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NISA貧乏を否定しない〜経験に使ったお金の話〜

「NISA貧乏」という言葉をよく見かけるようになった。将来不安からNISAに入金しすぎて、今の生活が苦しくなっている人のことだ。2024年の新NISA開始以降、年間投資額の上限が360万円に引き上げられた。上限まで入れようとする心理が、生活費を静かに圧迫している。

僕はそれを全否定するつもりはない。

若くて独身で、多少切り詰めてでも将来に備えたい。その気持ちはわかる。余剰資金の範囲でやっているなら、立派な戦略的判断だ。

ただ、ひとつだけ気になることがある。

年齢制限のある経験を後回しにしていないか。

お金はいつでも貯められる。NISAの枠は来年もある。でも結婚、出産、留学、恋愛、仲間との飲み会。これらには生物学的・制度的なタイムリミットがある。口座の数字では埋められない。

経験は暴落しない

僕がまともに貯蓄を始めたのはアラフィフになってからだ。若い頃は留学やさまざまな経験にお金を使った。その経験が今のキャリアと人生の土台になっている。あの時「留学費用を投資に回そう」と判断していたら、今の自分はいない。留学で得たのは語学力だけではない。異なる価値観の中で判断する習慣と、自分の立場を相対化する感覚が身についた。それは後になって、思わぬ場面で突然効いてくる。

投資を7年ほどやっているが、正直「半分遊び」だと思っている。余剰資金だから値動きを見る必要もないし、下がっても笑っていられる。必要な時はNISA以外から換金して、非課税枠はできるだけ温存する。この余裕は、余剰資金でやっているからこそ持てる。「余剰」というのは感覚的に余った分ではなく、生活費3〜6ヶ月分の緊急資金を確保した上での話だ。設計した残りを入れているのか、なんとなく余った分を入れているのかで、含み損が出たときの行動がまるで変わる。

NISA貧乏の人が含み損で取り崩さざるを得なくなったら、非課税の恩恵はゼロだ。 しかも損益通算もできない。特定口座で利益を出しながらNISA口座で損を出しても、税制上は「損なし」として扱われる。利益が出れば非課税、損が出ても相殺できない。この非対称性が、制度の恩恵を本当に必要な人ほど受けにくくしている。

FIREへの違和感

老後のためだけにお金を貯めるという発想にも疑問がある。僕は一生仕事をするつもりだ。仕事は社会との接点であり、頭を使い続ける場でもある。FIREして曜日の感覚がなくなることを想像すると、ゾッとする。「仕事をやめるためにお金を貯める」のと「仕事を続けながら資産を積む」のは、心理的にも経済的にもまったく別のゲームだ。不況で資産が目減りしても、仕事があれば追加で投資できる。その余裕が設計の根拠になる。仕事があるから休みが貴重なのだ。毎日が休みになったら、その喜びは消える。

自分の中に蓄積した経験や技術は暴落しない。NISAの数字は暴落するかもしれないけれど。


65歳からの20年と、今の10年では時間の密度が違う。年を取ってからの「自由な時間」は、若い頃の「自由な時間」と同じではない。人は死ぬ。今も生きている。老後に2000万あっても思い出がなければ、それはそれで一種の貧乏だ。


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