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ガスパ長連龍

もはや季節外れになってしまい、UPし損ねていた料理を思い出しながら、戰國の復讐鬼を妄想しつつ、敵討というものについてまで考えが広がった記録。


材料

トマト    2個
胡瓜     1本
ピーマン   1個
大蒜     1欠け
食パン    1枚
西瓜     1/8
オリーブ油  大匙1
ガラムマサラ 大匙1
塩      小匙半分
胡椒     少々

西瓜が入っていることからわかるように、これを作ったのは八月。お蔵入りしそうな料理だったのでうろ覚えですがスペインの冷製スープ、ガスパチョをアレンジ。

天文十五年(1546)能登國(石川県)に生まれた萬正が後の長連龍。
ながれんりゅうではなく、ちょうつらたつと讀みます。
長続連(ちょうつぐつら)の三男。
長家は能登の領主、畠山家の家老。
三男の連龍は出家。宗顒と名乗り、孝恩寺の住職に。
当時の能登は上杉謙信と織田信長という二大勢力がぶつかり合う場所。
上杉につくか織田につくかで畠山家も揺れる。当時の畠山家当主は幼少の春王丸。とても判断するのは無理なので、続連は織田につくことを主張。
このため、畠山家の七尾城は謙信の猛攻を受けることに。
宗顒も僧侶とはいえ、父に協力すべく参戰。


食パンを水に浸しておく。

七尾城、行ったことはないのですが動画や画像で見ると規模も大きく、結構な堅城。
畠山勢も粘っていたが、獨力では上杉勢に抗し切れないので信長に援軍要請。宗顒が使者として安土へ。僧侶という存在は俗世の外に立つ者という認識があったので交渉の使者になることが多かった。
この間に城内で疫病発生。
当主、春王丸が死去。
これを好機と見たのは謙信ではなく遊佐続光、温井景隆、三宅長盛らの畠山家の重臣。
上杉に付くことを決め、城門を開いて上杉勢を引き入れたばかりか、長一族を謀殺。
織田の援軍と共に宗顒が戻った時には七尾城は陥落。加賀國の浜辺に父や兄等、長一族の首がずらりとさらされていた。
畠山家も滅亡。宗顒は織田家に仕えて復讐の機會を待った。
天正六年(1578)に上杉謙信が亡くなると、自ら五百の兵を集めて上杉方に
なっていた仇の一人、遊佐続光と戰い討ち取った。
しかし他の仇である温井らは織田家に降伏。
一族の仇である温井の処罰を求めるものの、これ以上の争乱を望まない信長はそれを許さず。
「所領を安堵する故、今は堪えよ」(伏線)
宗顒は連龍と改名。前田利家の与力となった。


細かく切ったトマト、西瓜、胡瓜、水気を絞った食パン等、すべての材料をミキサーで混ぜる。

天正十年(1582)に本能寺で信長が死ぬと、織田家中は揺れる。
復権の機會と見た温井と三宅は能登を奪おうと画策。
連龍も属している前田勢と合戰。
復讐を諦めていなかった連龍には好機到來。
一族の仇だった温井と三宅も討ち取り、ついに連龍は積年の恨みを晴らした。
ということになっていますが、果たして本当に温井や三宅は能登を奪おうと考えたのか?
上杉家の後援を得たということだが、謙信死後で家中もまだ一枚岩とは言えない状態だったのに能登に手を伸ばそうとしたのか?
連龍の方から仕掛けた可能性はないか?とつい勘繰ってしまう。
仇討を控えよと命じた信長がいなくなったことは連龍にとっても復讐の好機だったとも思える。
現代の感覚だと、敵討ちというのはあまり褒められたことではない。
それ故、曽我兄弟の仇討とか忠臣蔵がウケなくなっている。
個人的には忠臣蔵が敵討ちと言えるかは疑問ですが、一般論として挙げています。
現代人の目には、敵討ちは血で血を洗う復讐の連鎖になりかねない。
これは警察とか法律が整備されている現代では、野蛮な行為と人々の目に映るから。
しかし、法律とか警察が十分に機能していない時代では重要な自力救済の手段だったことは間違いない。
昔の人やその行為を現代の常識のみで図ることは出來ない。
実際、長連龍も敵討ちを果たしたことで名を挙げた面はある。


ガスパ長連龍

冷蔵庫で冷やして頂く。
西瓜は果物という固定概念を覆す食事系な調理。
微かな西瓜の甘味を塩や胡椒が引き立てる。
大蒜とオリーブ油の香が食欲をそそり、胡瓜の青臭さを抑えている。
西瓜の豊富なビタミンC、トマトのリコピン、大蒜のアリシンと栄養もたっぷり。
食パンが入っているので十分なボリューム。

一族の恨みを果たして、復讐を終えた後の長連龍はそのまま前田家に仕えた。
三万石以上という大名並の所領を得て前田家の家老となったが、何よりも元々の所領を信長から与えられているという経緯があり、前田家中でも特別な家と見做された。
前田家が仕えていた織田家から直接、所領を安堵されているという点では謂わば同格。
賤ケ岳、朝鮮出兵、關ヶ原、大坂の陣とその後も前田家の戰に参陣を続け、生涯に四十一回、戰場に臨んだ。
元和五年(1619)に享年七十四歳で逝去。
長家は代々、前田家の家老として三万三千石という大名並の家禄を受け継いでいった。
一度は滅亡したとも言える長家を連龍は敵討ちを成し、戰場での働きにより見事に再興してみせた。

一族の復讐と再興を成し遂げた長連龍を妄想しながら、ガスパ長連龍をご馳走様でした。

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