レズビアンなのに、“男”を好きになってしまった
私は、女性しか愛せない。
それは、選んだわけじゃない。
気づいたときには、もうそうだった。
男を見ても、何も思わない。
触れられても、ただの“他人の体温”だった。
何も感じなかった。
好きになる、という回路が最初から存在しない。
そういうものだと、疑ったこともなかった。
あの人に会うまでは。
最初に見たとき、ただ、綺麗だと思った。
輪郭が少しだけ曖昧で、光の当たり方によって印象が変わる顔。
作り込んでいるわけじゃないのに、どこか完成されている。
「こんなふうに笑う女の人、初めて見た」
そう思った瞬間に、もう半分、落ちていたのかもしれない。
声をかけたのは、私からだった。
理由は、うまく言語化できない。
ただ、“見過ごせなかった”。
声は、少し低かった。
でも、その低さが不思議と馴染んだ。
違和感じゃなくて、深さみたいなものとして。
帰り道、名前を聞いたとき。
その人は、少しだけ間を置いてから言った。
「俺、男だよ」
その一言で、世界の解像度が一段階ズレた。
さっきまで“女”として認識していた存在に、
“男”というラベルが強制的に貼られる。
頭の中で、何かが噛み合わなくなる。
でも。
そのズレは、拒絶にはならなかった。
むしろ。
そのまま、受け入れてしまった。
おかしいのは、分かっている。
私は、女性が好きだ。
それはアイデンティティに近い。
自分を定義するための、数少ない確かなもの。
なのに。
その前提が、あっさり揺らいでいる。
それでも、目が離せなかった。
仕草が、柔らかい。
距離の詰め方が、自然で、侵入してこない。
視線の置き方が、優しい。
女よりも、女らしい部分がある。
でも、それは“女だから”ではなくて。
たぶん、その人自身の構造だった。
私は、その構造に惹かれていた。
何度か会ううちに、関係は静かに近づいた。
名前を呼ぶことに抵抗がなくなり、
隣に座る距離が、当たり前になっていく。
手が触れたとき、違和感はなかった。
むしろ、“正しい位置に収まった”ような感覚があった。
たぶん私は、その人を“女として”扱うことで、
すべてを整合させていた。
そうじゃないと、自分が壊れるから。
「それでいいよ」
ある日、その人はそう言った。
「女として見られるの、嫌いじゃないし」
その言葉は、免罪符みたいだった。
間違っているかもしれない関係に、
「続けてもいい理由」が与えられる。
私は、それに甘えた。
見ないふりをすればいい。
考えなければいい。
現実は、いくらでも形を変える。
その夜、初めて身体に触れた。
近づいた瞬間、分かった。
ああ、これは男の身体だ、と。
骨の硬さ。
筋肉の付き方。
体温の伝わり方。
細部が、すべて違う。
一瞬、手が止まる。
ここで引けば、たぶん間違わない。
そう思った。
でも。
離れなかった。
触れた。
そのまま、触れ続けた。
身体は、正直だった。
気持ちよかった。
でも。
その感覚が、いちばん嫌だった。
自分の中の前提が、ひとつずつ崩れていく。
「女しか愛せない」という確信が、
曖昧な快楽に上書きされていく。
これは違う。
これは私じゃない。
そう思いながら。
止めなかった。
止められなかった。
終わったあと、静かな沈黙が落ちた。
呼吸だけが残る空間で、その人が言った。
「それ、俺をみてるんじゃなくて“女”をみてるだけでしょ」
言葉が、まっすぐ刺さった。
反論できなかった。
私は、その人を見ていなかった。
ただ、“女として成立する何か”を、
そこに当てはめていただけだった。
「だって」
ようやく出た言葉は、ひどく弱かった。
「そうじゃないと、無理だから」
その人は、少しだけ笑った。
怒りでも、悲しみでもなく。
ただ、理解してしまった人の顔で。
「そっか」
それ以上、何も言わなかった。
帰り道、一人で歩きながら、考え続けていた。
私は、何を好きになったんだろう。
女じゃない。
でも、男としても受け入れていない。
そのどちらにも属さない存在を、
私は都合よく解釈して、愛したつもりになっていた。
それでも。
確かに、好きだった。
私は、女が好きだ。
それは、今も変わっていないと思う。
でも。
あの夜だけは。
“男でもよかった”。
これを恋と呼ぶなら。
たぶん私は、間違ってる。
**************
あの夜のことは、ちゃんと覚えてる。
触れたとき、少しだけ安心した。
ああ、これで、この人は離れないかもしれない、と思った。
おかしいのは分かってる。
“女として見られること”でしか繋がれない関係なんて、
長く続くはずがない。
でも。
それでもよかった。
最初から、分かっていたから。
この人は、女が好きで。
俺は、男で。
その時点で、条件は揃っていない。
だから、少しだけ期待していた。
例外になれるんじゃないかって。
“男だけどいい”じゃなくて。
“俺だからいい”って、思ってもらえるんじゃないかって。
でも、違った。
あの人は、最後までちゃんとしてた。
ちゃんと、“女が好きな人”のままだった。
「今のそれ、俺を見てるんじゃなくて、“女”を見てるだけでしょ」
あのとき、ああ言ったのは。
責めたかったわけじゃない。
ただ、確認したかっただけだ。
俺が、どこにもいないってことを。
答えは、思っていたよりも簡単だった。
「そうじゃないと、無理だから」
ああ、そっか、と思った。
ちゃんと、分かってたはずなのに。
少しだけ、期待してた。
その分だけ、きれいに外れた。
帰り道、一人で歩きながら考えていた。
俺は、何になろうとしてたんだろう。
女でもなくて。
男としても見られていなくて。
ただ、“都合よく存在できる形”に寄せていた。
それでも。
あの時間は、本物だったと思う。
少なくとも、俺は。
嘘をついていなかった。




