Substackは書き続けられる場所になるか
#19 May 20, 2026
鳥井さんがSubstackについて言及してくれたことをきっかけに、SubstackがSNSの文脈から日本でも広がり始めたことを知ったのですが、それを機に、最近はタイムラインの投稿も始めてみました。
もともとSubstackを始めたのは、長らく文章を書いてなかった自分が、ここならまた、書き続けられるのではないかと思ったから。Substackに関連するいろんな記事や動画を見て、最終的に選んだプラットフォームです。特に決め手となったのは、Substackが持つ思想。
Substackの共同創業者である、Hamish McKenzieは、以前に既存のSNSを「神殿(Temple)」、Substackが作るは「庭(Garden)」と表現しました。Substackが目指すは、アテンションで人を集める場所ではなく、書くことを通じて、読者との関係を作っていける場所だと。
参考:From the temple to the garden
自分もSNSのアルゴリズムに葛藤があり、どうにか雑念に左右されず、再び書ける場所を探していた一人です。彼らの考えに共感できたからこそ、Substackは書きたい人におすすめしたいサービスでもあります。
それではなぜ、Substackはおすすめできるのか。それはおすすめした人が文章を書き始めたら、自信を持って「僕が読みに行きます」と言えるからなんだと思います。
そこにはSubstackの思想に加え、直接メールボックスに届く、ニュースレターとしての機能が関係しています。
Substackには「フォロー」と「購読」の機能があります。
フォローは、タイムライン上でフォローした人の投稿や記事が見れるようになる。購読は、記事が公開されると登録したメールボックスに届くようになる。
フォローはタイムラインに合流しない限り情報が見れないので、見に行く選択はその人自身にあります。購読は直接メールボックスに記事が配信されるわけですから、フォローとは違った重みを感じます。
少なくとも僕は購読を決める前に、この人の文章を今後も読みたいか、応援したいと思うか、少し考える時間があるのは確かです。
だけど、自分がSubstackをおすすめした人に、自信を持って「読みに行きます」と言えるのは、購読というある種の「約束」に近い手順を踏むからなのだと思います。ここに、書き手が書き続けられる理由もあると考えます。
読者は手紙を受け取る約束をし、書き手は手紙を書いて投函する。ほんの少しの持ちつ持たれつ精神が宿るからこそ、読者と書き手の信頼が積み重なっていく。
しかしそう考えていくと、一体何を書けばいいのか、迷ってしまいそうです。
特にSubstackはSNSとしての側面があり、読者の顔が見えやすいので、本当に手紙を届けていいのか不安になります。
ここに対する現時点での回答は、鳥井さんの記事にあったように、ブログやエッセイに書くべきは、「秘密の告白」。なんだと思います。
ここにもう少し自分の解釈を入れてみます。
僕がいま、記事を書くヒントとして足がかりにしているのは、最初にブログを始めたとき、誰に何を伝え、どう変わっていきたかったのか、当時の心境です。
書いていた記事の内容そのものを参考にするというよりは、もっと抽象的な迷いや葛藤、揺らぎのようなものを思い出す感覚です。
まだいろんなWebメディアが盛り上がっていた頃、ブログやTwitterで発信し、そこからイベントを通して出会ってきた人たちがたくさんいます。
当時、彼らの発信する有益な情報そのものに惹かれたわけではなかった。その背後にある彼らの思考の軌跡や企み、揺らいでいるものに惹かれたんですよね。
興味関心や趣味嗜好は違えど、彼らの視点で新しいことを知れる楽しさや、お互いの共通点を感じ取れる何かがあった。
それに、僕が文章を書き続けられたのは、書くことで知り合えた、彼らの存在があったからです。あの頃の感覚が今もう一度必要なんじゃないかと感じてるんですよね。
当時から10年以上経った今、そんな関係性をもう一度育めるプラットフォームとして、Substackには可能性を感じています。
当時も今も相変わらず何を書くべきか悩むし、格好の良い文章が書けるわけでもありません。
これまでやってきたこと、今考えていること、これからやってみたいことを、その都度書いてきただけです。
ある日自分の書いた文章がどうやら、誰かの助けになったことを知ります。自分の文章が誰かの心に届いた実感がありました。それが嬉しくて、また書きたくなる。
こうして書いてきた記録の積み重ねが、いろんな人に出会わせてくれました。
今でも悩みを抱えている人たちは、その悩みを解消できる何かを探しているはずです。あなたが書く文章は、そんな誰かの助けにもなる。
その時にただ有益な情報を書くのではなく、自分の思考の跡や揺らぎを文章に乗せてみる。血の通った文章とも言えるかもしれません。
神殿から少し離れた静かな庭で、僕らは何を書き続けていくのか。
書くことで誰かに伝わり、交流が生まれる。交流が生まれることで、庭のようなコミュニティが広がっていく。
この行く先がどうなるのかまだ分かりませんが、もし少しでも書いてみたいと思った方は、せっかくの機会なので楽しみましょう。
最初はあまり難しく考える必要はありません。僕も長く続けられるように、自分のペースで書いていけたらと思います。


