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価値観の公理が違う相手に何を言っても届かない理由

人気キャバ嬢・ゆいぴすの発言が炎上した。就活番組で「私はあなたの年収を1日で稼ぎます」と年収400万円の男性を一蹴した件だ。批判は「稼いでれば偉いという風潮がおかしい」という方向に集中したが、その批判はすでにズレている。

問いの立て方が間違っているのだ。これは価値観の善悪の話ではない。そもそも議論が成立する土俵にいるかどうかの話だ。


公理系の断絶

ゆいぴすは「稼ぎ=価値」という一本の尺度で生きている。その尺度の中では、彼女の発言は正確だ。矛盾していない。問題は態度でも品性でもなく、前提となる公理系が違いすぎることにある。

数学で言えば、異なる公理系の証明を戦わせているようなものだ。別の言語で話しかけているといってもいい。どちらが正しいかの前に、土俵が違う。

批判している側も同じ構造の罠に嵌まっている。「お金だけが人の価値じゃない」は正論だが、その正論は相手の公理系に届かない。届かないのは誠意が足りないからでも説明が下手だからでもない。受け取る回路がない。

さらに言えば、批判者の多くも「稼ぎ以外の価値」という別の単一尺度に置き換えているだけかもしれない。多変数で考えているつもりで、軸が入れ替わっただけの同じ構造を繰り返している。

思考の次元数

これは知性とも絡む。

単一尺度で生きている人は、多変数で物事を評価するという操作自体が難しい。能力の問題というより、思考が動く次元数の問題だ。

1次元の座標系には、2次元の点を表す方法がない。概念として認識できないのではなく、入力を受け付ける形式が違う。

この次元数の違いは生まれつきではない。経験の幅と相関する。「稼ぐ」という単一の成功体験で人生の大半が説明できてしまった人は、別の尺度を必要とする局面に出会わなかっただけかもしれない。学ぶ機会がなかったというより、学ぶ必要を感じなかった。

ゆいぴすの「どうこう言われても」という枕詞はその証拠だ。反論の存在は認識している。聞こえている。それでも処理できない。あるいは処理する動機が生まれない。

会話が成立する条件

人と人の間で会話が成り立つには、価値観の重なりが要る。二つの円の重なる面積が対話の可能領域だ。重なりがゼロなら、物理的に言葉を交わしていても対話ではない。

重なりがあるだけでは足りない。その重なりに気づく能力と、気づいた上でそこに価値を見出す意志が両方いる。

第一の壁は認知だ。重なりが見えない。これは経験や環境で変わりうる。第二の壁は意志だ。見えていても価値を感じない。こちらは成功体験によって強化される一方で、外から変えることがほぼ不可能に近い。二つの壁は似ているようで、質がまるで違う。

単一尺度で十分に成功している人には、重なりを探す動機がそもそも生まれない。この断絶は偶然ではなく、ある種の成功が再生産し続ける構造がある。

この二段構えが揃ったとき、会話は完全に閉じる。

設計された断絶

ゆいぴす案件に戻ると、問題は彼女の発言の品の有無ではない。番組MCの溝口勇児が先に「君たちの年収はゆいぴすが一晩で稼ぐ」と志願者を煽っていた。断絶を「見せ物」として設計したのは番組側だ。ゆいぴすはその設計通りに動いただけとも言える。批判の矛先が彼女に集中するのは、構造を見誤っている。

この種の断絶は、実は日常のあらゆる場面に潜んでいる。夫婦間の噛み合わない口論、職場での永遠に平行線の議論、SNS上で延々と続く論争。「なぜこの人は話が通じないのか」と感じた瞬間、たいていこの構造が動いている。価値観の問題ではなく、思考の次元数と重なりの問題として捉え直すと、無力感が少し薄れる。戦略も変わる。


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