傲慢な皇帝の告白
王を務めて、何年になるだろう。
ある人は私を『歴代で最高の王』だと言い、ある人は私を『賢王様』と言い、またある人は私を神のように崇拝する。
誰もが、欠点などない、完璧な王であると讃えた。唯一家臣が物申してきたことといえば、後妻を迎えないことだろうか。つまりは、皇妃である。
私は、早くに妻を亡くした。…いや、殺したと言った方が正しいだろう…。
世間は、病気で亡くなった妻を一途に愛する王様だと、純粋無垢な心で私を見ている。
「…皮肉なものだな」
「どうかなされましたか?」
…どうやら、政務室で書類を目に通しながら考えていたことが口から出ていたらしい。私の事情を把握している家臣が1人、紅茶を机に置きながら聞いてきた。
「いや…、少し昔のことをな…」
「…左様でございますか…。…ですがあれは、陛下だけの責任では御座いません。私や他の家臣共々、皆毎日懺悔をしています。最も、こんなことで許されるとは思っていませんが、こうでもしなければ、気が済まないのです…」
ああ。私だってそうだ。
毎日妻の墓に行っては、祈りと懺悔を欠かさない。 一つは、来世があるならば、どうか妻が幸せな人生を歩めるような生にしてほしいと。
もう一つは、決して私を許さないでほしいこと。
そして、約束を守れなくてすまなかったと、毎日のように懺悔するのだ。
「…私だけの責任でなかったとしても、原因を作ったのも、最期の最期まで、妻の優しさや慈悲深さに気付けなかったのも私だ。妻の数々の行動が私のためだったと知ってからら妻を愛してるなどと…都合が良すぎる」
「私たちも同じ思いです。奥様の行動が私たち家臣や国民、陛下のためであったことを知ってから奥様を尊敬するなんて、あまりにも虫が良かったのです。本来ならば私たち家臣は万死に値するほどの業でしょう」
互いの後悔が滲む声は、この部屋を曇らせた。
今でも鮮明に思い出せる。
あまりにも、彼女は聡明であり、気高く、美しく、そして誰よりも慈悲深い優しさを持った人だった。
◇
それは突然の出来事だった。
この国の皇子である私は、皇家の力を維持するべく、高位貴族と婚約をすることになるだろうと思っていた。
女性に興味はなかったものだから、権力を維持できる相手であれば誰でも良かった。父上と母上が勝手に決めるだろうと思っていた。
ある日、父上と母上に呼ばれ、謁見の間で対面した。そこには、優雅な立ち居振る舞いの見知らぬ女性がいた。何度もパーティーや舞踏会に行き、高位貴族の女性の顔はもちろん、男爵家の貴族や各々の家族構成、その顔まで全員覚えているはずの私に、知らない人などいるはずなかった。
動揺を貼り付けた笑みで隠しつつ、質問した。
「父上、母上、そちらの見目麗しい女性は…?」
「隣国の第一皇女殿下、ルーナ皇女様だ」
名前を聞いた途端に、体に稲妻が走った感覚を覚えた。何故なら、隣国の第一皇女の悪名高い噂は、この国にまで及んでいたためである。
名前は知っていたが、その容姿は見たことがなかったから気付けなかったのだ。
父上と母上の紹介を受けた皇女殿下は、優雅な所作で一歩前へ出た。
「ご紹介に預かりました、ルーナ・セシルと申します。ルーナとお呼びください。第一皇子殿下」
一見私を見ているようにしか思えない彼女の視線は、どこか虚空を見つめているようだった。
胸に手を当て、会釈をする。
「お初にお目にかかります。ルーナ皇女殿下。どうかルーカスとお呼びください」
散々舞踏会やらパーティーやらでしてきた挨拶。完璧な挨拶だったと自負している。しかし何故だろう。その完璧が、彼女には見透かされているような気がした。
父上は、私と彼女の顔を交互に見た後、私の顔を真っ直ぐ見つめた。
「隣国との和平を保つため、お前たちには婚約者になってもらう」
これが、妻との出会いだった。
*
よくない噂もあってか、私はあまり彼女を信用していなかった。だがそれも、政略を前にしては何も言えない。
皇子として彼女と話をし、茶会に参加し、婚約パーティーに出席した。
あっという間に結婚式が開かれ、終わりを迎える。
初夜の日に、私は告げていた。
「あなたを愛することはありません」
私がそう告げた時の顔は、私よりも遥かに大人びた、気持ちがどこかにふらっと出かけているような、ここに心がないような、そんな顔をしていたように見えた。だがルーナは、瞬時に笑みを浮かべた。
そして、さも当たり前のように口を動かしたのだ。
「存じ上げております。私の噂は、隣国まで聞き及んでいらっしゃるでしょうから。むしろ、この国にお迎えくださったこと、心から感謝しています」
刹那、絵の具の混ざったような感情が湧き上がった。
どうしてそんなことを言えるのだろうか。貴族の令嬢、…いや、皇族のあなたのプライドを、踏み躙ったも同然だ。
噂通りなら、いや、そうでなくても、ここで怒るか、関係にヒビが入るくらいはするはずだ。
今まで、自分以上に何かに秀でている人間に出会ったことがなかった。
素直な尊敬と、届くことのない頭脳明晰で聡明な、格の違いを身近で見せつけられるこの劣等感。この双方が、瞬時に湧き上がってきた。
だが、こんな私的な感情をそのままぶつける私でもない。「すまない…」とだけ言って、初夜は終わりを迎えた。
*
結婚してから、早3年が経った。
私たちは皇帝、皇后としてそれぞれ君臨し、国をよりよくするための政策を打ち出した。
それなりに上手く行っていたと思う。そこに愛は無くとも、確かな信頼は、もう互いの中に芽生えていたから。私も、隣国での彼女の噂を信じる理由など微塵もないほどに、彼女の功績を見てきた。
こうやってこれからも共に歩んでいくのだろう。そう信じて疑わなかった。
不穏な転機が訪れたのは、炭のような色をした雲から豪雨を放つ日だった。
彼女と結婚してから5年が経過しようとしていた頃、母が急死した。元々体が弱かった母上は、皇后を引退して2年が経った頃からベッドにいる時間が増え始めていた。
死因は老衰です。そう言われると思っていた。だが、医者から言われたのは、【毒死】だった。誰がやったのか、どんな毒を使ったのか、分からず仕舞いだった。そして、母上の後を追うように、父上も亡くなった。
それから、皇后に不穏な噂が流れ始めた。それは、かつて隣国で流れていた彼女の噂そのものだった。
皇后になったのをいいことに、金遣いが荒くなっているだとか、使用人に対して暴力を働いているとか、無茶な要求を通したりだとか、さらには、母上を毒殺したのは皇后ではないのかという噂まで流れ始めた。
とうとう、私は聞いた。「あなたが母上に毒を持ったのですか」と。彼女は表情を歪ませるだけで、何も答えはしなかった。
もはや、それが答えだろう。
「皇后を捕えろ」
衛兵は一瞬躊躇ったものの、すぐに皇后の体を押さえ、地下牢へと連れていった。普通貴族は、貴族牢といった部屋で監禁するが、皇后を引退した母上、つまりは、上皇を殺した罪というのは、訳が違う。
おそらく、私の個人的な思いも多少入っていた。政治的な取り組みの中で多くの功績を残してきたのは、私ではなくルーナだった。それに、母上を殺したことは、やはり到底許せるものではなかった。
それから毎日、衛兵には、彼女を拷問するよう命じた。彼女が自ら「私がやった」と言うまで、拷問をやめるなという命令を。
国民には、皇后は病で臥せっているという情報を流した。
*
皇后に拷問をし続けて1ヶ月。彼女の様子を見に牢に入ると、見違えた彼女の姿を視界に捉えた。
綺麗だった肌は爛れて、唇には亀裂が入り、爪は削がれている。艶やかな髪は見る影もなく、目も虚な状態で、拷問痕が体のあちこちに残されていた。
そんな皇后の姿を見て、私は労るでもなく、ただただ呆れた。
「何故言わないのですか」
「………」
「何故、『私がやりました』と言わないのですか。たったそれだけ言えば、楽に死なせてやれるのに。何故です」
「………」
「あなたが白状しない限り、私もあなたを死なせるつもりはありません。生きている限り、その拷問はずっと続きますよ」
「………」
何を言っても、挑発しても、脅しても、温情を与えようとしても、彼女は黙ったままだった。
その状況に苛立ちを覚えてきた頃、ルーナは乾いたその唇を少しだけ動かして、喉から擦るような声を出した。
「わたしの、侍女、を。今夜、尾行して、ください…。それで、なにもなかったら、わたしを、どうかころしてください……」
虚な目の中に、少し光が生じたように見えたのは、本当に光だったのか、それとも別のものだったのか。確認する間もなく、彼女はまた黙ってしまう。
「はっ、自分の命が惜しいからと、時間稼ぎで侍女を追えと仰るのですか?…あなたとなら、良き政治のパートナーになれると思っていたのに、残念でなりません」
「………」
「あなたの言う通り、侍女の潔白が証明された暁には、あなたを殺して差し上げます。私の手でね」
恨みを込めて、ドスの聞いた声で、私は言った。なのに、彼女の本当の微笑みを、私はこの時、初めてみたような気がするのだ。
まるで、その虚な目で『ありがとう』と言われているような。
良い気分でなくなった私は、すぐにその牢を後にした。そしてこの日も、私は衛兵に拷問をするよう言い渡した。
*
その日の晩、私は皇后の侍女であるエレナを尾行した。私が率いている騎士団には各位置に隠れてもらい、侍女の動向を探る。
やがて侍女が部屋に入る頃には、日付も回っていた。
やはり何もなかった。皇后のはったりか。どこか落胆した私は、尾行をやめて部屋へ戻ろうとした直後、皇后の侍女は、何故かまた部屋を出た。
騎士には合図を出し、尾行を続行した。侍女は皇宮の庭、それも、不自然な茂みまで足早に向かった。
その茂みの中から出てきたのは、黒のマントで頭まで覆っている大柄の男。
私は騎士に捕えろという合図を下した。
「なっ、何…!?」
侍女の言葉に耳を傾けず、私は騎士に命令する。
「侍女が持っている小瓶を奪って薬師に解析させろ」
「っ、離してっ…!離しなさいよっ」
「お前、誰を前に発言している?私はお前に発言を許可した覚えはない」
殺気立つ私の声に、侍女は喉をキュッと鳴らした。
私は、ゴミでも見るかのような目で侍女を見た。
「答えろ。あれは何の小瓶だ。ここで何をしていた」
「そ、それは…、っ、そう、えっと、皇后様っ、皇后様のご命令で、私はここへ来たのですっ…!」
「ほう…?目的は」
「あ、あの小瓶ですっ、わ、わたしは、ただ受け取れと言われただけで、何もしていません!」
犯人は、分かったようなものだった。だが、確定ではない。
「こいつを捕らえて、地下牢へ放り込め。口は塞げ。うるさいからな」
「ま、まって、私は何もしていません!本当ですっ、皇帝陛下っ!」
「うるさいと言っている。一介の侍女ごときが、私の許可なしに口を開くな」
いつもの私なら、身分を気にすることもないのに。
私はただ、この侍女の口を塞ぐ理由が欲しかっただけだった。
次の日、薬師の元を訪れた。
「結果は」
変な胸騒ぎがした。
「…母君が亡くなられた原因の毒と、成分が一致しています」
「………っ、助かった。急な仕事で眠れなかっただろう。報酬はまた弾む」
それだけ言い残して、私は部屋を出た。
騎士を複数連れて牢へと急いだ。
頭の中は、彼女への謝罪と、どうすれば関係を戻せるだろうかということばかりだった。
「ルーナ…!」
牢へと続く扉を開けて、名前を呼んだ。しかし、一向に返事をする気配がない。足を早めて彼女のいる牢へ向かう。
「ルーナ!ルー、…ナ…?」
昨日は、まだ意識があった。今目の前にいるルーナも、目を開けている。なのに、一向に返事が返ってこない。
ああ、胸騒ぎとは、これだった。
床に横たわり、目は開いたまま。
冷たい床は体温を奪い、その体温を温めてくれる羽織すら、彼女は持っていない。拷問によって出来た数々の傷は、冷たい床に染みただろう。
どうすれば償えるか、関係を修復出来るかなどと言う私の考えは、甘すぎた。
門前にいた番人から奪った鍵で、彼女が横たわっている牢の鍵を開ける。
「ルーナっ…!目を、目を開けてくれ…!頼むから……、私が、全部悪かったから………」
そっと、彼女の体を持ち上げた。
するとどうだろう。本当に、同じ人間なのだろうかと疑問に感じるくらいの体の軽さと、枝のように細い手足は、私の罪の意識を更に感じさせた。
ただの布切れのように思える服を着た痩せ細った皇后の目は、最後まで虚のままであった。
*
それから、数々の真実が明らかになった。
隣国は我が国を初めから裏切っており、奇襲を仕掛けるその機会を伺っていたこと。
隣国の娘を守り抜けなかったことを口実にするべく、あの毒を使い、皇后を殺そうとしていたこと。
母を殺したのは、やはりあの侍女であったこと。それも、隣国の指示だったこと。
これだけなら、まだよかった。
彼女は、これら全てを知っていたのだ。だから、何も言えなかった。
私が彼女に仰いだ言葉は、『私がやりましたと言え』だった。彼女自身は何もやっていないのだから、言わないだろう。
だが、自分の祖国が裏切りを犯している時点で、『やっていない』とは言えなかったのだ。
挙げ句の果てには、彼女は祖国で虐待を受けていた。食事が3食ないのは当たり前。暴力暴言、無視、あらゆる嫌がらせを受けていた。
その証拠に、彼女の傷痕には拷問の痕だけではなく、いつつけられたのかも分からない古傷が多く見受けられた。
彼女が何も言えないのも当然だった。暴言暴力による精神的支配を受けていたのだから。
なのに、彼女はどうにか、私に祖国の裏切りを伝えようとしてくれた。
……自分の命を、犠牲にして。
そこに追い打ちをかけるように、家臣やメイドは次々と罪を告白しにきた。
それは、皇后への仕打ちだった。
皇后の世話をまともにせず、態度も皇族にするようなものではなく、どちらかと言うと蔑んだものを見るような態度で対応し、家臣たちは皇后の意見に一切耳を傾けなかったようだ。
こんなの、彼女の祖国での仕打ちと変わらないじゃないか…!
謝罪なんて甘すぎると思うくらいに、私たちは罪を犯しすぎた。彼女と同じ拷問に晒されても、まだ甘い。だって、そもそも彼女は潔白なのだから。むしろ、国を救ってくれた恩人だ。
その恩人を、私は勝手に疑い、決めつけ、拷問をかけて、彼女を殺した。
真実は、どんどん明るみになっていく。
母上が亡くなってから皇后の出費が増えたのは、それまで母上がやっていた慈善事業を引き継いだから。それが分からなかったのは、出費の明細を、皇后の侍女が勝手に変えていたから。
使用人に暴力を与えていたのは、これまた皇后の侍女だった。そして、皇后の侍女には、皇后様からそういう命令が下ったと言われたとのこと。
そもそも皇后の侍女は祖国からやってきていたのだから、当然虐待に加担していた人物だったのだろう。侍女単独の行動か、国絡みでの行動か、もはや今となってはどちらでも良いが、どうにもこの怒りは止められそうにもない。
今まで感情を表に出すようなことはしたことがなかったが、なるほど分かった。
これは、この感情は、抑える方が難しい。
隣国への怒り。皇后専属の侍女への怒り。家臣や使用人への怒り。そして何より、自分自身への怒りと失望は、計り知れなかった。
*
皇后に無礼な働きをした使用人は解雇し、修道院へ送った。
家臣は、私と共に懺悔をさせてほしいと懇願されたので、減給と爵位を下げることで不問とした。
皇后専属の侍女は、もちろんのこと殺した。皇后が受けた数倍の痛みを伴う拷問を味合わせ、それからゆっくりと炙った。
隣国とも戦った。こちらの圧勝だった。皇后の死の理由を目の当たりにしてる騎士団は、全ての元凶である隣国を許しはしなかった。
そして私も、本来ならば皇帝の座を降りて、割腹でもするべきだった。
だが後見人もいない今、そんなことをすれば、国の母を失った国民は途方に暮れてしまうから残ってくれと、家臣に懇願された。
代わりに…、いや、代わりにもならないが、彼女の墓を綺麗な草原に立てた。そして毎日、花を手向け、懺悔の言葉を言いに行くことにした。
国民には、混乱を招いてはいけないからと病で亡くなってしまったことにしている。
葬式には、沢山の平民や男爵から伯爵家の貴族が感謝を伝えにきた。
慈善事業の規模を拡大したこと。
不作の時に備えて、畑の設備を整えたこと。
孤児院の内装や外装を綺麗にし、衣食住に困らないようにしたこと。
没落寸前の家を、皇家に忠誠を誓うなら全額返済すると言って、自分のお金で払っていたこと。
数え上げれば切りがなかった。
高位貴族からも、彼女は人気を博していた。
決して派手ではないドレスを着こなすのは、派手なドレスを着て目立つよりも難しいことを教えてくれたのだと。
政略だとしても、そこから上手くいくか、破滅の道を辿るかは自分次第だから、決して諦める必要はないのだと。
腹の探り合いをするのではなく、相手の目を見て話すことこそが、本当の会話なのだと。
私は自分が如何に愚かで、傲慢な人間であったのかが分かった。
勝てるはずもない。そもそも、次元が違った。
私の利己的な考えと、彼女の人を思いやる利他的な考え。皇族には備わるはずのないそれは、彼女だからこそ出来る思いやりだった。
そして葬式が終わり、彼女のいない日々を経て、ようやく私は気付いたのだ。
『あなたが好きだ』と。
◇
今日も私は、彼女の墓に花を手向け、懺悔をする。過ちを白状し、謝罪し、そして傲慢にも告白をする。
「あなたを愛しています」
それは、世界で1番傲慢な告白であった。
こちらまた思いつきで書いた短編ですm(_ _)m
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