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葉桜の記憶を、栞にして。(在宅介護を2年余り経験して…。)

記憶という二文字の中にたぶん今年の桜の
季節は色濃く残されるかもしれない。
そんな時間を過ごしている。

要介護5の母の在宅介護を始めて2年余り。

食事の時以外はベッドの上で過ごしていた。
寝ているベッドからは窓からの借景が見える。
お隣のお宅のお隣あたりの赤い屋根が見えるの
だけど。
母にはその赤い屋根になにかしらのあらたな
記憶があるみたいで。

いつも夕方あたりになると彼女のなかにだけある
エピソードを話し出す。

あの瓦の傾斜がねって言葉から始まる。

一冊の本の始まりのようにいつも同じだ。
あの傾斜がおかしくなるのをね、落ちそうに
なりながら一生懸命、高校生の息子さんが
直しているのよって、続く。

そのお宅には息子さんもいらっしゃらないし。
屋根も瓦ではないスレート屋根なのだけど。
それでも母にはその景色が見えてるらしい。

母の言う高校生の息子さんは、ずっと小さい頃から
お父さんの仕事である大工さんの見習いのような
ことを必ず夏休みになるとやっていたと。

折り畳まれた記憶をほどくように話してくれる。
わたしは母のその記憶のことを、正そうとは思わない。
いつしか、彼女のそれをあたらしい物語のように聞いているじぶんに気が付いた。

この話は、その息子さんがいつも屋根から転がり落ちそうになっても、なんとか耐えて元の位置まで這い上がり、それでお父さんに心配されたり叱られたりしながら、屋根は修理されていくという結びを迎える。

そして、その後親の仕事を継ぐとはどういうことかとか。それがほんとうにやりたいことなら幸せかもねとか。
体育はぜったい得意だろうねとか、そんな話まで伸びていった。

そしてわたしが頷いたり、ちょっと問いかけたりしていると。
母も安心したかのように、すやすやと眠る。

母の記憶とつきあってると、まちがった記憶なんて
ないのかもしれないと思えたことが、この二年余りでの在宅介護でのわたしなりの体感だった。

わたしは夢想であるとかいまそこにない映像を想像してみるのが好きなせいか。
母のグラデーションを帯びた記憶はわたしにとっても安らぎだなって思っていた。

母がショートステイ施設にお世話になっている間。
母と同じベッドで眠ってみた。

ウォーターベッドになっているので、やわらかな沈み込みが眠り心地がよくていつのまにか眠っていた。

朝起きると出窓からは屋根と屋根のはざまにぽっかり浮かぶ雲に出会えた。

ああ、この景色を見ながら母は毎日なにかしら感じているんだなって思うとすこしじんとしていた。

同じ部屋に暮らしていても座る椅子の位置や眠るベッドの位置からでは、見ている風景はまるで違うのだと気づく。

その時わたしは、同じ部屋に誰かとふたりでいても。
それぞれの眼差しの方向は違う。
ひとりとひとり同士なんだなって思って。
ひとりであることのはるかな時間を思ったりした。

2か月弱今入院しているので、そのベッドはわたしのベッドになっている。

ずっとここで眠りたいぐらい。

そんなことをつらつらと思いだしながら昨日の夜は、母のベッドで眠る最後の夜を迎えた。

これから母は今の病院を退院したら施設にゆくことに決まっているので、業者さんに引き取りをお願いした。

翌日。
ずっとリビングにあった母の介護用のウォーター
ベッドが、お世話になった業者さんの手によって
速やかに解体されて、専門車へと収納されてゆく

家のリビングにはほこりがうっすらと見える。

床がひろく感じる。

あたりまえにあったものがなくなって、
ぽっかりしながら。

ケアマネさんとその広くなった空白を見つめていた。

広いその余白がどこかわたしにはちょっとよそよそ
しかったけど。

二年前の姿にリビングが戻ったばかりなのに
もう馴染めないでいた。

これが、母と過ごした濃密な時間なんだなって
想いながら。

介護ベッドのスタッフの方々もケアマネさんも
仕事を速やかに完遂するだけじゃなくて。

二年余りのわたしへの在宅介護への労いの言葉を
やさしく贈ってくださって。

それ以上お話ししていたらやっぱり泣きそうだった。

謙遜でもなんでもなくて。わたしはなんもしていない。
ただ生活を母としていただけだ。介護サービスの方々のお仕事のスキルのおかげでこの二年余りを
健やかに過ごすことができた。

時には喧嘩もしたし、一日中いらついている
こともあったし。そんな日は仲良くなった看護士さんや入浴サービスのお兄さんたちに聞いてもらったりした。

支えられていた時間のことしか思い出せない。

それは今思うと、ひとえに介護サービスの方々であり。母にも十分支えられていたのだと思う。

次の日には忘れていることをいいことに。
人間関係の愚痴も何度も夜中に聞いてもらった。
あなたがどうしたいかで決めなさいって
いつも話してくれた。

酷い言葉を投げかけられて何も言い返せなかった
時も、やさしいのやめなさいともよく言われた。
じぶんを大切にしなさいってことだったのだと思う。

そして、わたしは在宅介護をあっけなく
卒業することになった。卒業というにはあまりにも
なにも学んでいないのかもしれない。

ちょっとぽっかんとしてしまう。

そして先日、お父様の介護を10年以上も経験
された書くことの大先輩の方からDMを頂いた。

労ってくださる言葉に胸が熱くなった。
そこでの文面を思い出しながらXにポストしていた。

人との出会いはまぎれもなく一期一会だけど。あらためて一期一会を感じてる。「起承転結」とは単なる文章の形式じゃなくて、人が生きてきた道のりの中で共鳴し合う文章の佇まいのことだとある方に教えてもらう。起承転結の中に一期一会を季節をそっと重ねて。この言葉たちを春の栞にしたくなる。

Xのアカウントのわたしのポストより。


🌸母の病院の近くの公園で咲いていた河津桜🌸

わたしにとって今年ほど桜の花びらが春の栞の
ように心の中に記憶されることはないかもしれないとそんなことを思っていた。




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ゼロの紙 /歌人 いつも、笑える方向を目指しています! 面白いもの書いてゆきますね😊