イランと米国、本当の対立理由は「核」ではなく「石油」だったのか?——カルダー『新大陸主義:エネルギーと21世紀のユーラシア地政学』を読む
石油は、アラブが振るう最も強力な武器である。
アジアでは、最古の居住大陸では、固定された境界に対する強く本能的な嫌悪感が常に存在してきた。
敵は、結局のところ、我々自身である。
テレビでは「イランの核の脅威」が連日報じられる。だが、本当の脅威は「核」ではなく、彼らの足元に眠る「油田」なのかもしれない。ペルシャ湾とカスピ海だけで、世界の石油埋蔵量の約66%、天然ガスの約71%が集中している。地図を広げてみれば一目瞭然だ。イラン、サウジアラビア、ロシア、カザフスタン——この巨大なエネルギー回廊の真上に、大国たちがひしめいている。そして、その資源を喉から手が出るほど欲しているのが、中国とインドである。
「イラン問題は複雑でよくわからない。でもガソリン代が上がるのは困る。結局、日本はどうすればいいの?」——そう感じた人にこそ、この一冊を手にとってほしい。2024年のイスラエル・イラン緊張は、テレビが映し出す「核」の物語では理解できない。その背後にあるのは、エネルギーと地理が織りなす、もっと大きな構造的力学だ。2012年に書かれた一冊の地政学書が、いま驚くほど正確に現在の危機を言い当てている。
著者・書籍について
書籍情報
『新大陸主義:エネルギーと21世紀のユーラシア地政学』(The New Continentalism: Energy and Twenty-First-Century Eurasian Geopolitics)、ケント・E・カルダー著、2012年刊行。イェール大学出版会。
著者について
ケント・E・カルダーは、ジョンズ・ホプキンス大学SAIS(高等国際問題研究大学院)ライシャワー東アジア研究センター所長。日米関係、東アジア政治経済、エネルギー地政学の第一人者であり、プリンストン大学やハーバード大学でも教鞭をとった。代表作に『太平洋防衛』(Pacific Defense)、『北東アジアの形成』(The Making of Northeast Asia)などがある。

なぜ今この本なのか
本書は、冷戦後のユーラシアにおけるエネルギーを軸にした地政学的再編を、比較政治経済学と国際関係論の架橋によって分析した野心作である。単なる国際関係論ではなく、各国の国内政治経済構造——石油国家の類型、日本の「エネルギー不安」——まで掘り下げている点が独自性を持つ。2012年の分析だが、現在のイラン危機を理解するための「ロゼッタストーン」として読める。歴史は連続的にではなく、危機の瞬間に不連続に動く。カルダーが「決定的分岐点」と呼ぶその理論は、2024年のイスラエル・イラン全面対決の構図を不気味なほど正確に予見している。
1. 「世界はフラット」という幻想——石油・ガスは逃げ出せない
国家の政策のすべてが地理に由来するわけではないが、地理から逃れることはできない。
グローバル化の時代、「世界はフラットになった」という言説が席巻した。情報もカネも瞬時に国境を越える。だが、石油とガスだけは別だ。パイプラインは地面に固定され、タンカーは海峡を通らなければならない。エネルギーの世界では、地理は依然として絶対的な制約条件として機能している。
カルダーが注目したのは、地政学の古典的概念の復権である。20世紀初頭、イギリスの地理学者ハルフォード・マッキンダー(Halford Mackinder)は「ハートランド」理論を提唱した。ユーラシア大陸の中心部を支配する者が世界を支配する、という考え方だ。冷戦時代にはイデオロギー対立に覆い隠されていたこの概念が、エネルギーという新たな衣をまとって現代に蘇りつつある。

数字を見れば明らかだ。ペルシャ湾とカスピ海を囲む地域に、世界の石油確認埋蔵量の約3分の2、天然ガスの約7割が集中する。そしてカルダーが強調するのは、この資源の巨大な塊と、アジアの消費センターが驚くほど近いという事実である。中国の新疆ウイグル自治区カシュガルからホルムズ海峡まで、地図上で指を滑らせれば、その距離感の意外な近さに気づくだろう。パイプラインは1,500マイル(約2,400キロメートル)以内であれば経済的に成り立つ。つまり、中央アジアの油田から中国西部までは、パイプライン一本で結べる距離なのだ。
ここに日本の問題がある。日本は「海洋国家」であり、ユーラシア大陸の地殻変動からは距離を置けるように見える。だが現実には、日本の石油輸入の80%以上が中東に依存し、そのすべてがホルムズ海峡を通過する。大陸の紛争は「対岸の火事」ではない。日本経済の動脈は、ペルシャ湾の喉元を通っている。
「シェールガス革命で中東依存は減るのでは?」——そう考える向きもあるだろう。確かにシェールガスは米国のエネルギー自立を進めた。しかしアジア全体の需要増を賄える量にはほど遠い。液化天然ガス(LNG)として輸出するにはインフラ整備と長期契約が不可欠であり、アジアのガス需要の多くは依然として中東とロシアに依存する構図が続いている。世界はフラットになったが、エネルギーの地理は残酷なまでに「凸凹」のままである。
2. イラン革命とプーチンの登場が「大陸主義」を決定づけた
危機は、古い関係が崩壊し、新しい関係が急速に鍛えられる集大成の時期である。
カルダーの分析の核心は、「決定的分岐点」(Critical Junctures)という概念にある。歴史は緩やかな連続ではなく、特定の危機の瞬間に不連続なジャンプを起こす。彼はユーラシアの地政学を根底から変えた六つの転換点を特定した。
第一の分岐点は、1973年の石油ショックとOPECの台頭だ。それまで国際石油市場を支配していた欧米系メジャー(いわゆる「七姉妹」と呼ばれた巨大石油会社群)から産油国政府へ、権力が決定的に移転した瞬間である。サウジアラビアがアラムコを国有化し、石油は「商品」から「武器」へ変貌した。
第二は1978年の中国の改革開放。鄧小平が市場経済への扉を開いたことで、十数億人のエネルギー需要が世界市場に接続された。第三は1979年のイラン革命。これが米国とイランの関係を決定的に断絶させ、イランを「東方」——中国やロシア——へ向かわせた。ここに現在のイラン危機の遠因がある。

第四は1991年のインド経済危機と改革。それまで社会主義的計画経済に依存していたインドが、外貨危機をきっかけに市場を開放した。第五は同年のソ連崩壊。中央アジアの旧ソ連諸国が独立し、カザフスタンやトルクメニスタンのエネルギー資源が新たに国際市場に開放された。冷戦が作った障壁が消え、パイプライン建設が現実の政策課題となった。
そして第六が、1999年のプーチン登場である。カルダーはプーチンの学位論文にまで遡り、彼が「国家による資源管理」「エネルギーを外交の武器として使う」という明確な戦略を持っていたことを実証した。エリツィン時代の混乱したロシアと、プーチン以降の「戦略的石油国家」ロシアの間には、質的な断絶がある。
カルダーの慧眼は、プーチンの登場を単なる政権交代ではなく、ロシアのエネルギー政策の質的転換として捉えた点にある。プーチン以前のエリツィン時代、ロシアの石油・ガス資源はオリガルヒ(新興財閥)に食い散らかされ、国家戦略としての一貫性を欠いていた。プーチンはこれを国家管理の下に統合し、エネルギーを外交の武器へと鍛え直した。パイプラインは単なるインフラではなく、地政学の導管となった。

六つの分岐点が連鎖的に作用した結果、エネルギーの需給構造と地政学的ブロックが形成された。これがカルダーの言う「新大陸主義」である。
注目すべきは、日本がこの六つの分岐点のどれも直接経験していないことだ。安定した成熟国家として、日本は大陸の激動を外から眺めてきた。カルダーはそこに可能性を見出す。日本は「触媒」——技術提供、省エネ支援——として、大陸の力学に建設的に関与できる立場にあると指摘する。
3. 人口ボーナスが呪いになるとき——イランのジレンマ
石油の価格と自由のペースは常に反対方向に動く。
産油国を一括りにするのは重大な分析上の過ちだ。カルダーの最も鋭い洞察のひとつは、「安定化する石油国家」と「不安定化する石油国家」の区別にある。ただし、この類型自体に埋め込まれた視座の偏りを意識しながら読む必要がある。
サウジアラビア、UAE、クウェートは「安定化する石油国家」に分類される。人口が比較的少なく、国民一人当たりの石油収入が潤沢なため、長期的な市場安定を優先する余裕がある。世界の石油市場において「スイング・プロデューサー」(需給調整役)として機能し、価格の急騰や暴落を緩衝するインセンティブを持つ。たとえるなら、貯金が十分にある家庭が、収入の安定性を重視するようなものだ。
一方、ロシアやイランは「不安定化する石油国家」に分類される。イランの人口は約7,500万人(本書執筆時点)、失業率は14.6%に達する。巨大な若年層を抱え、石油収入は国内の福祉と政治的安定の維持に消えていく。カルダーが引用する驚くべきデータがある。イランのエネルギー補助金はGDPの約34%(2009年時点)にも達していた。石油を輸出して外貨を稼ぐどころか、国内で安く消費させるために財政を食い潰していた。人口圧力と財政逼迫に追われたイランは、短期的な収入最大化——つまり石油価格の高騰——を志向する。カルダーの分析では、そのために国際的な緊張を利用し、ホルムズ海峡のリスクを石油価格に転嫁させる構造的インセンティブを持つとされる。
カルダーの類型は分析道具として切れ味が鋭い。だが、ここで一歩引いて考える必要がある。「安定化」と「不安定化」という言葉そのものが、誰の視点から見た安定なのかという問いを含んでいる。カルダーの枠組みは、米国主導の国際エネルギー秩序を暗黙の基準線に置いている。この秩序を維持する方向に動く国家が「安定化」、挑戦する国家が「不安定化」とラベリングされる。だが、イランの側から見れば、風景はまったく異なる。
1953年、民主的に選出されたモサデク首相が石油国有化を進めた際、CIAとMI6が主導するクーデターで政権を転覆された。この事件はイランの政治的記憶に深く刻まれている。その後のパーレビ国王の独裁、1980年から8年間続いたイラン・イラク戦争では西側がサダム・フセインに化学兵器の使用すら黙認しながら支援した。現在もイランは米軍基地にほぼ四方を囲まれている。イラン側からすれば、「不安定化」の主体は自国ではなく、自国に介入し続けてきた外部勢力だという認識がある。

核開発の問題も、この非対称性の文脈を抜きには語れない。カルダーは核を国内の「シンボル」であり対外的な「レバレッジ」であると分析する。その指摘は一面において正しい。だが同時に、イスラエルが推定80〜400発の核弾頭を保有しながらNPT(核不拡散条約)に加盟すらしていないという現実がある。イランから見れば、核開発は「不安定化行動」ではなく、圧倒的な軍事的非対称のなかでの生存戦略という側面を持つ。この視点を欠いたまま「イランはなぜ危険なのか」と問うこと自体が、すでに特定の立場を前提にしていることを自覚しておく必要がある。
イランの「ルッキング・イースト」政策についても、同様の複眼が求められる。カルダーの枠組みでは、制裁で西側から締め出されたイランが中国やロシアに「追いやられた」という構図になる。中国がイランの最大の貿易相手国となり(2010年時点で約300億ドル(約4.5兆円))、制裁の事実上の迂回路を提供してきたのは事実だ。だが、イランには非同盟運動の伝統があり、米国一極支配への対抗は革命以来の国家的アイデンティティの核でもある。「東に追いやられた」のではなく、「東との連携を積極的に選択した」側面も見落とすべきではない。
カルダー自身が冷静に指摘した逆説がある。制裁は国内の強硬派を利するだけだ、と。この逆説をさらに掘り下げれば、制裁体制そのものが「不安定化」を生産する装置になっていることが見えてくる。民間人の医薬品や食料へのアクセスを実質的に制限する経済制裁は、ミアシャイマー流の現実主義で見れば、「人道的手段」ではなく「軍事行動の代替としての経済的暴力」である。この暴力が国内の窮乏を深め、政権の対外強硬姿勢を正当化する口実を与える。封じ込めが封じ込めの対象を再生産する——この悪循環こそが、イラン問題の構造的核心だ。
日本の立ち位置にも触れておきたい。日本の省エネ技術——運輸部門の効率化や産業プロセスの改善——は、イランのような石油国家のエネルギー非効率を改善する潜在力を持つ。カルダーはそこに「技術外交」の可能性を見出した。だが実現には核問題の決着が先だ、という鶏と卵のジレンマがある。日本はかつてアザデガン油田の権益を持ちながら、米国の圧力で撤退を余儀なくされた経験がある。日本独自の中東外交の可能性と、日米同盟の制約の間にある緊張は、カルダーの分析が直接には踏み込まなかった領域であり、日本の読者にとって最も切実な問いである。
4. プーチンが夢見た「モスクワ=デリー=北京」軸の行方
ロシア・中国・インドの戦略的トライアングルは、地域の平和と安定を確保するだろう。
1998年、ロシアのプリマコフ元首相がニューデリーで一つの構想を打ち上げた。ロシア・中国・インドの「戦略的トライアングル」(三大国間の戦略的協力枠組み)である。当時は空想と嘲笑されたこの構想が、いまBRICSサミットという形で実体化しつつある。

この三角形を接着しているのは、エネルギーと兵器だ。ロシアはエネルギーの巨大な供給者であり、同時に世界有数の兵器輸出国でもある。カルダーのデータによれば、ロシアの兵器輸出に占める中国とインドのシェアは圧倒的だ。エネルギーでは、2000年から2010年にかけてロシアからアジアへのエネルギー輸出が急増した。中露のパイプライン網は年々拡大し、大陸を物理的につなぎ始めている。
だが、この三角形には構造的な緊張がある。インドは民主主義国であり、米国との戦略的パートナーシップも重視している。特に中国の台頭を牽制する文脈で、米印関係はここ20年で劇的に深まった。インドは「戦略的自律」を掲げ、どちらの陣営にも完全にはコミットしない姿勢をとる。
現在のイラン危機は、このトライアングルにとっての試金石である。ロシアと中国はイランとの関係を維持しつつ、イスラエルと米国の反応を探る。インドは板挟みだ。イランからのエネルギー(石油・ガス)と、米国・イスラエルとの戦略的協力関係の間で引き裂かれている。インドは長年、パキスタンを迂回する「イラン=パキスタン=インド(IPI)パイプライン」への参加を模索していたが、米国の圧力で断念した経緯がある。
注目すべきは、カルダーが2012年の時点でこの接近を構造的に予見していたことだ。現在の中露関係の緊密化を「ウクライナ戦争の産物」と見る向きもあるが、カルダーの枠組みで見れば、エネルギーと兵器の補完関係という基盤はそれ以前から存在していた。2022年以降の対ロシア制裁は、ロシアのエネルギー輸出を中国へ決定的にシフトさせ、「大陸主義」をカルダーの予測以上に加速させた。
だが問題はむしろ、この接近がどこまで深化しうるかだ。両国には中央アジアにおける勢力圏の重複や、ロシアの「ジュニア・パートナー」化への警戒といった構造的緊張も内在している。「協調」の内部に「競合」が折り畳まれている——この複層性こそ、単純な「反米ブロック」像では捉えきれない大陸主義の現実である
日本はこのトライアングルの外側にいる。しかし、インドが「民主主義」の価値で西側に留まるか、「エネルギー」の現実でユーラシアに呑み込まれるかは、日本の安全保障環境——シーレーン防衛、中国の海洋進出——に直結する問題である。
5. 2024年、イランとイスラエル——それは「決定的分岐点」の始まりか
カルダーの枠組みで現在のイラン・イスラエル危機を読み解くと、テレビの報道とはまったく異なる風景が見えてくる。
2023年10月のハマスによるイスラエル攻撃と、それに続くガザ侵攻。この事件は、サウジアラビアとイスラエルの国交正常化——「アブラハム合意」の延長線上にあった歴史的和解——を阻止しようとしたイランの「不安定化行動」として解釈できる。カルダーの「安定化vs不安定化石油国家」の枠組みは、ここでも有効だ。イランは「不安定化する石油国家」として、地域の安定化を自国の存続にとっての脅威と見なす。サウジとイスラエルが手を結べば、イランの「シーア派の弧」(イラン・イラク・シリア・レバノンにまたがるシーア派勢力圏)は戦略的に孤立する。

しかし、視野をもう一段広げると、これは単なるイスラエルとイランの二国間問題ではない。米国主導の「海洋」秩序——ペルシャ湾の制海権、イスラエルの安全保障——と、台頭するユーラシア「大陸」秩序——中国・ロシアによるイラン支援、上海協力機構の影——との代理戦争の様相を呈している。
カルダーが冷静に描いたのは、米国の「相対的衰退」だ。財政赤字の膨張、ユーラシア諸国の米国市場への依存度低下、そして中国の巨大な外貨準備。軍事力だけで秩序は維持できない。米国が「世界の警察官」であり続ける能力と意志の両方が削がれている現実を、本書は2012年の時点で数字とともに示していた。
「米国はまだ世界最強の軍事力を持っている。イランを叩けるのでは?」——この問いに対するカルダーの回答は明快だ。軍事力は影響力の一要素にすぎない。財政的基盤が弱まり、同盟国の忠誠が揺らぎ、敵対国が代替的な経済圏を構築し始めたとき、砲艦外交は逆効果をもたらしうる。
カルダーが見落としていなかったもう一つの不安定要因がある。サウジアラビアの国内的脆弱性だ。王子の増加、宗教勢力との緊張関係、若年層の雇用問題。もしサウジアラビアが「安定化する石油国家」の座から滑り落ちれば、世界は本当のエネルギー危機に直面する。ムハンマド・ビン・サルマン皇太子の改革は、この危機を回避するための時間との競争でもある。
ここで再び日本の問いに戻る。ホルムズ海峡が閉鎖されたら何が起きるか。日本の石油備蓄は約200日分(国家備蓄と民間備蓄の合計)。だが、備蓄が尽きる前に、経済の血流は止まり始める。そして、その時に米国がどこまで守ってくれるのか。カルダーの分析は、その前提が揺らぎつつあることを教えている。
石油の呪い——人間は資源から自由になれるのか
敵は、結局のところ、我々自身である。
カルダーの「決定的分岐点」理論をここ十年に適用すれば、新たな分岐点の候補はすでに見えている。ロシアのウクライナ侵攻(2022年)によるエネルギー供給の再編。サウジアラビアの対中接近とペトロダラー体制の動揺。そしてイスラエル・イラン対立の先鋭化。これらが連鎖したとき、2012年にカルダーが描いた「大陸主義」はさらに加速するだろう。
だが、この記事の最後に、カルダーの分析枠組みそのものの限界を指摘しておかなければならない。
カルダーが見なかったもの——軍産複合体とイスラエル
カルダーは「不安定化する石油国家」の行動を子細に分析した。だが、「不安定化させる側」の動機構造は不問に付されている。
この記事を書いている2026年3月2日、カルダーの分析は「理論」ではなく「現実」になった。2月28日、米国とイスラエルの共同軍事作戦「オペレーション・エピック・フューリー」がイラン全土を襲った。その攻撃のさなか、イラン南部ホルモズガーン州ミナーブ(Minab)の女子小学校「シャジャレ・タイイェベ校」にミサイルが着弾した。土曜日——イランでは平日だ。午前10時、7歳から12歳の少女たち約170人が教室にいた。母親たちは、オマーンの仲介で外交交渉が進んでいるから戦争にはならないと信じて娘を学校に送り出していた。死者は165人、負傷者96人。瓦礫の下にはまだ遺体が残されている。
スコット・リッター:
— Alzhacker (@Alzhacker) March 1, 2026
俺たちは子供の学校を2校攻撃した。子供の学校を2校爆撃したんだ。63人が死んだ——子どもたちが、女の子が、小さな女の子たちが死んだ。母親たちは娘の帰りを待っていた。
外交が続いているから戦争にはならない、そう信じて娘を学校に送り出した。… https://t.co/Vb5Lnqdj9Y
元国連大量破壊兵器査察官のスコット・リッター(Scott Ritter)が声を震わせた。リッターは1991年の湾岸戦争でアマリヤ・シェルター(民間防空壕。米軍の爆撃で400人以上が死亡)の爆撃に関与した経験を持つ。その彼が言う——「俺はこの仕事をやってきた人間だ。だから分かる。こんな間違いは『起きない』。意図しなければ起きない」。
では、その「意図」はどこから来るのか。
米国の軍事支出は年間約8,860億ドル(約133兆円、2024年度)。世界の軍事費の約40%を一国で占める。この支出を正当化し続けるためには「敵」が必要であり、「脅威」が必要であり、「戦争」が必要だ。ロッキード・マーティン、レイセオン、ノースロップ・グラマン——これら軍需企業は議会にロビイストを送り、選挙資金を提供し、退役将官をボードメンバーに迎える。アイゼンハワーが1961年の退任演説で警告した「軍産複合体」は、半世紀以上を経てシンクタンク、主流メディア、諜報機関を取り込み、さらに強固になった。トランプが「オペレーション・エピック・フューリー」を発動した翌日、ロッキード・マーティンの株価は急騰した。誰のために爆弾が落とされたのかを、市場は正直に語る。

そしてここに、カルダーの枠組みにおける最大の盲点がある。本書にイスラエルはほとんど登場しない。カルダーは「米国の戦略的含意」を詳細に論じるが、米国の中東政策を根底から規定してきたイスラエルとの「特殊な関係」は分析の射程外に置かれている。米国が年間38億ドル(約5,700億円)の軍事援助をイスラエルに提供し、国連安保理でイスラエルに関する決議に繰り返し拒否権を行使してきた事実。AIPAC(アメリカ・イスラエル公共問題委員会)をはじめとするイスラエル・ロビーが、米国の中東政策に構造的な影響力を持つ現実。ガザでの軍事作戦からイラン攻撃への連続性。これらを抜きにして「米国の戦略的含意」を語ることは、劇の主要な登場人物を舞台から消して物語を読むようなものだ。
ケイトリン・ジョンストン:
— Alzhacker (@Alzhacker) March 2, 2026
米、イランの報復攻撃を「挑発されていない」と非難、そしてその他の論点
米国とイスラエルによるイランへの戦争が激化している。アリ・ハメネイ師が殺害された。イランは報復として、地域内の米軍基地に対しミサイルとドローンによる攻撃を続けており、… https://t.co/R2UPfTQsmi
カルダーの枠組みでは、ロシアやイランの国内構造は精緻に分析されるが、米国とイスラエルは「国際秩序の側」として所与の前提に据えられている。「安定化vs不安定化」という類型そのものが、この秩序の維持を基準線に置いている。だが、ミナーブの少女たちの遺体は問う——「秩序の側」が学校を爆撃するとき、その「安定」は誰のための安定なのか。
カルダーが見ていたもの——エネルギーの脱集中化という回路
とはいえ、カルダーの分析には、彼自身の枠組みを超えて射程が届く洞察も含まれている。
カルダーは、軍事的封じ込めではなく「関与(エンゲージメント)」を説いた。エネルギー効率化技術の提供を通じて、「不安定化する石油国家」が安定方向に移行するインセンティブを設計せよ、と。
特に日本の省エネ技術——運輸、産業プロセス、建築——は、石油国家のエネルギー非効率を改善する潜在力を持つ。日本は「海洋国家」としてのネットワークを活かし、米国とユーラシア大陸の橋渡し役になれる位置にある。
この提言を、カルダー自身の枠組みを超えて読み替えることができる。問題の核心は、エネルギーがペルシャ湾という一点に集中し、その集中が地政学的レバレッジを生み、そのレバレッジをめぐる争いが軍産複合体を養い、最終的に学校の上にミサイルが落ちるという連鎖構造にある。この連鎖を断つ最も根本的な方法は、エネルギー供給そのものを脱集中化することだ。
注目すべき動きがある。中国がゴビ砂漠でトリウム溶融塩炉の実験を開始した。従来のウラン軽水炉とは原理が異なり、常圧で動作するためメルトダウンのリスクが本質的に低く、燃料の利用効率は従来比で10倍以上とされる。デンマークのコペンハーゲン・アトミックス(Copenhagen Atomics)社は、この技術を40フィートの輸送コンテナサイズに収めた小型炉「オニオンコア」を開発中だ。工場で量産し、トラックで運び、地域に据え付ける——巨大な送電網に依存しない、分散型エネルギーの可能性がここにある。
『エネルギー貧困からの脱出』James Corbetthttps://t.co/USOkZr6Yfl
— Alzhacker (@Alzhacker) February 19, 2026
~次世代原子炉は自由なコミュニティを救うか
・ウランの95%を燃焼できる原子炉
・爆発リスクなし:トリウム燃料と溶融塩
・地域分散:エネルギー独立への道…
日本各地のマイクログリッド(小規模分散型電力網)の試みも、同じ方向を向いている。ここで問われるのは技術の優劣ではない。こうした技術が、ビル・ゲイツのテラパワーのようにAIデータセンター向けの巨大資本の電源となるのか、それとも地域やコミュニティがエネルギーを自給するための道具になるのか——つまり、誰が使うのか、という問題だ。エネルギーの集中は権力の集中を生み、権力の集中は戦争を生む。エネルギーの分散は、この因果の鎖を、少なくとも一箇所で断ち切る可能性を持つ。
カルダーの本は、世界の権力構造を精密に描いた。その構造の中心にあるのは石油であり、石油をめぐる地政学であり、その地政学を動かす軍産複合体とイスラエル・ロビーであり、そしてその全体を支えているのはエネルギー供給の集中構造だ。この構造を前にして無力感を覚えるのは自然なことだ。
だが、構造を見たうえで、その構造への依存を一つひとつ減らしていく回路は存在する。大陸規模の地政学は変えられない。だが、その地政学が学校の上にミサイルを落とす「合理性」を支えている集中構造を、足元から組み替えていくことは——少なくとも、考え始めることはできる。
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