<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss xmlns:webfeeds="http://webfeeds.org/rss/1.0" xmlns:note="https://note.com" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom" xmlns:media="http://search.yahoo.com/mrss/" version="2.0">
  <channel>
    <title>抹茶｜物語を通して、人の認知を読み直す</title>
    <description>感情になる前に処理されてしまったものを、観察しています。
映画、本、日常を通して、
「なぜ人は、自分の感情より先に適応してしまうのか」を書いています。
“ちゃんとしていた人”ほど、
自分の感情が分からなくなることがある。
このnoteは、
その感覚に名前を探す場所です。</description>
    <link>https://note.com/930504</link>
    <atom:link rel="self" type="application/rss+xml" href="https://note.com/930504/rss/"/>
    <copyright>抹茶｜物語を通して、人の認知を読み直す</copyright>
    <webfeeds:icon>https://d2l930y2yx77uc.cloudfront.net/assets/default/default_note_logo_202212-f2394a9e5b60c49f48650eee13f6e75987c8c4f1cfa7555629a9697dc6015cd9.png</webfeeds:icon>
    <webfeeds:logo>https://d2l930y2yx77uc.cloudfront.net/assets/default/default_note_logo_202212-f2394a9e5b60c49f48650eee13f6e75987c8c4f1cfa7555629a9697dc6015cd9.png</webfeeds:logo>
    <webfeeds:accentColor>249F80</webfeeds:accentColor>
    <webfeeds:related layout="card" target="browser"/>
    <webfeeds:analytics id="UA-48687000-1" engine="GoogleAnalytics"/>
    <language>ja</language>
    <lastBuildDate>Sat, 27 Jun 2026 16:33:14 +0900</lastBuildDate>
    <item>
      <title>誰かの終わりが、ただの遅延理由になっていく朝―― 人身事故という言葉の向こうに、今日を生きていたはずの誰かがいる</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/289111399/rectangle_large_type_2_75a91a2556bef0a1850b746fab4d939e.png?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="FE2FD278-45F1-4CCD-B91F-E052FCFFC9E2" id="FE2FD278-45F1-4CCD-B91F-E052FCFFC9E2">土曜日の朝だった。<br><br>夜勤明けで限界を迎えてしまったのか。<br>酔っていたのか。<br>失恋したのか。<br>それとも、誰にも言えない何かを、もう抱えきれなくなっていたのか。<br><br>本当の理由は分からない。<br><br>分からないまま、列車は止まった。<br><br>車内では、あちこちで電話の声が聞こえていた。<br><br>「遅れます」<br>「会議があるのに」<br>「なんで今日なんだよ」<br>「めんどくさい」<br><br>中には、笑いながら話している人もいた。<br><br>もちろん、その人たちの気持ちがまったく分からないわけではない。<br><br>予定が狂う。<br>仕事に遅れる。<br>誰かに説明しなければならない。<br>怒られるかもしれない。<br>その人たちにも、その人たちの生活がある。<br><br>けれど、その瞬間、どうしても思ってしまった。<br><br>今、誰かの人生が終わったかもしれないことが、あなたの頭の中には1％も入っていないのだろうか。<br><br>予定が崩れたことに腹を立てるな、とは思わない。<br>困るな、とも言えない。<br><br>人はいつだって、自分の生活の中でしか物事を受け止められない。<br>自分だって、大事な予定があったら、同じように焦っていたかもしれない。<br><br>それでも、笑いながら「めんどくさい」と言えてしまう空気には、少し怖さを覚えた。<br><br>誰かの終わりが、いつの間にか、ただの遅延理由に変わっていく。<br>その場にいた人たちの会話の中で、ひとりの人間の出来事が、予定を邪魔した出来事として処理されていく。<br><br>「人身事故」という言葉は、とても便利だ。<br><br>それは交通情報になり、遅延証明になり、職場への説明になる。<br>駅のアナウンスになり、スマホの通知になり、誰かのため息の理由になる。<br><br>けれどその言葉の向こうには、今日を生きていたはずの誰かがいる。<br><br>朝を迎えた人。<br>眠れなかった人。<br>どこかへ向かおうとしていた人。<br>もうどこにも向かえなくなってしまった人。<br><br>誰かにとっての家族だったかもしれない。<br>友人だったかもしれない。<br>恋人だったかもしれない。<br>昨日まで、どこかで普通に暮らしていた人だったかもしれない。<br><br>なのに、車内では日常が続いていた。<br><br>電話をする人がいる。<br>ため息をつく人がいる。<br>予定を確認する人がいる。<br>仕方ないよね、と笑う人がいる。<br><br>その光景を責めきれるほど、自分はきれいな場所にはいない。<br><br>知らない誰かの死に、毎回深く沈み込めるわけではない。<br>見知らぬ人の人生を、全部想像できるわけでもない。<br>目の前の予定や仕事や約束を、すべて投げ出せるわけでもない。<br><br>たぶん、自分もまた日常の側にいる。<br><br>けれど、だからこそ余計に思った。<br><br>人の死を、ただの不便としてだけ受け取ってしまうことに、慣れすぎてはいないだろうか。<br><br>遅れること。<br>迷惑をかけること。<br>予定が崩れること。<br>仕事に支障が出ること。<br><br>それらは確かに困る。<br><br>けれどその前に、誰かがそこまで追い詰められていたかもしれない。<br>誰にも助けを求められなかったのかもしれない。<br>もう一日だけ生きる理由を、見つけられなかったのかもしれない。<br><br>そう考える余白まで、私たちは失ってしまったのだろうか。<br><br>もちろん、車内で静かに祈れと言いたいわけじゃない。<br>全員が深刻な顔をしなければならないとも思わない。<br>人には人の事情がある。<br>抱えている仕事も、責任も、生活もある。<br><br>ただ、せめて一瞬だけでもいい。<br><br>「迷惑だな」の前に、<br>「誰かがそこまで行ってしまったんだな」と思う時間があってもいいのではないか。<br><br>「会議に遅れる」の前に、<br>「もう帰れない人がいるのかもしれない」と考える沈黙があってもいいのではないか。<br><br>その一瞬があったからといって、何かを救えるわけではない。<br>亡くなった人が戻ってくるわけでもない。<br>現実の遅延がなくなるわけでもない。<br><br>でも、その一瞬を失った時、<br>人の死は、本当にただの情報になってしまう。<br><br>電車は、いずれ動き出す。<br><br>仕事も始まる。<br>会議も行われる。<br>予定も、少し形を変えながら続いていく。<br>その日の生活は、何事もなかったように再開されていく。<br><br>でも、その朝、止まっていたのは列車だけではなかった気がする。<br><br>誰かの人生がそこで途切れたかもしれないことを、<br>自分の中で、ただの遅延として終わらせたくなかった。<br><br>人身事故という言葉に置き換えられた瞬間、<br>見えなくなってしまうものがある。<br><br>その見えなくなってしまうものを、<br>ほんの少しだけでも、なかったことにしないでいたいと思った。</p><br/><a href='https://note.com/930504/n/ncbb37a070db6'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/270850650/profile_53a7a874ed956f434846e39e34e3fba4.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>抹茶｜物語を通して、人の認知を読み直す</note:creatorName>
      <pubDate>Sat, 27 Jun 2026 08:41:41 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/930504/n/ncbb37a070db6</link>
      <guid>https://note.com/930504/n/ncbb37a070db6</guid>
    </item>
    <item>
      <title>好意を言葉にできない人間が、代わりに差し出してしまう小さなものについて</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/285930039/rectangle_large_type_2_8a0e527b345d33bdaa88d11e3ab095bd.png?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="6D609906-D593-45EA-A748-EEF1A2955F81" id="6D609906-D593-45EA-A748-EEF1A2955F81">好意を言葉にできない人間が、代わりに差し出してしまう小さなものについて<br><br>好きな人に、何かを渡したくなる時がある。<br><br>高価なものを渡したいわけではない。<br>大げさなことをしたいわけでもない。<br><br>飲み物を買うとか。<br>食事に行った時、相手が二つの料理で迷っていたら、<br>「じゃあ両方頼んで、分ければいいよ」と言うとか。<br>そのくらいの、小さなことだったりする。<br><br>お金で解決したいわけじゃない。<br>相手の気持ちを買いたいわけでもない。<br>何かを返してほしいと、言葉にするつもりもない。<br><br>でも、では他にどう表現すればいいのかと聞かれると、<br>うまく答えられない。<br><br>好きだと言うには重すぎる。<br>何もしないでいるには、気持ちが余りすぎる。<br><br>だから、何でもない顔をして、<br>小さなものを差し出してしまう。<br><br>「これ、よかったら」<br>「両方頼めばいいんじゃない？」<br>「少し飲む？」<br><br>そんな言葉の中に、<br>本当は言えなかったものが、少しだけ混ざっている。<br><br>たぶん、自分はずっと、<br>何も差し出さない自分で誰かの前に立つ方法を、<br>あまり知らなかったのだと思う。<br><br>容姿で肯定された記憶が多いわけではない。<br>学業で分かりやすく認められてきたわけでもない。<br>何か特別な才能や、誰かを惹きつける強さを、<br>自分の中に確かに感じられていたわけでもない。<br><br>だから、人を好きになった時、<br>ただの自分をそのまま差し出すことが怖くなる。<br><br>何も持たないまま近づいたら、<br>選ばれない気がする。<br><br>何もできない自分のまま隣にいたら、<br>そこにいる理由がなくなってしまう気がする。<br><br>だから、相手が少しでも喜びそうなことを探す。<br>困らないようにする。<br>迷わなくて済むようにする。<br>ほんの少しでも、楽しい時間になるように先回りする。<br><br>それは、たぶん優しさでもある。<br><br>でも、優しさだけではなかった。<br><br>これは優しさなのか。<br>それとも、どこにも戻ってこないと分かっていながら、<br>それでも差し出してしまう片道切符のようなものなのか。<br><br>自分でも、時々分からなくなる。<br><br>相手から「優しいね」と言われることがある。<br><br>その言葉が嫌なわけではない。<br>むしろ、嬉しい。<br><br>ちゃんと見てくれた気がする。<br>自分のしたことが、相手に届いた気がする。<br>少しだけ、そこにいてもいい理由をもらえたような気がする。<br><br>でも同時に、返事に困ってしまう。<br><br>「そんなことないよ」と言えばいいのか。<br>「全然いいよ」と笑えばいいのか。<br>「気にしないで」と流せばいいのか。<br><br>そのどれも、少しだけ違う気がする。<br><br>なぜなら、自分が差し出したものの中には、<br>相手に知られたくない気持ちも混ざっているからだ。<br><br>本当は、優しい人になりたいだけではなかった。<br>本当は、少しだけ特別になりたかった。<br><br>ただの知り合いでもなく、<br>ただの友達でもなく、<br>相手の中に、少し違う場所として残りたかった。<br><br>でも、そんなことは言えない。<br><br>言えば、今ある距離まで変わってしまうかもしれない。<br>今まで通り話せなくなるかもしれない。<br>何気なく続いていた時間が、そこで終わってしまうかもしれない。<br><br>だから、気遣いの形を借りる。<br>優しさのふりをする。<br>何でもないことのように、差し出す。<br><br>そして「優しいね」と言われるたび、<br>自分の中に、言えなかったものが少しずつ残っていく。<br><br>相手が喜んでくれた瞬間は、ちゃんと嬉しい。<br>けれどそのあと、自分の中に残ったものを、ひとりで抱え直す時間が来る。<br><br>渡したものは、もう相手の手元にある。<br>でも、渡せなかった言葉は、自分の中に残り続ける。<br><br>それは相手のせいではない。<br><br>相手は何も求めていない。<br>何かを返してほしいと言われたわけでもない。<br>こちらが勝手に差し出して、<br>勝手に言えなかったものを抱えているだけなのかもしれない。<br><br>その自覚があるから、余計に苦しくなる。<br><br>見返りなんて求めていない。<br>そう言い切れたら、どれだけ楽だっただろう。<br><br>でも本当は、<br>何かを返してほしかったわけではなくても、<br>少しだけ覚えていてほしかった。<br><br>他の誰かと同じではなく、<br>ほんの少しだけ違う場所に置いてほしかった。<br><br>それを見返りと呼ぶのか。<br>ただの願いと呼ぶのか。<br>あるいは、言葉にできなかった好意の残り香と呼ぶのか。<br><br>自分でも、うまく分からない。<br><br>ただ、幸せな結末があるとは思えなかった。<br><br>小さなものを差し出すたび、<br>その場は少しだけ満たされる。<br><br>相手が笑ってくれる。<br>ありがとうと言ってくれる。<br>優しいねと言ってくれる。<br><br>その瞬間は、たしかに嬉しい。<br><br>でもそのあとで、<br>自分の中に濁ったものが残っていく。<br><br>本当は、何をしたかったのだろう。<br>本当は、何を言いたかったのだろう。<br>本当は、相手に何を求めていたのだろう。<br><br>そういう問いだけが、<br>静かに沈殿していく。<br><br>最初は、ただ喜んでほしかっただけだった。<br><br>でも何度も繰り返しているうちに、<br>好意は少しずつ形を変えていく。<br><br>優しさだったはずのものに、<br>不安が混ざる。<br><br>気遣いだったはずのものに、<br>期待が混ざる。<br><br>何でもないふりをした言葉の中に、<br>本当は何でもなくない気持ちが、少しずつ溜まっていく。<br><br>だから怖くなる。<br><br>この気持ちが、相手に伝わってしまうことが。<br>そして同じくらい、<br>伝わらないまま残り続けることが。<br><br>たぶん、自分が本当に欲しかったのは、<br>飲み物を受け取ってもらうことではなかった。<br><br>食事を分けることでも、<br>「優しいね」と言われることでもなかった。<br><br>何かを渡せる自分だからではなく、<br>何も渡せない自分のままでも、<br>そこにいていいと思える感覚だったのだと思う。<br><br>でも、それを求めるのは怖い。<br><br>だから今日も、<br>言葉にできない気持ちの代わりに、<br>小さなものを差し出してしまう。<br><br>相手が迷っていたら、選択肢を増やす。<br>喉が渇いていそうなら、飲み物を渡す。<br>少しでも楽しい時間になるように、何でもない顔で先回りする。<br><br>それは優しさかもしれない。<br>好意かもしれない。<br>あるいは、自分にはそれくらいしかできないと思い込んできた人間の、<br>不器用な防衛なのかもしれない。<br><br>それでも、次に何かを差し出す時、<br>少しだけ立ち止まれたらと思う。<br><br>これは相手のためなのか。<br>それとも、何も渡せない自分でいることが怖いだけなのか。<br><br>すぐに答えは出ない。<br><br>たぶん、これからも自分は、<br>何でもない顔で小さなものを差し出してしまう。<br><br>けれど、せめて気づいていたい。<br><br>その小さなものの中に、<br>優しさだけではなく、<br>言えなかった寂しさや、<br>選ばれたかった気持ちや、<br>何も持たない自分では足りないと思ってきた時間が、<br>少しだけ混ざっていることを。<br><br>そしていつか、<br>何かを渡せる自分だからではなく、<br>何も渡せない自分のままでも、<br>誰かのそばにいていいのだと。<br><br>そんなふうに、<br>少しずつ思えるようになりたい。</p><br/><a href='https://note.com/930504/n/n9b4787fcd791'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/270850650/profile_53a7a874ed956f434846e39e34e3fba4.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>抹茶｜物語を通して、人の認知を読み直す</note:creatorName>
      <pubDate>Tue, 16 Jun 2026 14:17:49 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/930504/n/n9b4787fcd791</link>
      <guid>https://note.com/930504/n/n9b4787fcd791</guid>
    </item>
    <item>
      <title>「性は溢れているのに、触れ合うことは難しくなっていった」―― 刺激だけが簡単に手に入る時代に、親密さはどこへ行ったのか</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/283346026/rectangle_large_type_2_0a563fc6e0ca4ba7b386c444f56b4370.png?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="9225079A-727E-4160-9DBC-730D5B0B6472" id="9225079A-727E-4160-9DBC-730D5B0B6472">この記事では、性やスキンシップについて触れます。<br>露骨な描写を目的にしたものではありません。<br><br>人が誰かと近づくこと。<br>身体を持って生きていること。<br>欲求をどう扱うのか。<br>そして、目の前の相手を置き去りにしないこと。<br><br>そういう、少し話しにくいけれど、本当は誰にとっても無関係ではないことについて考えています。<br><br>苦手な方は、無理に読み進めないでください。<br><br>⸻<br><br>最近、不倫を制裁する動画を見ていた。<br><br>羨ましいとは思わなかった。<br>正当な関係だとも思わなかった。<br><br>ただ、少し不思議だった。<br><br>なぜ、落ちる先が地獄だと分かりそうなことを、わざわざ時限爆弾を抱えながら続けるのだろう。<br><br>正式に好きな人ができたなら、<br>別れてほしい。<br>離婚してほしい。<br>そう伝えることは、少なくとも筋としては分かる。<br><br>もちろん、それで誰かが傷つかないわけではない。<br>けれど、嘘を重ねるよりは、現実を一つにまとめようとしている。<br><br>でも不倫は違う。<br><br>家庭は家庭。<br>恋愛は恋愛。<br>寂しさは寂しさ。<br>欲望は欲望。<br><br>本当は一人の人間の中でつながっているものを、別々の箱にしまったまま、どれも失わないようにする。<br><br>見ている側からすれば、綱渡りにしか見えない。<br>でも本人の中では、まだ落ちていないから大丈夫、になっているのかもしれない。<br><br>人は時々、危険が消えたから安心するのではなく、<br>まだ爆発していないものを、安全だと勘違いしてしまう。<br><br>そこに怖さがある。<br><br>性について考える時、いつも少し引っかかることがある。<br><br>快楽だけで動ける人がいる。<br>とりあえず発散できればいい。<br>可愛ければいい。<br>その場が楽しければいい。<br>相手がどう受け取るかより、自分が満たされるかどうかが先に来る。<br><br>そういう人は、たぶん一定数いる。<br><br>でも、自分はそこにあまり乗れない。<br><br>できれば、相手にも満たされていてほしい。<br>終わったあとに、笑っていられるくらいがいい。<br>気まずさや無理が残るより、同じ場所にいた感じがほしい。<br><br>それで面倒くさいと思われたり、怒られたりすることもあるのかもしれない。<br><br>でも、自分にとって性は、<br>一人で完結するものではなかった。<br><br>身体の話である前に、<br>相手をどう扱うかの話だった。<br><br>今の時代、性的な刺激はかなり簡単に手に入る。<br><br>デジタルコンテンツは豊富だ。<br>ありえないシチュエーション。<br>自分の生活では縁のないような容姿。<br>都合よく進む関係。<br>拒絶されない相手。<br>気まずい会話も、確認も、生活もない。<br><br>見たい時に見られる。<br>閉じたい時に閉じられる。<br>相手の疲れも、戸惑いも、沈黙も、こちらに返ってこない。<br><br>手間がかからない。<br><br>でも、現実の人間はそうはいかない。<br><br>疲れている日がある。<br>触れられたくない日がある。<br>言葉にしないと伝わらないことがある。<br>こちらの欲求と、相手の状態が一致しないこともある。<br><br>相手には、相手の身体がある。<br>相手には、相手の気分がある。<br>相手には、相手の過去がある。<br><br>画面の中の刺激は、こちらの都合を待ってくれる。<br>でも、目の前の人間は、こちらの都合だけでは動かない。<br><br>だからこそ、本当はそこにしかないものがある。<br><br>刺激は簡単に手に入る。<br>けれど、親密さは簡単には手に入らない。<br><br>日本では、性やスキンシップが少ないという話をよく聞く。<br><br>実際、全国の20〜50代既婚者4000人を対象にした調査では、43.9％が「セックスレス」、24.3％が「ややセックスレス」と答え、合計68.2％がセックスレス傾向にあるとされています。 <br><br>ただ、これを単純に「日本人は淡白だから」と片づけるのは、少し雑だと思う。<br><br>問題は、性がないことではない。<br>むしろ、性的な情報やコンテンツは溢れている。<br><br>けれど、どう求めるのか。<br>どう断るのか。<br>どう確かめるのか。<br>相手の沈黙を、勝手に同意だと思わないためにはどうすればいいのか。<br><br>そういう言葉を、あまり持たないまま大人になってしまう。<br><br>日本の性教育については、身体や生殖の仕組みに偏りやすく、人間関係、同意、境界線、ジェンダー、暴力からの安全などを含めた包括的な学びが十分ではないという指摘があります。ユネスコの国際セクシュアリティ教育ガイダンスでは、性を身体や生殖だけでなく、人間関係、権利、文化、ジェンダー、暴力と安全、健康、幸福まで含むものとして扱っています。 <br><br>教わってこなかったのは、知識だけではないのかもしれない。<br><br>誰かに近づく時、<br>自分の欲求と相手の境界を、どう同じ場所に置くのか。<br><br>そこを学ばないまま、<br>刺激だけが先に手に入るようになってしまった。<br><br>この話は、男女関係や夫婦関係だけのものではない。<br><br>障害のある方の性支援について話していたAV女優の方の言葉が、ずっと残っている。<br><br>支援したいという気持ちはある。<br>けれど、本人が自分の身体や欲求をうまく扱えず、結果として身内が対応せざるを得ない現実がある。<br>それがどれほどしんどいことなのか。<br><br>この話を聞いた時、性はもう「いやらしい話」だけでは済まないのだと思った。<br><br>それは、尊厳の話でもある。<br>介助の話でもある。<br>家族だけに背負わせていいのか、という話でもある。<br><br>厚生労働省の令和6年度事業で作成された、知的障害者の恋愛・結婚等に関する支援の手引きでは、知的障害者本人、家族、支援者が性を前向きに受け止め、権利や幸せを一緒に考えることを目的としています。また、性に関する行動が「問題」として扱われやすく、対応がその場しのぎや支援者個人の判断に寄りやすいことも示されています。 <br><br>ここにあるのは、欲求があることの問題ではない。<br><br>欲求をどう扱えばいいのか。<br>どこならいいのか。<br>誰に相談していいのか。<br>何が相手を傷つけるのか。<br>何が自分の尊厳を守ることなのか。<br><br>その言葉がないまま、本人と家族だけが現場に置かれてしまうことの苦しさだと思う。<br><br>重度身体障害者への性的支援に取り組むホワイトハンズは、性的支援を単なる娯楽や性欲処理ではなく、QOLや自尊感情のケアとして位置づけています。 <br><br>この視点は、かなり大事だと思う。<br><br>性は、なくてもいい人だけのものではない。<br>うまく扱える人だけのものでもない。<br>恋人や配偶者がいる人だけのものでもない。<br><br>身体を持って生きている以上、<br>多くの人にとって、どこかで関係してくるものだ。<br><br>だからこそ、隠せば済む話ではない。<br><br>性を語らないことは、上品でいることではなく、<br>誰かを孤立させることでもある。<br><br>もちろん、性をすべて肯定すればいいわけではない。<br><br>不倫も、暴力も、同意のない行為も、相手を消費する関係も、そこには明確に傷つく人がいる。<br><br>だから、性を語る時に大切なのは、<br>自由にすればいい、ということではない。<br><br>むしろ逆だと思う。<br><br>性が人間の根っこに近いものだからこそ、<br>雑に扱ってはいけない。<br><br>欲望があること自体が悪いのではない。<br>でも、欲望を理由に相手を置き去りにしていいわけではない。<br><br>寂しかった。<br>満たされなかった。<br>求められたかった。<br>まだ自分を異性として見てほしかった。<br><br>そういう気持ちは、きっと人間の中にある。<br><br>けれど、その気持ちがあることと、<br>誰かを裏切っていいことは別だ。<br><br>自分が満たされたいことと、<br>相手の尊厳を無視していいことも別だ。<br><br>性が悪なのではない。<br><br>相手の存在を置き去りにした性が、人を傷つける。<br><br>デジタルコンテンツの中では、相手の沈黙を気にしなくていい。<br><br>でも現実では、<br>その沈黙こそ見落としてはいけない。<br><br>相手が笑っているか。<br>無理をしていないか。<br>本当にそこにいたいと思っているか。<br>終わったあとに、何かがすり減っていないか。<br><br>そこまで見ようとした時、性はただの発散ではなくなる。<br><br>触れることは、相手の身体に近づくことだ。<br>でも同時に、相手の境界に近づくことでもある。<br><br>だから怖い。<br>だから面倒くさい。<br>だから、画面の中の刺激の方が楽に見えることもある。<br><br>でも、目の前の人間と向き合うというのは、<br>たぶんその面倒くささから逃げないことでもある。<br><br>性は、綺麗なものだと言い切るには生々しすぎる。<br><br>でも、汚いものとして隠すには、<br>人間の根っこに近すぎる。<br><br>人は、その行為の延長線上に生まれてくる。<br>考えたくない人もいるかもしれない。<br>自分だって、できれば考えたくない部分はある。<br><br>それでも、そこをなかったことにはできない。<br><br>性は溢れている。<br>刺激は簡単に手に入る。<br>画面の中には、いくらでも都合のいい場面がある。<br><br>けれど、触れ合うことは難しくなっている。<br><br>相手の反応を見て、<br>言葉にして、<br>確認して、<br>断られる可能性も引き受けて、<br>自分の欲求だけで終わらせない。<br><br>その手間を通らなければ、<br>親密さには届かないのかもしれない。<br><br>性は、誰かを手に入れるためのものではなく、<br>誰かを置き去りにしないために、学び続けるものなのだと思う。</p><br/><a href='https://note.com/930504/n/n5ca682dde182'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/270850650/profile_53a7a874ed956f434846e39e34e3fba4.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>抹茶｜物語を通して、人の認知を読み直す</note:creatorName>
      <pubDate>Sun, 07 Jun 2026 19:04:27 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/930504/n/n5ca682dde182</link>
      <guid>https://note.com/930504/n/n5ca682dde182</guid>
    </item>
    <item>
      <title>誰かを“幸せにする”なんて、本当にできるのだろうか―― 愛情は、決めつけではなく、相手の幸せを勝手に決めないことなのかもしれない</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/283314823/rectangle_large_type_2_665f5f591e46ab17991587eff3301800.png?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="66AB9B94-D9C5-43BB-8C14-A050118F9197" id="66AB9B94-D9C5-43BB-8C14-A050118F9197">「幸せにします」<br><br>映画やドラマ、本の中で、そういう言葉を聞くことがある。<br><br>たぶん、それは悪い言葉ではない。<br><br>相手を大切にしたい。<br>悲しい思いをさせたくない。<br>一緒にいる未来を、軽く考えていない。<br><br>そういう覚悟が込められた言葉なのだと思う。<br><br>でも、自分はその言葉を聞くたびに、少しだけ立ち止まってしまう。<br><br>本当に、誰かが誰かを<br>“幸せにする”ことなんてできるのだろうか。<br><br>もちろん、誰かのためにできることはある。<br><br>話を聞くこと。<br>そばにいること。<br>困っている時に手を貸すこと。<br>相手が笑える時間を、少しでも増やそうとすること。<br><br>そういうものまで否定したいわけではない。<br><br>ただ、幸せかどうかを決めるのは、<br>最後は相手の中にあるものだと思う。<br><br>何を嬉しいと思うのか。<br>どんな言葉に救われるのか。<br>どんな距離が心地いいのか。<br>何をされると、苦しくなるのか。<br><br>それは、こちらが決められるものではない。<br><br>良かれと思ってしたことが、相手には重いこともある。<br>守ろうとしたことが、相手の選ぶ場所を狭くしてしまうこともある。<br>大切にしているつもりで、相手の本音を聞かなくなることもある。<br><br>だから時々、<br>「幸せにします」という言葉が、少し怖く聞こえる。<br><br>相手の幸せまで、自分が決められるように聞こえてしまう時があるからだ。<br><br>誰かを好きになると、<br>人はいろいろな願いを持つ。<br><br>どこかに行きたい。<br>会いたい。<br>触れたい。<br>キスしたい。<br>好きになってほしい。<br>自分を選んでほしい。<br><br>それは、どれも自分の中から出てくる願いだ。<br><br>でも、それが悪いわけではない。<br><br>人を好きになる以上、<br>自分の望みが混ざらない感情なんて、<br>たぶん存在しない。<br><br>会いたいと思う。<br>近づきたいと思う。<br>特別でいたいと思う。<br>自分のことを見てほしいと思う。<br><br>そういう気持ちまで否定してしまったら、<br>人を好きになること自体が、どこか窮屈なものになってしまう。<br><br>ただ、一度だけ考えた方がいいことがある。<br><br>その願いは、相手を見ているのか。<br>それとも、相手を通して、自分が満たされたいだけなのか。<br><br>笑顔でいてほしい。<br>健康でいてほしい。<br>無理をしないでいてほしい。<br>自分を削らないでいてほしい。<br><br>そういう言葉は、少しだけ向いている方向が違う。<br><br>自分が何をしたいかではなく、<br>相手がどんな状態でいられるかに目が向いている。<br><br>もちろん、完全には分けられない。<br><br>相手の笑顔を願う気持ちの中にも、<br>その笑顔を見ていたい自分がいる。<br><br>相手に健康でいてほしいと思う気持ちの中にも、<br>失いたくない自分がいる。<br><br>「無理をしないでいてほしい」と言いながら、<br>本当は、自分の前からいなくならないでほしいだけかもしれない。<br><br>愛情は、そんなに綺麗に分けられるものではない。<br><br>だからこそ、怖いのだと思う。<br><br>「あなたのため」と言った瞬間に、<br>自分の都合が見えにくくなる。<br><br>「幸せにしたい」と言いながら、<br>本当は、自分が必要とされたいだけかもしれない。<br><br>「大切にしている」と言いながら、<br>本当は、相手を失うのが怖いだけかもしれない。<br><br>「君のため」と言いながら、<br>本当は、自分の不安を静かにさせたいだけかもしれない。<br><br>その全部が嘘だとは思わない。<br><br>でも、そこを見ないままの優しさは、<br>いつの間にか、相手の気持ちを置き去りにしてしまう。<br><br>人は、誰かに大切にされたい。<br><br>でも、誰かの理想の中で、<br>幸せそうに振る舞いたいわけではない。<br><br>「こうすれば嬉しいはず」<br>「これをされたら幸せなはず」<br>「自分なら、こうしてもらえたら嬉しい」<br><br>そういう思い込みは、<br>優しさの顔をして近づいてくる。<br><br>けれど、本当に大切なのは、<br>相手が何を幸せと呼ぶのかを、<br>勝手に決めないことなのだと思う。<br><br>自分で選んでいる感覚。<br>嫌なことを嫌だと言えること。<br>嬉しいことを、嬉しいまま受け取れること。<br>黙っている時に、勝手に答えを決められないこと。<br><br>そういう小さなものがないまま与えられる優しさは、<br>どれだけ綺麗な言葉を使っていても、<br>少しずつ息苦しくなる。<br><br>誰かを幸せにできるかどうかは、<br>最後まで分からない。<br><br>でも、相手が何を嬉しいと思うのかを知ろうとすることはできる。<br><br>何に疲れてしまうのか。<br>どんな言葉に身構えるのか。<br>どんな時に無理をしてしまうのか。<br>何をされた時に、自分のままでいられるのか。<br><br>そういうことを、決めつけずに見ようとし続けること。<br><br>たぶん、人が人にできることは、<br>思っているより限られている。<br><br>けれど、自分には、<br>そのくらいの愛情の方が信じられる。<br><br>幸せにする、ではなく。<br><br>あなたが何を幸せと呼ぶのかを、<br>勝手に決めないでいられる人でありたい。<br><br>たぶん、自分が信じたい愛情は、<br>そういう形をしている。</p><br/><a href='https://note.com/930504/n/n652eb74a5a8d'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/270850650/profile_53a7a874ed956f434846e39e34e3fba4.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>抹茶｜物語を通して、人の認知を読み直す</note:creatorName>
      <pubDate>Sun, 07 Jun 2026 17:21:36 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/930504/n/n652eb74a5a8d</link>
      <guid>https://note.com/930504/n/n652eb74a5a8d</guid>
    </item>
    <item>
      <title>「“支援します”という言葉が、少し軽く聞こえた日」―― 障害者雇用の入口と、その先にある現実について</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/282847995/rectangle_large_type_2_434c4fbe46b8c2923eaa678347e0239a.png?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="CE710178-BCB9-4CCC-9331-3E96B5AE2A03" id="CE710178-BCB9-4CCC-9331-3E96B5AE2A03">最初に書いておきたい。<br><br>僕は、障害者雇用を否定したいわけではない。<br>手帳を持つことも、支援機関に相談することも、必要な人にとっては大切な選択肢だと思っている。<br><br>実際、配慮があることで働き続けられる人もいる。<br>一般雇用の中で削られ続けるくらいなら、制度を使った方がいい場面もある。<br><br>だから、この記事は「支援を受けるな」という話ではない。<br><br>ただ、その選択肢を広告として見せる時に、<br>その先にある賃金や生活、キャリアの現実まで、本当に一緒に見てくれているのだろうか。<br><br>そこに、少し引っかかった。<br><br>きっかけは、YouTubeで流れてきた広告だった。<br><br>ADHDやうつ病の人に向けて、就職支援をします。<br>そんな内容を、アイドルのような人がにこやかに宣伝していた。<br><br>もちろん、広告だから明るく見せるのは分かる。<br>不安を煽るより、相談しやすい雰囲気を作ることも大切なのだと思う。<br><br>それでも、正直に言えば、少しイラッとした。<br><br>発達障害やうつ病を抱えながら働くことは、<br>そんなに明るく、軽く、簡単に語れるものなのだろうかと思ってしまった。<br><br>就職できるかどうかだけではない。<br>働き続けられるか。<br>生活できるだけの収入になるか。<br>将来、どんな選択肢が残るのか。<br>一度その枠で働いたあと、自分のキャリアはどう見られていくのか。<br><br>そういう話まで含めて、<br>本当に「支援します」と言っているのだろうか。<br><br>厚生労働省の「令和5年度障害者雇用実態調査」によると、発達障害者の1か月の平均賃金は13万円、精神障害者の平均賃金は14万9千円とされている。発達障害者については、週30時間以上働いている人に限っても平均は15万5千円だった。 <br><br>一方で、令和6年の賃金構造基本統計調査では、一般労働者の月額賃金は33万400円と公表されている。 <br><br>単純に比べれば、かなり大きな差がある。<br><br>発達障害者の平均賃金13万円と、一般労働者の月額33万400円。<br>差は、月に約20万円。<br>年にすれば、約240万円になる。<br><br>精神障害者の平均賃金14万9千円と比べても、<br>差は月に約18万円。<br>年にすれば、約217万円になる。<br><br>もちろん、これは一人ひとりの能力の話ではない。<br><br>短時間勤務。<br>非正規雇用。<br>職域の限定。<br>体調への配慮。<br>勤務時間の調整。<br>働き続けるために必要な制限。<br><br>そういうものが重なった結果として、この数字になっているのだと思う。<br><br>でも、だからこそ思う。<br><br>「働けます」<br>「就職できます」<br>「支援します」<br><br>そう言うなら、その先にある生活の数字も、ちゃんと一緒に見てほしい。<br><br>働くことは、採用されることだけでは終わらない。<br>家賃がある。<br>食費がある。<br>交通費がある。<br>税金や保険料がある。<br>病院代がある。<br>体調を崩した時の余白も必要になる。<br><br>働けるかどうかと、生活が成り立つかどうかは、同じではない。<br><br>そして、手帳や年金の話も、簡単ではない。<br><br>精神障害者保健福祉手帳を取れば、障害者雇用枠を使える可能性がある。<br>税金の控除や、自治体による支援につながる場合もある。<br><br>でも、ここで混同してはいけないのは、<br>手帳を取ることと、障害年金を受け取ることは別だということだ。<br><br>手帳があるから、自動的に毎月お金が振り込まれるわけではない。<br>障害年金と障害者手帳は別々の制度で、申請先も審査基準も異なる。手帳の等級と年金の等級が必ず一致するわけでもない。 <br><br>仮に、障害基礎年金2級を受給できる場合でも、令和8年度の金額は年額84万7,300円、月額にすると約7万608円とされている。 <br><br>もし発達障害者の平均賃金13万円に、障害基礎年金2級の月額約7万円を足したとしても、<br>月に約20万円。<br><br>精神障害者の平均賃金14万9千円に足しても、<br>月に約22万円。<br><br>もちろん、これは受給要件を満たした場合の話であり、誰でも受け取れるものではない。<br>初診日、保険料の納付状況、診断書、日常生活能力、就労状況など、いくつもの条件が関係する。<br><br>だから、軽く言えない。<br><br>「手帳を取ればいい」<br>「障害者雇用で働けばいい」<br>「年金もある」<br><br>そういう言葉だけでは、生活の重さを支えきれない。<br><br>自分も、何も知らないままこのことを考えているわけではない。<br><br>支援センターにも行った。<br>NPOにも相談した。<br>アルバイトとして働いたこともある。<br>精神科にも通ったし、ハローワークにも行った。<br><br>その中で、障害者枠で働くことを考えていると話した時、<br>「普通に働けそうですけどね」と言われたことがある。<br><br>たぶん、悪意があったわけではない。<br>その人なりに、僕を見て言った言葉だったのだと思う。<br><br>でも、その言葉は少しきつかった。<br><br>外から見える“働けそう”と、<br>実際にその働き方が自分に合っているかどうかは、同じではない。<br><br>朝起きられるか。<br>通勤できるか。<br>人に合わせ続けられるか。<br>急な予定変更に対応できるか。<br>仕事が終わった後、生活を残しておけるか。<br>休日に回復できるか。<br><br>そういうものは、面談の数十分だけでは見えにくい。<br><br>だからこそ、自分は、ひとつの場所の言葉だけで決めない方がいいと思っている。<br><br>支援センター。<br>医療機関。<br>ハローワーク。<br>NPO。<br>就労移行支援。<br>実際のアルバイト経験。<br><br>それぞれ見ているものが違う。<br>そして、それぞれに見落とすものもある。<br><br>ある場所では「支援が必要」と言われるかもしれない。<br>別の場所では「普通に働けそう」と言われるかもしれない。<br><br>でも、そのどちらか一つだけで、<br>自分の人生を決めなくていい。<br><br>周りの意見を聞くな、という話ではない。<br><br>医師の言葉に助けられることもある。<br>支援員の視点で、自分では気づけなかった特性に気づくこともある。<br>ハローワークで、制度や求人の現実を知ることもある。<br>家族や友人の言葉で、冷静になれることもある。<br><br>ただ、その言葉だけで、自分の働き方を決めなくていい。<br><br>「普通に働けそう」<br>「障害者枠の方がいい」<br>「正社員を目指した方がいい」<br>「まずは休んだ方がいい」<br><br>どれも、ある場面では正しいのかもしれない。<br>けれど、それがそのまま自分に合うとは限らない。<br><br>今は、単発バイトや短期バイトのアプリも増えている。<br>数時間だけ、家の近くで、仕事内容を選んで働いてみることもできる。<br><br>倉庫作業。<br>品出し。<br>清掃。<br>イベント設営。<br>受付。<br>データ入力。<br>軽作業。<br>飲食の洗い場。<br>配送補助。<br><br>仕事の種類によって、自分に合うかどうかはかなり違う。<br><br>人と話す時間が少ない方が楽な人もいれば、<br>黙々と作業する方が、かえってしんどい人もいる。<br><br>身体を動かす方が落ち着く人もいれば、<br>音や人の多さが苦手な人もいる。<br><br>接客は苦手だと思っていたけれど、短時間なら意外と大丈夫だった。<br>逆に、単調な作業なら合うと思っていたのに、時間が長く感じてしまった。<br><br>立ち仕事は平気でも、通勤がきつかった。<br>人間関係よりも、急な予定変更が苦手だった。<br>仕事内容より、帰った後に何もできなくなることの方が問題だった。<br><br>そういうことは、頭の中で考えているだけでは分からない。<br><br>もちろん、短期バイトだけで生活を安定させるのは簡単ではない。<br>それはそれで、不安定さもある。<br>毎回違う現場に行く負担もある。<br>指示する人が変わるし、慣れる前に終わってしまうこともある。<br><br>だから、短期バイトを万能な答えのように言いたいわけではない。<br><br>ただ、自分に合う働き方を知るための“小さな実験”としては、使える場面もあると思う。<br><br>いきなり人生の大きな選択をする前に、<br>自分はどんな環境なら動けるのか。<br>どんな条件だと崩れやすいのか。<br>どんな働き方なら、生活を残せるのか。<br><br>それを少しずつ確かめてもいい。<br><br>障害者雇用で働くことが、悪いとは思わない。<br><br>配慮があることで、初めて働き続けられる人もいる。<br>一般雇用の中で無理を重ねて、体調を崩してしまうくらいなら、制度を使った方がいい場面もある。<br><br>ただ、その選択をする時に、<br>給与の伸び方。<br>担当できる仕事の範囲。<br>転職時の見られ方。<br>将来の生活設計。<br>自分がどこまで開示するのか。<br>どんな配慮を求めるのか。<br><br>そこまで一緒に考えないまま、<br>「支援します」という入口だけを明るく見せられると、少し怖くなる。<br><br>支援を受けることは、大切だと思う。<br>でも、支援を受けることと、人生の判断を丸ごと誰かに渡すことは違う。<br><br>相談員も、医師も、支援機関も、制度も、広告も、<br>自分の人生を最後まで代わりに生きてくれるわけではない。<br><br>だからこそ、複数の視点を持った方がいい。<br>ひとつの言葉に、人生を預けすぎない方がいい。<br><br>自分も、散々失敗してきた。<br><br>よくない情報に振り回されたこともある。<br>誰かの助言を信じすぎて、あとから苦しくなったこともある。<br>逆に、何を言われても全部否定したくなった時期もある。<br><br>だから、偉そうに正解を渡すつもりはない。<br><br>ただ、弱っている時ほど、<br>最初に差し出された言葉を“答え”にしないでほしいと思う。<br><br>「あなたに合った働き方があります」<br>「支援します」<br>「相談してください」<br><br>その言葉に救われる人もいる。<br>でも、その言葉が本当に自分の生活まで見てくれているのかは、少し立ち止まって考えてもいい。<br><br>支援が悪いのではない。<br><br>ただ、支援という言葉は、<br>人の生活の重さを軽く見せるためのものではないと思う。<br><br>働けそうに見えることと、<br>その働き方が自分に合っていることは、同じではない。<br><br>支援を受けることは、弱さではない。<br>でも、支援を選ぶ時に、こちらの人生まで軽く扱われていいわけではない。<br><br>だから僕は、あの広告を見た時、<br>少しだけ引っかかったのだと思う。<br><br>にこやかな「支援します」の奥で、<br>見えなくなっていたものがある気がしたから。</p><p name="39BEC329-9FD8-43FC-88BD-232CA58351C7" id="39BEC329-9FD8-43FC-88BD-232CA58351C7">参考資料<br>・厚生労働省「令和5年度障害者雇用実態調査結果報告書」<br>・厚生労働省「令和6年賃金構造基本統計調査 結果の概況」<br>・日本年金機構および障害年金関連資料「令和8年度 障害基礎年金額」<br>・障害年金と障害者手帳の制度上の違いに関する解説資料</p><br/><a href='https://note.com/930504/n/n1149d53e6cd5'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/270850650/profile_53a7a874ed956f434846e39e34e3fba4.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>抹茶｜物語を通して、人の認知を読み直す</note:creatorName>
      <pubDate>Sat, 06 Jun 2026 05:48:04 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/930504/n/n1149d53e6cd5</link>
      <guid>https://note.com/930504/n/n1149d53e6cd5</guid>
    </item>
    <item>
      <title>人の心は、静かになった時に少しずつ離れていく—— “もう言わなくていい”と思うまでに、何度も出されていたサイン</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/281714782/rectangle_large_type_2_91c41171785d8998f13e4dee25ee2c84.png?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="25E028E3-12B4-4280-AB8E-D64C6806F71E" id="25E028E3-12B4-4280-AB8E-D64C6806F71E">人の心が離れる理由は、<br>怒ったからでも、腹が立ったからでもないのかもしれない。<br><br>むしろ本当に怖いのは、<br>怒りが消えたあとだ。<br><br>何を言っても伝わらない。<br>どれだけ説明しても、話がずれていく。<br>こちらの痛みが、いつも軽く扱われる。<br><br>そういうことが続いた時、<br>人はある日、静かに思ってしまう。<br><br>もう、言わなくていいか。<br><br>怒っているうちは、まだ相手に期待がある。<br><br>分かってほしい。<br>気づいてほしい。<br>変わってほしい。<br>このまま終わりたくない。<br><br>だから人は、言葉を強くしてしまう。<br>ぶつかってしまう。<br>何度も同じ話をしてしまう。<br><br>もちろん、怒ることをすべて肯定したいわけではない。<br>怒鳴ることも、相手を傷つけることも、愛情として美化してはいけない。<br><br>それでも、怒りの中にはまだ、<br>関係を修復したいという願いが残っていることがある。<br><br>怒っていた時は、まだ言葉を使っていた。<br>喧嘩していた時は、まだ関係の中に踏みとどまっていた。<br><br>でも、話しても通じない。<br>伝えても受け取られない。<br>こちらが何に傷ついたのかより、相手が「自分は責められた」と感じることの方が先に来てしまう。<br><br>そういうやり取りが重なると、<br>怒りは少しずつ削られていく。<br><br>そして最後に残るのは、<br>激しい感情ではなく、<br>静かな諦めなのだと思う。<br><br>恋人や夫婦の関係について調べていると、<br>「要求—撤退パターン」という話がある。<br><br>一方が話し合おうとする。<br>でも、もう一方は黙る。<br>避ける。<br>話題を変える。<br>距離を取る。<br><br>研究でも、このような「一方が求め、もう一方が退く」やり取りは、日常の夫婦間の葛藤の中で見られるものとして扱われています。問題は、意見が違うことそのものではなく、話し合おうとする人と、そこから退いていく人のあいだに生まれるズレなのかもしれません。 <br><br>たしかに、と思った。<br><br>人を遠ざけるのは、<br>意見が違うことではない。<br><br>違った時に、<br>もう話し合えないと感じることだ。<br><br>また、関係を傷つけやすいコミュニケーションとして、<br>「批判」「軽蔑」「防衛」「ストーンウォーリング」という考え方もあるらしい。<br><br>ストーンウォーリングとは、<br>会話から壁を作るように退いてしまうこと。<br><br>黙る。<br>反応しない。<br>忙しいふりをする。<br>その場から気持ちだけ離れてしまう。<br><br>それは必ずしも、最初から悪意でしているとは限らない。<br>感情が処理しきれなくて、閉じてしまうこともあるのだと思う。<br><br>でも、受け取る側からすれば、<br>それは少しずつ、<br>「この人には届かない」<br>という感覚になっていく。<br><br>ゴットマン研究所も、ストーンウォーリングを「相手とのやり取りから引き、反応を止める状態」と説明していて、関係を悪化させやすい代表的なパターンの一つとして挙げています。 <br><br>もちろん、黙ること自体が悪いわけではない。<br><br>感情を整理するために、少し時間が必要な時もある。<br>今話すと傷つけてしまうから、一度距離を置くこともある。<br><br>でも、黙ったあとに戻ってこられるか。<br>もう一度、話し合いの場所に立てるか。<br><br>そこに、関係の分かれ目がある気がする。<br><br>人が離れる前に出すサインは、<br>いつも分かりやすい言葉とは限らない。<br><br>会う頻度が減る。<br>返信が短くなる。<br>前ほど予定を聞かれなくなる。<br><br>それだけじゃない。<br><br>前は、同じ映画の話で長く話せた。<br>好きな音楽やアーティストの新曲で、自然に会話が広がった。<br>読んだ本の感想を聞きたくなった。<br>行きたい場所や、また行きたい旅行先の話をしていた。<br><br>でも、ある時から、<br>その話題を出しても、前みたいに広がらなくなる。<br><br>それは、趣味が変わっただけではないのかもしれない。<br><br>本当に好きだったのは、<br>映画でも、音楽でも、本でも、場所でもなく、<br>それをきっかけに、同じ時間を共有できていたことだったのかもしれない。<br><br>同じものを見て、<br>同じタイミングで笑って、<br>少し違う感想を言い合って、<br>「そういう見方もあるんだ」と思える時間。<br><br>その時間ごと、好きだったのだと思う。<br><br>だから、その話が広がらなくなった時、<br>人は少しずつ気づいてしまう。<br><br>もう、同じものを見ていても、<br>同じ時間を生きている感じがしなくなっているのかもしれない、と。<br><br>親密な関係では、相手が自分に反応してくれている、受け止めてくれていると感じられることが、関係の近さや満足感に関わるという研究もあります。完璧な返事よりも、「ちゃんと聞こうとしてくれている」と感じられることが、人を関係の中に踏みとどまらせるのかもしれません。 <br><br>逆に言えば、<br>何を言っても届かない。<br>何度伝えても、自分の痛みが軽く処理される。<br>大事にしていた話題も、思い出も、以前ほど一緒に持てなくなる。<br><br>そう感じた時、<br>人は少しずつ言葉を減らしていく。<br><br>関係が終わる時、<br>いつも「もう無理」と言葉にされるわけではない。<br><br>むしろ最後の方ほど、<br>サインは分かりやすい形をしていない。<br><br>返信が少し短くなる。<br>誘いが少し減る。<br>前なら広がっていた話題が、そこで止まる。<br>一緒に好きだったものを、前ほど一緒に楽しめなくなる。<br><br>それは冷たくなったというより、<br>その人なりに何度も出していた合図が、<br>もう届かないと分かってしまった後なのかもしれない。<br><br>怒っていた時は、まだ言葉を使っていた。<br>喧嘩していた時は、まだ関係の中に踏みとどまっていた。<br><br>変わってほしい。<br>気づいてほしい。<br>このまま終わりたくない。<br><br>そう思うからこそ、<br>人は面倒な言葉を使う。<br><br>でも、何度言っても届かない。<br>何度伝えても、自分の痛みが軽く扱われる。<br>何度誘っても、差し出した手が取られない。<br><br>そういうことが重なった時、<br>人はある日、静かに思ってしまう。<br><br>もう、言わなくていいか。<br><br>だから本当に怖いのは、<br>怒られることじゃない。<br>喧嘩になることでもない。<br><br>本当に怖いのは、<br>怒られなくなることだ。<br><br>それは許されたからではなく、<br>その人の中で、<br>気づいてほしいという最後のサインまで、<br>もう出し終えてしまったということなのかもしれない。<br><br>人の心は、<br>大きな音を立てて離れていくとは限らない。<br><br>少しずつ言葉が減って、<br>少しずつ期待が引き上げられて、<br>少しずつ同じ時間を共有できなくなっていく。<br><br>そして気づいた時には、<br>その人はもう、<br>こちらが追いかけても届かないくらい、<br>静かな場所まで離れてしまっているのかもしれない。</p><br/><a href='https://note.com/930504/n/n85955b760a13'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/270850650/profile_53a7a874ed956f434846e39e34e3fba4.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>抹茶｜物語を通して、人の認知を読み直す</note:creatorName>
      <pubDate>Tue, 02 Jun 2026 10:39:46 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/930504/n/n85955b760a13</link>
      <guid>https://note.com/930504/n/n85955b760a13</guid>
    </item>
    <item>
      <title>料理は、思い出すためだけにあるわけじゃない—— 味を受け継ぐことは、誰かの時間を未来に渡すことだった</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/281352644/rectangle_large_type_2_f0c39f69ccb67ebfdd8f1a43c28e556a.png?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="6ffbe80d-2fd3-4320-b612-9cf7a8453498" id="6ffbe80d-2fd3-4320-b612-9cf7a8453498">『月がきれいな夜に、誰かに思い出してほしかった』を読んでいて、<br>「料理はタイムカプセル」という言葉が、ずっと残っている。</p><p name="3ba6cb69-e035-4e22-86a5-1d547a34f735" id="3ba6cb69-e035-4e22-86a5-1d547a34f735">最初は、やわらかい言葉だと思った。</p><br/><a href='https://note.com/930504/n/ne6a5c5e7f522'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/270850650/profile_53a7a874ed956f434846e39e34e3fba4.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>抹茶｜物語を通して、人の認知を読み直す</note:creatorName>
      <pubDate>Mon, 01 Jun 2026 03:05:33 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/930504/n/ne6a5c5e7f522</link>
      <guid>https://note.com/930504/n/ne6a5c5e7f522</guid>
    </item>
    <item>
      <title>「助けて、になる前の言葉を置ける場所にしたい」―― 質問箱を、まだ言葉にならない違和感の入口にしてみる</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/281003711/rectangle_large_type_2_cc28279cecf655b5f5cd89dc6107f3b8.png?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="1848cb33-517e-4ba0-894a-2c3277166484" id="1848cb33-517e-4ba0-894a-2c3277166484">※質問箱は記事の最後に置いています。<br>うまくまとまっていない言葉でも大丈夫です。</p><p name="92cb3b10-0fa4-426a-a338-a8fcc5e72318" id="92cb3b10-0fa4-426a-a338-a8fcc5e72318">気づいたら、noteに質問箱のような場所ができていた。</p><br/><a href='https://note.com/930504/n/n9cea696be65c'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/270850650/profile_53a7a874ed956f434846e39e34e3fba4.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>抹茶｜物語を通して、人の認知を読み直す</note:creatorName>
      <pubDate>Sun, 31 May 2026 00:56:20 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/930504/n/n9cea696be65c</link>
      <guid>https://note.com/930504/n/n9cea696be65c</guid>
    </item>
    <item>
      <title>不安が消えないのは、未来を諦めきれないからかもしれない―― 好きなものを、好きなまま抱えているために</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/280985036/rectangle_large_type_2_4a4a5a481260bfa4e210d0bb8e3a38b5.png?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="905A819C-B475-42DE-ABCD-52B929D21EAC" id="905A819C-B475-42DE-ABCD-52B929D21EAC">たまには、作品の話ではなく、<br>最近、自分の中で漠然と考えてしまうことを書いてみようと思う。<br><br>誰かにひどいことを言われたわけではない。<br>何かが決定的に壊れたわけでもない。<br>明日から生活が大きく変わってしまうような出来事があったわけでもない。<br><br>それでも、不安だけが、いつまでも頭の中から離れない時がある。<br><br>お金のこと。<br>やりたいことのこと。<br>好きな人のこと。<br>そして、あっという間に過ぎていく時間のこと。<br><br>どれも別々の悩みに見えるのに、<br>自分の中では、なぜか同じ場所でつながっている気がする。<br><br>お金が欲しい。<br><br>そう言ってしまえば、たぶん話は分かりやすくなる。<br><br>生活を楽にしたい。<br>やりたいことをしたい。<br>好きな人と会う時間を増やしたい。<br>行きたい場所に行きたい。<br>欲しいものを買いたい。<br><br>そういう気持ちが、まったくないわけではない。<br><br>正直に言えば、noteを始めた理由の中にも、<br>少しでも稼げたらいいな、という気持ちはあった。<br><br>綺麗な理由だけで始めたわけではない。<br><br>自分の文章が誰かに届いたら嬉しい。<br>自分の考えてきたことが、誰かの役に立ったら嬉しい。<br>それは本当だ。<br><br>でも同時に、<br>もしこれが少しでも自分の生活を支えてくれたら、<br>もしほんの少しでも選択肢が増えたら、<br>そう思っていたのも本当だった。<br><br>ただ、そう考えた瞬間に、<br>すぐ別の声も聞こえてくる。<br><br>そんな簡単に稼げるわけがない。<br>甘く見すぎているんじゃないか。<br>世の中には、もっと努力している人がたくさんいる。<br>自分の文章に、そこまでの価値があるのか。<br><br>そんなふうに、<br>始める前から、自分で自分の足元を確かめ始めてしまう。<br><br>そして、そういう時に限って、<br>「月5万円稼ぐ方法」<br>「noteで100万円達成」<br>「好きなことで収益化」<br>みたいな言葉が、やたらと目に入ってくる。<br><br>もちろん、それを発信している人たちを否定したいわけではない。<br><br>実際に努力して、結果を出している人もいる。<br>誰かにとっては、背中を押してくれる情報なのだと思う。<br><br>でも、自分には時々、<br>その言葉が少しだけ眩しすぎることがある。<br><br>稼ぎ方の情報に疲れるのは、<br>お金の話ばかりだからではない。<br><br>そこにある「早く変われ」という圧力に、<br>自分のペースで考える余白まで、少しずつ削られていくからだと思う。<br><br>今のままでは足りない。<br>早く変わらなければいけない。<br>もっと効率よく動かなければいけない。<br>結果を出さなければ意味がない。<br><br>そんな言葉に触れていると、<br>自分が本当に欲しかったものまで、<br>いつの間にか見失いそうになる。<br><br>たぶん自分は、<br>ただお金そのものが欲しかったわけではない。<br><br>お金が欲しいというより、選べる余白が欲しかった。<br><br>会いたい時に会えること。<br>やってみたいと思ったことを、最初から諦めなくて済むこと。<br>好きな人との時間を、「いつまで続くんだろう」と怯えながら数えなくて済むこと。<br><br>たぶん自分は、贅沢がしたかったわけじゃない。<br><br>ただ、少しだけ未来を怖がらずに済む場所が欲しかった。<br><br>世間では時々、<br>「ないならないなりに楽しめばいい」<br>「お金がすべてじゃない」<br>「幸せは身近なところにある」<br>みたいなことが言われる。<br><br>それも、間違ってはいないのだと思う。<br><br>実際、お金があれば全部が解決するわけではない。<br>お金があっても不安な人はいるし、<br>お金だけでは守れないものもある。<br><br>でも、それでも、<br>お金がないことで、最初から選択肢を閉じてしまうことはある。<br><br>行きたい場所を調べる前に、<br>どうせ無理だと思ってしまう。<br><br>会いたいと思う前に、<br>交通費や時間や予定のことを考えてしまう。<br><br>やってみたいと思った瞬間に、<br>続けられるのか、元が取れるのか、意味があるのか、<br>そういう計算が先に出てきてしまう。<br><br>そうやって、<br>欲しいものを欲しいと言う前に、<br>自分の中で静かに諦める準備をしてしまう。<br><br>それが少し、怖かった。<br><br>ある程度、年を重ねてくると、<br>まだ何も始まっていないことに対しても、<br>先に結果のようなものを想像してしまう。<br><br>またうまくいかないんじゃないか。<br>また続かないんじゃないか。<br>また、自分だけが未来を急いでしまうんじゃないか。<br><br>そういう過去の感触が、<br>まだ来ていない未来の上に、先回りして置かれてしまう。<br><br>本当は、まだ何も決まっていない。<br><br>これからどうなるかなんて分からない。<br>うまくいくかもしれないし、いかないかもしれない。<br>続くかもしれないし、途中で形が変わるかもしれない。<br><br>それなのに、<br>過去に感じた痛みや、<br>うまくいかなかった記憶や、<br>期待したぶんだけ苦しくなった経験が、<br>まだ来ていない未来の入口に立っている。<br><br>好きな人ができると、未来が少しだけ現実味を帯びる。<br><br>だから嬉しい。<br>でも同時に、失う未来まで輪郭を持ってしまう。<br><br>一緒に行けたら楽しいだろうなと思う場所。<br>何気なく話せたら嬉しいこと。<br>同じ時間を過ごせたら、きっと幸せだろうと思う瞬間。<br><br>そういうものが浮かぶたびに、<br>胸の奥が少し温かくなる。<br><br>でも、そのすぐ隣で、<br>別の不安も生まれる。<br><br>この時間は、いつまで続くんだろう。<br>自分は、この関係をちゃんと大切にできるんだろうか。<br>生活だけで精一杯なのに、誰かとの未来まで考えていいんだろうか。<br>始めた先に、いつか終わりが来るなら、<br>最初から期待しすぎない方がいいんじゃないか。<br><br>そんなふうに考えてしまう。<br><br>関係が悪いわけではない。<br>話が続かないわけでもない。<br>むしろ、時間があっという間に過ぎてしまうことの方が怖い。<br><br>楽しいから怖い。<br>大切に思うから、不安になる。<br>未来を想像できてしまうから、失う可能性まで見えてしまう。<br><br>だからこれは、<br>単に「恋愛が不安」という話ではないのだと思う。<br><br>もっと手前にある。<br><br>大切にしたいものができた時、<br>自分にはそれを守れるだけの余白があるのか。<br><br>たぶん、自分がずっと怖かったのは、そこだった。<br><br>お金が足りないことだけが怖いわけではない。<br>時間が足りないことだけが怖いわけでもない。<br>好きな人とどうなるかだけが怖いわけでもない。<br><br>本当に怖かったのは、<br>大切にしたいものができたのに、<br>それを大切にできる自分ではないかもしれないと思ってしまうことだった。<br><br>だから、不安が消えない。<br><br>何かが壊れたからではない。<br>誰かを責めたいからでもない。<br>何もかもがうまくいっていないからでもない。<br><br>むしろ、<br>少しだけ楽しみにしたい未来があるから、<br>不安まで一緒に具体的になってしまう。<br><br>何も望まなければ、<br>こんなふうに怖くならなかったのかもしれない。<br><br>会いたいと思わなければ。<br>やってみたいと思わなければ。<br>文章で何かを変えたいと思わなければ。<br>誰かとの時間を、もう少し先まで想像しなければ。<br><br>きっと、もっと傷つかずに済んだのかもしれない。<br><br>でも、それはたぶん、<br>自分が本当に望んでいる生き方ではない。<br><br>不安になりたくないからといって、<br>好きなものまで小さくしてしまうのは、<br>少し違う気がする。<br><br>未来を怖がりたくない。<br>でも、未来をまったく諦めたいわけでもない。<br><br>その間で、ずっと揺れている。<br><br>お金があれば全部解決するとは思っていない。<br>好きな人がいれば全部が満たされるとも思っていない。<br>noteで稼げれば不安が消えるとも思っていない。<br><br>でも、<br>何かを好きでいる時に、<br>最初から諦める理由ばかり探してしまう自分ではいたくなかった。<br><br>不安を消したかったわけじゃない。<br><br>ただ、不安があっても、<br>好きなものを好きなまま抱えていられるくらいの余白が欲しかった。<br><br>きっと、自分が欲しかったのは、<br>大きな成功でも、<br>分かりやすい幸せでも、<br>誰かに誇れるような結果でもなかったのだと思う。<br><br>もう少しだけ、<br>未来を怖がらずに考えられること。<br><br>会いたい人に、会いたいと思えること。<br>やってみたいことを、やってみたいまま置いておけること。<br>好きなものを、失う前提で数えなくて済むこと。<br><br>それくらいの余白が、欲しかった。<br><br>不安が消えないのは、<br>弱いからではないのかもしれない。<br><br>まだ、未来を諦めきれていないから。<br><br>好きなものを、<br>好きなまま抱えていたいと、<br>どこかでまだ思っているからなのかもしれない。</p><br/><a href='https://note.com/930504/n/nc7c50c93fda6'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/270850650/profile_53a7a874ed956f434846e39e34e3fba4.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>抹茶｜物語を通して、人の認知を読み直す</note:creatorName>
      <pubDate>Sat, 30 May 2026 23:35:14 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/930504/n/nc7c50c93fda6</link>
      <guid>https://note.com/930504/n/nc7c50c93fda6</guid>
    </item>
    <item>
      <title>知らなかった、だけでは済まないことがある—— 扱えることと、扱っていいことは違う</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/280533749/rectangle_large_type_2_920e6462b07bf2cf64fefa73629d66ca.jpg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="1021C21E-B97F-4A1F-AC48-CEE9BCB97805" id="1021C21E-B97F-4A1F-AC48-CEE9BCB97805">魔法は、ずっと憧れの形をしていた。<br><br>何かを変えられること。<br>届かなかった場所に手を伸ばせること。<br>自分には無理だと思っていた世界へ、近づけること。<br><br>けれど『とんがり帽子のアトリエ』を見ていると、<br>その憧れが、少しだけ別の顔を持って見えてくる。<br><br>魔法は、夢を叶えるものでもある。<br>でも同時に、<br>知らないまま扱ってしまえる力でもある。<br><br>憧れだけで描いた魔法陣は、<br>誰かを救う入口にも、<br>誰かの日常を壊す入口にもなる。<br><br>そこに、この作品がただの魔法の物語では終わらない理由がある気がした。<br><br>『とんがり帽子のアトリエ』の魔法は、<br>ただ血筋や才能だけで選ばれた誰かのものではない。<br><br>知識があり、道具があり、<br>その仕組みに触れてしまえば、<br>世界に作用してしまう。<br><br>だからこそ、夢だけでは済まない。<br><br>魔法は憧れであると同時に、<br>扱いを誤れば、<br>誰かの生活を変えてしまう力でもある。<br><br>知っていること。<br>扱えること。<br>そして、扱った先に何が起きるかまで想像できること。<br><br>たぶん、この三つは同じではない。<br><br>魔法を知っていることと、<br>魔法を使えることは違う。<br><br>そして本当は、<br>使えることと、使っていいことも違う。<br><br>毒は、使い方を知れば薬になる。<br>爆薬も、扱い方を知れば道を切り開く力になる。<br><br>けれど、それらが人の役に立つのは、<br>危険ではないからではない。<br><br>危険なものとして扱われているから、<br>かろうじて人の役に立つ形に変えられているだけだ。<br><br>魔法も、たぶん同じなのだと思う。<br><br>夢のような力だからこそ、<br>夢だけで扱ってはいけない。<br><br>憧れだけで描いた魔法陣は、<br>誰かを救う入口にも、<br>誰かの日常を壊す入口にもなる。<br><br>「無知は罪だ」と言い切ってしまうのは、<br>少し乱暴かもしれない。<br><br>人は誰でも、最初は知らない。<br>知らないから学ぶし、<br>間違えるから覚えていく。<br><br>だから、無知そのものを責めたいわけではない。<br><br>けれど、知らなかったことで誰かの日常が壊れてしまった時、<br>「知らなかったから仕方ない」だけでは、<br>残された痛みを置き去りにしてしまう気がする。<br><br>無知そのものが罪なのではない。<br>けれど、知らないまま力に触れられる世界では、<br>無知は時々、誰かを傷つける形をして現れる。<br><br>ただ、ここで話を終わらせると、<br>少し簡単すぎる気もする。<br><br>毒や爆薬なら、まだ分かりやすい。<br>最初から危険なものとして扱われるからだ。<br><br>本当に難しいのは、<br>自分では「良いもの」だと思って差し出している時かもしれない。<br><br>正論。<br>助言。<br>やさしさ。<br>心配。<br>相手のためを思っている、という感覚。<br><br>それらは、人を救うこともある。<br><br>けれど時々、<br>相手の痛みを見る前に、<br>自分の正しさを守るための道具になってしまう。<br><br>言葉もそうだ。<br>知識もそうだ。<br>正論もそうだ。<br>やさしさでさえ、そうかもしれない。<br><br>扱い方を知らないまま差し出されたものは、<br>時々、相手のためではなく、<br>自分が安心するためのものになってしまう。<br><br>「あなたのためを思って」<br>「正しいことを言っているだけ」<br>「悪気はなかった」<br><br>そういう言葉の中に、<br>人は時々、自分の無知を隠してしまう。<br><br>本当に怖いのは、知らないことではなく、<br>知らないままでも、自分は正しいと思えてしまうことなのかもしれない。<br><br>言葉にしていないから、<br>まだ何もしていない。<br><br>そう思ってしまうことがある。<br><br>でも、感情は声になる前に、<br>表情や態度や沈黙として、<br>もう誰かに届いてしまっていることがある。<br><br>「感情を言葉にしなくても、顔に出したら同じ」<br><br>この言葉が残ったのは、<br>そこに少し痛いほどの現実があったからだと思う。<br><br>人は、自分が何を言ったかだけで、<br>誰かと関わっているわけではない。<br><br>何を言わなかったか。<br>どんな顔をしたか。<br>どんな沈黙を置いたか。<br>どんな距離の取り方をしたか。<br><br>そういうものまで含めて、<br>相手には何かが伝わってしまう。<br><br>もちろん、すべてを完璧に扱うことなんてできない。<br><br>人は間違える。<br>言葉も足りなくなる。<br>良かれと思ってしたことが、<br>違う形で届いてしまうこともある。<br><br>だからこそ、<br>学ぶことが必要なのだと思う。<br><br>学ぶことは、自由になることだと思っていた。<br><br>できることが増えて、<br>見える世界が広がって、<br>自分の手で何かを変えられるようになること。<br><br>でも、もしかしたらそれだけではない。<br><br>学ぶことは、<br>自分が何をできるかを知ることではなく、<br>自分が何をしてしまえるのかを知ることでもある。<br><br>どこまでなら扱っていいのか。<br>何を知らないまま使ってはいけないのか。<br>自分の憧れや善意が、<br>誰かの痛みにならないために。<br><br>生きることより上手い先生はいない。<br>たぶん、それは本当だと思う。<br><br>けれど、その授業はいつも優しいとは限らない。<br><br>失敗してからしか分からないことがある。<br>傷つけてからしか見えないものがある。<br>取り返しがつかなくなってから、<br>初めて自分の無知に気づくこともある。<br><br>それでも、<br>できるならその前に立ち止まりたい。<br><br>自分が今、何を扱っているのか。<br>それは本当に、相手のためなのか。<br>それとも、自分の正しさを守るためなのか。<br><br>その問いを持てることも、<br>きっと学びの一部なのだと思う。<br><br>無知を裁くためではなく、<br>無知のまま誰かを傷つけないために、<br>人は学ぶ。</p><br/><a href='https://note.com/930504/n/n42469757f72c'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/270850650/profile_53a7a874ed956f434846e39e34e3fba4.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>抹茶｜物語を通して、人の認知を読み直す</note:creatorName>
      <pubDate>Fri, 29 May 2026 13:18:35 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/930504/n/n42469757f72c</link>
      <guid>https://note.com/930504/n/n42469757f72c</guid>
    </item>
    <item>
      <title>何も返せない自分のまま、好意を受け取ること―― 『リカバリー・カバヒコ』と、甘えることを忘れていく大人たち</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/280310587/rectangle_large_type_2_62da724a24c7fc75c0e17c3398752b04.png?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="b74d2051-1720-47ba-91f4-4ee283209220" id="b74d2051-1720-47ba-91f4-4ee283209220">人は、与える側でいることには慣れていく。<br>けれど、受け取る側になることは、いつの間にか下手になっていく。</p><p name="ca37435b-ae3d-4270-91eb-a7e39f7e97ce" id="ca37435b-ae3d-4270-91eb-a7e39f7e97ce">『リカバリー・カバヒコ』を読みながら、<br>何度もそんなことを考えた。</p><br/><a href='https://note.com/930504/n/n54e95687e317'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/270850650/profile_53a7a874ed956f434846e39e34e3fba4.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>抹茶｜物語を通して、人の認知を読み直す</note:creatorName>
      <pubDate>Thu, 28 May 2026 17:57:26 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/930504/n/n54e95687e317</link>
      <guid>https://note.com/930504/n/n54e95687e317</guid>
    </item>
    <item>
      <title>考えすぎてしまう自分を、言葉にしていく—— 映画、本、日常を通して、自分の感じ方を見つめるnote</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/279901379/rectangle_large_type_2_0b8a55346b77d29a679f5772f87929ec.png?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="c446250f-cf3f-4c58-b4e0-a97a332d08fb" id="c446250f-cf3f-4c58-b4e0-a97a332d08fb">人は時々、<br><b>“自分がどう感じたか”より先に、<br>「どう反応するべきか」を考えてしまう。</b></p><p name="bbdddff9-5119-4cfa-af00-54cbbad94e5e" id="bbdddff9-5119-4cfa-af00-54cbbad94e5e">嫌だったはずなのに、<br>説明して、納得しようとしたり。</p><br/><a href='https://note.com/930504/n/nf2181edaf51e'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/270850650/profile_53a7a874ed956f434846e39e34e3fba4.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>抹茶｜物語を通して、人の認知を読み直す</note:creatorName>
      <pubDate>Wed, 27 May 2026 10:37:19 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/930504/n/nf2181edaf51e</link>
      <guid>https://note.com/930504/n/nf2181edaf51e</guid>
    </item>
    <item>
      <title>「怒れなかったのではなく、怒っていいと思えなかった」―― 嫌だと言っても、全部が終わるわけじゃないと信じたかった</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/279257686/rectangle_large_type_2_c6ef342c1b97fc56d3333aa3fe11e318.png?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="896d565e-840c-4715-88ed-e2779a0b887a" id="896d565e-840c-4715-88ed-e2779a0b887a">「悪気はなかったと思う」</p><p name="14c1b5ee-93fc-42f6-af3f-36ba91755c8d" id="14c1b5ee-93fc-42f6-af3f-36ba91755c8d">気づけば、<br>そういう言葉を、<br>先に探す癖がついていた。</p><br/><a href='https://note.com/930504/n/ndf3d7e7bce6c'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/270850650/profile_53a7a874ed956f434846e39e34e3fba4.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>抹茶｜物語を通して、人の認知を読み直す</note:creatorName>
      <pubDate>Mon, 25 May 2026 09:51:30 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/930504/n/ndf3d7e7bce6c</link>
      <guid>https://note.com/930504/n/ndf3d7e7bce6c</guid>
    </item>
    <item>
      <title>やり直せる夏でも、正解は用意されていなかった　―― 『サマータイムレンダ』と、選んだ未来を引き受けること</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/279241346/rectangle_large_type_2_c6e288bc91ae5ff821fb8612608e93a9.png?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="f8489a94-f075-418e-bd53-157fdd4c8d50" id="f8489a94-f075-418e-bd53-157fdd4c8d50">あの夏は、もう戻らない。</p><p name="f0653eab-156a-477f-a1ec-d64352a22498" id="f0653eab-156a-477f-a1ec-d64352a22498">そう思っていた。</p><br/><a href='https://note.com/930504/n/n870c488871aa'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/270850650/profile_53a7a874ed956f434846e39e34e3fba4.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>抹茶｜物語を通して、人の認知を読み直す</note:creatorName>
      <pubDate>Mon, 25 May 2026 08:27:20 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/930504/n/n870c488871aa</link>
      <guid>https://note.com/930504/n/n870c488871aa</guid>
    </item>
    <item>
      <title>戻らない夏に、名前をつけること―― 『あの花』と、もう自分を責め続けなくていい理由</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/279021074/rectangle_large_type_2_9bd8eb9d3629cd022cb1538c0ab2c74f.png?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="e0b73a6b-4c21-4ae4-8dcf-34f08930c7e4" id="e0b73a6b-4c21-4ae4-8dcf-34f08930c7e4"><br>「10年後の8月」と聞くと、<br>どこか未来の約束のように感じる。</p><p name="fbb7a5c3-3f57-4bf8-a1f8-548893857001" id="fbb7a5c3-3f57-4bf8-a1f8-548893857001">また会える。<br>忘れない。<br>あの夏は、ちゃんと残っている。</p><br/><a href='https://note.com/930504/n/nb7e58d2a7e81'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/270850650/profile_53a7a874ed956f434846e39e34e3fba4.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>抹茶｜物語を通して、人の認知を読み直す</note:creatorName>
      <pubDate>Sun, 24 May 2026 14:44:36 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/930504/n/nb7e58d2a7e81</link>
      <guid>https://note.com/930504/n/nb7e58d2a7e81</guid>
    </item>
    <item>
      <title>その夏を、なかったことにはできなかった―― 忘れられないまま、出口を選ぶということ</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/278953360/rectangle_large_type_2_b690b6f7e7a0ddf32cd3b99b31ac324d.png?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="d8ccc1de-c5c9-4331-a656-d6b8166348fa" id="d8ccc1de-c5c9-4331-a656-d6b8166348fa"><br>忘れられないまま、出口を選ぶ時がある</p><p name="abfa6909-2203-4a69-8f55-4143d4c24e9a" id="abfa6909-2203-4a69-8f55-4143d4c24e9a">夏になると、<br>終わったはずのものを思い出す人がいる。</p><br/><a href='https://note.com/930504/n/n0c21e7acb665'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/270850650/profile_53a7a874ed956f434846e39e34e3fba4.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>抹茶｜物語を通して、人の認知を読み直す</note:creatorName>
      <pubDate>Sun, 24 May 2026 09:57:44 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/930504/n/n0c21e7acb665</link>
      <guid>https://note.com/930504/n/n0c21e7acb665</guid>
    </item>
    <item>
      <title>「『おかえり』と言われるだけで、人は少し救われたりする」―― “ここにいていい”が、説明なしに成立していた夏の話</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/278785511/rectangle_large_type_2_919447e633794f917a59d615faaebaa2.png?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="bd88b90c-4f81-4ba0-a965-f5583a29586d" id="bd88b90c-4f81-4ba0-a965-f5583a29586d">夏が終わったあと、<br>時々、<br>もう戻れないはずの景色を思い出すことがある。</p><p name="725b6324-e3f9-49bb-8d23-e4583950491d" id="725b6324-e3f9-49bb-8d23-e4583950491d">大人数で囲む食卓とか。</p><br/><a href='https://note.com/930504/n/n62a86342ebe8'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/270850650/profile_53a7a874ed956f434846e39e34e3fba4.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>抹茶｜物語を通して、人の認知を読み直す</note:creatorName>
      <pubDate>Sat, 23 May 2026 18:47:12 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/930504/n/n62a86342ebe8</link>
      <guid>https://note.com/930504/n/n62a86342ebe8</guid>
    </item>
    <item>
      <title>「終わったはずの時間が、少し遅れて追いついてくる」―― 人は時々、“別の未来”を手放せないまま大人になる</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/278646592/rectangle_large_type_2_4f134cbc48b2a7ab6d96df6b2a6189fe.png?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="9eccb393-e3af-4bee-baef-106c1ac074f2" id="9eccb393-e3af-4bee-baef-106c1ac074f2">『時をかける少女』を見るたびに、<br>思い出すのはタイムリープの面白さじゃなかった。</p><p name="154f6c51-1e19-4a30-922f-cb8bc01ba0dc" id="154f6c51-1e19-4a30-922f-cb8bc01ba0dc">むしろ、<br><strong>“やり直せる”と知った瞬間から、人は少しずつ「今」を雑に扱い始めてしまう</strong><br>という、<br>あの物語の残酷さだった。</p><br/><a href='https://note.com/930504/n/n1ff98b5a1ce4'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/270850650/profile_53a7a874ed956f434846e39e34e3fba4.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>抹茶｜物語を通して、人の認知を読み直す</note:creatorName>
      <pubDate>Sat, 23 May 2026 08:46:48 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/930504/n/n1ff98b5a1ce4</link>
      <guid>https://note.com/930504/n/n1ff98b5a1ce4</guid>
    </item>
    <item>
      <title>「“現実を変えたい”と願ってしまった夏があった」―― 人は時々、逃げ込んだ場所で自分の感情を知る</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/278357375/rectangle_large_type_2_77b7df58f6295cd19ffa2057570e22b3.png?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="e5692885-3279-44d0-a020-55e8a48012ba" id="e5692885-3279-44d0-a020-55e8a48012ba">子供の頃に見た『ブレイブ・ストーリー』は、<br>ただの異世界冒険映画だった。</p><p name="071e3f3f-1ce1-4e78-9a65-06ae07361f0a" id="071e3f3f-1ce1-4e78-9a65-06ae07361f0a">剣があって、<br>魔法があって、<br>仲間がいて、<br>世界を旅する。</p><br/><a href='https://note.com/930504/n/n6cd64e907da9'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/270850650/profile_53a7a874ed956f434846e39e34e3fba4.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>抹茶｜物語を通して、人の認知を読み直す</note:creatorName>
      <pubDate>Fri, 22 May 2026 08:22:04 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/930504/n/n6cd64e907da9</link>
      <guid>https://note.com/930504/n/n6cd64e907da9</guid>
    </item>
    <item>
      <title>「強くなれなかった人間にも、夏はちゃんとあった」―― 大人になるほど、“弱いまま誰かを想う”ことが難しくなっていく</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/278348577/rectangle_large_type_2_df8dd073ebf0542fa2a91957637946e6.png?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="653bdda7-f9ef-4990-b0ae-ab7531cc18db" id="653bdda7-f9ef-4990-b0ae-ab7531cc18db">暑くなってくると、<br>昔のアニメ映画を思い出す。</p><p name="9ad99589-e2e5-4a1f-ab3c-6e405d6c982f" id="9ad99589-e2e5-4a1f-ab3c-6e405d6c982f">内容を細かく覚えているわけじゃない。</p><br/><a href='https://note.com/930504/n/nf5f2deae02dd'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/270850650/profile_53a7a874ed956f434846e39e34e3fba4.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>抹茶｜物語を通して、人の認知を読み直す</note:creatorName>
      <pubDate>Fri, 22 May 2026 07:33:54 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/930504/n/nf5f2deae02dd</link>
      <guid>https://note.com/930504/n/nf5f2deae02dd</guid>
    </item>
    <item>
      <title>「まだ夏じゃないのに、もうあの頃を思い出していた」―― 音楽や物語の中には、“失う前の時間”が残って</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/278340744/rectangle_large_type_2_66cf3286fde3bbf9ed66a72828b4459c.png?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="dad04c90-f81e-4661-83ff-70aeeb0b4550" id="dad04c90-f81e-4661-83ff-70aeeb0b4550"><br></p><figure name="bc752e3f-d7d2-45e9-8cc2-2a7263802d37" id="bc752e3f-d7d2-45e9-8cc2-2a7263802d37" data-src="https://youtu.be/l0GN40EL1VU?si=x2seewXRNdYsZG9l" data-identifier="null" embedded-service="youtube" embedded-content-key="emb948249b1cd04">  </figure><br/><a href='https://note.com/930504/n/n3f4a139dd4ef'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/270850650/profile_53a7a874ed956f434846e39e34e3fba4.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>抹茶｜物語を通して、人の認知を読み直す</note:creatorName>
      <pubDate>Fri, 22 May 2026 06:39:51 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/930504/n/n3f4a139dd4ef</link>
      <guid>https://note.com/930504/n/n3f4a139dd4ef</guid>
    </item>
    <item>
      <title>「“そのまま信じる”ことが、少しずつ難しくなっていった」―― 理解できることが増えるほど、人は何を失うのか</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/277902395/rectangle_large_type_2_24d239278047424b44a46b2f6945d2c0.png?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="c7058add-cd07-424f-85cc-58e545e0c8b1" id="c7058add-cd07-424f-85cc-58e545e0c8b1">『アルジャーノンに花束を』を読んだ時、<br>ずっと残っていた感覚があった。</p><p name="60a370b9-81c4-4949-9e58-233ce0368403" id="60a370b9-81c4-4949-9e58-233ce0368403"><strong>“物事を理解できるようになることは、<br>本当に幸せなんだろうか”</strong></p><br/><a href='https://note.com/930504/n/nb0c1f7f1674e'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/270850650/profile_53a7a874ed956f434846e39e34e3fba4.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>抹茶｜物語を通して、人の認知を読み直す</note:creatorName>
      <pubDate>Wed, 20 May 2026 19:55:54 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/930504/n/nb0c1f7f1674e</link>
      <guid>https://note.com/930504/n/nb0c1f7f1674e</guid>
    </item>
    <item>
      <title>「いただきます。」と言ったあと、誰の声もしない夜がある―― 味より先に、“一人じゃなかった感覚”を人は覚えている</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/277487375/rectangle_large_type_2_b8a90246371d3c2a8fd14c5874110e4f.png?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="b51a9934-d25b-4e95-bb09-b03af0f8983b" id="b51a9934-d25b-4e95-bb09-b03af0f8983b">コンビニで、<br>適当にカゴへ入れた夜食を、<br>一人で持ち帰る。</p><p name="9dbccc6c-c492-4a0a-9223-e705c97124f4" id="9dbccc6c-c492-4a0a-9223-e705c97124f4">何が食べたいわけでもなかった。</p><br/><a href='https://note.com/930504/n/n729da0209572'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/270850650/profile_53a7a874ed956f434846e39e34e3fba4.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>抹茶｜物語を通して、人の認知を読み直す</note:creatorName>
      <pubDate>Tue, 19 May 2026 14:56:55 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/930504/n/n729da0209572</link>
      <guid>https://note.com/930504/n/n729da0209572</guid>
    </item>
    <item>
      <title>「自分の感情より、“問題にならない答え”を選んできた」―― “ちゃんとしている人”でいるほど、自分が分からなくなっていった</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/277437050/rectangle_large_type_2_66ce8120c5c77ddc86de877f3c2e8562.png?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="b0a47b68-e33f-4e5b-bc33-7d79bfd02a6e" id="b0a47b68-e33f-4e5b-bc33-7d79bfd02a6e">「自分はどう思う？」</p><p name="c07d0762-1336-44e1-9900-4676dc7a6be0" id="c07d0762-1336-44e1-9900-4676dc7a6be0">そう聞かれた時、<br>昔の自分は、<br>答えるまでに少し時間がかかっていた。</p><br/><a href='https://note.com/930504/n/nacce90b31e47'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/270850650/profile_53a7a874ed956f434846e39e34e3fba4.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>抹茶｜物語を通して、人の認知を読み直す</note:creatorName>
      <pubDate>Tue, 19 May 2026 12:05:30 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/930504/n/nacce90b31e47</link>
      <guid>https://note.com/930504/n/nacce90b31e47</guid>
    </item>
    <item>
      <title>「人間を数値化した先に、“安心”はあるんだろうか」―― “正しさ”をシステムに預け始めた社会の話</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/277376917/rectangle_large_type_2_cbdb317e54c494916c0cb4dc08b39728.png?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="983f9be2-1d6a-43bc-bbb4-d9e9322a0184" id="983f9be2-1d6a-43bc-bbb4-d9e9322a0184">PSYCHO-PASS サイコパス の世界では、<br>人間の感情や犯罪傾向まで数値化される。</p><p name="85b8ed73-95ab-4180-8ae7-0c31f70b7e4b" id="85b8ed73-95ab-4180-8ae7-0c31f70b7e4b">危険か。<br>正常か。<br>社会に適応できるか。</p><br/><a href='https://note.com/930504/n/n6a61c4eb1ac9'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/270850650/profile_53a7a874ed956f434846e39e34e3fba4.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>抹茶｜物語を通して、人の認知を読み直す</note:creatorName>
      <pubDate>Tue, 19 May 2026 07:57:51 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/930504/n/n6a61c4eb1ac9</link>
      <guid>https://note.com/930504/n/n6a61c4eb1ac9</guid>
    </item>
  </channel>
</rss>
