人生に必要なことは、すべて映画「えんとつ町のプペル」でおそわった
人生に必要なことは、すべて「えんとつ町のプペル」でおそわった。
どこかで聞いたような台詞だが、そんなことを思わせる映画だった。
1章 人生に必要なことを教えてくれる映画
具体的には、「希望を持ち続けること」の重要性
さらには、「親(大人)が子供を信じること」の重要性
付け加えるなら、「友達(そばにいてくれる人)」の重要性
もひとつ言うなら、「決まりじゃなくて自分の決めたことに従うこと」の重要性
などなど。
例えばこんなシーンだ。
異端審問所は異端注意報を発令してこんなことを言う。
「外の世界などない。ここが世界だ」
外の世界に興味を持たせないように、町中に煙突を立て日夜煙を吐き続ける。
頭の上はモックモク。黒い煙でモックモク。
空は煙に覆われ、星はおろか空さえも見えない。
そして、海には怪物がいて人を飲み込んでしまうと教える。
希望なんて持つな! いま見えている世界が全てだ。
そんなメッセージを流し、外には別な世界があるかもしれないという「希望」を打ち砕こうとする。
しかし、そんな環境にあっても、希望を持ち続ける少年が煙突掃除屋のルビッチだ。
この少年が希望を持ち続けられた理由はふたつ。
「父」と「友達」の存在だ。
「星なんてないんだよ。上を見たって何もねえ。現実を見ろ」
と息子に説教してくる大人に、父親のブルーノは
「こいつの未来を、おめーが決めるんじゃねえぞ」
と掴みかかる。
そして息子には
「星を見たいならずーっと上を見てなきゃいけねぇ。信じ続けなきゃいけねぇんだ。光を信じたのなら行動しろ。たとえ一人になっても、信じて上を見てたら同志が現れる。友だちだ」
と説くのだ。
そこへ現れた友だち・ゴミ人間のプペルが、これ以上迷惑はかけられないから
「ルビッチさんは私と一緒にいるべきじゃない」
とルビッチのもとを去ろうとした時、プペルにこう言い放つ。
「僕の未来を勝手に決めないで!」
そして、ルビッチはゴミ人間プペルとともに、町の皆んなに星を見せるために空に飛び立つ。
「星なんかない、止めろ!」
という声に
「誰か見たのかよ。分かんないものに蓋をしてたら、何も始まんないじゃないか!」
と叫びながら。
飛び立った後にも困難が襲いかかる。
そこでも「下を見ないで!」「上を見ろ!」
という言葉が象徴的な意味合いで使われる。
この言葉はもともと、高いところが怖くてしょうがない息子を励ますために父が言った言葉だ。
しかし、映画の中では「人に決められた現実」ではなく「自分の希望を信じろ」という意味で使われる。
そして、高いところが恐くてたまらない煙突掃除屋ルビッチは、
たったひとりの友だちであるゴミ人間プペルと共に、
鉱山泥棒のおしゃべりスコップから融通してもらった無煙火薬を使って
煙を吹き飛ばすことに成功する。
満天の星を見た町の人たちは
「煙を止めよう。未来を迎えるんだ」
と希望を受け入れる。
2章 映画がくれた3つの問い
私は、この映画から、3つの問いを受け取った。
Q1「あなたは何を恐れているのですか?」
Q2「あなたを励ましてくれるのは誰ですか?」
Q3「あなたは、胸に希望を抱いていますか?」
まずは、3つ目の問いから
Q3「あなたは、胸に希望を抱いていますか?」
名画「ショーシャンクの空に」にこんなシーンがある。
刑務所にぶち込まれてきた新入りの囚人に向かって、先輩の囚人がこう声をかける。
「ここでは希望なんてもっちゃいけねえ。辛くなるだけだ」
囚人の希望は、刑期を終えて出獄することだけれども、それはあまりに長く辛い。
予定より早く出獄できるかもしれない、などと希望を持つことは、ほとんどの場合落胆にしか繋がらない。がっかりする原因をわざわざ作る必要はないということだ。
「えんとつ町のプペル」で空やそこに輝く星は「希望」のメタファーだ。
「空は未知の世界、星は希望の光、煙は希望を阻むもの」として登場する。えんとつ町はえんとつから吐き出される煙で空が見えない。
空に何があるのかもわからない。
これは、まるでそこそこの人生、安定した人生があれば、大それた希望など持つ必要はないじゃない、と言っているかのようだ。
「希望なんて持つもんじゃない」
「大それた希望さえ持たなければ、落ち着いた安定した人生が送れる」
というメタファーにも見える。
それに対して「今、見えているものがすべてじゃない」「誰も見たことがないからこそ見てみたい」
といった生き方が対置されているのだ。
少しでも偏差値の高い大学に入って、大きい会社に就職して、安定した人生を送りたい。やっていて楽しいことじゃなくて給与水準で会社を選ぶ、そんな現状の風刺にも見える。
あなたは、どんな社会を作り出したくて生きているのですか?
そう問いかけられた気がした。
Q2「あなたを励ましてくれるのは誰ですか?」
もし、人生に希望なんかを持ってしまったら、そこから茨の道が始まる
「雲の上には空があり、空には星が輝いている」という絵を見せることで、
「まだ見ぬ場所に希望がある」と紙芝居で伝え続けた父は、謎の死を遂げる。
3人組の友だちには悪口を言われ、いじめられ、暴力を振るわれる。
世間の目は冷たい。
しかし、母親をはじめ、ゴミ人間など自分を励ましてくれる人たちもいる。
それは、「否定しない」という容認レベルから、積極的に手を貸してくれるレベルまで様々だが、なぜか必ず応援してくれる人が出てくる。
希望には、人を惹きつける力があるのだ。
励ましてくれるのは、必ずしも家族ではないかもしれない。
むしろ、家族ほど安定性を求めてくるかもしれない。
この映画には、お金が人心を虜にしてしまった国の話も出てくる。
あなたの希望に耳を傾けてくれる人、あなたの行動を後押ししてくれ人。
そんな人の近くにいたいと、改めて思った。
Q1「あなたは何を恐れているのですか?」
「希望を求めた」ルビッチの冒険は、おしゃべりスコップの援助もあって劇的な形で成就する。
それをみた感客は、「ルビッチよくやった」と胸をなで下ろすと同時に、ルビッチの挑戦を困難なものにしていた理由が自分の心の内側にもあることに気づく。
そして自分に問いかける。
「自分は何を恐れていたのか?」と。
異端審問官に見つかることを恐れて、希望など持ってはいけないと「希望のない人生」を内面化して生きていくえんとつ町の住人。
えんとつ町が日本だと仮定すると、日本国民が失うまいと無心しているもの、これさえ手に入ればと考えているのは「安定した豊かな暮らし」なのではないか。
中学受験が加熱するのも頷ける。
早期に教育を開始することで、他の子に先んじて学力を高めて、少しでも偏差値の高い大学に合格するする準備をするためではないか。
なぜなら、就職試験には明確に学歴差別があり、高い給与を払える会社に偏差値の高い大学出身者が囲い込まれる傾向が明らかであり、人より高い給料をもらうためには、偏差値の高い大学に入学しておかなければならないと考えられているからだ。
そこで問われている大学像とは、何を研究している大学なのかということではなく、偏差値がいくつの大学なのかということである。だから、何を学びたいかではなく、偏差値がいくつなのかが最大の関心事となるのではないか。
印象的なエピソードがある。
国会議事堂周辺に集まり、政府を糾弾するプラカードなどを掲げた学生に向かって
「そんなことしてると、就職できなくなるぞ」
という野次が飛んだのだ。
これは今の世の中で、人々が何を最も恐れているかを的確に言い当てた野次だったと思う。
学生がデモへの参加を躊躇させるには「就職ないぞ」というのが最も有効だと考えてのことだろう。
採用する企業側が、入社を希望する学生たちのSNSをチェックするのは当然のことになっているから、国会前でデモなどしていると就職がなくなるというのはあながち狡猾なジョークとばかりも言っていられないかもしれない。
そうやって、だれも何も言わない今の日本が形成されたのですよ、とこの映画は訴えかけているようにも見える。
映画は、僕に大切なことを教えてくれたばかりか、問いまで投げかけてくれた。2025年10月22日から月末まで、ハロウィン限定のリバイバル上映があるので、関心を持たれた方は映画館に足を運んでみてはいかがだろう。
実は、横浜で上演されていたミュージカルも見ていたことを告白しなければならない。
平面から3次元へ。大掛かりな舞台装置が必要になる分、ミュージカルは大変になるが、歌と共に語りかけられる体験は他とは比べることができないエモーショナルな体験だった。
3章 引用
見上げることを捨てた町で、目立たぬようにの大合唱
見上げることを捨てた町では、夢を語れば笑われて、行動すれば叩かれる
黒い煙は人を飲み込み、あらゆる勇気を認めない
それでも男は海に出た 誰もいない海に出た
ここで終わってなるものか
男は勇気をふりしぼり
できない理由を海に捨て 言い訳ごたくを海に捨て 再び海に立ち向かう
「下を見ないで、上を見ろ!」
男が向かう闇夜の向こうのその向こう
信じ、信じて、信じ抜き
黒い煙を突き破り、光の海に躍り出た
煙突町の煙りの上には 青い空があったのだ 輝く星があったのだ
さあ、煙を止めよう
未来を迎えるんだ!!
