<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss xmlns:webfeeds="http://webfeeds.org/rss/1.0" xmlns:note="https://note.com" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom" xmlns:media="http://search.yahoo.com/mrss/" version="2.0">
  <channel>
    <title>凡筆堂</title>
    <description>昭和20年代終盤生まれの、群馬県在住の男です。グラフィックデザインとコピーライティングを生業としてきましたがほぼ引退しました。明るい内容のエッセイや軽い読み物を投稿して行きます。雑文をひとつ。「ナメクジに塩をかけると死んでしまう。やっぱり塩分の摂りすぎはよくないんだな」。</description>
    <link>https://note.com/bonpitsu_do</link>
    <atom:link rel="self" type="application/rss+xml" href="https://note.com/bonpitsu_do/rss/"/>
    <copyright>凡筆堂</copyright>
    <webfeeds:icon>https://d2l930y2yx77uc.cloudfront.net/assets/default/default_note_logo_202212-f2394a9e5b60c49f48650eee13f6e75987c8c4f1cfa7555629a9697dc6015cd9.png</webfeeds:icon>
    <webfeeds:logo>https://d2l930y2yx77uc.cloudfront.net/assets/default/default_note_logo_202212-f2394a9e5b60c49f48650eee13f6e75987c8c4f1cfa7555629a9697dc6015cd9.png</webfeeds:logo>
    <webfeeds:accentColor>249F80</webfeeds:accentColor>
    <webfeeds:related layout="card" target="browser"/>
    <webfeeds:analytics id="UA-48687000-1" engine="GoogleAnalytics"/>
    <language>ja</language>
    <lastBuildDate>Mon, 13 Apr 2026 05:15:31 +0900</lastBuildDate>
    <item>
      <title>人の思いはそれぞれだから</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/264731128/rectangle_large_type_2_cb86e429ff4d39037f3b5efb0fa9ad37.jpeg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="1cd3b4e2-8a34-42db-b843-d251371fd0d6" id="1cd3b4e2-8a34-42db-b843-d251371fd0d6">　私はつかみどころのない問題に出くわすと、よく「正解のないテーマ」という言い方をする。世の中にはきっちりと白黒をつけられない問題がたくさんある。この「白黒」にも逆順の「黒白」という言い方があり、読みも「くろしろ」と「こくびゃく」の二通りある。どちらも正しいがなんとなくもやもやする。<br><br>　本シリーズ第一作の「お若く見えますねと言われたら」のなかで、「ヘッダー画像の『物事は捉え方次第、捉え方はその人次第』は凡筆堂の名言になるだろうか」と述べたところ、Aさんという方からありがたいコメントをいただいた。<br>　それをこの記事に転載しようと思ったのだが、厚かましいと思って差し控えた。興味がおありの方は、お手数ですがコメント欄を参照いただけたら幸いです（外国のかたのお名前です）。<br><br>　Aさんは名言の定義を示してくださったり、ネットで検索して既出かどうかを調べてくださったりした。その結果、「凡筆堂の名言になっていると言えるのではないでしょうか」と言ってくださった。<br>　ほかにも、コメント蘭で褒めてくださったり賛意を示してくださったりした方もおられたことから、おこがましいとは思いつつ、名言として例外的に取りあげることにした。<br><br>　「物事は捉え方次第、捉え方はその人次第」——凡筆堂<br><br>　シリーズ化に先がけて掲げた条件のひとつである「あまり知られていないこと」については十分すぎるほど満たしている。いや、それどころか全然知られていない。<br><br>　ところで、参考までに「名言」を国語辞典で引いてみた。各辞典の〝捉え方の違い〟がおもしろい。<br>「ことの道理をうまく表現した言葉」（大辞林）<br>「なるほどと感心させられるような、すぐれたことば」（三省堂国語辞典）<br>「確かにそうだと感じさせるような、すぐれた言葉」（岩波国語辞典）<br>「物事の本質や人生の事実を言い当てたすぐれた言葉」（旺文社国語辞典）<br>「事の道理をよく言い当てたすぐれた言葉」（日本語新辞典）<br>「①事柄の本質をよくとらえて表現した、短い言葉　②人生の機微を表現し得た、短い言葉」（新明解国語辞典）<br><br>　物事の捉え方が白になったり黒になったり、あるいはそれらの中間である無段階グレーになったりする場合、明確な判断基準がない限り、答えは人それぞれとなる。三者三様、十人十色であり、個人の思考は千差万別ということだ。<br><br>　身内である夫婦や親子、兄弟姉妹でさえ意見がわかれることがあるのだから、他人である友人や恋人、先輩後輩や同僚だって同様だ。会社の会議や町内会で議論百出となっても不思議ではない。<br>　それどころか、厳格な法律に基づいて行なわれる裁判でさえ二転三転することが珍しくないのだ。<br><br>A江「凡筆堂くんって、まじめで頭いいわよね」<br>B代「うっそー、だんまりすけべじゃない？　なんかいやらしいわ」<br>C美「でも、そういうところがいいわ。めっちゃ優しいから好き」<br>D子「私にはすごく冷たいわよ。なんでかなー。鏡見てみよっと」<br><br>　物事もいろいろなら人間もいろいろ。だから捉え方だっていろいろ。いったい何が正しいやら。いや、正解はないのかもしれない。それとも、どれも正解か。<br><br><br></p><figure name="ea46d02a-f93a-4c94-868a-a778ee0bf922" id="ea46d02a-f93a-4c94-868a-a778ee0bf922" data-src="https://note.com/bonpitsu_do/n/n11e26969a74f" data-identifier="n11e26969a74f" embedded-service="note" embedded-content-key="emb986c0753650a"></figure><br/><a href='https://note.com/bonpitsu_do/n/n616ecf6ef299'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/94621978/profile_8507a4b6a1e38d796533699415b5fb68.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>凡筆堂</note:creatorName>
      <pubDate>Tue, 07 Apr 2026 08:01:52 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/bonpitsu_do/n/n616ecf6ef299</link>
      <guid>https://note.com/bonpitsu_do/n/n616ecf6ef299</guid>
    </item>
    <item>
      <title>鏡を責めてはいけません</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/262591412/rectangle_large_type_2_77d94ca7d3344c5dd3b47fa1907ff434.jpeg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="d65838be-6d39-42bf-ab57-47c6378064a4" id="d65838be-6d39-42bf-ab57-47c6378064a4">　「鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰？」（言い回しはさまざま）というセリフがよく知られている童話『白雪姫』。原作はドイツのグリム兄弟だが、いまやディズニーにお株を奪われてしまった観がある。<br>　それはさておき、鏡にそんな質問をしたのは白雪姫の継母である王妃だ。鏡は長年、「それはお妃さまです」などと答えていたが、白雪姫がすっかり成長したある日、「一番美しいのは白雪姫です」と答える。この返事に王妃はびっくり仰天。怒髪天を衝いて嫉妬で怒り狂う。<br><br>　いつの時代でもどこの国でも、鏡は嘘やお世辞を言わない正直者だ。それはロシアでも同様で、鏡の性質をうまく使った名言が存在する。<br><br>　「自分の面が曲がっているのに、鏡を責めて何になろう」——ニコライ・ゴーゴリー『名言・座右の銘1500』（ナガオカ文庫）<br><br>　この皮肉たっぷりな名言を遺したニコライ・ゴーゴリー（1809–1852）は19世紀ロシアの代表的小説家だ。風刺とユーモアをちりばめた作品づくりを得意とする。さらに幻想的雰囲気を加え、社会の腐敗や人間の浅ましさなどを綴り続けた。<br>　代表作と言われる戯曲『検察官』では、地方官吏たちの汚職や心の狭さを批判し、それを活写して社会に訴えた。記事で取りあげた「自分の面が曲がっている云々」は、この『検察官』のなかで遣われた言葉だ。<br><br>　ウクライナ出身で、祖国の民話や伝承をもとにした作品も多い。鼻が勝手に歩き出す『鼻』や、幽霊が登場する『外套』などがあるが、この『外套』には、巨匠ドストエフスキーが、「我々は皆、ゴーゴリーの『外套』から出た」と言ったというエピソードもある。ゴーゴリーが後世の作家たちに、いかに大きな影響をおよぼしたかがわかろうというものだ。<br><br>　名言の「面が曲がっている」は顔のことではなく、心の奥に潜む醜怪さや卑屈さなどを形容したものだ。<br>　鏡に映っているのは自分なのに、それを知ってか知らずか、鏡を責めるのは筋違いだという揶揄と皮肉にほかならない。鏡はすなおに自分の役目を果たしているのだから、責められる鏡こそいい迷惑というものだ。<br><br>　世の中には、自分に都合の悪い事実を指摘されたとき、自分のことは棚にあげ、相手に責任転嫁したり嘘で反撃したりする輩もいる。そういう人たちは鏡を責めるタイプに違いない。<br>　そんな輩とはつきあいたくないが、どうしてもつきあわなければならない場合はできるだけ距離を置きたいものだ。<br><br>　同じ本の中に似たような意味合いの言葉が載っていた。ただし、特定の個人が言ったものではなく、モンゴルのことわざだ。<br>　「自分の容貌を知らない者は、鏡を悪く言う。自らの心を知らない者は、人を悪く言う」<br>　ロシア同様、モンゴルでもやはり鏡は正直者なのだ。<br><br>　シンデレラ姫の継母は非道だが鏡そのものは責めなかった。鏡が真実を映すことを承知していたからだ。<br>　しかし、ゴーゴリーの名言の人物は鏡そのものを責めている。物事の本質を理解していないのだ。その点に限って言うならこちらのほうが質（たち）が悪い。<br>　鏡を責めるような人間にはなりたくないものだ。<br><br><br><br><br>　名言シリーズスタートに触れています。</p><figure name="4b1dc984-6864-4db0-b07b-5cec19c90cb7" id="4b1dc984-6864-4db0-b07b-5cec19c90cb7" data-src="https://note.com/bonpitsu_do/n/ne872a20ed63e" data-identifier="ne872a20ed63e" embedded-service="note" embedded-content-key="emb403c57dc6650"></figure><br/><a href='https://note.com/bonpitsu_do/n/n18555b287422'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/94621978/profile_8507a4b6a1e38d796533699415b5fb68.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>凡筆堂</note:creatorName>
      <pubDate>Tue, 31 Mar 2026 06:56:38 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/bonpitsu_do/n/n18555b287422</link>
      <guid>https://note.com/bonpitsu_do/n/n18555b287422</guid>
    </item>
    <item>
      <title>努力すればどんなことでもできるか</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/261435519/rectangle_large_type_2_e6eb5b43a7481a3c3aa4b1f41c3de9c6.jpeg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="48a620b5-59c0-4d4d-9915-e4769c7b0aea" id="48a620b5-59c0-4d4d-9915-e4769c7b0aea">　私はものぐさなうえに熱しやすく冷めやすいので、努力とは相性が良くない。だから、努力して成功した人を偉いと思うし尊敬もする。<br>　その一方で、「実らない努力はない」などという言葉に対しては「受け狙いの、かっこうをつけた言い方だ」などと反発したりもする。<br><br>　「努力すれば、どんなことでもできる」そういうふうな言い方は、人間や人生の真実が見えていないのだな、と思います。——『人生を動かす　賢者の名言』（池田書店）<br><br>　これは「国語教育の神様」と呼ばれる大村はま（1906年–2005年）という女性の言葉だ。私はこの名言に出合うまで彼女を知らなかったが、拙ページを訪れてくださる方のなかには現役の教師や元教師という方も多くおられるので、そのような方は彼女をごぞんじではないだろうか。<br><br>　彼女は国語教育に革命をもたらしたと言われる伝説的な教育者で、半世紀以上にわたって教育現場で奮闘した。<br>　教科書の内容をそのまま教えるだけの授業を否定し、独自で開発した単元学習を確立した。たとえば、社会で役立つ手紙の書き方、スピーチの仕方、記録の取り方といった実践的な内容だ。<br><br>　また、子供たちの興味を喚起するため、新聞記事や広告、文学作品などからプリントを手作りして授業で使ったりもした。当時は型にはまった授業があたりまえだったと思うが、そんな背景を考えれば画期的だったと言える。</p><p name="35ab98f7-6709-4774-8a94-a59efc9b62db" id="35ab98f7-6709-4774-8a94-a59efc9b62db">　彼女にしてみれば、「努力すれば、どんなことでもできる」というのは非現実的だったに違いない。その思いが「人間や人生の真実が見えていないのだな」という言葉に表れている。<br>　そして、「個人の能力や置かれた環境の違いを考えることなく、単純に努力の一言で括ってしまうのは教育者の怠慢」という考えにまでいたった。<br>　その通りと思う。カネにも時間にも恵まれた人と、逆境にある人とでは明らかに状況（条件）が違う。能力や体力だって異なるのだ。それを一括りで結論づけてはいけない。<br><br>　拙作で述べたことがあるが、いくら努力してもだめなものはだめなのだ。たとえば、オリンピックの金メダルは1種目で1人（1チーム）だけだ。それをめざして大勢の人たちが努力するが手にできるのはただ1人。<br>　いろいろな試験や事業などでも同じだ。努力が必ず実るなどという保証はない。<br><br>　ただし、ここが大事なのだが、努力は決して無駄にはならない。金メダルを獲得できなかったという点では実らなくても、それまでにしてきた努力は役に立つ。<br>　拙作「成るようにしか成らない」 で、「心身がタフになったり、人間としての器量が大きくなったりする。得られる知識や経験も多い。そういった副産物の存在は計り知れなく大きい」と述べた。<br><br>　ところで、これは私の推測だが、彼女が「努力すれば、どんなことでもできる」という考え方に異を唱えても、決して努力を否定したり無駄だと思っていたわけではないだろう。それどころか、努力を人一倍尊重していたのではないか。だからこそ、この言葉が生まれたのだと思う。<br><br>　うまいぐあいに、彼女の名言が載っている隣のページにエジソンの名言が載っていた。<br>　「物事が君の考えた通りに運ばなかったからといって、それが役に立たないということにはならない」<br>　ということなのだ。努力が苦手な私にはどっちにしても耳が痛い話だが。<br><br><br></p><br/><a href='https://note.com/bonpitsu_do/n/n1d51c56a7e9e'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/94621978/profile_8507a4b6a1e38d796533699415b5fb68.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>凡筆堂</note:creatorName>
      <pubDate>Tue, 24 Mar 2026 08:02:15 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/bonpitsu_do/n/n1d51c56a7e9e</link>
      <guid>https://note.com/bonpitsu_do/n/n1d51c56a7e9e</guid>
    </item>
    <item>
      <title>お若く見えますねと言われたら</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/259239017/rectangle_large_type_2_0489ba89545c7a294a92f6da1566cf24.jpeg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="78129e10-32a2-4c8c-8970-ec4d588ab214" id="78129e10-32a2-4c8c-8970-ec4d588ab214">　過去に書いたことがあるが、ある女性に「私、何歳くらいに見えますか」と訊かれたことがある。若く言ってほしいに決まっているから、大サービスして「40歳くらいですか」と答えた。それが、なんと大当たりだった。<br>　その女性はかろうじて笑顔を浮かべたが、お互いに気まずい思いだった。言うまでもなく、彼女はもっと若く見られることを期待していたはずだ。<br><br>「友人が『お若く見えますね』とお世辞を言うようになったら、老人になり始めていると思われるようになったと確信してよいだろう」——『名言・座右の銘1500』（ナガオカ文庫）<br><br>　ちょっと言い回しがややこしい気がするが、これはアメリカの文豪ワシントン・アーヴィング（1783年 –1859年）の言葉だ。<br>　たしかに、〝お若く見えますね〟の裏を返せば年を取ったと思われているということだ。若いと思われているならそんなふうには言われない。<br><br>　アーヴィングは諷刺や皮肉を持ち味とする作家で、アメリカ文学の父と称されている。茶目っ気のある性格で、人生の皮肉や滑稽さを上品なユーモアで包むやり方を得意とし、知識人としても知られる。<br>　創作では伝承や民話を再構築するのがうまく、ユーモラスでありながら不気味さをまぶすという独特の作風を築いた。代表的な作品のひとつに、日本でも知られている『リップ・ヴァン・ウィンクル』がある。<br><br>　ところで、原文がわからないが、「お若く見えますね」という言い方は、友人に言うにしては丁寧すぎないか（訳者の意向という可能性もあるが）。友人相手ならもっとラフに、たとえば「きみは同級生のなかじゃ若く見えるよな」などとなるほうが自然だ。<br>　だから、この名言の「友人」は「他人」や「周囲の人」などに置き換えたほうがいいように思う。あるいは「友人」は変えず、「お若く見えますね」をラフにして、「若く見えるね」としてもいい。<br><br>　自分のエピソードをもうひとつ。あるとき年配の男性に年齢を訊かれた。彼は私に「同年配とお見受けしましたが」と言ってから自身の年齢を明かした。私より10歳上だ。私が唖然としながら「あなたより10歳も若いですよ」と言うと、失礼しましたと言ってバツが悪そうに苦笑いした。<br>　彼の見立てがおかしかったのか、それとも私が老け顔ということなのか。ちなみに、そんな的外れな見立てをされたのは後にも先にもそれだけだ。<br><br>　若く見られたいのは世の常だ。誰でも年を重ねれば、あっちこっち気になるが、顔や頭髪は目に触れやすいから厄介だ。しわやほうれい線、下まぶたのたるみなどは呼びもしないのにしゃしゃり出てくる。<br>　比較的新しいと思われる、マリオネットラインなる言葉もある。腹話術の人形の口元を思わせる、口角からあごにかけての深い縦じわをいう。<br><br>　たとえ老人になり始めていると思われようと、やっぱり「お若く見えますね」と言われたほうがいいか。アーヴィングの名言が、深いしわのように心に刻み込まれる気がする。<br><br>　ところで、ヘッダー画像の「物事は捉え方次第、捉え方はその人次第」は凡筆堂の名言になるだろうか。<br><br><br><br><br><br>　名言シリーズスタートについて触れています。</p><figure name="4a788491-9b7e-4d0d-aca4-d8c716f6365c" id="4a788491-9b7e-4d0d-aca4-d8c716f6365c" data-src="https://note.com/bonpitsu_do/n/ne872a20ed63e" data-identifier="ne872a20ed63e" embedded-service="note" embedded-content-key="emb43c70727752f"></figure><br/><a href='https://note.com/bonpitsu_do/n/n11e26969a74f'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/94621978/profile_8507a4b6a1e38d796533699415b5fb68.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>凡筆堂</note:creatorName>
      <pubDate>Tue, 17 Mar 2026 08:56:19 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/bonpitsu_do/n/n11e26969a74f</link>
      <guid>https://note.com/bonpitsu_do/n/n11e26969a74f</guid>
    </item>
    <item>
      <title>「メモこそ命の恩人だ」という名言</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/257799846/rectangle_large_type_2_1212ba8ed5a6ad4e95331d6cc8f565b9.jpeg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="d1876ed6-39c9-49f9-af10-4ab4de60db79" id="d1876ed6-39c9-49f9-af10-4ab4de60db79">　買ったままろくに読んでいない本が少なからずある。なんとなくその気になったとき、そういう本に目を通す。一昨日の夜、晩酌をしながらそんなことをしていて見つけたのが「メモこそ命の恩人だ」という言葉だ。「名言・座右の銘1500」（ナガオカ文庫）に載っている。<br><br>　私は枕元にメモ用紙を置いている。布団に入ってから間もなくとか、夜中に目が覚めたときとかに、創作ネタのヒントや日常の予定に関することなどをしばしば思いつくからだ。<br>　メモが役に立ったことはずいぶんある。逆に、メモをできなかったために忘れてしまったこともずいぶんある。あとで思い出そうとするのだがむだ骨に終わった。だから、メモの重要さは身をもって痛感している。<br><br>　「名言・座右の銘1500」に話が戻るが、この本には解説がない。ただ単に『メモこそ命の恩人だ　トーマス・エジソン（発明家）』とあるだけだ。シンプルといえば聞こえはいいが、シンプルにもほどがあるとも思う。<br>　それはそれとして、しかたがないから自分で調べた。エジソンといえばよく知られているから説明は不要と思うが、やさしくて親切で気の利く私は一応説明する。<br><br>　エジソン（1847–1931）は生涯で1,000件超の特許を取得するなどしたアメリカの発明王だ。おもな発明に白熱電球、蓄音機、映写機などがある。<br>　そして「メモこそ命の恩人だ」だが、彼はメモ魔と呼んでもいいほどにメモを取った。思いつきはもちろん、失敗のデータや図などもメモしていたという。なにしろ、一説によると生涯に遺したメモは500万枚にのぼるともいわれているのだ。<br><br>　ところで、さっき「失敗」という言葉を使ったが、彼は失敗について「私は失敗したことがない。ただ、1万通りのうまくいかない方法を見つけただけだ」という名言を遺している。<br>　ちなみに、前述の白熱電球の開発では、高品質のフィラメントの素材を見つけるためだけに2,000回以上も試行したといわれている。たぶん、メモの数は数千枚にのぼったことだろう。そう考えると、500万枚を超えるメモを遺したというエピソードもぐんと真実味を増す。<br>　そんなエジソンだからこそ、まさにメモは命の恩人と言えるのだろう。ライフワークである発明をささえる大きな力になっていたのだから。<br><br><br>　ところで、この記事を書きながら、こういった名言を新シリーズとして展開できないだろうかと考えた。<br>　ただし、課題がないわけではない。名言は題材として使いやすいから、これまでにも手がけた人もおられるだろうし、現在展開中の人もおられるに違いない。そういった先達とは多少なりとも差別化を図らなければならない。<br><br>　とりあえずいくつかの工夫は思いついた。ひとつは〝よく知られたものは取りあげない〟こと。もうひとつは〝いかにもきれいにまとめられた、かっこうをつけた〟ようなものは取りあげないことだ。<br>　そして、もっとも肝心なことは〝単なる紹介や解説に終わらない〟ことだが、これがもっともむずかしい。〝おもしろくてためになる〟をめざしたいのだが、「凡筆堂版故事ことわざ辞典」ほどやわらかくはしたくない。それに、そんなことは不可能だと思う。<br><br>　うまいぐあいに落としどころが見つかったらやってみたい。この記事のような乗りでいいかな、などとも思ったりするのだが。<br>　いいアイデアが浮かんだら、とりあえずメモを取っておくことにしよう。<br><br><br><br></p><br/><a href='https://note.com/bonpitsu_do/n/ne872a20ed63e'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/94621978/profile_8507a4b6a1e38d796533699415b5fb68.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>凡筆堂</note:creatorName>
      <pubDate>Tue, 10 Mar 2026 11:28:55 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/bonpitsu_do/n/ne872a20ed63e</link>
      <guid>https://note.com/bonpitsu_do/n/ne872a20ed63e</guid>
    </item>
    <item>
      <title>ひな人形7,000体、ギネス認定祭り用へび</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/255982118/rectangle_large_type_2_1314213afe8940029a7e5dea611d9e00.jpeg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="a872e23c-8010-4145-b05f-2a1112708ba8" id="a872e23c-8010-4145-b05f-2a1112708ba8">　今日は桃の節句。群馬県沼田市利根町で開催中の「びっくりひな飾り」を紹介します。昨日、壮大なひな飾りとお祭り用の大蛇神輿を見に行ってきました。<br><br></p><figure name="6dd61cf3-bd68-44fa-b21b-c3aedb021d2e" id="6dd61cf3-bd68-44fa-b21b-c3aedb021d2e"><img src="https://assets.st-note.com/img/1772456558-CIVzahZ8vFR6nAO5BrWETgqJ.jpg" alt="" width="620" height="390"><figcaption>会場の「利根観光会館」。臨時のテントで、地元の野菜や工芸品などが売られている。</figcaption></figure><br/><a href='https://note.com/bonpitsu_do/n/n87d7efedc8d2'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/94621978/profile_8507a4b6a1e38d796533699415b5fb68.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>凡筆堂</note:creatorName>
      <pubDate>Tue, 03 Mar 2026 08:58:48 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/bonpitsu_do/n/n87d7efedc8d2</link>
      <guid>https://note.com/bonpitsu_do/n/n87d7efedc8d2</guid>
    </item>
    <item>
      <title>ミラー反応の小さな実験</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/254245965/rectangle_large_type_2_a26e9f51c542370685fe520b98dcf7ff.jpeg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="fdddd53f-efb6-4b11-9e62-d467af893404" id="fdddd53f-efb6-4b11-9e62-d467af893404">　ミラー反応は日常でもいろいろなシーンで見られる。人が複数いれば、相手さえいれば、いつでもどこででも起こり得る。<br>　少し前から、そのミラー反応の〝実験〟をしている。車の運転中や歩行中に、友人知人に出合ったら軽く片手を上げたりお辞儀をしたりする。今回は手を上げてみようか、それともお辞儀にしようか、などと作為的に行ない、その反応を見るのだ。<br><br>　ほとんどの場合、私がやったのと同じ動作が返ってくる。私が手を上げれば先方も手を上げ、お辞儀をすれば先方もお辞儀をする。いちいち記録しているわけではないし、必ずとは言えないがたいていそうなる。<br>　その際、相手は無意識に反応している。「凡筆堂が手を上げたからおれもそうしよう」などと思ったのではないはずだ。<br>　<br>　脳の働きとは関係なく、脊髄が直接判断して体を動かす反応を脊髄反射という。転びそうになったとき、とっさに手をつこうとするなどがそうだ。だが、ミラー反応はそれとは異なる。ちゃんと脳が仕事をしている。<br>　ミラーニューロンと呼ばれる神経細胞が、他者の感情や意図を自分のことのように捉え、動作をまねたり自分の行動として習得したりするのだ。<br><br>　あくびがうつるなどというが、これもミラー反応だ。あくびをしようと思ったわけではないのに、そばにいる人のあくびを見たとたん、ついやってしまう。経験がある人も多いに違いない。<br>　ミラー反応は喜怒哀楽などの感情表現にも作用する。もらい泣きなどはいい例だ。テレビの出演者が泣いたのを視聴者が見てもらい泣きしたり、告別式で声を詰まらせながら弔辞を読む人を見てもらい泣きしたりする。<br><br>　明るく元気な人といれば笑顔になったり気分が高揚したりするし、陰気な人と暗い話をしていればなんとなく落ち込んでくる。まさに言葉通り、鏡に映るかのように相手の言動が自分に反映されることになる。<br>　明るい人とつきあっていれば免疫力が上がるだろうけど、暗い人が相手なら逆にガタ落ちになるかもしれない。<br><br>　もしも、めちゃくちゃハイテンションな人とめちゃくちゃ暗い人が、人生について会話をしたらどうなるだろう。たぶん、話にはならないだろうし、なったとしてもミラーニューロンが機能しないのではないだろうか。ミラーニューロンだって相手を選ぶだろうから。<br><br><br><br></p><figure name="39635424-127d-4ce1-8756-bebde80ecb20" id="39635424-127d-4ce1-8756-bebde80ecb20" data-src="https://note.com/bonpitsu_do/n/na15dee666edc" data-identifier="na15dee666edc" embedded-service="note" embedded-content-key="emb8f2977f6e2d8"></figure><br/><a href='https://note.com/bonpitsu_do/n/n7f01fe195e26'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/94621978/profile_8507a4b6a1e38d796533699415b5fb68.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>凡筆堂</note:creatorName>
      <pubDate>Wed, 25 Feb 2026 09:06:06 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/bonpitsu_do/n/n7f01fe195e26</link>
      <guid>https://note.com/bonpitsu_do/n/n7f01fe195e26</guid>
    </item>
    <item>
      <title>同じ物か別物か、いったいどっちだ</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/252505809/rectangle_large_type_2_24671d6ab08aa367cfba1d850e7ce3b0.jpeg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="8dbb63c1-789b-456e-a00e-ae0906d3b3ee" id="8dbb63c1-789b-456e-a00e-ae0906d3b3ee">　一昨年、『細胞が生まれ変わって全身が新しくなる？』という記事を投稿したが、その後しばらくしてから、拙作と少々似た部分がある「テセウスの船」という話を知った。その話は物事のパラドックス（逆説）について述べたもので、Newton（ニュートンプレス）という科学雑誌に載っていた。<br>　ギリシアの哲学者で著述家のプルタルコスが、ギリシア神話のテセウスについて書いた話のなかに登場する。簡単にいえば以下のようになる。<br><br>　たくさんの板で作られた一隻の船がある。傷んだり古くなったりした板は順次新しいものに交換される。長い間に、一枚また一枚というぐあいに交換され、最終的にすべての板が新しいものに交換されてしまう。つまり、当初の板は一枚もなくなってしまうのだ。<br>　はたして、この船は「元の船と同じ船」といえるのか、という問題だ。<br><br>　板をすべて交換してしまったらもはや別物だろう、ということになるとしたら、いったいどのあたりから別物扱いになるのだろうか。板が全体の二割や三割入れ替わったくらいでは別物とは言えないだろう。半分程度か、それとも四分の三程度か。あるいはもっとか。<br><br>　それとは別の疑問もある。取り外した古い板を捨てずにすべて保管しておき、一式そろったらそれを使って船を再建する。つまり、古い板ではあるが元々使われていたものであり、元の船が再生されたことになる。この場合はどんな存在になるのだろう。<br>　これは、別の素材で作ったレプリカ（複製）などとはわけが違う。これこそまさに「元の船と同じ船」（というか、元の船そのもの）であるはずだ。<br><br>　このように、ある程度長い時間をかけてすべてが新しい板に交換された船と、元の古い板で再建された船は、どちらがほんとうの「テセウスの船」なのだろうか。どっちもほんとう、という声が聞こえてきそうだが、本来であれば本物はひとつのはずだ。<br><br><br>　テセウスはクレタ島でミノタウロスという怪物を退治し、一隻の船をアテネに持ち帰った。それで「テセウスの船」と呼ばれるのだが、Newtonでは怪物ミノタウロスについては触れていない。いったいどんな怪物なのか気になったので調べてみた。<br>「クレタ島を治めていたミノス王の妻パシファエが、牡牛と交わって産んだ子で、迷宮に閉じ込められ、生贄として送り込まれた人間を食べていた」<br>　というもので、頭が牛で首から下は人間だという。<br><br>　なぜ王の妻が牛と交わることになったのか、これはもっと好奇心をかきたてられたので調べたが、ここで説明するには少々複雑で紙幅を要するため、残念ながら割愛することにした。<br>　妻が牡牛に寝取られたのか、あるいは逆に妻が牡牛を誘ったのかなどと想像したが、そんな単純な話ではなかった。じつにおぞましい経緯がある。<br><br>　それはさておき、Newtonではこういったパラドックスは論理的思考が鍛えられると述べている。<br>　ちなみに、「テセウスの船」については「対象のどこに注目するかによってかわってくる。たとえば、船の材質、テセウスが乗船したかどうか、誰が作ったのか、などによって答えは異なる」のだそうだ。<br><br>　単なる構造物である船（の部品）と、生命活動を行なっている人間（の細胞）を同列で較べるのは不条理だが、『細胞が生まれ変わって全身が新しくなる？』について、ふと思いをめぐらせた次第。<br><br><br></p><figure name="2f329e0f-7f2b-423b-b05d-f91ee890f764" id="2f329e0f-7f2b-423b-b05d-f91ee890f764" data-src="https://note.com/bonpitsu_do/n/n716197c7fac3" data-identifier="n716197c7fac3" embedded-service="note" embedded-content-key="embba8f99bf2770"></figure><br/><a href='https://note.com/bonpitsu_do/n/n6816285b8031'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/94621978/profile_8507a4b6a1e38d796533699415b5fb68.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>凡筆堂</note:creatorName>
      <pubDate>Wed, 18 Feb 2026 06:43:10 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/bonpitsu_do/n/n6816285b8031</link>
      <guid>https://note.com/bonpitsu_do/n/n6816285b8031</guid>
    </item>
    <item>
      <title>ただは高くもあり安くもあり</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/250569197/rectangle_large_type_2_0a60d908ef28e544c2e9a49c2c060b10.jpeg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="c5f386b6-194d-401a-9465-4ff8b5e96e61" id="c5f386b6-194d-401a-9465-4ff8b5e96e61"><strong>〔解説〕</strong><br><br>　ことわざには、正反対や表裏の意味を持つものが少なくない。「ただより高いものはない」と「ただより安いものはない」などはその典型例だ。<br>　前者は「ただで物をもらったり理由のない好意を受けたりすると、お返しをしたり何か頼まれたりすることになり、結果的に高くつく」という意味であり、後者はストレートに「ただで手に入れたものがもっとも安い」という意味だ。<br>　当然、どちらが正しいなどとは言えず、状況次第ということになる。<br><br>（ここまでは事実ですが、以下は創作なので真に受けないでください）<br><br><br><strong>〔さらに解説〕</strong><br><br>　今回の格言制定は、日本格言制定委員会の高井安美委員（28）と安井高巳委員（33）による雑談がきっかけだった。<br><br>高井「このバッグ、ゴルフ仲間の男性にいただいたの」<br>安井「有名ブランドの〝ブッチ〟じゃん」<br>高井「彼、何かというとプレゼントしてくれるの。あたしはもらいっぱなしだから〝ただより安いものはない〟って感じ」<br>安井「その人、何か下心があるんじゃない？　だって〝ただより高いものはない〟っていうじゃない。あとで何か要求されるとか」<br>高井「食事や映画にも誘われるけど、みんな彼のおごり。ただより安いものはないから、断らないでどんどん行くの」<br>安井「その神経、うらやましいよ。おれなんか逆に〝ただより高いものはない〟を何回も経験してるよ。お人好しで律義なんだよな」<br>高井「来週の週末は泊まりで温泉に行こうって誘われてるの」<br>安井「ええっ!?　彼氏でもないのに泊まりで温泉!?　絶対狙われてるよ。ヤバイんじゃない？」<br>高井「お互い独身だから問題ないし、あたしだってたまにはアバンチュールを楽しみたいし」<br>安井「そそそ、その、その、つかぬことを訊くけど、おれが一晩つきあってくれって言ったら、その彼と同じ対応してくれるの？」<br>高井「安井さんはふだん何もプレゼントしてくれないからだめ。もしただで一晩つきあっても、あとで高くつくことになるわよ。安井さん、彼女いるんでしょ？　結局〝ただより高いものはない〟ってことよ。うふふ」<br><br>　二人から少し離れた場所で偶然この会話を聞いていた尾琴場会長の頭に閃いたのが〝ただは高くもあり安くもあり〟だった。そして、新格言の制定申請を自ら行なったのだった。<br>　なお、尾琴場会長は二人の会話を聞いたあと、『おれも高井委員と泊まりで温泉に行きたい』と妄想したようだった。<br><br><br><strong>〔街頭インタビュー〕</strong><br>（男性には女性が、女性には男性がインタビューしている）<br><br><strong>70歳（男）無職</strong><br>「ほう、新しいことわざができたのかね。ただは高くもあり安くもありか。たしかに、これなら柔軟に使えるな。ところで、どういうわけで新しく制定されたんだね。へ—、委員の人たちの雑談がきっかけ。なるほどね。で、その女性委員って、おねえさんかい？　違う？　なんだ、あんたが温泉にはいるところを想像しちゃったよ。ひっひっ」<br><br><strong>26歳（女）食品卸営業</strong><br>「ふうん、どういう場合でも使えていいわね。リバーシブルの上着みたいで使い勝手がいいじゃない。あたし？　そうねえ、私は気前よくどんどんあげるタイプ。でも、その割にお返しがもらえないから、逆の意味で〝ただより高いものはない〟かもね。ねえ、高級レストランのディナー券が二人分あるんだけど、今夜行きません？　だめ？　これじゃ高くも安くもないわ」<br><br><br><br><br><br></p><br/><a href='https://note.com/bonpitsu_do/n/n29e521f266db'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/94621978/profile_8507a4b6a1e38d796533699415b5fb68.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>凡筆堂</note:creatorName>
      <pubDate>Wed, 11 Feb 2026 08:40:07 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/bonpitsu_do/n/n29e521f266db</link>
      <guid>https://note.com/bonpitsu_do/n/n29e521f266db</guid>
    </item>
    <item>
      <title>首里城ほか、沖縄の見どころをいくつか</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/249048411/rectangle_large_type_2_8884fdc84fbaa306a771ed17c44a7e5b.jpeg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="caa10a43-fc33-458b-bc36-c24a96689f42" id="caa10a43-fc33-458b-bc36-c24a96689f42">　1月下旬、沖縄に行ってきた。本州では北陸などをはじめ各地が寒波の猛攻に遭っていたが、別に寒波から逃げたわけではなく、末娘一家に会いに行くスケジュールが偶然重なっただけのことだ。末娘は夫の仕事の関係で数年間だけ沖縄住まいとなっている。<br><br>　今回はキャプションも含め、文字はあまり多くならないようにします。気楽に写真で楽しんでいただければと思います。<br><br><br><strong>●北谷アメリカンビレッジ</strong><br>　北谷は地名で読みは「ちゃたん」。北谷町という町にある。このエリア全体がアメリカ西海岸の雰囲気をかもす大型シーサイドリゾートタウンになっていて、ショッピングや映画、食事などを楽しめる。<br></p><figure name="4f8b5d20-b698-4d32-be5f-77ee488741e1" id="4f8b5d20-b698-4d32-be5f-77ee488741e1"><img src="https://assets.st-note.com/img/1770189969-30cApwMnxjCIJvOeDhNHYSFb.jpg" alt="" width="620" height="413"><figcaption></figcaption></figure><br/><a href='https://note.com/bonpitsu_do/n/neb86415c7aa0'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/94621978/profile_8507a4b6a1e38d796533699415b5fb68.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>凡筆堂</note:creatorName>
      <pubDate>Thu, 05 Feb 2026 07:22:40 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/bonpitsu_do/n/neb86415c7aa0</link>
      <guid>https://note.com/bonpitsu_do/n/neb86415c7aa0</guid>
    </item>
    <item>
      <title>幸運の使者？ 黄金のスッポンに遭遇</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/247672466/rectangle_large_type_2_d99cbc812f4876d0ebb05352ce95f50f.jpeg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="8c979a8b-c739-4d47-bc83-ebab20b036e5" id="8c979a8b-c739-4d47-bc83-ebab20b036e5">　先週末から5日間、沖縄に行ってきた。その道中、海洋博物公園内の熱帯ドームセンターで開かれていた「沖縄国際洋蘭博覧会」に寄ってみた。そこで〝黄金のスッポン〟に遭遇した。<br>　タイトルで黄金とうたっているが、ぱっと見たときにはまさにそういう印象だった。なんかいいことがありそうだ、吉兆だ、と思ったほどだ。<br><br>　洋蘭博覧会の開催期間はわずか一週間程度（2月1日まで）だから、群馬県から行って偶然通りかかったにしては運がよかったというべきか。ただし、私は蘭に興味があるわけではなく、観たいというカミさんに仕方なくついて行っただけだ。<br><br></p><figure name="ae0bad94-d6ea-4bb8-9744-5591368bff6a" id="ae0bad94-d6ea-4bb8-9744-5591368bff6a"><img src="https://assets.st-note.com/img/1769677887-rWg65a9KbzQoZwHkpSYeIMsJ.jpg" alt="" width="620" height="413"><figcaption>これで一目瞭然と思うが、濃くて鮮明な黄色だ。</figcaption></figure><br/><a href='https://note.com/bonpitsu_do/n/n2c498f77bdfe'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/94621978/profile_8507a4b6a1e38d796533699415b5fb68.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>凡筆堂</note:creatorName>
      <pubDate>Fri, 30 Jan 2026 10:10:40 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/bonpitsu_do/n/n2c498f77bdfe</link>
      <guid>https://note.com/bonpitsu_do/n/n2c498f77bdfe</guid>
    </item>
    <item>
      <title>〔ナンセンス劇場〕　出がらし凡次郎　狸峠に陽は落ちて</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/244294051/rectangle_large_type_2_40d5f992ce6ba179382217f05f3175c3.jpeg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="7cd39e3d-7bca-4954-b304-158629bdadc5" id="7cd39e3d-7bca-4954-b304-158629bdadc5">　　　　　　　　　　　　　　　1<br><br>　その峠は、峠とはいっても名ばかりで、里山に毛の生えた程度の高さでしかない。その頂で、一人の男が道端近くの切り株に腰をおろし、いま歩いてきた道を振り返っていた。<br>　傷んだ三度笠に合羽、汚れた股引に脚半と草鞋。上州の地は侠客や渡世人の往来が少なくない。男はその端くれ、渡世人の出がらし凡次郎だ。<br>　あっしにはかかわりのねえことでござんす、という冷ややかなセリフで知られる有名な渡世人もいるが、出がらし凡次郎は正反対のキャラクターだ。お人好しで、どうでもいいことにかかわっては無駄骨を折ったり痛い目に遭ったりする。博打も喧嘩も弱いから用心棒にもなれず、旅先の地で地元の親分を頼り、一宿一飯の恩義にあずかるのがせいぜいだ。<br><br>　背後でかすかな音がした。振り向くと、これから向かおうとしている方向から一人の僧が歩いてくる。だが、ようすが変だ。少し前かがみになって片手で腹を押さえている。<br>　僧は道からそれると切り株に近づいてきた。網代笠から覗く顔は尼僧と見てとれた。何か言いたそうだが、口をきくのもつらいようだ。<br>「どうなさいやした」<br>　お人好しの凡次郎はためらうことなく声をかけた。<br>「突然、差し込みが」<br>　苦痛のせいで、左右の眉がハの字、口がヘの字になっている。ハの字の真ん中、眉間には縦じわが寄っている。<br>「食あたり、だと思います。そこの林を、厠の代わりにして……」<br>　と言い、見ないでくださいねと付け加えて林の中へ消えていった。<br>　見るもんか、と凡次郎は心の中で毒づいた。いくら能天気でも、排便しているところなど見たくない。いや、尻だけなら見てみたい。尼僧の尻なら、拝めば何かご利益があるかもしれない。</p><p name="84a5778e-92b1-4877-a0d6-014a24151f07" id="84a5778e-92b1-4877-a0d6-014a24151f07">　しばらくすると尼僧が戻ってきた。失礼いたしました、と恥ずかしそうに言いながらすぐそばの切り株に腰をおろした。<br>　道の両側は丈の短い草が生えた原になっていて、いくつもの切り株が秋の陽射しを受けている。木の伐り出しが行なわれたのだろう。<br>　凡次郎は、少し休んでいったほうがよござんすよ、と言いながら尼僧を目で舐めまわした。顔は甲乙丙丁でいえば乙と丙のど真ん中。並みの面相だがどことなく色気がある。年のころは四十前後。脂が乗った女盛りだ。<br><br>　　　　　　　　　　　　　　　2<br><br>「わたくしが用を足しているところを見なかったでしょうね」<br>　上目づかいで、微笑するように言った。淫猥な雰囲気をはらんでいる。僧にしては異様な艶っぽさだ。意図的なのか、もともとそうなのか。どっちにしても、こんな坊主に経を唱えられては成仏できまいと思った。<br>「ご冗談を。尼さんともあろうお方が何をおっしゃいやす。尼さんの尻を盗み見たとなれば地獄に堕ちやしょう。それとも、尼さんの尻には尻尾でも生えていやすかい」<br>　自分の言った言葉にはっとした。尻尾！　冗談まじりの皮肉を言ったつもりだったが、その言葉で、峠ののぼり口で出合った老婆の話を思い出した。<br><br>　目も口もしわも見分けがつかないような顔の老婆だった。<br>「旅のお方、この峠を越えなさるか。この峠は狸峠というんじゃがな」<br>　訊きもしないのに話しかけてきたのだった。<br>「狸がうんとおって、よそ者や旅人を狙いおる。あやつらは人間をたぶらかしておもしろがるんじゃ。気いつけて行かっせえよ」<br>　凡次郎は、自分の口から出た尻尾という言葉でそれを思い出したのだ。<br><br>　ひょっとしたら、この尼僧は狸が化けているのかもしれない。尼僧にしてはどことなく俗っぽいし、差し込みというのは演技ではないか。<br>「冗談ですよ。旅人（たびにん）さんがのぞいたなんて、少しも思っていませんよ」<br>　尼僧はそう言って笑い、言葉を続けた。<br>「旅人さんはけっこうな男前だから、女子（おなご）がほうっておかないでしょう」<br>　ばかに饒舌で褒めじょうずだ。<br>「そんなことはござんせん。あっしなんざあ、からっきしの意気地なしで。おなごのおの字も縁がござんせん」<br>　おい尼僧、さっきまでの腹痛はどうなったのだ。そんなにすぐ治るのか。凡次郎よ注意しろと、頭の中で警報が鳴りはじめた。<br>「ところで旅人さん、この峠は狸峠と呼ばれているのをごぞんじですか」<br>「へい、承知しておりやす。峠ののぼり口でちょいと耳にはさみやした」<br>「もしや、目も口もしわも見分けがつかないような顔の老婆に出会ったのではありませんか」<br>「よくごぞんじで」<br>「その婆さま、狸の頭領かもしれませんよ」<br>　この尼僧そのものが怪しいのに、あの奇怪な老婆まで疑惑の土俵にあがってきた。だが、そう言われてみればたしかに怪しい。あの大げさなしわは不自然だ。化けそこなったのかもしれない。<br>「いやに詳しいでござんすね。尼さんは地元のお寺さんでござんすか」<br>「いいえ、わたくしは雲水（うんすい）です。諸国をめぐって修業中の身です。だからいろいろな話を耳にするのです」<br>　尼僧は、凡次郎とは反対側からのぼってきたのだから、あのしわくちゃ婆には遭っていないはずだ。<br>「旅人さん、もしや、わたくしを狸とでも——尻尾が生えているかどうか、お尻をお見せしましょうか。ほほほ」<br>　林の中へはいるときには見ないでくださいねと言っていたのに、いまは下ネタの冗談を言っている。やはり雌狸か。<br><br>　　　　　　　　　　　　　　　3<br><br>　おれが狸にたぶらかされているとしたら——通行人が見たらさぞや滑稽だろう。凡次郎自身は尼僧と話をしているつもりでも、通行人の目には、間の抜けた渡世人が切り株に向かって独り言を言っているように見えていたりするのかもしれない。<br>　あのしわくちゃ婆は、気をつけて行かっせえと言った後、実際にたぶらかされた旅人の話もした。<br>「その旅人はな、うめえもんを食っているつもりで、じつは落ち葉を食ってたんだと。それで、酒だと思って飲んでたのは水たまりの泥水だったんだとさ。おめえさん、色男だから、雌狸に狙われるかもしれねえな。すけべ心を起こさねえほうがいいぞ。ひっひっ」<br>　しわに埋もれた口でそう言っていたのだった。<br><br>　尼僧も老婆も狸の一味か。どうすればたぶらかしを見破れるのか。おまえは狸か、などと訊くわけにはいかない。いや、訊いてもまともに答えるわけがない。<br>　通行人は相変わらず凡次郎と尼僧を見ながら通り過ぎて行く。ひょっとしたら、通行人もすべて一味で、凡次郎をおもしろがって観察しているのかもしれない。あり得る。凡次郎がただ一人間抜け役を演じているのか。<br><br>　尼僧が僧衣の裾をいきなり膝までまくりあげた。<br>　凡次郎は目を剥いた。ついに強硬手段に出たか。<br>「何か虫が入ったような」<br>　慌てたようすで僧衣の中をまさぐっていたが、どうやら気のせいだったようですと言って僧衣を整えた。そして、誘うような上目遣いで凡次郎にほほえんだ。<br>　怪しい。不自然だ。こんなシチュエーションはあり得ない。好色な雌狸がたぶらかそうとしているに違いない。あの老婆が忠告したではないか。おめえさん、色男だから、雌狸に狙われるかもしれねえな。すけべ心を起こさねえほうがいいぞ、と。<br><br>　　　　　　　　　　　　　　　4<br><br>　どうする凡次郎。鼓動が速まり、手には汗を握っている。いっそのこと叩っ斬るか。なまくら刀とはいえ狸くらいは造作もない。いや待て、狸でなくて人間だったらどうする。大変なことになる。ましてや尼僧だ。エロい尼だが僧には違いない。<br>　無難な策はトンズラだ。逃げるのだ。女が怖くて逃げるのは面目丸つぶれだが、人を殺めたり狸の笑いものにされるよりはましだ。<br><br>「あっしは陽が落ちるまでに馬尻村の馬五郎親分の賭場へ行かなきゃならねえ。これで失礼しやす」<br>　少しかっこうをつけたつもりで言って立ちあがった。すると尼僧も立ちあがり、凡次郎をまじまじと見つめた。<br>「せっかく出逢いましたのに。もっとお話をしとうございましたわ。だいぶ日も傾いてまいりましたが、狸に化かされぬようお気をつけてどうぞ」<br>　おちょくられている。小ばかにされている。舐められている。この尼僧が人間であろうと狸であろうと、一刻も早く離れたかった。<br>「とにかく、尼さんも道中ご無事で。ごめんなすって」<br><br>　少し歩いたところで凡次郎は振り返った。原から道へ出た尼僧の後ろ姿が目に映った。尻に目をやったが尻尾は生えていない。いや、生えていても見えるわけがない。そんなへまはやるまい。<br>　いったいなんだったのだ。しわくちゃ婆も尼僧も本物の人間だったのか。自分が勝手に疑心暗鬼にとらわれていただけなのか。あの老婆が言ったことは嘘だったのか。<br>　それとも、いまもまだ狸の術中でもがいているのだろうか。どこかで狸が見ていて、凡次郎を笑っているのだろうか。<br>　わけがわからないまま、馬五郎親分の賭場をめざして歩きはじめた。<br><br>　　　　　　　　　　　　　　　5<br><br>　陽が山の端に落ちて間もなく、すべての切り株がもぞもぞと動き出し、尻尾が出て脚が出て、しだいに狸の姿に変わっていった。<br>　二十数匹の狸が原の真ん中に集まると頭領が声をあげた。<br>「やあ、みんな朝早くからご苦労さん。きょうはぽん吉の提案で切り株に化けたけど、初めての試みで実りがあった。特に、最後の渡世人と尼僧は予想以上におもしろかった」<br>　ほかの狸たちもわいわいと雑談を始めた。<br>「渡世人も尼僧も久しぶりだったから、わくわくしたわ」<br>「渡世人がしきりに疑ってたけど、おれたちが切り株に化けているなんて夢にも思わなかったろうな」<br>「狸は人間に化けるっていう固定観念にとらわれているんだろう」<br>「あんな小心者でよく渡世人なんかやってられるよな」<br>「おれはまさか尼僧に座られるとは思わなかったぜ。尼僧の尻って、なんだか高貴な感じだったぜ」<br>「とっさに虫を思わせたのはよかった。足もとの草をちょっと揺らしただけなんだけどさ」<br>「渡世人がしわくちゃ婆さんまで疑うとは思わなかったよ。儲けもんだ」<br>　ふたたび頭領が声を発した。<br>「さて、話に花が咲いているところをすまないが、そろそろ準備をはじめてくれんか。今夜の狸囃子は盛大にやろうぜ」<br>　その晩の狸峠には、遅くまで狸囃子が響きわたったのだった。<br><br><br><br><br>　おしまい。<br><br><br><br><br></p><br/><a href='https://note.com/bonpitsu_do/n/n381639055fcd'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/94621978/profile_8507a4b6a1e38d796533699415b5fb68.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>凡筆堂</note:creatorName>
      <pubDate>Tue, 20 Jan 2026 10:12:15 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/bonpitsu_do/n/n381639055fcd</link>
      <guid>https://note.com/bonpitsu_do/n/n381639055fcd</guid>
    </item>
    <item>
      <title>牛が嘶き（いななき）馬が吼える</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/243209372/rectangle_large_type_2_98aa9913f5def437fd6f1eb9de750d28.jpeg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="fd5f3c24-c45e-45f9-b423-15e7722f3c00" id="fd5f3c24-c45e-45f9-b423-15e7722f3c00">　前回の記事「馬にまつわる俗信あれこれ」の〝ことわざ版〟のつもりで、今回は馬のことわざを特集しようと思った。<br>　そこで『成語林』（旺文社）を開いてみたが、馬に関する故事やことわざが67個も載っているではないか。いや、67個では多すぎるだろう。やはり断捨離に限ると思って1個に絞った。いや、1個では絞りすぎだろうが。<br><br>　それはともかく、「エッチの意外な語源」で述べたように、この「今日もお気楽」シリーズは当初のスタイルに立ち返るのだ。<br><br><br>「牛が嘶き馬が吼える」ということわざがある。意味は「物事の道理が反対になることのたとえ」で、「石が流れて木の葉が沈む」と同じだ。<br>　私は意味よりも「いななく」という言葉のほうに興味を持った。馬はほかの動物と異なり、「いななく」という独特の表現をする。馬以外で「いななく」という表現をする生き物を私は知らない。たとえば「春先になると犬がいなないてうるさいね」などとは言わない。<br><br>　もしも小学生に、「おじさん、いななくってどういう意味ですか」などと訊かれても私は即答できない。鳴くでもなければ啼くでもないし、吼えるでもない。<br>　だから、小学生に訊かれても「うーん、なかなかいい質問だね。おじさんは知っているんだけど、いま教えてはきみのためにならないから、家に帰ったら自分で調べてごらん」なんて言ってごまかそう。<br><br>　苦しいときの神頼み。こういうときは神ならぬ辞書にすがりつくに限る。中型辞典の『大辞林』は次のように説明している。<br><br>〔「い」は馬の鳴き声〕馬が声高く鳴く。いなく。<br><br>　なんと「い」だけで馬の鳴き声のことを表しているというのだ。それなら馬にだけ遣う表現というのも納得だ。<br>　せっかくなので小型辞典もいくつか引いてみた。<br><br>〔稚〕馬が「ひひーん」と高く大きく鳴く。（三省堂国語辞典）<br>馬が声高く鳴く。（岩波国語辞典）<br>〔「い」は馬の鳴き声。現代語のヒンに当たる〕馬が声高く鳴く。（新明解国語辞典）<br>馬が声高く鳴く。（旺文社国語辞典）<br><br>　岩波書店と旺文社は素っ気ない。編集作業に飽きたのだろうか。いや、そんな失礼なことを言ってはいけない。その社の編集方針なのだ。<br>　新明解の『現代語のヒンに当たる』というのは秀逸。<br>　いやあ、正月早々勉強になった。とにかく、一応「いななく」は解決したことにしよう。午年、めでたしめでたし。<br><br><br></p><figure name="1b7d183e-0a29-465f-a1e9-b84dbdf208b5" id="1b7d183e-0a29-465f-a1e9-b84dbdf208b5" data-src="https://note.com/bonpitsu_do/n/nf987d7f4f9c1" data-identifier="nf987d7f4f9c1" embedded-service="note" embedded-content-key="emba74dd81dcfa0"></figure><br/><a href='https://note.com/bonpitsu_do/n/naa09af3c2910'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/94621978/profile_8507a4b6a1e38d796533699415b5fb68.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>凡筆堂</note:creatorName>
      <pubDate>Tue, 13 Jan 2026 06:57:35 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/bonpitsu_do/n/naa09af3c2910</link>
      <guid>https://note.com/bonpitsu_do/n/naa09af3c2910</guid>
    </item>
    <item>
      <title>馬にまつわる俗信あれこれ</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/241233219/rectangle_large_type_2_49ff215c5fcb66b5a28e26651993ecf5.jpeg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="09aeb4e7-2bf0-4bd7-8c53-1473e0590128" id="09aeb4e7-2bf0-4bd7-8c53-1473e0590128">　昨年最初の記事は干支の蛇にまつわることわざや俗信を取りあげた。書いていた自分でもおもしろかった。能天気な私はそれに味をしめ、今年は馬を取りあげることにした。<br>　馬は昔から人間との関係が深かったからことわざや俗信も多い。そのためだろうと思うが、『日本俗信辞典』（角川ソフィア文庫）の馬の項はほかの動物よりかなりページ数が多い。ここではほんの一部、小項目「馬の夢」からだけ拾い出した。<br><br>　干支の夢は吉や凶の兆しとされることが多い。馬も例外ではない。ただ単に馬が登場すればいいことがあるというのは、岩手・秋田・宮城・福島・千葉・富山・長野・滋賀・奈良・岡山・愛媛・鹿児島など。夢を見た当人が吉と思えばそれが「いいこと」で、具体的な決まりはない。<br><br>　長野や愛知では少し具体的で「お金が入る」、富山では「蚕が良い」。<br>　石川では「夢を見てから三日後にそこへ行くと何かがある」。そこへ行くといっても場所を特定できなければ行けない。特定できたとしてもエベレストや南極だったら大変だ。しかも三日後と指定されているし忙しすぎる。<br><br>　反対に、馬が登場するだけで凶なのは、秋田と新潟の「縁起が悪い」、宮城・福島の「お金がなくなる」。秋田と長野は「喧嘩をする」だが、長野には「家内と喧嘩する」という、相手を妻に絞ったバージョンもある。<br>　「家族が発熱」は沖縄だけだが、「風邪の兆し」は秋田・宮城・福島・新潟・富山・岐阜・長野・愛知・三重・奈良・和歌山・広島と広範囲だ。<br>　「人が死ぬ」という強烈なのは広島と沖縄だが、沖縄には「身内の者が死ぬ」という身内限定バージョンもある。長野では「火事に遭う」し、和歌山県有田市では「火事に遭うのを避けるために観音様に詣でる」となる。<br><br>　天気に関するものもあり、秋田は「大水」で長野は「雷」。その長野は、黒い馬の夢なら雪になるというが、冬以外は雪は無理だ。新潟では馬が跳ねた夢で「天気がよくなる」。晴れてもらいたかったら馬の尻でもつついて跳ねさせればいいが、夢に見なければならないのだからまず不可能だ。<br><br>　福井や岡山では、馬に追われる夢で「縁起が良い」。石川は「土蔵の前に物が落ちている」とされるが、どんな物が落ちているのだろう。きっと金目の物だろう。まさか馬糞や粗大ごみなどではあるまい。<br>　青森・静岡・愛知では馬の夢を見ると「風邪を引く」し、新潟では「病気の前兆」となる。<br><br>　珍しいところでは馬に噛まれた夢というのがあり、秋田では「早死に」だが、反対に長野では「病気が治る」。夢はともかく、馬に噛まれる人ってどのくらいいるだろうか。<br>　群馬では、馬が家に飛び込む夢は「お金が入る」というが、自分の家でなく、よその家でもいいのだろうか。というのは、富山の場合は「自分の家に入った夢はお金が入る」と、自分の家に限定しているのだ。群馬では、他人の家に飛び込んだのを目撃しただけでもお金が入るのだろうか。いや、やはり自分の家だけだろう。<br>　長野では「馬が台所へ上がった夢は良い」と、場所まで限定している。<br><br>　秋田には「馬の穀物の夢は良いことがある」のほか、「馬糞を踏んだ夢はお金を拾う」というのがある。自分でわざと踏んでもいいのだろうか。カネが入るなら馬糞くらいいくらでも踏む。自分で踏むのがいやなら誰かに踏ませて分け前をあげるという手もある。<br>　運よく金を拾ったとしても、拾ったカネは警察などに届け出なければ遺失物等横領罪などに該当する可能性もある。そんなことになるなら届けたほうがいい。落とし主が見つからなければ全額もらえるし、落とし主が名乗り出ても、少なくとも一割はもらえる。いや、夢も見ていないのに、そんなことを大まじめ考えてどうする。<br><br>　群馬県利根郡には「一頭なら吉兆だが三頭なら凶兆」というのがある。群馬は「群れる馬」と表記するくらいだから多いほうがいいと思うけど。それに、一頭か三頭かという二択もむずかしい。<br><br>　和歌山県東牟婁郡（ひがしむろぐん）では「馬に乗った夢は出世する」そうだが、秋田県鹿角郡では詳細に「神馬に乗って富士山のような高い山を越える夢を見れば家は必ず繁盛する」という。それにしても、神馬とはハードルが高すぎる。<br><br>　岩手県陸前高田市では「春の馬は春駒といって良いことがある」、秋田や宮城でも、春駒そのものや、それが駆ける夢は縁起良しとされる。愛媛県の郡部では「春の夢は縁起が良い」とする（春の夢というのは、春の馬の夢と思われる）。<br>　長野県北安曇郡、宮城、富山では「馬の初夢を見るとその年は良い」としているが、夢は夢でも初夢に限定だ。<br>　群馬県利根郡では「正月のうちに馬が飛び込んだ夢は蚕が当たる」とされるが、正月を過ぎてからでは無効なのだろうか。<br><br>　ほかにも、白い馬の夢を見るとお金が貯まる（富山）、東枕で白い馬の夢は悪い（秋田・宮城）、白い馬の夢は人が死ぬ（秋田）などがある。<br>　馬の夢を見る原因は、仏様への信仰がたりない（群馬）、観音様に不信心の証、観音様のおとがめだから観音様へ詣でる（新潟・長野・和歌山）、馬に追われた夢は観音様のお叱りだから詣でる（広島）、馬の夢を見るのは金比羅様へお参りをしろというお告げ（愛媛）などがある。<br><br>　こんなぐあいでさまざまだ。いくつもの県で共通するものや、わずかな郡部などにしか伝わっていないマイナーなものまでバラエティーに富むが、いずれもその地域の風土風俗に育まれてきたものだ。<br>　その夢の解釈の根拠も謎だらけで好奇心をくすぐられる。馬の夢も、なかなか味わい深くておもしろいではないか。<br><br><br></p><figure name="925172d0-5c5e-47a4-a987-0c648b932a8e" id="925172d0-5c5e-47a4-a987-0c648b932a8e" data-src="https://note.com/bonpitsu_do/n/n14fcc592c9eb" data-identifier="n14fcc592c9eb" embedded-service="note" embedded-content-key="embd9f67d73716d"></figure><br/><a href='https://note.com/bonpitsu_do/n/n5d3a0e1c1b2d'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/94621978/profile_8507a4b6a1e38d796533699415b5fb68.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>凡筆堂</note:creatorName>
      <pubDate>Tue, 06 Jan 2026 12:37:12 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/bonpitsu_do/n/n5d3a0e1c1b2d</link>
      <guid>https://note.com/bonpitsu_do/n/n5d3a0e1c1b2d</guid>
    </item>
    <item>
      <title>人に物をあげるときは要注意</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/239609389/rectangle_large_type_2_644804979e6e9975f9bb5fcf66353be8.jpeg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="20a13838-f8a8-4b5f-a409-4ed172ebe626" id="20a13838-f8a8-4b5f-a409-4ed172ebe626">　前回の記事で、わが道を行くM子に野菜の苗をあげたエピソードを取りあげた。M子は「いいやつをちょうだい」と、本心丸出しのセリフを吐いた。同級生だから気楽に言ったのかもしれないが、よそでも同様だと思う。いい年をした社会人なのだから、それなりのたしなみを身につけたほうがいい。<br>　私は「いいやつを」なんて言われなくても、ちゃんとしたものをあげるつもりだったのだ。<br><br><br>　　　　　☆　　　　　☆　　　　　☆<br><br><br>　知人S美さんは、伝統工芸の保存に携わる、着物が似合う上品で知的な中年女性だ。かなり前のことなのではっきりした記憶ではないが、何かのお礼としてS美さんから菓子折りをいただいた。<br>　帰宅して箱の裏の品質表示を見たら賞味期限が過ぎていた。ついうっかりというパターンだと思うが、見かけとは裏腹の人格だったことに驚いた。<br>　自分で買って使いそこねたままでいたのか、いただきものを使い回ししたのか、そこまではわからないが、意外な一面が露呈した形だ。<br><br><br>　教師を定年退職し、亡夫が遺した小さなぶどう園をついだK代さんは、拙宅の近所のE子さんと同世代で仲良しだ。よくE子さんにぶどうをあげる。そしてE子さんは、それを近所にお裾分けすることがある。<br>　私も数回お裾分けにあずかったことがあるが、K代さんのぶどうは見るからにできの悪いものばかりだ。どんな理由でE子さんにあげるのか、他人事（ひとごと）ながら気になる（E子さんはいいものを自分で取って、くずを近所にあげるような人物ではない）。<br>　いろいろな理由が考えられるが、じつは、K代さんの人物評はあまりよろしくないという事実がある。<br><br><br>　Y雄さんの娘さんは結婚を機に隣町で菓子パンの店を開業した。売れ残った商品をときどき実家、つまりY雄さんのところへ持ってくる。もちろん賞味期限が過ぎているものばかりだが、ここまでは親子の間なので問題なし。<br>　Y雄さん家族は少人数で食べきれず、しばしばT子さんにどっさりあげる。二人家族のT子さんも食べきれず、拙宅に持参する（拙宅では状況に応じ、いただくかどうか判断する）。<br>　賞味期限切れというだけで廃棄するのはもったいない。賞味期限は余裕を持って設定するから、物にもよるが少しくらい過ぎたからといってもたいていは影響がない。<br>　ただし、過去にはカビが生えていたこともあったから油断は禁物だ。この場合は、Y雄さんが娘さんからもらった後、何日か無造作に保存していた可能性がある（T子さんはいただけば当日内に拙宅へ持ってくる）。<br><br><br>　人に物をあげるときは要注意だ。B級品やキズ物であれば、「これこれこういうわけですけど、もしよかったら云々」など、一言付け加えたほうがいい（この記事をお読みの方々はそうされていると思いますが）。そうでないと、思わぬ失敗をしたり信用を失墜したりする恐れがある。<br><br><br>　　　　　☆　　　　　☆　　　　　☆<br><br><br>　話は変わりますが、no+eを開始して本日で丸3年になりました。スタートは2023年1月1日でした。<br>　拙いページではありますが、大勢の皆さんが読んでくださり、スキやコメントをくださいました。フォローしてくださった方も少なくありません。<br>　心の底から厚く感謝とお礼を申しあげます。また来年もよろしくお願いいたします。<br>　皆さま、どうぞよいお年をお迎えください。<br><br><br><br></p><figure name="a1687e7a-a4b9-4e9f-90c3-83eaab1b8f7f" id="a1687e7a-a4b9-4e9f-90c3-83eaab1b8f7f" data-src="https://note.com/bonpitsu_do/n/n84448e755273" data-identifier="n84448e755273" embedded-service="note" embedded-content-key="emb830551f1a04c"></figure><br/><a href='https://note.com/bonpitsu_do/n/n3ba75e20ffbc'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/94621978/profile_8507a4b6a1e38d796533699415b5fb68.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>凡筆堂</note:creatorName>
      <pubDate>Wed, 31 Dec 2025 09:12:14 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/bonpitsu_do/n/n3ba75e20ffbc</link>
      <guid>https://note.com/bonpitsu_do/n/n3ba75e20ffbc</guid>
    </item>
    <item>
      <title>わが道を行くM子ふたたび</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/238115981/rectangle_large_type_2_8361c96acec302f34e9e5994b8547673.jpeg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="6226f28f-9d54-43df-8bad-8c31feb4095f" id="6226f28f-9d54-43df-8bad-8c31feb4095f">　2025年もあとわずかだなと、感傷的な雰囲気に浸っている今日このごろ、皆さまはいかがお過ごしでしょうか、などという上品な話ではないが、これで今年の厄を落とすつもりでお読みいただければ幸い。<br>　拙作「学校の勉強はできるけど」で、自分ファースト全開の所業を披露した同級生のM子は、その後も相変わらずわが道を行く所業を展開しつづけている。<br><br>　　　　　☆　　　　　☆　　　　　☆<br><br>　飽きっぽい私だが、まじめに野菜を栽培したことがある。苗がたくさんできると友人や知人に分けてあげる。M子にも声をかけたことがあった。<br>　M子はすぐにやってきて苗を一瞥すると「いいやつをちょうだい」と言い放った。私は驚いた。は？〝いいやつを〟だと？　普通なら遠慮がちに「ただでもらうんだから、捨てるようなのでいいわよ」とでも言うべきだろう。<br><br>　　　　　☆　　　　　☆　　　　　☆<br><br>　やや遠方に住んでいるT郎は、趣味で栽培している果物が豊作だった。T郎は、私が住む地区（T郎の出身地でもある）の同級生に分けてあげたくてM子のもとに持ちこみ、配ってほしいと頼んだ。<br>　しかしM子は、自分の分をちゃっかりもらったうえで、「あたしは忙しいから凡筆堂くんに頼んで」と断った。T郎はしかたなく私のところへ持ってきた。私は同級生に配り歩いた。ちなみに、私はM子より忙しい。<br><br>　　　　　☆　　　　　☆　　　　　☆<br><br>　私は今年の三月まで、地元の神社の氏子総代（選挙で任命）を仰せつかっていた。祭りでは幟（のぼり）立てをはじめ、拝殿の清掃や飾りつけなどの指揮もする。<br>　M子は偶然にもその年度の祭り世話人（隣保班単位での回り持ち）の一人だった。いつもは拝殿担当だが、何を思ったか幟立てのところへ来た。<br>　そして、それはああじゃないのか、これはこうじゃないのかとか、あら、そういうふうにするのねとか喋り通していた。M子以外の人たちは要領を心得ている。M子は邪魔以外のなにものでもなかった。<br><br>　　　　　☆　　　　　☆　　　　　☆<br><br>　私は四月から隣保班の班長をしている。各戸あての配布物があれば郵便受けに入れる（もちろん、ただ入れるだけで用件が済むものに限る）。郵便受けに入れるのは郵便物だけという論はさておき、私はM子宅の郵便受けに複数の印刷物を入れた。<br>　私にとっては不運なことにM子は在宅だった。M子は笑顔でご苦労さまと言ったあと、入れ方についてのいらぬ講釈を展開した。<br><br>　　　　　☆　　　　　☆　　　　　☆<br><br>　夏のはじめ、M子宅の近くで呼び止められた。年度が改まっていたから私は氏子総代を退任していたし、M子も祭り世話人の役を終えていた。<br>　M子は過日、新総代と雑談をしていて予算の話になった。それについて私の意見を聞きたいと言った。面倒だったので、新任と話をすればいいじゃないかと突っぱねた。<br>　私もM子も役から解放されている。同級生からの頼みごとは断るくせに関係ないことにちょっかいを出す。<br><br>　　　　　☆　　　　　☆　　　　　☆<br><br>　わが道を行くM子は地区の人たちによく知られている。一言二言意見してやりたいという人もいるが、面倒だから誰も言わない。<br>　ただ、M子が悪人でないのは確かで、それが救いといえば救いだが、そんなM子にストレスはあるのだろうか。わが道を行くM子という言い方もいいが、ストレスフリーM子というのもいいかな。<br><br><br></p><figure name="87ebd8f5-1728-40c5-95fb-eb224c327e97" id="87ebd8f5-1728-40c5-95fb-eb224c327e97" data-src="https://note.com/bonpitsu_do/n/n0dd65dc5c129" data-identifier="n0dd65dc5c129" embedded-service="note" embedded-content-key="emb237c6c0325ab"></figure><br/><a href='https://note.com/bonpitsu_do/n/n84448e755273'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/94621978/profile_8507a4b6a1e38d796533699415b5fb68.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>凡筆堂</note:creatorName>
      <pubDate>Tue, 23 Dec 2025 10:03:21 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/bonpitsu_do/n/n84448e755273</link>
      <guid>https://note.com/bonpitsu_do/n/n84448e755273</guid>
    </item>
    <item>
      <title>「エッチ」の意外な語源</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/236293146/rectangle_large_type_2_d5d92c385dabb6873ef2528ac64ef5f9.jpeg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="c50d5134-71eb-4bd0-bf07-6240edc65735" id="c50d5134-71eb-4bd0-bf07-6240edc65735">　この「今日もお気楽」シリーズは「能天気エッセイ」の軽量版という位置づけだったが、いつの間にか同じようなスタイルになってしまい、境界が曖昧になってしまった。<br>　そこで初心に返り、本来のスタイルに戻ることにした。スタート初期は内容も軽く、文字数も少なかった。それが意図するところだった。<br>　そのころの雰囲気がわかるよう、記事二つのリンクを張って（貼って？）おきます。<br><br><br>　　　　　　☆　　　　☆　　　　☆<br><br><br>　買っただけでほとんど使っていなかった三省堂「新明解語源辞典」の全ページ（1,015ページ）を1ページずつめくり、項目だけではあるが一通り目を通してみた。その中に興味を惹かれた項目がいくつかあった。そのひとつが「エッチ」だ。<br>　ちなみに、この辞典より大きい語源辞典をほかに3冊持っているが、そのいずれにも「エッチ」は載っていない。さすが〝新明解〟だ。<br><br>　私が初めてエッチという言葉を耳にしたのは中学生のときだったと思う。休み時間だったか、クラスの女子の雑談に出てきたのが聞こえたのだ。私はアルファベットのHしか知らなかったが、何かほかに意味がありそうだということはわかった。<br>　どんな意味があるのか、その場で女子たちに訊けばよかったがタイミングを逃した。帰宅してから父に訊いたが「HはHだ」と言うだけだった。私同様、アルファベットのHという認識しかなかったのだ。<br><br>　それからしばらくして、どうやら「変態」のローマ字表記「hentai」の頭文字だということがわかり、いまにいたっていた。<br>　ところがこのたび、これまで〝開けずの辞典〟だった新明解のページをめくったおかげで由来がわかった。エッチとは「性的にいやらしいことをいったりしたりすること」であり、初めは女学生の間で使われていたという。<br><br>　ただし、変態ではなく、夫を表す英語「husband」（ハズバンド）の頭文字としてであり、夫を意味する隠語だった。三宅花圃という人の『薮の鴬』に「オヤ、あの方はHじゃあないの」という一文があるという。これがなんと明治21年のことだ。<br><br>　それが昭和20年代の末期、東京の女学生たちが「hentai」の頭文字として使うようになった。これについては『週刊朝日』（昭和27年4月13日号）に記述があるとのこと。<br>　例として『Hは変態の頭文字』（舟橋聖一、白い魔魚、昭和30年）と記されている。私が「hentai」の頭文字と思っていたのも間違いではなかったのだ。<br><br>　その後、変態の意味はしだいに薄れ、ほとんどセックスの意味で使われるようになったという。<br>　風邪を引くのはいやだが辞書は引いてみるべきだ。めでたしめでたし。<br><br><br></p><p name="2b0454f9-f172-4a03-8f4d-8bbe3ec40cc0" id="2b0454f9-f172-4a03-8f4d-8bbe3ec40cc0"><br></p><br/><a href='https://note.com/bonpitsu_do/n/nf987d7f4f9c1'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/94621978/profile_8507a4b6a1e38d796533699415b5fb68.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>凡筆堂</note:creatorName>
      <pubDate>Tue, 16 Dec 2025 06:31:18 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/bonpitsu_do/n/nf987d7f4f9c1</link>
      <guid>https://note.com/bonpitsu_do/n/nf987d7f4f9c1</guid>
    </item>
    <item>
      <title>餅と糯米と正月と</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/235039834/rectangle_large_type_2_079ba98be99c34ca86ee04d551bd3841.jpeg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="9b6bbbae-3d3e-42ee-aff2-b158e220eb19" id="9b6bbbae-3d3e-42ee-aff2-b158e220eb19">　今年は米がいろいろと世間を騒がせた。ただでさえ米に騒がされているのに、糯米（もちごめ）の生産が減少していて、品不足や価格の高騰を招いているという。<br>　糯米は餅やおこわ（赤飯）になるだけではない。おかきやあられ、和菓子などの原料にもなる。こういったものの値上がりにつながるし、切り餅を主力としている食品メーカーなどは直撃されることになる。当然、一般家庭の家計にも響いてくる。<br><br>　ところで、「糯米」はなぜ「餅米」と表記しないのかと疑問を持たれるかたもおられよう。そういう私もその一人なので、とりあえず「糯」を『大辞林』で引いてみた。<br>　「粘り気が強く、ついて餅にすることができる米」とあった。つまり、餅の原料となる米の種類であり、しかも、わざわざ「糯米」としなくても単に「糯」でいいのだ。<br>　ついでに「餅」を引いてみたら「糯米を蒸して、臼（うす）で十分粘り気が出るまでつき、丸めたり平たくのしたりして食べる物」とあった。<br><br>　横道から元の道へ戻ろう。糯米の生産が減少している主な原因は加工段階で手間がかかることだ。それが敬遠され、主食米である「うるち米」に切り替える農家が多いのだ。知人K氏も今年からうるち米に切り替えた。<br>　ちなみに、米全体の生産量ではうるち米が圧倒的に多く、糯米はその20分の1にも満たない。<br><br>　糯米栽培が減少している原因について、K氏は「籾摺り」が厄介なせいだという。稲刈りで収穫した米には籾がついたままだ。この籾を取り除く作業を「籾摺り」という。<br>　籾摺りは、地域のライスセンターなどで、大がかりな機械を使って行なわれることが多い。この工程で別品種に変更する際、機械の中に直前の米が一粒も残らないよう、きれいにしなければならない。これが厄介なのだ。<br><br><br>　さて、その糯米が活躍するのが正月だ。餅は切り餅をはじめ、鏡餅や雑煮など、正月とは切っても切れないほど密接な関係にある。なぜこんなに深い仲なのか。<br>　「民俗学がわかる事典」（角川ソフィア文庫）によれば、『源氏物語』では、餅鏡（鏡餅ではない※筆者注）は歯固めのためであり、『類聚雑要抄』には鏡餅の絵もあることから、長寿を願う祝いの餅であった、という。</p><p name="149581ea-97c8-46be-bb01-09b30d342a5c" id="149581ea-97c8-46be-bb01-09b30d342a5c">　さらに、『埃嚢抄』には「餅は福の源なれば、福神にさりける故に衰へけるにこそ。福の体なれば、年始にもてなすべし」とあるそうだ。<br>　要するに、「餅は福の源であり、福神である。正月の鏡餅は福をもたらす福神と考えられていたようだ」とのこと。<br><br>　正月に餅を神仏に供えるのは、その年の稲の豊作を祈り、生命を更新する新しい門出を意味すると考えられてきたからだという。<br>　民俗の伝承では、正月に食べる餅を「年取り餅」や「年玉」と呼ぶ例があり、「新しく一つ年を取るための餅」だったと考えられるようだ。<br><br>　こういった伝承は地域によって異なるが、特に変わっているのは民俗学で「餅なし正月」と称するもので、「正月には餅を搗かず、食べず、供えず」という禁忌を継承している家や一族もあるという。その理由は「先祖が戦から帰ってきたらすでに正月になってしまっていた」「餅を搗いていたとき杵が頭に当たった」などいろいろだという。<br><br>　なんだかんだと言っても、やはり、正月に餅を食べられるのは幸せだということだろう。<br><br><br><br><br><br></p><br/><a href='https://note.com/bonpitsu_do/n/n456ef498a388'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/94621978/profile_8507a4b6a1e38d796533699415b5fb68.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>凡筆堂</note:creatorName>
      <pubDate>Tue, 09 Dec 2025 13:34:21 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/bonpitsu_do/n/n456ef498a388</link>
      <guid>https://note.com/bonpitsu_do/n/n456ef498a388</guid>
    </item>
    <item>
      <title>これ、ゴボウの花です</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/233406185/rectangle_large_type_2_ee04fac7e3b08b09ac0af3c9f3833fec.jpeg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="aa530b19-adb1-49f5-957e-5466da5f9584" id="aa530b19-adb1-49f5-957e-5466da5f9584">　師走だから忙しいというわけではないが、先週あたりから妙に立て込んできた。時期的にはズレてしまうが、少しは興味をそそると思われるゴボウの花を取りあげ、急場をしのぐことにした。そんなわけで、いつもより文字も少なめです。<br><br>　ちなみに、ゴボウの花の開花時期は初夏であり、だいたい六月から七月といったところだ。この記事の写真は五月に撮ったもので、多くはまだつぼみの状態だ。咲いているものであっても、まだ完全に開花しているとは言えないようだ。<br><br></p><figure name="17114916-e556-4549-ade9-0a8fd522e70b" id="17114916-e556-4549-ade9-0a8fd522e70b"><img src="https://assets.st-note.com/img/1764634917-gRJ9EiSIXWOx4F1q28MywPGf.jpg" alt="" width="620" height="496"><figcaption>これがもっとも開いていた花だが、もっと開くようだ。</figcaption></figure><br/><a href='https://note.com/bonpitsu_do/n/n2a57b716b088'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/94621978/profile_8507a4b6a1e38d796533699415b5fb68.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>凡筆堂</note:creatorName>
      <pubDate>Tue, 02 Dec 2025 12:40:05 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/bonpitsu_do/n/n2a57b716b088</link>
      <guid>https://note.com/bonpitsu_do/n/n2a57b716b088</guid>
    </item>
    <item>
      <title>図星を指される</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/231687119/rectangle_large_type_2_6e7737ddb70201b54ecd35eee98b3457.jpeg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="eb11d186-a370-4873-8a22-5958eb722ad6" id="eb11d186-a370-4873-8a22-5958eb722ad6"><strong>〔解説〕</strong><br><br>　本来の言い方は「図星を指す」である。図星とは、弓の的の中心にしるされた黒い小さな円（点）のことだ。「図星を指す」は、相手が隠していることや急所を見抜き、ずばり言い当てたり核心を突いたりすることをいう。<br>　単に「図星」と言ったり「星を指す」と言ったりすることもある。また、相手の側からの言い方で「図星を指される」ともいう。<br><br>（ここまでは事実。しかし、以下は創作なので真に受けないでください）<br><br><br><strong>〔さらに解説〕</strong><br><br>　「図星を指される」の制定を要請してきたのは珍語漫語の会（会長／須湖すこ）だ。じつは、同会は一年ほど前に「意表を突かれる」ということわざの制定を要請して実現させている。ちなみに、今回の要請理由は前回とほぼ同じだ。<br><br>　要請内容の要旨は以下の通り。<br><br>　「そもそも、肝心要の『図星』の意味を知らない人が圧倒的に多い。星や星座のひとつだと思っていたなどという人もいるが、それなどはまだマシなほうで、考えてみたこともないという人がほとんどだ。したがって、この図星そのものを何か適当なものに変更したいところだが、今回はとりあえずおいて後の機会に譲る。<br>　当の『図星を指す』だが、能動態での表現は使われることが少ない。『指される』あるいは『指された』という形の、受動態で使われることのほうが多い。これは、このタイプのことわざの場合は〝用件の影響を受ける人が感情を表す〟ことが多いからだ。したがって受動態にしたほうが自然だ。<br>　ほかの例でいえば、冷たくあしらうという意味の『袖にする』も、「あたし、今日のデート、袖にしてやるわ」というような言い方はしない。あしらわれた側が 「彼女に袖にされちまった」 というなら自然だ。<br>　同様に「水を差す」 もそうだ。「会話に水を差してすまないが」などと言うこともあるにはあるが少ない。逆に、話の邪魔をされた人が「あいつに水を差された」というほうが多い。<br>　これらの例は、ことわざの多くが能動型で捉えているからだ。『図星を指される』という言い方も認められてはいるが、まだまだ日陰の存在だ。<br>　そこで現状を考慮し、『図星を指される』をメインに、つまり正規のことわざとして制定するよう要望する」<br><br><br><strong>〔街頭インタビュー〕</strong><br>（女性には男性が、男性には女性がインタビューしている）<br><br><strong>51歳（女）占い師</strong><br>「ことわざなんかどうでもいいじゃない。あなたイケメンだからただで占ってあげるわ。もてるでしょ。あら、なかなか強運ね。あたしはあなたのことがわかるけど、あなたはあたしのことわかんないでしょ。あたし、こう見えてもやさしいのよ。尽くすタイプなの。あらら、あなた、あたしに全然興味ないのね。ほら、図星でしょ。わかるにきまってるじゃない。あたし、占い師なのよ、よく当たることで有名なのよ。ねえ、なんであたしに興味ないのよ。なんで当たっちゃったのかしら」<br><br><strong>36歳（男）不動産</strong><br>「なるほどね。言われてみればたしかにそうだな。俺さ、まれに『どうだ、図星だろ』なんて言うこともあるけど、自分が正直者だから図星を指されるほうが多いよ。え？　俺が婚活中って見抜いたの？　当たりだ。図星を指されちゃったね、てへへ。なんでわかったの？　目を見ればわかるって？　話し方も？　これまた図星。図星を指されっぱなしじゃん」<br><br><br><br></p><figure name="d3e4f5e9-5f1c-44b2-96af-cedb1c6f3b5f" id="d3e4f5e9-5f1c-44b2-96af-cedb1c6f3b5f" data-src="https://note.com/bonpitsu_do/n/n897c2e0fc68b" data-identifier="n897c2e0fc68b" embedded-service="note" embedded-content-key="emb0f980bf663cf"></figure><br/><a href='https://note.com/bonpitsu_do/n/n51142523376d'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/94621978/profile_8507a4b6a1e38d796533699415b5fb68.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>凡筆堂</note:creatorName>
      <pubDate>Tue, 25 Nov 2025 12:41:57 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/bonpitsu_do/n/n51142523376d</link>
      <guid>https://note.com/bonpitsu_do/n/n51142523376d</guid>
    </item>
    <item>
      <title>目玉が移動するなんて変でしょ</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/229951872/rectangle_large_type_2_8692bae79f05a61345fbf849254054eb.jpeg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="cf89882a-0d23-4a83-965a-9943cb2fd945" id="cf89882a-0d23-4a83-965a-9943cb2fd945">　次は何を書こうか、冬が旬の魚がいいかな、などと思案していたらヒラメとカレイを思い出した。じつは何年も前から、ヒラメの目はなぜおかしな位置にあるのだろうと不思議に思っていた。<br><br>　私が物知りならすいすいと記事を書けるのだが、残念ながらそんなうまいぐあいにはいかない。たまに、「凡筆堂さんは博学ですね」などという、お世辞がはいっているとしてもありがたいコメントをいただくが、私は浅学非才であり、博学どころか「薄学」だ。<br>　薄学だから、何か事あるごとに調べることになる。ヒラメとカレイのことなどほとんど知らないから、手元の『魚の便利帳』（高橋書店）と『食材大全』（NHK出版）を中心に、ネットにも手を伸ばしながら調べた。<br><br>　「左ヒラメに右カレイ」というように、ヒラメの目は二つとも体の左側に付き、カレイの目は右側に付いている。<br>　ヒラメが海底の砂の上などでじっとしている状態では、砂に接している面が体の右側であり、海底とは反対の上側が体の左側だ。人間でいえば右側を下にして寝ている状態であり、うつ伏せでも仰向けでもない。<br><br>　ヒラメやカレイの目が体の片側へ寄っているのは生まれたときからだと思っていたがそうではなかった。なんと、ヒラメもカレイも、孵化したときには一般的な魚と同じような体形で、目も頭の左右についているのだ。<br>　孵化からだいたい一か月くらいたつと、ヒラメの場合は右目が徐々に左側へ移動し、カレイは反対に左目が右側へ移動する。<br><br>　どうしてそんな回りくどいことをするのか。はじめからどっちかへ寄っていればいいではないかと思う。後で移動するなんて不合理だし厄介だろう。いや、それより何より、目が移動すること自体が奇妙ではないか。<br><br>　もう一つ不思議なことがある。一種類の魚がたまたま特異な生態だというならなんとなくわかるが、ヒラメとカレイの二種類が同じ生態で、しかも左右が正反対なことだ（シタビラメという魚も同様の生態のようだ）。<br>　ところで、カレイは日本だけで40種類ほど存在するそうだが、もちろん目はみんな右側だ。<br><br>　ただし、ヒラメとカレイが正反対のようではあっても体形や習性にはたくさんの相違点がある。たとえば、ヒラメの目はその名の通り平たく、カレイは出目だ。口やヒレにしても、形や大きさがかなり異なる。<br>　さらにいえば、獲物の好みや獲り方も異なるし肉質も異なる。<br><br>　ヒラメもカレイも、目の移動とともに体全体が徐々に平たく変化する。そして、それにつれてあまり泳がなくなる。別にものぐさというわけでもなかろうが、海底の砂の上にとどまり、砂もどきの擬態を演じて獲物を待つようになる。<br><br>　ところで、体が平たくなって海底で〝横になっている〟と、当然ながら下側（海底側）は体色が白っぽくなり、反対に上側は黒っぽくなる。<br>　こうなれば右側だの左側だのという呼び方はかえって不自然ではないか。海底側を腹と呼び、上側を背と呼べばいいではないかと思う。<br><br>　ところがどっこい。横になっていようと縦になっていようと、背や腹には厳然として背ビレや腹ビレが存在しているし、内臓の向き（位置）だって元のままだ。目と同様に移動するなどということはない。<br>　だからやっぱり「左ヒラメに右カレイ」なのだが、何がどうあれ、ややこしい魚である。<br><br><br><br><br><br></p><br/><a href='https://note.com/bonpitsu_do/n/nd0b31c3823f3'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/94621978/profile_8507a4b6a1e38d796533699415b5fb68.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>凡筆堂</note:creatorName>
      <pubDate>Tue, 18 Nov 2025 12:32:39 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/bonpitsu_do/n/nd0b31c3823f3</link>
      <guid>https://note.com/bonpitsu_do/n/nd0b31c3823f3</guid>
    </item>
    <item>
      <title>カラスが品行方正だったら</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/228410704/rectangle_large_type_2_617f472bb66191417a80b5e70616028c.jpeg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="c802aa72-3c6a-4277-add7-8e5a084f9c67" id="c802aa72-3c6a-4277-add7-8e5a084f9c67">　近年、スズメの棲息数が減ってきたように思う。例年、晩秋から冬が明けるまでの間、拙宅の庭先や菜園に降りてきて草のこぼれ種などをついばんでいた。その姿があまり見られなくなってしまった。<br>　スズメは見た目もさえずりもかわいいし、益鳥としての面が大きい。稲穂や野菜なども食うから害鳥ともとれるが、全体的に見れば、害虫を食ってくれるなど、メリットのほうが大きいはずだ。<br><br>　スズメ同様知名度が高く、これまた同じく人里が生活圏という身近な野鳥にカラスがいる。スズメとはキャラクターが異なり、あまりいいイメージを持たれていないが。<br>　カラスがいつになく多く飛びまわったり、地上でせわしく動きまわったりすると、それを目にした人たちに悪い印象を抱かせることがある。<br><br>　先日、中高年の知人数人と立ち話をしていたら、いつもよりたくさんのカラスが電線にとまったり上空を飛びまわったりしはじめた。鳴き声も異様な感じだったため、「誰か死んだかな」とか「何かあったのかな」などという声があがった。<br><br>　先人たちは古くから、カラスの鳴き方がいつもと較べてうるさかったりせわしかったり、あるいは悲壮な感じや不気味さを伴ったりすると「カラス鳴きが悪い」と言い、異変や凶兆などと結びつけていた。<br>　もちろん、実際にはそんなことはないし人間の死などとは無関係だが、不吉なできごとにつながる鳥とされてきた。<br><br>　カラスにとっては冤罪とも言える不名誉な俗信だが、それが生まれた背景には、私の勝手な推測ではあるが、お世辞にも上品とは言えない〝カラスの生態〟が関係していると思う。<br>　そもそも見た目が真っ黒でかわいげがないし、鳴き声が大きいうえに悪声だ。それに、あまり人間を恐れず、ふてぶてしくもある。<br><br>　カラスは仲間意識が強く、仲間が危機に瀕すれば助けようとする。敵が強くても立ち向かう。ときには人間を攻撃することだってある。<br>　攻撃的な習性のうえに貪欲だから、ごみ集積所を荒らしたりすることがあるし、巣の付近は言うまでもなく、棲息域では糞害をもたらす。電柱に営巣して停電騒ぎを起こしたりもする。<br><br>　さらに、雑食性であり、腐肉でも野菜くずでもかまわず喰らう悪食（あくじき）だ。動物の死骸を見つければたちまち群がって貪る（この場合は掃除の役目をしてくれるから人間にとってはいいかもしれないが）。<br>　こんなぐあいだから、どう贔屓目にみても悪い印象しかない。カラスの個体数が減ればいいと思うが、スズメとは反対に減るようすがない。<br><br>　「カラスの鳴きが悪いと人が死ぬ」という俗信は多くの地域に伝わっている。「日本俗信辞典」（角川ソフィア文庫）から拾ってみよう。<br>　青森、秋田、宮城、山形、福島、群馬、栃木、茨城、埼玉、千葉、東京、神奈川、山梨、長野、岐阜、新潟、静岡、愛知、京都、和歌山、奈良、兵庫、鳥取、島根、山口、愛媛、香川、福岡、宮崎、大分、佐賀、長崎、鹿児島というぐあいだが、たぶんほかにもあるだろう。<br><br>　ところで、この俗信辞典でのカラスの項は、ほかの鳥獣より数倍も多くページを割いている。その内容は人の死以外にもいろいろある。カラスがいかに人間に意識されているか、そして暮らしに関わっているかがわかろうというものだ。<br>　もしもカラスが品行方正で、スズメのようにかわいらしかったら、印象の悪い俗信は少なかったに違いない。<br><br><br></p><figure name="64b0348d-8287-4dc5-aa4a-f07be258d4cd" id="64b0348d-8287-4dc5-aa4a-f07be258d4cd" data-src="https://note.com/bonpitsu_do/n/nd3a8d3d04515" data-identifier="nd3a8d3d04515" embedded-service="note" embedded-content-key="embc8cca9d57b8b"></figure><br/><a href='https://note.com/bonpitsu_do/n/n6a2ef9683468'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/94621978/profile_8507a4b6a1e38d796533699415b5fb68.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>凡筆堂</note:creatorName>
      <pubDate>Tue, 11 Nov 2025 08:02:00 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/bonpitsu_do/n/n6a2ef9683468</link>
      <guid>https://note.com/bonpitsu_do/n/n6a2ef9683468</guid>
    </item>
    <item>
      <title>「キツネとタヌキ」でお茶を濁す</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/226597396/rectangle_large_type_2_033f51acb21e38b2f61d0a95513fc580.jpeg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="94591a64-d530-4f7f-b26d-b0b0bae9a55a" id="94591a64-d530-4f7f-b26d-b0b0bae9a55a">　拙作「キツネとタヌキの化かし合い」を投稿後、なぜキツネやタヌキは化けたり化かしたりするといわれるようになったのか考えた。しかし、これといった決定的な根拠は見つからなかった。<br>　しかたがないから、化けるにいたった由縁はさておき、伝承や俗説などを取りあげながらお茶を濁すことにした。<br><br>　キツネもタヌキも、野生動物としては比較的身近な存在だ。存在感は俗信や迷信の主役となるために必要な条件だと思うが、心情的にいうなら野ウサギやイタチだって身近だ。<br>　存在感のほかに、体の大きさや体形、知能の程度なども関係するだろう。シカやクマでは大きすぎるし、リスやネズミでは小さすぎる。知能という点では、キツネもタヌキもイヌ科であり、なんとなく賢そうに思える。<br><br>　イメージでいえば「キツネは狡猾、タヌキは愛嬌」といった感じだ。顔つきや目つきは重要なポイントであり、人間だって、悪いやつは悪そうな風貌をしている。<br>　そういう見方をするなら、キツネは口吻が長めでほっそりした顔つきのうえ、目が吊り上がり気味で〝人相〟が悪い。それに対し、タヌキは丸顔で目つきも間が抜けている感じだから悪相ではない。<br><br>　キツネはタヌキよりも警戒心が強く、人前に姿を表すことが少ないといわれる。こういったことからずる賢いイメージにつながったのだろう。海外でもそう思われているようで、ずる賢いことを英語で「foxy」という。<br><br>　信仰上では精霊崇拝という考え方が関わってくる。キツネはずる賢い印象で嫌われそうだが、そんな思いとは裏腹に、お稲荷さまとして崇められたりしている。これは、神の使いとされているからだ。神社でもキツネの像が鎮座しているほどだ。<br>　神の使いともなれば化ける力があっても不思議ではないが、神の使いが人間を騙してはいけない。<br><br>　一方のタヌキは、神の使いなどという話は聞いたことがないし、タヌキの像が神社の境内でわが物顔をしているなんていうのも見たことがない。<br>　しかし、寺なら関係がある。群馬県館林市の茂林寺には、タヌキが主人公の民話「分福茶釜」が伝わっている。童話にもなっていて、「小さな福も分かち合う」という教えを広めたいのだそうだ。<br><br>　また、童謡の「証城寺（しょうじょうじ）の狸囃子」では、腹鼓の音の大きさを和尚と競い合うようすが歌われているが、狡猾さや神々しさなどとはほど遠いばかりか、滑稽でもあり、愉快でほのぼのとした雰囲気だ。<br>　この証城寺は千葉県木更津市に実在する浄土真宗の寺で、「證誠寺」が正しい表記だ。<br><br>　ところが、同じタヌキでもまったく逆のひどい話もある。民話の「かちかち山」では極悪非道のキャラクターに設定されていて、人間の凶悪犯も尻尾を巻いて逃げ出しそうな残虐さを演じている。<br>　子供用の話とは別に、原作では猟奇的ともいえる残酷なストーリーなので内容は割愛するが、この民話でのタヌキは老婆に化ける。<br><br>　キツネとタヌキではどっちが化けじょうずか。俗に「狐七化け狸八化け」というが、これでいうならタヌキのほうが一枚うわてということになる。<br>　何を考えているかわからないすっとぼけた男を「たぬき親父」などと揶揄したり、男を手玉に取って悪さをする女を「牝狐」と称したりする。<br>　キツネやタヌキが化かすのは架空の世界だが、現実の世界では人間の化かし合いが横行している。騙されないように気をつけよう。<br><br><br></p><figure name="5b9b43e7-fb29-471d-9b3a-c1ece8812372" id="5b9b43e7-fb29-471d-9b3a-c1ece8812372" data-src="https://note.com/bonpitsu_do/n/nb34b7c794f6e" data-identifier="nb34b7c794f6e" embedded-service="note" embedded-content-key="emb6c99662680c9"></figure><br/><a href='https://note.com/bonpitsu_do/n/n6693a09851b6'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/94621978/profile_8507a4b6a1e38d796533699415b5fb68.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>凡筆堂</note:creatorName>
      <pubDate>Tue, 04 Nov 2025 09:45:53 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/bonpitsu_do/n/n6693a09851b6</link>
      <guid>https://note.com/bonpitsu_do/n/n6693a09851b6</guid>
    </item>
    <item>
      <title>植物の最大最強の能力</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/225334022/rectangle_large_type_2_26e0e5b50e107e0d99934e35c48f514d.jpeg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="ba987b43-9250-4041-8a74-4cc4f74d8e6f" id="ba987b43-9250-4041-8a74-4cc4f74d8e6f">　拙作「蚊さん、絶滅してくれません蚊」で、「繁殖力の旺盛さは種が生き抜くための最大の能力であり、武器である」と書いた。<br>　蝿も同様だし、蟻でも亀虫でもそうだが、繁殖力が強ければ天敵はおろか人間だって勝てない。実際、こんなに科学が進歩しているのに、それらを絶滅させることは不可能だ。<br><br>　これは植物でも同じだ。同じどころかさらに強力だ。草の繁殖力の強さにはうんざりする。近所の空き地に背高泡立草（せいたかあわだちそう）が黄色い花を咲かせている。昨年は見かけなかったから新参者だ。晩秋には大量の種子ができる。<br>　背高泡立草は第二次世界大戦後、アメリカから輸入した物資に種子が混入していて、それが日本中に広がっていったものだ。<br><br>　背高泡立草は根から毒性物質を分泌し、近くの異種植物を駆逐する。植物なのに攻撃力があるのだ。<br>　ただ、自分たちが増えすぎて密度が高くなると、自分たちの毒で自滅することもあるというから少々おマヌケでもある。亀虫をビニール袋に閉じ込めたりすると自分の悪臭で死んでしまうのと同じだ。<br>　だが、それは理屈上でのことであり、実際には増える一方だ。膨大な数の種子の繁殖力が、自分で出す毒の力を上回っているのだ。<br><br>　種子の力もさることながら、頑健さが力を発揮するものもある。葛餅や葛湯など、食品、食材の原料としても知られ、漢方薬にも使われる葛だ。<br>　その葛が、私が休耕田（耕作放棄地）を田んぼに復活させるとき、最大最強の敵として立ちはだかった。<br><br>　葛の武器は蔓（つる）であり、根である。蔓は工芸品の材料として重宝されることもあるが、農業の視点では厄介きわまりない難敵だ。<br>　蔓は極めてじょうぶで生長が早く、周囲の木や構築物にもおかまいなしに絡みつく。マメ類やウリ類などの蔓とは異なり、木質でかなりじょうぶだ。<br><br>　根は地中深くで巨大化し、これまたタフで生命力が強い。蔓をすべて切ってもまったく平気だ。伸びては切り、また伸びては切りを繰り返す。<br>　根自体も硬く、鍬（くわ）の刃が負ける。刃が立たない、いや、刃ではなく歯が立たない。しゃれを言っている場合ではなく、私の鍬は刃が欠けた。<br><br>　私は最終的に知り合いの重機を頼った。耕地内すべての根をユンボで掘り起こしたのだ。そんな苦労の末にせっかく復活した田んぼは六年でやめ、現在は畑として使っているが、畔では葛も復活した。取り残した根が息を吹き返したり、近くの葛が侵入してきたりしたのだ。<br><br>　竹もまた驚異的な繁殖力を持つ。私の休耕田は川沿いにあったことから、一部の畔部分は崖のような斜面に接していた。その地域に田を所有していた先人たちは崩落を防ぐために竹を植えた。<br>　その竹が勢力を拡大し、周辺の土地に筍（たけのこ）をはびこらせるようになった。畑に転換した私の耕地にもやたら出てくる。筍はたちまち竹に生長するから見つけしだい掘る。<br><br>　竹も、葛同様いくら切っても出てくる。数百本の竹を一人で切ったこともあるが無駄骨だった。<br>　地上から一メートルくらいの高さで切ると、竹は「切られた」と思わず、無駄に生命力を消耗し、枯れてしまうという話もある。動画や専門誌などで事例が紹介されているが、永久的に効果が続くのかは不明だ。簡単に「おまえはすでに死んでいる」とはならないだろう。<br><br>　攻撃は最大の防御とも言うが、動物も植物も、繁殖力は最大の攻撃力であり、防御力でもある。<br><br><br><br></p><figure name="3be575b9-2c85-4187-a254-2910709d8179" id="3be575b9-2c85-4187-a254-2910709d8179" data-src="https://note.com/bonpitsu_do/n/n804c29b979ba" data-identifier="n804c29b979ba" embedded-service="note" embedded-content-key="emb3baaaa79e3e3"></figure><br/><a href='https://note.com/bonpitsu_do/n/n712d4d720483'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/94621978/profile_8507a4b6a1e38d796533699415b5fb68.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>凡筆堂</note:creatorName>
      <pubDate>Tue, 28 Oct 2025 14:15:26 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/bonpitsu_do/n/n712d4d720483</link>
      <guid>https://note.com/bonpitsu_do/n/n712d4d720483</guid>
    </item>
    <item>
      <title>ズボンのチャックが開いてますよ</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/223580869/rectangle_large_type_2_71b9abc0cb140094f6024f22ab00dce3.jpeg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="fa21b77f-1f40-41d5-bd66-c09db5ba8ee1" id="fa21b77f-1f40-41d5-bd66-c09db5ba8ee1">　先日、ヤボ用で会った友人のズボンのチャックが開いていた。周りに誰もいなかったので「開いてるよ」と指でさし、口に出して教えた。<br>　友人はチャックを閉めてから、「逃げられなくてよかった」と、おどけた表情で言った。男のブツを単独の生き物になぞらえたジョークだ。こういうときのためにあらかじめ考えておいたのだろう。<br><br>　私は人に会うときや店にはいるときなどはたいてい確認する。チャックが開いていても、シャツの裾や下着があるからブツが見えてしまうことはないが、間抜けなことに変わりはない。<br><br>　先の友人とは親しい仲であり、周囲に人がいなかったからいいが、何人も人がいたらおおっぴらには教えられない。<br>　見知らぬ他人の場合ならなおさらだ。知らんぷりするか、周囲の人にわからないように教えてあげるかだが、できるなら教えてあげたいものだ。<br><br>　女性の場合はどうか。女性はそんな無防備な隙は見せないだろうが、もしも遭遇したらどうする。女性が女性に教えてあげるなら問題ないが、男性が教えるのは何かしらリスクがあるように思う。それでもなるべく教えてあげるべきだろう。誰かが教えてあげるか自分で気づくまで、恥ずかしいかっこうでいることになるのだから。<br><br>　現代はズボンやスカートの腰の部分からわざわざ下着（本来の下着とは異なるそうだが）を見せる「見せパン」なんていうものがあるから、やはり迂闊には言い出せない。<br>　電車のシートに座った女性の下着が見える場合、年配の女性が注意してあげることはあるようだが、これは問題なしだ。<br><br><br>　昭和生まれの人なら見聞きしたことがあると思うが、ズボンのその部分を「社会の窓」と言ったりする。しゃれた表現だと思っていたが由来は知らなかった。調べようとしたが手持ちの辞典類には出ていない。そこでネット検索してみたらいくつもヒットした。<br><br>　昭和23年から放送されていたNHKのラジオ番組に「インフォメーションアワー・社会の窓」というのがあり、番組のテーマが「社会の裏側や、普段は隠されている重要な物事」を掘り下げて伝えることだったことから、「普段は閉じている（隠されている）が、開くと見えてはいけない大事なものが見えてしまう部分」という意味で、ズボンのチャックが開いている状態をさすようになったという。<br><br>　ただし、番組から直接広まったのではなく、どこの誰だか知らないが、第三者によって比喩的に使われ、いつのまにか広まったようだ。<br>　ほかにもいくつかの説があるが、このラジオ番組由来というのが有力なようだ。</p><p name="57984027-5669-43bb-8e3e-7d705977afe3" id="57984027-5669-43bb-8e3e-7d705977afe3">　ついでに、チャック、ファスナー、ジッパーの違いも調べた。<br>　チャックは、1927年に日本初の国産ファスナーが作られ、その際「巾着」になぞらえた「チャック印」という商標名で販売されたことが由来。造語であり、英語圏では通じない。主に昭和世代のような中高年が使うようだ。<br>　ファスナーは英語の「fastener」（留め具）が元で、「スライドファスナー」の略。この留め具の一般名称だ。<br>　ジッパーは英語の「zipper」。1921年にアメリカのメーカーが、閉めるときに生じる「zip（ジップ）」という音を商品名にした。アメリカを中心に世界で広く使われる。商標だったが現在は一般名称になっている。<br><br>　ズボンのチャック、出かけるときには要チャック、いや、要チェックだ。<br><br><br><br><br></p><br/><a href='https://note.com/bonpitsu_do/n/n3daaabaa86fb'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/94621978/profile_8507a4b6a1e38d796533699415b5fb68.jpg?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>凡筆堂</note:creatorName>
      <pubDate>Tue, 21 Oct 2025 09:05:46 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/bonpitsu_do/n/n3daaabaa86fb</link>
      <guid>https://note.com/bonpitsu_do/n/n3daaabaa86fb</guid>
    </item>
  </channel>
</rss>
