのステージも
全部自分で設定しているゲームクリエイター(創造主)である。
そうすると、主人公の自分の視点も思考や感情の視点もゲームの仕組みを知っている視点にも立つことができるようになるんです。
そしてこれが理解できてくると、世界は反転を起こします。
「自分が見ている世界がすべて」であるのと同時に「自分が見ている世界がすべてではない」というパラドックスがある
よくパラドックスという言葉を使いますが、
「この世界=自分、自分しかいない」 と、「自分などいない」
この2つが同時発生するのです。
裏と表、影と光が、同時に存在しているように。
重なったヴェシカパイシスの部分は、お互いが観ている共有宇宙です。
これを3次元の身体レベルの視点でみてみると、円の中心点が身体ですから、お互いが観ている共有宇宙(ヴェシカパイシス部分)を相手と私が反対方向から観ていることになります。
私が観ている世界の中に私は含まれていなくて、相手が見ている世界に私が存在しているのです。
まさにパラドックス。
世界は空(無)である、と、この世界にはすべてある。
みたいな正反対なことを聞いたりしますよね。
そのどちらも正解で、存在しているんです。
あらゆる、本当にありとあらゆるモノも概念も現象も、
すべてが同時にすべて存在している。
もう、この世界スゲ〜〜〜。としか言いようがないのですよね(笑)。
そしてまた次の段階に行くというのは
このすべてある世界から空の世界へ。
マクロからミクロへ。
みたいなことなのかもしれません。
いずれにしても、
昨今、世界はどんどん柔らかくなっていて
底上げされてきている実感があります。
またどんな新しい世界が展開していくのか。
これから、とても楽しみです。
ではでは
この記事があなたの脳をシャッフルしますように(笑)
愛を込めて。
ではまた。
xxx.love love love
So beautiful world
by kalo
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