足立区アフターレジデンス 第十七話:祭りの残り香
足立区アフターレジデンス 〜ドワーフの王とエルフの賢者が現代の北千住で終いの住処を謳歌する〜
「第十七話:祭りの残り香」
あらすじ
異世界から突然、現代日本・東京都足立区北千住に召喚されたドワーフの王アーデルハードとエルフの賢者イネス。
無骨だが心優しいドワーフ王と優雅で少し天然なエルフの賢者は最初は水と油の関係だったが、北千住の飲み屋街、銭湯、フードコート、祭りなどの日常を通じて、次第に互いを認め合い、絆を深めていく。
ホッピー片手の居酒屋トーク、ハムカツを巡る食バトル、ぬい撮りやゲームでの子ども返り、猫との触れ合い……ちょっと不自由で、でも心温まるスローライフ。
しかし、西から忍び寄る不穏な影が、二人の終いの住処を脅かし始めて――。
最強の異種族コンビが、愛する足立区の日常を守るために立ち上がる!
笑えて、癒やされて、少し切ない、現代異世界コメディ。
登場人物紹介(最新話を元に構成・更新しています。そのため本編のネタバレとなる場合がございますので、閲覧にはご注意ください)
千住大川町、荒川の土手沿いで開催された夏祭り。
土手全体が赤や青の提灯で埋め尽くされ、川面に反射して幻想的な光の帯を作る。焼きそばの鉄板のジュージューという音、りんご飴の甘い香り、綿あめのふわふわした匂い、ソースせんべいの香ばしさ――屋台の匂いが夜風に乗って混じり合う。
子どもたちの金魚すくいの歓声、射的のピストルのパンパンという音、ヨーヨー釣りの水音が響き合い、浴衣姿の人々が笑顔で肩をぶつけ合いながら歩く。
北千住の駅前から土手へと続く道は、今夜ばかりは色とりどりの提灯に彩られ、老若男女が溢れかえっていた。
異種族たちも溶け込み、ドワーフの子どもが人間の子どもと一緒に屋台を回り、エルフの女性たちが浴衣の袖を翻して優雅に歩く姿が、祭りの風景に不思議な彩りを加えていた。
夕闇が降りてくる頃、アーデルハードは慣れない衣装に肩を回しながら、北千住駅のペデストリアンデッキの柱に寄りかかっている。ホッピーの缶を片手に、祭りの喧騒を少し離れた場所から眺めていた。
「……なんじゃこの『じんべい』とかいう布切れは。心もとないことこの上ない。ドワーフの正装といえば、黒鉄の胸当てと鉄の籠手であろうが」
そうぼやきながらも、紺色の甚平に身を包んだ彼の姿は、どこからどう見ても『足立区の現場を三十年仕切ってきた職人』そのものであり、驚くほど街の風景に馴染んでいた。顎髭が甚平の襟元から覗き、足元は下駄ではなく作業ブーツのままというチグハグさが、逆に親しみを増している。
つまり、「祭りに行くならこれを」と勧めてきたスワインの見立ては、まったく間違っていなかったということになる。
「お待たせいたしました、アーデルハード」
涼やかな鈴の音のような声に振り返ったアーデルハードは、思わず持っていたホッピーの缶を落としそうになってしまう。
そこに立っていたのは、薄紫色の地色に大輪の百合があしらわれた浴衣を纏ったイネスが立っていた。銀色の長い髪は普段より高く結い上げられ、白いうなじが露わになっている。手には小ぶりな巾着を掲げ、履き慣れない下駄で一歩一歩確かめるように歩いてきた。浴衣の裾が優雅に揺れ、提灯の光が銀髪を金色に染める。まるで月光が人型を取ったような美しさだった。
「……なんだ、その、貴様。……似合っておるんじゃないか」
アーデルハードは照れ隠しに髭を撫で、視線を少し逸らした。
「お褒めに預かり光栄ですわ。クロエとヴィクトリアに着付けをされたのですが……エルフの法衣よりも締め付けが厳しいのですが、これが祭りでは正装なのでしょう?」
イネスはいたずらっぽく微笑む。すれ違う通行人の男性たちが、あまりの美しさに次々と電柱にぶつかっていた。女性たちも「きれい……」と振り返り、子どもたちが「妖精さん!」と指を差す。
祭りのメイン会場である土手沿いに辿り着くと、そこはソースと綿あめの甘い香りが夜風に乗って混ざり合う、欲望と混沌の坩堝だった。屋台の列が土手を埋め尽くし、焼きそばの鉄板の音、たこ焼きの匂い、チョコバナナの甘い香りが次々と襲ってくる。
最強の二人は、喧騒の中をかき分け、ある屋台の前で石像のように固まってしまった。
「型……抜き?」
「設計図通りに菓子をくり抜けば良いだと? そんな簡単な仕事をワシにやらせるとはな!」
二人は吸い込まれるようにスペースに入ると、小銭を払って小さなプレートを受け取る。
砂糖菓子で作られたプレートには溝が掘られており、その通りにくり抜くことができれば成功という、至極簡単なルールだった。屋台のおじさんが「ゆっくり丁寧にね」と優しくアドバイスするが、二人はすでに本気モードに入ってしまっていた。
「……ありえん。この砂糖と澱粉だけで構成された脆弱な板に、これほどまでの緻密な設計図が描かれているとは……これは最早、魔導回路の構造に近い」
アーデルハードは甚平の袖をまくり上げ、鼻息だけで板を壊してしまいそうだった。彼の目の前にあるのは、薄いピンクの板に描かれた、翼を広げたペガサスの図案。針を手に取ると、集中して溝を削り始める。
「集中しなさい、アーデルハード。この素材の機微を捉えるために集中するのです」
イネスが選んだのは、難易度最高峰の五重塔。下駄の鼻緒を気にするのも忘れて、すべての感覚をわずか数センチの砂糖菓子に注ぎ込んでいる。
屋台の店主は、甚平を着た強面の男性と、浴衣を纏った絶世の美女。たかだか数百円の遊びに魂を削っている異様な光景に、参加者たちは完全に気圧されていた。
「……ッ、ここだ! 結合部の分子構造がもっとも脆い場所!」
アーデルハードが、鍛冶師としての眼力で板のひび割れの予兆を捉える。彼にとって、これはもはや遊びなどではない。ドワーフの王としての名誉を賭けた、未知の素材との対話であった。
パキッ。
「あああぁぁぁっ!! ペガサスの右足がぁっ!!」
広場に絶叫が響く。ドワーフの咆哮に周囲の子どもたちが泣き出しそうになったが、アーデルハードはそれどころではなかった。
「お黙りなさい、不器用な王様。私は、あともう少しですわ」
イネスの針が、最後の塔の先端を切り出している。彼女の周囲には、集中力が高まりすぎた結果として無意識に展開された防風の魔法が働き、通行人の砂埃さえ寄せ付けない静寂の空間が生まれていた。
あと一刺し、あと一刺し――。
「イネス様ーっ! アーデルハード様! チョコバナナを買ってきましたよ! サービスでカラフルなチョコがいっぱいです!」
サラの無邪気で屈託のない明るい声に、イネスの手元がほんの少し、ほんの一マイクロミリほど、呼吸の乱れとともに狂った。
「えっ……」
パキッ。
「あああぁぁぁっ!! 五重塔がぁっ!!」
最高難易度の五重塔は、無慈悲にも途中で折れてしまった。
「ふん! 所詮は儚き砂糖の夢よ。ワシらには、実体ある鉄と魔法こそが相応しいということだ」
「同感ですわ。次は、金魚すくいでこの屈辱を晴らしたいと思います」
アーデルハードの負け惜しみに、イネスは大きく頷きながら、手の針を箱に戻した。それから深い溜め息をつく。
結局、二人はその後金魚すくいのポイを秒速で破り続け、射的では衝撃波で棚を揺らして店主に怒られるという醜態を晒すことになる。店主に「もう来ないで!」と言われながらも、一同は笑い合いながら次の屋台へと渡り歩いていた。
両手には抱えきれないほどのあんず飴や焼きそば、それにチョコバナナを抱えながら、土手へ戻ることにした。食べ歩きしながら、二人は失敗続きの屋台遊びを振り返って笑い合う。
夜空が暗さを増した頃、荒川の空に大きな花火が打ち上がった。
ドーン、という腹に響く重低音。夜空に大輪の菊が咲き、一瞬だけ土手を黄金色に染めては、川面へと溶けて消えていく。次々と上がるスターマインが夜空を埋め尽くし、周囲から「わあっ!」という歓声が上がる。
「……綺麗ですわね。一瞬で消えてしまうのに、こんなにも人の心を捉えて離さない」
イネスが浴衣の袖を抑えながら花火を見上げて、ぽつりと漏らした。その瞳には、かつて異郷で見た戦乱の炎や魔法の閃光ではなく、この街の人々が平和を祝うために作り出した、温かな火の色が映っていた。
「ああ。ワシらの故郷にはない、脆くて美しい光だ。あの型抜きと同じじゃな。壊れやすいからこそ、こうして目を凝らして見守らねばならん」
アーデルハードは食べかけのあんず飴を少し掲げて、夜空の光に溶かす。きらきらとした光が屈折して、まるで飴そのものが輝いているように見えた。
「イネス、ワシはこの街の祭りがずっと続くべきだと思う……いや、ワシが続けさせてみせる。この足立区の職人としてな」
「ええ、私も、同じ気持ちですわ」
イネスは銀髪を夜風になびかせ、甚平姿のドワーフの王を、優しい眼差しで見つめた。
「たとえ、西からどんな風が吹こうとも。私たちはこの場所で、またこうして型抜きに熱中し、下駄の痛みに文句を言える日々を……守り抜きましょう」
次の大きな花火が打ち上がり、二人の横顔を真っ白に照らし出した。
祭りの喧騒と子供たちの笑い声の中、二人の絆は夜空に咲くどんな大輪の花火よりも、強く、深く結ばれていた。
注記
この物語は筆者の想像に基づいたフィクションであり、登場する人物、団体、および物語上の設定はすべて架空のものです。作中に登場する名称などは物語を彩るための舞台装置として用いており、現実の出来事や人物とは関係がありません。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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また次の作品でお会いできることを楽しみにしております。
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