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西行焼き

京都の白味噌をベースにしたタレに漬けた魚を焼く西京焼き。
しかし京都よりも西の九州味噌を使ったら、更に西に行ったということで西行焼きと勝手に命名した料理を作りながら、漂泊の歌人僧侶を妄想した記録。


材料

鱈      2切れ
酒粕     大匙2
九州の麦味噌 大匙2
醤油     大匙1
味醂     大匙1
お湯     適量

元永元年(1118)左衛門尉、佐藤康淸の子として誕生した佐藤義淸(のりきよ)が後の西行。
佐藤家は伝説的な武人、藤原秀郷の子孫で徳大寺家に仕えていた。
藤原秀郷については↓



成長していくにつれて義淸は文武に優れて、見目麗しい靑年に。
鳥羽上皇の警固をする北面の武士に抜擢。
同年齢の同僚には平淸盛がいた。
鳥羽院に仕えたことが、義淸の運命を大きく変える。
高貴な女性、恐らくは女院つまり鳥羽上皇の妃の一人に恋をした。
義淸には既に妻子がいたもののお構いなしに猛アタック。
「阿漕(あこぎ)である」
最終的にそう言われて失恋。
阿漕の浦は禁漁区。そこで漁をして捕まった漁師がいた故事に引っ掛けて、道ならぬ恋を嗜められたということ。


調味料を混ぜ合わせる。

失恋を機に二十三歳で出家を決意。
この時、家族への執着は出家への妨げとして、泣いて縋る幼い娘を縁側から蹴り落とした。
「惜しむとて 惜しまれぬべき此の世かな 身を捨ててこそ 身をも助けめ」
出家に際して詠んだ歌。
西行となった義淸は京都郊外の嵯峨野や鞍馬で佛道修行。その後、奥州(東北)へ二年程、歌を詠みながら旅した。
畿内に戻ると高野山の奥に籠った。(伏線)
西行が佛道と歌道に邁進している間、世の中は激変。
武士が擡頭、同僚だった平淸盛が我が世の春。
伊豆に流されていた源氏の棟梁、源頼朝が挙兵。源平合戦。
戰により東大寺大佛殿焼失。再建の寄付を奥州藤原氏に頼むために西行は再び奥州へ。
帰路、鎌倉の鶴岡八幡宮参詣。
この時、待ち構えていたのが源頼朝。
西行を館に招き、歌ばかりか佐藤家に傳る秀郷流武道を聞きたがった。
「人殺しの技など、とっくに忘れました」
食い下がる頼朝に流鏑馬のコツを伝授。
去る西行に頼朝は銀で出來た猫の置物を贈ったが、館の外で遊んでいた子供に与えてしまったという。無欲恬淡。


湯を少しづつ加えて柔らかく伸ばしていく。

畿内に戻った西行、娘と再會。
別れた後、妻も尼になってしまい、娘は他家の養女になっていた。
娘にも出家を勧めた。
この場面に相応しい西行の歌。
「身を捨つる 人はまことに捨つるかは 捨てぬ人こそ捨つるなりけれ」
出家することは身を捨てるというが、俗世にある人こそ我が身を粗末に捨てているのではないか。そんな意味が込められた歌。
『新古今和歌集』には西行の歌が九十四首採録。
「願はくは花の下にて春死なむ その如月の望月のころ」
二月十五日に桜の下にて死を迎えたいという意味。二月十五日はお釈迦様の命日。
この歌は予言だったのか、西行は文治六年(1190)二月十六日に死去。僅か一日違い。
これは旧暦なので現代の暦だと三月の終わり頃になるため、桜が咲きそうな時分。
自身の死期を予知?


混ぜ合わせた味噌を鱈に塗って一晩、冷蔵庫へ。

西行という人物は自分の感情や思いに正直に生きた人。
妻子がいても好きな人にアプローチ、失恋したので仕事を辞めて、泣いて縋る娘を蹴り飛ばして出家。
しがらみとか義理や義務も一緒に蹴り飛ばしたようなもの。
いいか悪いかは別として、なかなか出来ることじゃない。
身も家族もすべて捨てて佛道と歌道に邁進したので、予知能力めいた力まで會得した?


翌日、魚焼きグリルへ。味噌は焦げ易いので弱火でじっくりと焼く。

予知能力だけではなく、西行には更に奇怪といっていい逸話。
『撰集抄』という書物。これは西行が執筆したとも言われている。
高野山に籠っていた頃、共に修行していた男が下山すると言い出した。
一人、残された西行は寂しくなり、人造人間を作ることにした。
昔、聞いたことがある方法を思い出しながら人間作り開始。
人骨を一揃い集めて、植物の蔓で繋いで、妙薬をかけて祈祷する反魂(はんごん)の術。
七日間の祈祷の末、ついにむくりと起き上がる人造人間。
しかし、どうやら失敗作。
血色が悪く、喋ることが出来ず、壊れた笛の音めいた耳障りな音聲。
人工的に作ったとはいえ、命を持った者を殺すことは僧侶としては憚られ、西行は失敗作を更なる山奥へ連れて行って放置。その後、どうなったかは記されていない。


西行焼き

じっくりと火を通し、表面が少し焦げたら完成。
焦げ目が付いた味噌も香ばしい。
鱈は淡白な魚なので醤油や味醂を加えて濃い目の味噌にした。
體を温めてくれる酒粕の風味も程よい感じ。
植物性タンパク質の味噌味が染みた魚のタンパク質を美味しく頂ける。

妄想するに西行が人造人間を作ったのは人恋しくなったからではなく、人肌恋しくなったから?
共に修行していた男とは男色関係だったのではないか。寺院では女色は厳禁でも男色はOK。例えばお稚児さんとはお坊さんの性の対象でした。
血色とか聲を問題にしているのは、そういう対象として作ったということか。

山を下りた西行は源師仲という人物に人造人間の作り方を訊ねた。
「それは作り方が間違っている。七日間の祈祷の間は断食しなければならない」
詳しい製造法を話した後、師仲は
「今、大臣になっている〇〇も実は私が作った」と告白。
その後、西行は人造人間を作ることは止めた。
人工的に作った者が人を支配する側に立っているという話に恐怖したか、神佛を恐れぬ所業と思ったか。
「心なき身にもあはれは知られけり しぎ立つ澤の秋の夕暮れ」
新古今和歌集に採録された西行の歌だが、心なき身という語が氣になる。失敗した心無き生命のことが脳裏に浮かんだかもしれない。

西行はクローン技術を知ったということではないか。
クローン人間製造法は公開されていないだけで遥か昔から存在している。
勿論、宇宙人由來の技術。
軍記等を見るとやたらに兵の数が多いと感じる。何万という描写。少し時代は下るが太平記などにも何十万という兵数が平氣で出て來る。この時代の日本にそれだけの人口がいたのか?
一般的な解釈では誇張だが、そうではなくクローン兵士が戰っていたのだろう。
優れた歌人だが、禁断の技術の一端を知ってしまった西行法師を妄想しながら、西行焼きをご馳走様でした。

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