空飛ぶ空
その昔、空には空がなかった。地上数十メートルのところを天井で塞がれ、人間たちは今より狭苦しい世界で生きていた。それでも誰も狭苦しいとは思ってはいなかった。世界はこんなものだと思っていた。慣れていた。この天井を作ったのは誰なのか、神なのか、それとも宇宙人なのかと不思議に思うことはよくあったが、誰も空を飛びたいなどと思う者はいなかった。
高い塔を建てる者はいくらでもいた。数十メートルの塔を建設し、天井に手を届かせた。生白い天井にさまざまなアートや落書きが施され、人間はこの世を支配した気になった。
しかし天井に穴を開けようとする者などは滅多にいなかった。岩のように硬かったこともあるが、天井の上に何があるかわからなかった。さまざまな憶測が先人によってなされてきた。そこは魔物の巣窟で、穴など開けようものならおそろしいものが地上へ降りてくるだろうなどと噂され、天井の上を覗くことは禁忌とされていた。
いつの時代にも禁忌を犯したがる者はいるものである。しいなここみもそんな一人であるが、遥か昔からしいなのような人間はいた。ノミとトンカチを持って高い塔に登り、真上にむかってトンネルを掘るように、カンカンカンカンと穴を掘った。パラパラパラパラと地上に天井のカスが振り注いだ。それでその悪行がすぐに発覚し、下から追いかけてきた奉行所の役人に捕まって、密室で豆柴にトコトンなつかれるという罰を受けた。
時代が進み、産業革命を経て、イギリスのメシがまずくなりはじめた頃、ある若者が、発明王として名高い『ソーデス・オジサン』の発明した電動ドリルを持って天井に挑んだ。あっという間に掘り進んだものの、ドリルが届かなくなるほど掘り進んでも向こう側は見えなかった。パラパラと地上へ落ちる天井のカスを頭上に浴びたバカ殿様の怒りに触れ、若者は死ぬまでチンパンジーしか飼ってはいけない刑に処された。
そして現代になって、ようやく天井に穴は穿たれた。冷蔵庫が発生させるフロンガスによって自然に穴が空いたのだ。我こそは歴史に悪名を残さんと野望に燃えていたしいなここみはがっくり肩を落とした。
空いた穴から天井の向こう側が見えた。
人々は覗き穴から向こう側を見る男性のようなスケベ顔で目を細め、覗き込んだ。
しかし天井の向こうには何もなかった。
噂されていた魔物などもいない。それどころか鳥も雲も、上院議員も乳酸菌も、何も飛んでいなかった。
ただ空だけが空を飛んでいた。




