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異世界転移したけど、とりあえずBBQだ ~テキサスの男は肉を焼く手を止めない~

作者: 詩永あえし
掲載日:2026/03/31

頭を空っぽにしてお読みください。


続編できました。

続・異世界転移したけど、とりあえずBBQだ ~テキサスの男は豚を前にしても妥協しない~

https://ncode.syosetu.com/n8206mb/

 ビリー・"ピットボス"・ジョンソンにとって、七月四日は一年で最も神聖な日である。


 独立記念日。アメリカ合衆国が生まれた日。

 そして——アメリカ中の裏庭で肉が焼かれる日。


 テキサス州オースティン。夜明け前の午前四時。

 まだ星が残る空の下、ビリーは裏庭に立っていた。

 身長六フィート五インチ(約190センチ)、体重二百四十ポンド(約108キロ)。樫の木みたいに太い腕にもじゃもじゃのヒゲ。

 着ているのは「I DIDN'T COME HERE TO LOSE(私は負けるためにここへ来たのではない)」とプリントされた黒いTシャツと、BBQソースのシミがいくつもついたエプロン。


 彼の目の前には、己の手でレンガを積んで作った自慢のBBQピットと、鋼鉄製のオフセットスモーカー二台。

 今日の献立はこうだ。

 ブリスケット五枚。スペアリブ二十ラック。プルドポーク用の豚肩ロース丸ごと三本。

 昼から三十人が来る。足りないくらいだ。


「よぅし」


 ビリーは薪を抱えた。

 ポストオーク。テキサスBBQに使う薪はこれ一択だ。

 強すぎない甘い煙が肉に魔法をかける。この薪の選定で味の半分は決まる。

 残りの半分は時間と温度だ。


 一本、二本とスモーカーのファイアボックスに薪をくべていく。

 三本目を手に取ったとき、ビリーはふと首を傾げた。


 その薪だけ、ほんのわずかに光っていた。

 木目の奥に、オレンジとも金ともつかない淡い輝きがある。


「……いい木目してんな」


 そう思いながらも、特に気にせず火にくべた。


 瞬間——世界が白く弾けた。


 足元から衝撃波。腹に響く重低音。

 ビリーの巨体が浮き上がり、スモーカーが、レンガのピットが、足元のテキサスの土ごと何か巨大な力に飲み込まれた。


 視界が回転し、色を失い、そして——。

 尻から着地した。


「——ッてぇ!」


 声が草原に吸い込まれた。

 草原。

 見渡す限りの草原だった。


 テキサスの乾いた大地ではない。

 青々とした草が風に揺れ、空気は澄んで冷たく、どこからか花の匂いがする。


 空を見上げた。

 月が二つあった。


 一つは白、一つは青。

 二つの月が、まるで巨大な目玉のように夜空に浮かんでいる。


 ビリーは三秒ほどそれを見上げて、それから視線を下ろした。


 スモーカーは無事だった。

 レンガのピットも、薪の山も、道具箱も、クーラーボックスも——裏庭の一角がそのまま綺麗に正方形に切り取られて、異世界の草原に鎮座していた。


 スモーカーの温度計を確認する。

 二百二十°F(約100℃)。完璧だ。

 中ではブリスケットが静かに燻されている。


 ビリーは帽子のつばを持ち上げて、もう一度二つの月を見た。


「……肉、まだ焼けてねえぞ」


 それが、テキサスのピットマスターが異世界で発した最初の言葉だった。


 状況の整理は後回しだ。ブリスケットは今、最も繊細な段階にある。

 仕込みから六時間。ここから先の温度管理を誤ったら、十二時間の仕事が全部パーになる。

 異世界だろうが宇宙だろうが、この肉を台無しにするわけにはいかない。


 ビリーはスモーカーの蓋を少しだけ開け、中を確認した。

 五枚のブリスケットが整然と並び、表面にはうっすらとバークが形成され始めている。

 順調。煙の色もいい。薄い青白色。これが黒くなったら温度が高すぎる合図だ。


 蓋を閉じ、ファイアボックスに薪を一本追加した。

 あの光る薪はもう燃え尽きたのか、火は普通のオレンジ色だ。


「まあいい」


 ビリーはクーラーボックスからバドワイザーを一本取り出し、栓を抜いて一口飲んだ。

 ぷはっ、と息を吐く。

 異世界の空気を吸いながら呑むビールがうまい。それだけは確かだった。


 ***


 最初に訪れたのは、鼻の利く連中だった。

 スモーカーに火を入れてから九時間。

 太陽——この世界にも太陽はあるらしい——が地平線から顔を出し、朝露に濡れた草原を黄金色に染め始めた頃。


 風下から、ざわざわと草を分ける音が近づいてきた。

 ビリーはキャンプチェアに座り、六本目のバドワイザーを傾けていた。

 温度管理は完璧。

 ブリスケットの表面には分厚い樹皮のようなバークが完成しつつあり、スモーカーの隙間から漏れる煙は、ポストオークの甘く芳醇な香りを草原いっぱいに撒き散らしていた。


 草の間から現れたのは、六人の男女だった。

 全員が革鎧を身につけ、武器を携えている。

 剣、槍、弓。そして——全員の頭に、獣の耳が生えていた。

 犬、狼、山猫。ふさふさの尻尾が腰の後ろで揺れている。


「——構え」


 先頭の女が低く命じた。銀色の狼の耳と尻尾。鋭い金色の瞳。

 まだ若い——二十歳そこそこに見える。

 だが、その目は歴戦の戦士のそれだった。

 背中に背負った大剣は彼女の身長ほどもある。


 六人が扇形にビリーを囲む。

 ビリーはビールを飲んでいた。


「何者だ」

「ここは我々キルシュ狩猟団の管轄する狩場だ。所属と目的を述べろ」


 ビリーはゆっくり振り向いた。

 でかい男だった。座っていても分かるくらいでかい。

 日に焼けた肌。丸太のような腕。そしてニカッと笑うと、白い歯が並んでいた。


「おう!」


 声がでかい。

 草原の鳥が数羽飛び立った。


「ちょうどいいところに来たな!」


 ビリーは立ち上がり——狩猟団の全員が半歩退いた。

 座っていたときと立ち上がったときの落差が凄まじい。

 山が動いたかと思った。


「BBQやってんだ。食ってくか?」

「……は?」


 ルウ——狼耳の女戦士、キルシュ狩猟団の団長——は、眉をひそめた。

 罠か。魔術師か。この男の周囲に張られた結界か何かか。

 だが、魔力は感じない。感じるのはただ——匂い。


 甘い煙の匂い。その奥にじわりと漂う、肉の焼ける匂い。

 腹が鳴った。

 ルウのではない。後ろに控えていた犬耳の槍使いの腹が、草原に響き渡る盛大な音を立てた。


「す、すまん団長……」

「……」


 ルウは三日間、まともに食えていなかった。

 狩猟団の全員がそうだ。魔物の大量発生で獲物が散り、まともな狩りができない日が続いていた。

 携帯食はとうに底を尽き、最後に食べたのは昨日の朝、固くなったパンを水で流し込んだだけだ。


 そこにこの匂いである。

 鼻が利く種族に、この仕打ちはあまりにも残酷だった。


「怪しい男だ。まず話を——」

「おう、ちょうど頃合いだ。見てくれよ」


 ビリーは聞いちゃいなかった。

 スモーカーの蓋に手をかけ、ゆっくりと持ち上げる。

 瞬間——白い煙が、まるで生き物のように溢れ出した。


 それは匂いの津波だった。

 九時間かけて薪の煙を浴び続けた肉脂がスモーカーの中で蒸気となり、蓋を開けた瞬間に一気に解放される。

 ポストオークの甘い燻煙、溶け出した牛脂のこってりとした芳香、そして塩と黒胡椒が焦げた香ばしさ。

 それらが渾然一体となって草原の風に乗り、六人の獣人の鼻腔を直撃した。


 ルウの尻尾がぴん、と立った。

 全員の尻尾が、一斉にぶんぶんと振れ始めた。

 止められない。本能が理性を軽々と踏み越えてくる。


 スモーカーの中には、五枚のブリスケットが並んでいた。

 表面は漆黒。まるで古木の樹皮のような分厚く荒々しいバーク。

 ところどころにドライラブの粒が宝石のように光り、表面を覆う肉汁の膜がスモーカーの炎に照らされてぬらぬらと艶めいている。


「まだ完成じゃねえがな。一枚、味見しようぜ」


 ビリーは一枚のブリスケットをトレイに移した。

 どしん、という重量感。十一ポンド(約5キロ)以上ある塊だ。


 道具箱から、長いスライスナイフを取り出す。

 ここからはビリーの独壇場だった。


 ナイフの刃先をブリスケットの端に当て、ゆっくりと引く。

 漆黒のバークに一筋の線が走り——その下から現れたのは、鮮やかなルビー色のスモークリングだった。


 スモークリング。

 低温の煙で長時間燻すことで肉の表層に生まれる、赤い環。

 これが出ていれば、火入れは完璧だ。


 さらにナイフを進める。ルビー色の層を過ぎると、今度はしっとりとしたローズピンクの赤身が姿を見せた。

 繊維の一本一本がゆるやかにほどけ、ナイフに抵抗を感じない。

 まるでバターを切っているようだ。


 一切れ、切り落とす。


 厚さは鉛筆ほど。持ち上げた瞬間、肉片が自重でたわんだ。

 そして切り口から——透明な肉汁が、じわり、じわりと滲み出す。

 それはトレイの上に小さな水たまりを作り、表面に脂の虹を浮かべた。


「ほら。食ってみな」


 ビリーが一切れを差し出した。

 ルウは大剣を背負ったまま、反射的に受け取っていた。

 警戒?そんなものはとっくに煙の向こうに消えている。


 口に入れた。

 ——瞬間、膝が折れた。


 がくん、と膝から崩れ落ちたルウを後ろの仲間が慌てて支える。

 だが、ルウの表情は苦痛ではなかった。

 金色の瞳が見開かれ、狼の耳がぴんと立ち、尻尾が——信じられない速さで左右に振れていた。


 口の中で、肉が溶けていた。

 噛んだのではない。舌の上に乗せた瞬間、繊維がほろほろと崩れ、溶けた脂が肉の旨味を舌の隅々にまで運んでいった。

 最初に来るのは塩と黒胡椒のシャープな輪郭。次にポストオークの煙が鼻に抜ける、甘くて深い芳香。


 そして最後に——肉そのものの圧倒的な旨味。

 牛の命が凝縮されたような、原始的で暴力的なまでの「うまさ」が、口の中で爆発した。


「な……」


 声が震えた。


「なんだこれは……」


 涙が一筋、頬を伝った。


「肉が……口の中で、溶けて……こんな……こんな肉は、食べたことが……」

「だろう?」


 ビリーは満面の笑みで、次々にスライスしていく。


「Low & Slow, brother.低温でじっくりだ、兄弟。それが全てさ」


 せきが切れた。

 犬耳の槍使いが一切れ食べて「うめぇぇぇ!」と叫んだ。

 山猫耳の弓使いが二切れ頬張って声もなく泣いた。

 盾持ちの大男が「かあちゃんの肉より美味い……かあちゃんゴメン……」と嗚咽した。


 六人の歴戦の狩人たちがテキサスの草原に——違う、異世界の草原に——へたり込んで、涙と鼻水を垂らしながらブリスケットを食い、「うめぇ」「うめぇ」と呻き続けていた。

 ビリーはニコニコしながらスライスを続ける。

 ナイフが肉を切り分けるたびに、切り口から湯気と肉汁が立ち上る。


「もっと食え。遠慮すんな。テキサスのBBQは、腹いっぱいになるまでがBBQだ」


 ***


 事態が動いたのは、六人がブリスケット一枚を綺麗に平らげた直後だった。

 地面が揺れた。


 ずしん。ずしん。規則的で、重い振動。

 何か巨大なものがこちらに向かっている。


 ルウの耳がぴくりと跳ねた。

 恍惚の表情が一瞬で戦士の顔に切り替わる。


「——全員、構え!グラン・ビーストだ!」


 狩猟団が弾かれたように立ち上がり、武器を構えた。

 だが、その動きにはどこか重さがあった。

 数日間の空腹と疲弊は、ブリスケット一枚で帳消しにはならない。


 草原の向こうから、そいつが姿を現した。


 体長十九フィート五インチ(約6メートル)はある巨大な牛だった。

 だが、普通の牛ではない。全身が岩のような灰色の装甲に覆われ、二本の角は湾曲した大剣のように鋭い。

 四本の脚が大地を踏みしめるたびに地面が陥没し、鼻息が蒸気のように白く噴き出している。


 グラン・ビースト。

 この地方のA級危険指定魔物。

 フルパーティの冒険者が数日がかりで狩る獲物。


 それが、まっすぐこちらに向かってきていた。


「まずい……スモークの匂いに引き寄せられたか……!」


 ルウが大剣を抜き放った。

 重い刃が風を切る。

 だが、彼女自身わかっていた。

 この状態で、あの化物とやり合えるのか?


「おい」


 背後から、のんびりした声がした。

 振り向くとビリーが腕を組んで、突進してくる十九フィート五インチ(約6メートル)の魔物を眺めていた。その目は——料理人の目だった。


「ありゃあ……いい『ビーフ』じゃねえか」

「は……?」

「あの身体のデカさ。筋肉の付き方。胸のあたりの肉の厚み——」


 ビリーの目が、きらりと光った。


「最高のブリスケットが取れるぞ!」

「何を言って——こっちに来るぞ!退避し——」

「任せとけ」


 ビリーは裏庭の一角——テキサスから転移してきた、彼の小さな王国——に歩いていき、物置の扉を開けた。

 取り出したのは二つ。


 一つは、使い込まれたボルトアクションライフル。レミントン700。

 テキサスの男の嗜みだ。

 もう一つは、チェーンソー。ハスクバーナの20インチ。

 普段は薪割りに使っている。


 ルウの目が点になった。


「おい、お嬢ちゃん」

「嬢ちゃんって——」

「あの岩みたいな鎧、剣で斬れるか?」

「……関節部の隙間なら。だが、正面から突っ込んできている状態では——」

「OK。じゃあこうしよう」


 ビリーはライフルの弾を装填しながら、恐ろしくカジュアルに作戦を告げた。


「俺が足を止める。お前らが鎧を剥がせ。あとは俺がやる」

「あとは、って——」


 会話の途中で、グラン・ビーストが咆哮した。

 大気がびりびりと振動する。

 三百二十八フィート(約100メートル)もない。巨体が突っ込んでくる。


 ビリーは片膝をつき、ライフルを構えた。

 元アメリカ海兵隊。テキサスで生まれ、テキサスで育ち、中東の砂漠でライフルを握り、除隊後はBBQピットの前に立った男。


 スコープ越しに、突進する魔物の顔面を捉える。

 左目。岩の装甲がわずかに途切れる、瞳の横の隙間。


 吐息を止めた。心臓の鼓動を二つ数えた。

 引き金を引いた。銃声が草原を叩いた。


 着弾。

 グラン・ビーストの左目の横、装甲の隙間に弾丸がめり込んだ。

 致命傷ではない。だが、十九フィート五インチ(約6メートル)の巨体がたたらを踏み、突進が止まった。

 首を振り、怒りの咆哮を上げる。


「今だ!鎧を剥がせ!」


 ビリーの怒鳴り声に、狩猟団が反応した。

 本能的に、この男の指示に従うべきだと身体が判断していた。

 あの肉を食わせてくれた男を信じろと。


 ルウが跳んだ。

 大剣を振りかぶり、グラン・ビーストの脚の関節に叩きつける。

 火花が散った。装甲の継ぎ目に刃が食い込み、岩のような板がバキリと剥落する。


 槍使いが反対側の脚を突く。

 弓使いが矢を射る。

 残りの団員が連携して、装甲を一枚ずつ引き剥がしていく。


 灰色の装甲の下から、赤黒い筋肉が露出した。

 ビリーがチェーンソーのエンジンをかけた。

 異世界の草原に、ハスクバーナの2ストロークエンジンの爆音が轟いた。


「ハッピー・インデペンデンス・デイ、ビーフ野郎!」


 跳躍。

 二百四十ポンド(約108キロ)の巨体が嘘のように宙を舞い、グラン・ビーストの首筋——装甲が剥がれた赤い地肌——にチェーンソーを叩き込んだ。


 血飛沫。絶叫。

 そしてチェーンソーの唸りが一際高くなり——。

 十九フィート五インチ(約6メートル)の巨体がゆっくりと傾き、大地を揺らして倒れた。


 静寂が降りた。

 砂埃の中、ビリーが魔物の背に立っていた。

 チェーンソーを肩に担ぎ、返り血を浴びて、それでもニカッと笑っている。


「——さて」


 ビリーは倒れた巨体を見下ろした。

 目が変わっていた。さっきの戦士の目ではない。

 ピットマスターの目だ。


「解体するぞ」


 ***


 ビリーの包丁捌きは、戦闘よりも遥かに苛烈だった。

 スライスナイフ、ボーニングナイフ、クリーバー。

 道具箱から取り出した刃物を次々と使い分け、十九フィート五インチ(約6メートル)の巨体を驚くべき速度でバラしていく。


「まず肩を外す。ここの腱を断てば——よし、落ちた。次に胸。肋骨に沿って刃を入れて——ここだ。ここがブリスケットだ」


 ルウたちは呆然と見ていた。

 犬耳の槍使いが呟いた。


「団長……あの男、魔物の身体の構造を完全に理解してる……」

「ああ……初見のはずなのに……まるで百頭は解体したかのような……」


 ビリーにとっては単純な話だった。

 牛と同じだ。骨格が同じ。筋肉のつき方が同じ。関節の位置が同じ。

 ならば解体の手順も同じ。テキサスで牛を捌いてきた経験が、そのまま異世界の魔物に通用する。


「こいつはいい肉だぞ」


 巨大なブリスケット——グラン・ビーストの胸肉——を切り出しながら、ビリーは顔をほころばせた。

 通常の牛の十倍はある赤い肉塊。

 筋繊維が太く、脂肪が細かく霜降り状に入っている。

 表面を指で押すと、弾力がすごい。


「普通に焼いたら固くて食えねえだろうな。だが——」


 にやり、と笑った。


「Low & Slow(低温でじっくり)なら話は別だ」


 問題は、この量だった。

 ブリスケットだけで、ビリーのスモーカー二台に入りきらない。

 リブは一本が人間の腕ほどもある。肩ロースは小さな岩のようだ。


 ビリーは草原を見渡した。

 そして、一つの決断を下した。


「でかいピットを作るぞ」

「ピット?」

「穴を掘って、石を並べて、上に鉄の棒を渡す。お前ら——」


 ビリーはルウたちの装備を見た。

 鉄の剣。鉄の槍。鉄の鎧。


「折れた武器とか、使えない鉄製品ないか?」

「あるにはあるが……まさか」

「グリルの骨組みにする」


 ルウは数秒間、この巨大な異邦人を見つめた。

 意味がわからない。この男の行動原理が、まるで理解できない。

 巨大な魔物を倒して、最初にやることが「もっとでかい焼き台を作る」だと?


 だが——腹は正直だった。

 さっきのブリスケットの味が、まだ舌に残っている。

 あの、口の中で溶けていく夢のような食感。鼻に抜ける煙の香り。

 そして、空っぽだった胃袋にじんわりと広がった、生き返るような温かさ。


 あれの——もっとすごいやつが、食えるかもしれない。


「……わかった」


 ルウは大剣を地面に突き刺し、団員たちに向き直った。


「全員聞け。穴を掘るぞ」


 七人の男女——一人の狂ったピットマスターと六人の獣人戦士——が、異世界の草原で土を掘り返し始めた。


 ビリーの指示は的確だった。

 深さ三フィート(約9センチ)、幅六フィート(約182センチ)、長さ十二フィート(約365センチ)の溝を掘る。底に平らな石を敷き詰める。

 両側の土壁に鉄棒——折れた剣と槍の柄を曲げて作った——を渡してグリルにする。

 溝の片端にファイアボックス代わりの石囲いを作り、煙が溝の中をゆっくり流れるようにする。


 即席オフセットスモーカー。原理はビリーのスモーカーと同じだ。

 火から離れた場所に肉を置き、煙と低温の熱で長時間燻す。


 二時間後。

 草原に、巨大なBBQピットが出現していた。

 ルウが汗を拭きながら、完成したそれを見下ろした。


「これが……ピット」

「ああ。テキサスの男なら誰でも作れる」


 絶対に嘘だとルウは思った。


 ***


 仕込みが始まった。

 ビリーのドライラブはシンプルだ。

 塩と、粗挽きの黒胡椒。以上。


「それだけ……なのか?」


 ルウが信じられないという顔で見ていた。


「それだけだ。テキサススタイルは肉の味で勝負する。余計なもんはいらねえ」


 グラン・ビーストの巨大なブリスケットに、たっぷりの塩と黒胡椒を擦り込んでいく。

 ビリーの大きな手が肉の表面を撫でるたびに、塩の粒がピンク色の肉に吸い込まれていく。


 リブには少しだけガーリックパウダーを加えた。

 ビリーの私物。テキサスから持ってきた小さな調味料箱は、今やこの世界で最も貴重なスパイスラックだった。


 ファイアボックスに火が入った。薪はこの世界の木だ。

 ポストオークとは違うが、ビリーは数種類の枝を折って匂いを嗅ぎ、「これだ」と一本を選んだ。

 甘い樹液の香りがする広葉樹。


「悪くない。むしろ——いいかもしれない」


 巨大なブリスケットがグリルの上に載せられた。鉄棒がギシリと軋む。

 蓋の代わりに、ルウたちが近くの森から切り出してきた大きな葉を何重にも被せた。


 煙が、立ち上り始めた。

 異世界の木の煙は、ポストオークとは少し違う甘さがあった。

 花のような、蜂蜜のような、どこか神秘的な芳香。

 それがグラン・ビーストの脂と混ざり合い、風に乗って草原を渡っていく。


「あとは待つだけだ」

「どのくらい?」

「十二時間」

「じゅう——に!?」

「Low & Slow。低温でじっくりだ。急いだら肉が固くなる。コラーゲンがゼラチンに変わるには、時間がいる。BBQってのは忍耐だよ、嬢ちゃん」


 ルウの尻尾が「嬢ちゃん」に反応してぶわっと膨らんだが、抗議する気力はなかった。

 十二時間後にあの味が待っているなら、待てる。十二日でも待てる。


 そして——匂いが、風に乗った。


 ***


 最初に来たのは、近くの村の住人だった。

 農夫や主婦が、おっかなびっくり草原を歩いてくる。

 先頭の老人が杖をつきながらビリーに話しかけた。


「あの……旅の方。この匂いは一体……」

「BBQだよ、爺さん。食ってくか?」


 この時点ではまだグラン・ビーストのブリスケットは仕込み中だったが、テキサスから持ち込んだスモーカーには、まだ四枚のブリスケットと二十ラックのスペアリブと三本の豚肩が入っている。

 こっちはそろそろ仕上がる時間だった。


「ちょうどいい。リブが焼けた」


 スモーカーからスペアリブを取り出す。

 美しいマホガニー色に輝く表面。骨と骨の間の肉が、加熱で収縮して骨の先端が露出している。

 プルバック。完璧な火入れのサインだ。


 ビリーがリブの両端を持って、軽くひねった。

 ぬるり、と骨が抜けた。何の抵抗もなく、つるりと。骨の周りの肉がゼラチン化して、骨を解放している。


 村人たちに一本ずつ配る。

 人間の前腕ほどもあるスペアリブを、両手で持って——かぶりつく。


 老人の目が見開かれた。

 歯を立てた瞬間、表面のバークがカリッと小気味よく砕ける。

 その下から、スモーキーな香りをまとった肉がじゅわりと舌を迎える。

 噛むたびに肉汁が溢れ——それは肉汁というより肉のスープだった。


 塩と黒胡椒とガーリック、燻煙の旨味、そして何時間もかけて溶け出した骨髄のコク。

 それらが一体となって、口の中を蹂躙していく。


「美味い」


 老人が呟いた。

 そして、もう一口齧って。


「美味い……!」


 杖を取り落とした。

 両手でリブを持って、ガツガツと食い始めた。

 七十年生きてきて、こんな肉は食ったことがない。


 村人たちが次々に歓声を上げる。

 子供が「おかわり!」と叫ぶ。

 母親が「行儀よくしなさい」と言いながら自分のリブをおかわりしている。


 次に来たのは、旅の商人だった。

 馬車を引いた恰幅のいい男が、鼻をひくつかせながら近づいてきた。


「この匂い……何の香辛料を使っている!?私は各地の香辛料を扱う商人だが、この芳香は嗅いだことがない!東方の秘薬か?竜の国の禁制品か?」

「塩と胡椒だけだよ」

「……は?」

「あとは煙と、時間だ」


 商人がブリスケットを一切れ食べて、ひっくり返った。文字通り後ろに倒れた。

 起き上がって、もう一切れ食べて、また倒れた。

 三切れ目でようやく座ったまま食べることに成功し、涙を流しながら「これを商品化させてくれ」と交渉を始めた。

 ビリーは笑って「火の前に十五時間立てるなら教えてやる」と答えた。


 三番目は——エルフだった。

 森の方から、音もなく現れた。

 長い銀髪に尖った耳。白いローブを纏った、絵に描いたようなエルフの魔法使い。

 性別不詳の美貌に、氷のような無表情。


「……煙が森にまで届いている。迷惑だ」

「そりゃ悪かったな。詫びにリブでも食ってけよ」

「結構だ。我々エルフは、このような野蛮な——」


 ビリーが焼きたてのスペアリブを差し出した。

 エルフの長い耳が、ぴくりと動いた。

 鼻腔を、煙と肉脂の芳香が撫でた。


「……一口だけ」


 一口だけのはずだった。

 リブに歯を立てた瞬間、エルフの尖った耳がぴーんと天を向いた。

 まるで猫が撫でられたときのように、ぴんと直立した。


 咀嚼する。飲み込む。息を吐く。

 二口目。三口目。四口目。

 気がつけば一本完食していた。骨だけが手の中に残っている。


「……もう一本」

「おう。いくらでもあるぞ」


 二本目のリブを受け取り、齧りつきながら、エルフが小さな声で呟いた。


「……さっきの発言は撤回する」


 四番目に現れたのは、ドワーフだった。

 ずんぐりした体躯に、見事な赤ヒゲ。

 背中に巨大なハンマーを背負っている。鍛冶師らしい。


「何やらえらい匂いがすると思って来てみれば——おおっ!この火の扱い!この窯の構造!」


 ドワーフはBBQピットに目を輝かせた。

 レンガのスモーカーも、即席のピットも、ドワーフの目から見れば機能的に完璧な設計だった。


「貴殿……まさか、炎のドワーフの末裔か!?」

「テキサス人だ」

「テキサス……!聞いたことのない種族だ……だが、この炎の技術……」


 ブリスケットを一切れ食べた。

 大粒の涙がぼろぼろと赤ヒゲの中に落ちた。


「炎の恵みだ……これは……火の神への捧げ物だ……」

「なに、ただのブリスケットだよ」

「これほどの炎の技……ワシの鍛冶を以てしても……うう……」


 泣き崩れている。


 そして五番目——誰も予想しなかった客が来た。

 空を影が横切った。

 巨大な翼が風を叩き、草原の草がなぎ倒される。

 深緑の鱗を持つ、体長三十二フィート9インチ(約10メートル)はある飛竜。

 その背に、甲冑の騎士が跨がっている。竜騎士だ。


「ワイバーンナイトだと——!」


 村人たちが悲鳴を上げて後ずさる。

 この地方でワイバーンが降りてくるのは、大事件の前触れだ。


 だが、竜騎士は戦いに来たのではなかった。

 兜を脱いだ顔は——若い女性だった。

 赤い髪を風になびかせ、バツが悪そうに頬を掻いている。


「あー……すまない。上空を飛んでいたら、あまりにもいい匂いがして……こいつが降りろと言って聞かなくて」


 背後でワイバーンが鼻をすんすん鳴らしていた。

 巨大な爬虫類の瞳が、スモーカーを食い入るように見つめている。

 長い尻尾が、犬のようにゆっくり左右に揺れていた。


「はっはっは!」


 ビリーの笑い声が草原に轟いた。


「デカイ鳥まで来たか!上等だ!全員まとめて食わせてやる!」


 ***


 そして——十二時間が経った。


 日が沈み、二つの月が再び空に昇った頃。

 草原には、もう百人以上の人間と亜人が集まっていた。

 村人、狩猟団、商人、エルフ、ドワーフ、竜騎士、そしてワイバーン。


 噂を聞きつけてやってきた冒険者の一団。

 たまたま通りかかった吟遊詩人。

 迷子の子供を探しに来たら匂いに引っかかった母親。


 全員が、焚き火を囲んでそわそわしていた。

 ビリーが立ち上がった。


「出来たぞ」


 その一言で、百人が息を飲んだ。

 ビリーは巨大ピットの蓋代わりの葉を取り払った。

 煙が——噴き出した。


 白い煙の奔流が、夜空に向かって立ち上った。

 月明かりに照らされたその煙は、まるで生きた龍のようにうねりながら上昇し、甘く芳醇な香りを四方八方に撒き散らした。


 百人がその匂いを浴びた。全員の腹が、ほぼ同時に鳴った。

 煙が薄れた先に見えたのは——漆黒の表面に覆われた、巨大な肉の塊だった。

 グラン・ビーストのブリスケット。


 十二時間の燻製を経て、その表面は漆黒の樹皮——バークに覆われていた。

 だが、ただの焦げではない。塩と黒胡椒と肉脂が高温の煙と反応して形成された、旨味の結晶層。

 表面に触れると、かさり、と乾いた音がする。まるで宝石を砕いたような音だ。


 ビリーがスライスナイフを手に取った。

 全員が固唾を飲んで見守る。

 刃を入れた。


 漆黒の表面に一筋の亀裂が走り——その下から、この世のものとは思えない色が覗いた。

 スモークリングだった。


 通常の牛肉のスモークリングはルビー色だが、グラン・ビーストのそれは違った。

 赤い環の中に、淡い金色の光が脈打っていた。

 魔物の肉に含まれる魔力が、十二時間の燻製で凝縮され、肉の表層に魔法の環を描いていたのだ。


「なんだあの光は……!」

「肉が……光ってる……!」


 ビリーは構わずナイフを進めた。


 金色のスモークリングの内側には、しっとりとしたローズピンクの赤身が広がっていた。

 繊維の一本一本が太い——通常の牛肉の何倍も太い繊維が、十二時間の低温調理でゆるやかにほぐれ、ゼラチンの海に浮かんでいるようだった。


 一切れ、切り落とす。

 分厚い一切れ。持ち上げると、自重でたわんだ。


 そして切り口から——肉汁が溢れた。

 透明な肉汁ではなかった。淡く金色に光る液体がじわりじわりと滲み出し、やがて切り口を伝って流れ落ちた。

 それがトレイに落ちるたび、小さな澄んだ音がした。


 百人が、声を失っていた。


「さあ食え。遠慮はなしだ」


 ビリーが最初の一切れをルウに差し出した。

 ルウは受け取った。手が震えていた。

 狼耳の戦士が、手を震わせている。

 この草原で何十もの魔物を屠ってきた女傑が、肉の一切れで震えている。


 口に入れた。

 ——世界が、変わった。


 歯を立てた瞬間、バークが音を立てて砕けた。

 その下の肉が、舌の上で崩壊した。崩壊、という表現が最も正しい。

 繊維がほどけるとか、溶けるとか、そんな穏やかなものではなかった。

 口に入れた瞬間、すべての構造が一斉に解体され、旨味の奔流となって味覚を襲った。


 最初に来たのは煙だった。この世界の木の甘い燻煙が、鼻腔の奥を突き抜けて脳を直撃する。

 次に塩と黒胡椒が舌の上で弾け、肉の輪郭を鮮烈に浮かび上がらせる。

 そして——肉そのものの旨味。通常の牛肉の三倍はあろうかという、暴力的なまでの旨味の洪水。


 さらにその奥から——金色の何かが、広がった。


 温かかった。

 胃袋の底から、全身に温かさが広がっていく。

 三日間の疲弊で軋んでいた筋肉が弛緩し、打撲の痛みが引いていく。

 魔力を含んだ肉汁が身体の隅々にまで染み渡り、傷を癒し、力を満たしていく。


 ルウの目から涙が溢れた。

 止められなかった。


「ビリー……これは……」

「うまいだろう?」

「うまい……うまい……!何なんだこれは……こんなもの……こんな——ずるいだろ……!」


 せきが切れた。

 ビリーが次々に切り分け、配っていく。

 百人が一切れずつ受け取り、口に運ぶ。

 あちこちで悲鳴が上がった。


 村の老人が膝から崩れ落ちた。

 商人がまたひっくり返った。今度は起き上がれなかった。

 エルフが二切れ目を頬張りながら、尖った耳を紅潮させて「もう一切れ……もう一切れだけ……」と呟いている。

 ドワーフが号泣しながら「火の神よ……火の神よ……!」と天を仰いでいた。

 子供たちが「おいしいー!」「すげー!」「もっとー!」と走り回っている。

 吟遊詩人が食べながら泣きながら、その場で歌を作り始めた。


 竜騎士がワイバーンに肉を渡していた。

 ビリーに「もう少しレアで」と注文してきたので、ビリーは「ミディアムレアだな、OK」と火から近い部分のまだ少し赤みの強い箇所を厚く切り出して渡した。


 ワイバーンが一口で飲み込んだ。

 三秒の沈黙。


 そしてワイバーンが——尻尾を、ぶんぶん振り始めた。

 体長三十二フィート9インチ(約10メートル)の巨体の尻尾が犬のように振れるたびに、草原の草がなぎ倒されていく。

 喉の奥から、グルルルル、と低い音。

 猫のゴロゴロに似た、ワイバーンが満足したときに出す音だと竜騎士が教えてくれた。


「お代わりを所望している。できれば……あと十切れほど」

「十切れ?足りるのか?二十切れいっとけ」


 ***


 リブが焼けた。

 グラン・ビーストの肋骨は一本が人間の腕ほどの長さがある。

 それを丸ごと、ドライラブを擦り込んで十二時間燻したものが、ピットから引き上げられた。


 マホガニーよりも深い、ほとんど黒に近い赤褐色。

 表面に浮いた脂が月明かりを反射して、ぬらぬらと光っている。


 ビリーが一本を掴み上げた。

 持ち上げた瞬間、骨の両端から肉汁がしたたり落ちた。

 その一滴一滴が金色に光り、地面に落ちると小さな花が咲いた。

 魔力を帯びた肉汁が大地を祝福していた。


「リブは手で食え。ナイフなんざいらねえ。齧りつけ」


 ドワーフが最初にリブを受け取った。

 両手で持ち上げ——腕ほどの大きさのリブに、赤ヒゲの口を大きく開けて——齧りついた。


 ばきり、とバークが砕ける音。

 その下から、じゅわっと肉汁が溢れる音。

 そしてドワーフの「ンムゥゥゥ~~~!」という、もはや言語ですらない唸り声。


 骨から肉がするりと剥がれる。

 軟骨ごとゼラチン化した結合組織がとろりと舌の上で溶ける。

 噛むたびにスモーキーな香りが口の中に充満し、飲み込んだ後も余韻が消えない。


「もう一本!もう一本くれ!」


 エルフが二本目のリブに齧りつきながら、白いローブに肉汁のシミが飛ぶのも構わず、ひたすら食べていた。

 あの澄ました無表情はどこへ行ったのか。

 口の周りはソースまみれ、尖った耳はぴんと立ちっぱなし、目は恍惚で半開き。


「三本目を……」

「おう。いくらでも食え」


 冒険者の一団がリブを一本ずつ持って、骨をマイクに見立てて歌い始めた。

 何の歌かは知らないが、やたら楽しそうだった。


 ***


 宴の途中で、ルウが狩猟団を率いて姿を消した。

 一時間後、彼女たちは巨大な猪——魔猪を引きずって帰ってきた。


「ビリー!獲ってきた!こいつも焼ける?」


 ルウの目が爛々と輝いていた。尻尾が千切れんばかりに振れている。

 狩猟団の全員が、同じ目をしていた。

 あの肉をもっと食いたい。この男に焼かせたい。だから狩ってきた。

 それだけのシンプルで力強い動機だった。


「もちろんだ。brother」


 ビリーは魔猪を手際よく解体し、肩の塊肉をまるごとピットに放り込んだ。


「こいつは六時間だ。プルドポークにする」

「プルドポーク?」

「塊肉をじっくり焼いてフォークでほぐす。パンに挟んで食う。最高だぞ」


 六時間後——東の空がうっすらと白み始めた頃——魔猪の肩肉がピットから引き上げられた。

 表面は濃い飴色。ビリーがフォークを二本手に取り、肉の塊に突き刺した。そして——引いた。


 肉が、一瞬で裂けた。

 長い繊維に沿って、ほろほろと、まるで糸を解くように肉がほぐれていく。

 フォークを引くたびに湯気がもうもうと立ち上り、甘い脂と煙の匂いが爆発する。

 ほぐされた肉の山はきらきらと脂に光り、繊維の一本一本が旨味を含んでつやつやと輝いていた。


 ビリーが私物のBBQソースを取り出した。

 ケチャップ、ビネガー、ブラウンシュガー、マスタード。

 テキサスの自宅で仕込んだ自家製ソースだ。


 ほぐした肉にたっぷりとソースを絡める。

 赤褐色のソースが金色の肉汁と混ざり合い、艶やかなコーティングを作る。

 甘酸っぱい匂いが立ち上った瞬間、周囲から「うわあ」と声が漏れた。


 村人が持ってきたパン——この世界の丸パン——を半分に切り、山盛りのプルドポークを挟む。

 ビリーが最初の一つを走り寄ってきた村の子供に手渡した。

 五歳くらいの女の子。両手でサンドイッチを持って、大きな口を開けて——がぶり。


 頬がソースで赤く染まった。目がまん丸になった。

 そしてもぐもぐとひとしきり噛んで、飲み込んで——。


「おいしいーーー!」


 甲高い歓声が朝焼けの空に響き渡った。

 子供たちが殺到した。全員が顔中をソースまみれにしながら、サンドイッチに齧りつく。

 ソースが垂れて服を汚しても誰も気にしない。

 母親たちも一口もらって「あら」と目を見張り、気づけば自分の分を作っていた。


 ドワーフが「パンが足りん!」と叫ぶと、村のパン屋が「今から焼く!」と走って帰っていった。


 ***


 最後の仕上げは、ビリーが「絶対に必要だ」と言い張った副菜だった。


「BBQにサイドメニューは必須だ。肉だけじゃ完成しねえ」


 村人が持ってきた芋——拳二つ分ほどの、紫がかった芋——を、ビリーはアルミホイルで包んだ。

 テキサスから持ってきたアルミホイルのロール。残りは半分ほどだが、今使わなくていつ使う。

 包んだ芋を、ピットの端の燠火の中に放り込んだ。


 四十分後。

 ホイルを開くと、中から甘い蒸気が噴き出した。

 紫の皮が少し焦げ、中の黄金色の実がほくほくと崩れている。


 ビリーが村人から借りたバターを一かけら乗せた。

 バターが熱で溶け、黄金色の芋の上をゆっくりと流れていく。

 エルフがそれを見ていた。一口食べた。


 長い沈黙。


「……この芋は子供の頃から食べてきた。百年以上も」


 エルフは静かに涙を流していた。


「こんな食べ方があるなんて、知らなかった」


 ***


 夜が白み、朝が来て、太陽が昇り、そしてまた傾いた。

 宴は終わらなかった。


 ビリーが肉を焼く。誰かが食う。うまいと叫ぶ。

 別の誰かが「俺にも」と寄ってくる。食う。叫ぶ。もっと来る。

 狩猟団が獲物を狩ってくる。ビリーが焼く。食う。叫ぶ。


 永久機関だった。


 二日目の夕暮れ。

 二つの月がまた空に昇った頃、草原はもう完全にフェスティバルの様相を呈していた。


 あちこちに焚き火が燃え、その周りに人々が車座になっている。

 ドワーフが持ってきたエール樽が開き、木のジョッキが行き交う。

 吟遊詩人がリュートを弾き、即興で「肉の歌」を歌っている。


 ——燃ゆる炎よ煙よ昇れ

 ——テキサスの男が肉を焼く

 ——一口食えば涙が落ちる

 ——二口食えば剣を置く

 ——誰も彼もが腹を満たし

 ——今宵この野に敵はなし


 歌がうまいかどうかは怪しかったが、全員が手拍子で盛り上げていた。


 ビリーはピットの前に立ち続けていた。

 エプロンは肉汁と煙で真っ黒になり、顔は煤だらけで、腕は火照りで真っ赤だった。

 それでもトングを振り、薪をくべ、温度を見て肉を返す。


 ルウがビリーの横に来た。

 リブの骨を手に持ったまま、どさりと地面に座った。


「なあ、ビリー」

「ん?」

「お前の国では——こういうのは、普通なのか」


 ビリーは煙の向こうに目を細めた。


「ああ。独立記念日にはアメリカ中でBBQさ」

「アメリカ中……」


「隣の家も、その隣も。ハイウェイ沿いのBBQ屋も、公園のグリルも、海沿いのビーチも。国中で肉を焼いてる。煙が空を覆って星条旗が花火に照らされて、みんな笑ってビールを飲んでる。そういう日だ」


 ルウは空を見上げた。

 二つの月が、白と青の光で草原を照らしていた。

 焚き火の炎が揺れ、笑い声が響き、肉の焼ける匂いが風に乗って遠くまで流れていく。


「……すごい国だな」

「ああ」


 ビリーはビールを煽った。

 テキサスから持ってきたバドワイザーの最後の一本。


「最高の国だ」


 静かに缶を握り潰し、夜空を見上げた。

 それから——ニカッと笑った。


「だがまあ——ここも悪くないな」


 ルウの尻尾が、ふわりと揺れた。


 ***


 翌朝。

 ビリーが目を覚ますと、スモーカーの前に行列ができていた。

 草原の彼方まで。


 昨夜の噂を聞きつけた近隣の村人たち。

 匂いを辿ってきた冒険者パーティ。

 馬車三台で乗りつけた商人団。

 なぜか正装のエルフの一団。

 担いできた樽をずらりと並べたドワーフの集団。

 空にはワイバーンが三頭、旋回していた。


 ルウが呆れた顔で寄ってきた。


「ビリー。お前の肉を食いたいって奴らが朝から来てる」

「……どんだけいるんだ」

「まだ増えてる」


 ビリーはスモーカーの温度計を確認した。

 火は落ちていない。昨夜のうちに薪をくべておいたのが効いている。


「肉は?」


 ルウの口角が持ち上がった。犬歯が光る。


「狩猟団が夜明け前に出た。『でかいの獲ってくる』って、みんな目が据わってた」


 遠くで大地を揺るがす足音と、狩猟団の雄叫びが聞こえた。

 ビリーは立ち上がった。帽子のつばを直し、煤だらけのエプロンの紐を結び直す。

 行列の先頭に向かって、声を張り上げた。


「列んでろ!全員食わせてやる!一度目はもてなしだ。二度目なら兄弟だ。お互いに愉快なジョークを言い合おう、もし他のやつがジョークで誰かを侮辱していたら俺に言え。俺が全力で守る」


 歓声が爆発した。

 ビリーはスモーカーの蓋を開け、薪をくべた。

 煙が、朝の青空に真っ直ぐ昇っていく。


「さて——」


 トングを構えた。


「火を起こすか」


 こうして異世界に、アメリカンBBQの文化が爆誕した。

 後にこの地方では、年に一度、二つの月が並ぶ夜に草原で盛大な肉を焼く祭りが行われるようになる。

 祭りの名は——住人たちが異邦人の言葉を真似て、こう呼んだ。


『インデペンデンス・デイ』


 なお、ビリーが元の世界に帰りたがっているかは不明。

 少なくとも、肉を焼いている間は幸せそうである。


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― 新着の感想 ―
このお話が大好きです 異世界に転移してここまで自分を貫くお話は読んだことがなくて、最初は読んているタブレットを取り落としそうになるほど大爆笑、次第に感動にシフトしました 今では、ビリーが気になって ビ…
タイトルを見て「それはBBQじゃない。グリルだ!」と思って読んだら、ちゃんとしたBBQだった。是非ともアメリカ人に読んでほしい。
ビーフ野郎!にぐっときました。 ちょうど最近プルドポークバーガーを食べて美味しかった記憶が口の中に蘇りました。
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