見出し画像

記憶の

物心がついたころ、すでに俺は母方の祖父に「グランパ」と呼ばされていた。グランパは昭和の頑固親父そのもので、NOと言えばそれが絶対で、俺らはそれに従っていた。四角い眼鏡をかけていて、綾瀬はるかがテレビに出ると「おっぱい姉ちゃん」と言った。意外にも理系脳で、よく生活に役立つグッズを作ってくれた。グランパの軽トラには無線がついていて、いつもノイズが聞こえていた。実家は平屋だったが、コンテナで増設されたであろう2階がついていて、内装はかつてそこが仕事場だったであろう痕跡が残っていた。よく分からない書類、資格の免許、釣りバカ日誌、パソコン、冷蔵庫。写真を缶バッジにする機械があって、俺の顔が缶バッジになったこともあった。急に家に行ったらうんこ漏らしてた時もあった。俺が10歳くらいのころ、グランパは糖尿病で死んだ。退院をして、今後の話をした夜、救急車で運ばれて死んだ。最期だから、家族と一緒に、ということだったのだろうか、なんにせよ酒を飲み交わす前に死んでしまったのが悔やまれる。ちょうど祖父が21歳のころの8月9日、つまり俺でいう今日の日記があったので読んでみたら、意中の女性に電話してみよう、とのことだったので、俺もしてみた。

小6、俺は足が速かった、というより、成長が早かった。今はもう見る影もないが、昔は他の子よりも一回り大きかった。別にモテることはなかった。ニコニコ動画とか見てたし。ボーカロイドとか聞いてたし。運動会で無双するかと思われたが、前日の雨が祟り、転んで最下位になった。しかしその後、学年対抗リレーのアンカーで、4位から全員抜いて、1位になった。校長が両手で俺の頭を掴んで、「よくやった」などの言葉をかけてくれたが、頭を両手で掴まれたことの方が衝撃的だったので、霞んだ。

中1、俺は卓球を習っていた。細かく言うと、小5の終わりから中1の終わりまで習っていた。おそらく、俺の人生史でコーチより怖い人間は登場してこないくらい、コーチが最恐だった。一ミリでもコースがズレると、怒られた。ネット蹴飛ばしたり、ラケットぶん投げたりしてた。それでも吐きながら練習してた。俺は殴られてないけど、殴られてる生徒もいた。ある大会で、コーチに「微炭酸のマッチ買ってこい」と言われてお金を受け取ったのだが、間違えて「強炭酸のメッツ」を買って渡してしまった。笑ってた。2個上の先輩が2人いて(AとBとする)、Aの父親が教育熱心で、どちらも同じ中学だったので成績が不振であるBをよく叱っていた。あるとき、Bが大会でおんなじミスをしまくって負けたとき、Aの父親に「お前はそうやっておんなじことばっかりして、オナニーか。気持ちいい気持ちいいってやってるんだろう。」と叱られていた。説教でオナニーって言葉出てきたの衝撃だった。Aは頭が悪くて、同じクラブチームにいた女の子のお父さんがやっている塾に俺も一緒に通っていた。oneを「おね」と読んだとき、本当に目の前が真っ暗になった。先生は学校ごとの先生が作るテストの傾向と対策だけで俺に平均80点を取らせていて、そんなのアリかと思った。そのクラブチームで俺はキャプテンだったが、小学生女子が本当にワガママでまとまらないし、コーチは怖いしで13歳にして中間管理職のつらさを思い知ったし、なぜか夏の大会に向けて坊主にさせられたので辞めた。その数週間後にクラブチームは崩壊し、解散した。

中2、何故かいじめられていた俺は、1人だけ友達がいた。そいつは勉強では学年トップクラスだったが、ずっとエロいことを考えていた。クラスの人数が40人で、男21人、女19人だったので、男が隣同士になる席が1組だけ存在して、俺らがクジを引いてそこになった。社会の授業中、友達が分からないところがある、と言い先生を呼んだ。そのとき、走ってきた先生の揺れた胸を見て2人で目を見合わせて、「揺れた」とハモった。

同じく中2、林間学校か何かの宿泊イベントで、トイレが騒がしかったので見に行ったら個室で別のクラスの友達が「出ねぇよぉ…」と泣きながらシコっていてヤバかった。

二分の一成人式、漢字を1つ決めてスピーチする、みたいな内容で、みんなが漢字を出して長ったらしくその説明をしているなか、俺は「続」の文字を出して「継続は力なり」とだけ言ってマイクを置いた。

高校、記憶がない。それくらい楽しかった。このころ、おもしろいツイートを売って受験費用を稼ごうと思って「ツイート屋さん」なるものを始めたが、100円しか儲からなかったし、そもそも受験全部落ちた。共通テストで、友達たちが数IAで爆死して軒並み士気を失っていたので、数IIBを受けないで帰る、という決死のユーモアを披露してみんなを元気づけた。

浪人時、ほとんどニートをしていた。教材なんかには目もくれず、眠いときに寝て、目が覚めたらYouTube観てた。免許取れと言われたので、静岡まで合宿免許に行った。免許合宿だろ、と思った。俺が無能すぎて、S字で2回脱輪して卒業が3日ほど延期になった。俺の卒業が確定したとき、教官たちが拍手で俺を見送ってくれた。俺に一番厳しかったジジイが一番喜んでくれていて、グータッチを求められたので、パーで復讐した、俺の勝ちや雑魚が。

愛知県の免許の試験は難しいようで、一回落ちた。その日に始めた最強でんでんというアプリをまだ続けている。

あとは失恋とかして、酒飲まないと寝れなくなって受験当日になった。4日連続で出願していたが、1日目、なんかいけるぞと思ってボーボーだった髭を剃って、2日目、やっぱりダメやと思って母親にギターを譲ってもらった。その日から俺の音楽は、鳴り止まない…。

いいなと思ったら応援しよう!