不安はない方がいいもの?
不安はない方がいい、というのが一般的な考えだと思うんですが、
「常に不安を持っていることで、安定するタイプの人もいるんだ」
と思った話をしたいと思います。
人生で不安を隣に置いて並走している人は、たぶん、不安を取り除くことが幸せではないんだと思うんです。
「不安と共に生きる」とでも言うんでしょうか。
きっと、長年不安を身近に置いていたことにも、理由があるはずなんです。
不安があるから慎重になった。
不安があるから失敗を避けられた。
そう考えると、不安にもちゃんと意味がありますよね。
つまり不安は、自分を守ってくれているものでもあるんです。
そうして不安で自分を守っていると、その状態で安定しているので、逆に不安がなくなってしまうと不安定になってしまう。
本人もそれを無意識にわかっているから、なかなか不安を手放せない……。
もちろん、心の奥底の自分でも気づいていない本心では、「不安なく自由に生きたい」と願っているんだと思うんですね。(既にここに気づいている人もいます。)
ただ、そこに気づくまでに時間がかかるし、気づいたとしても、長年一緒に歩んできた不安をいきなり手放すのは心理的に負荷がかかると思うんです。
Amazonで「不安」と試しに調べてみると、
不安がなくなる
不安を克服する
不安から自由になる
みたいな本がたくさん出てきます。
確かにそうなったらいいと思うんですが、途中段階として、
「不安と共に生きてもいいんじゃない?」
というのが私の意見です。
ということで、今日はこのことを大乗仏教から考えてみたいと思います。
不安は、あってもいい
仏教は、「苦」から離れることを最大の目的としています。
自分と他者の「苦を抜き、楽を与える(離苦得楽/抜苦与楽)」ことが、仏教の基本的な指針です。
仏教で言う「苦」とは、単なる痛みではなく、「生命が何かを望んで、それを得られないこと」からくる心理作用です。
なぜ仏教が「苦」にフォーカスするかと言うと、人によって何が「楽(喜び)」かは人それぞれで、決められないと考えたからです。
つまり、「楽を妨げている『苦』を取り除く方が、現実的だよね」という消去法なんですね。
じゃあ、どうやって「苦」から離れるんですか?と。
そこで出てくるのが、『空思想』です。
般若心経を一度はどこかで聞いたことがあると思いますが、その中に「色即是空 空即是色」という言葉があります。
色即是空(しきそくぜくう)
形あるものは、決して永遠にそのままの形で存在するのではなく、実体がない(空である)ということ空即是色(くうそくぜしき)
実体がないからこそ、すべてのものは状況に応じて様々な形(色)になって現れることができるということ
……なんのこっちゃってなりますね。
すごく簡単に言うと、捉え方次第で変わるよねというのが空思想で、
「不安ってどこにありますか? 触れないですよね? じゃあ、あるとも言えるし、ないとも言えますよね?」
という話です。
仏教に詳しい人に叱られそうなくらい、だいぶ乱暴にまとめました。
ここで普通は、「不安って実体がない(空)ものだから、執着を手放して不安から離れよう!」という話の流れになりがちです。
でも仏教は、
「苦」から離れられるなら、色と空、どっちの捉え方を選んでもいいよ
と言っています。
例えば今、あなたが不安を握りしめていたとして。
もしそれで苦しいなら、「不安は実体のない『空』だから、今の苦しみは一瞬で変化させられるよ」と捉える。
逆に、今不安を手放すことが苦しいなら、「不安がある状態(色)でいいですよ」と捉える。
「実体としてある面(色)」と「実体がない面(空)」のどっちを見てもいいよ、というのが仏教の教えです。
根本にある目的は「苦から離れる=楽になる」なので、『空思想』が正解と言いたいわけではないんですよね。
それが大乗仏教の面白いところだなと思います。
だから、「不安と共に生きる」方が安定するなら、それはそれでいいんです。
立派な生存戦略です。
心がそれを望んでいないなら、無理に不安を取り除く必要はありません。
今もし不安がなくなったら逆に不安…っていう、そんなアンビバレンス(相反する感情)があるということを、自分でわかっていればそれでいいんじゃないでしょうか。
前回の記事で距離感=「間」の話をしましたが、不安とも適切な「間」を見つけて、お付き合いしたらいいんだと思います。
不安を克服する本がたくさん並んでいようと、一般論の正解らしきものに、自分を無理やり合わせる必要はありません。
もし不安を取り除きたいと心から願うようになったら、その準備ができたときに、少しずつ不安とさよならしていけるはずです。
不安に実体はありません。
だから、変わろうと思えば人は一瞬で変われると、空思想は伝えています。
必要なときがきたら、ぜひ空思想を思い出してみてください。
相談されたときは?
一方で、相談される側になったときにどうするか?も最後に書いておきたいと思います。
一般的に、「そんなに不安なら〇〇したら?」みたいなアドバイスをしがちだと思うんです。
「あの人ずっと不安って言ってるんだけど、アドバイスしても変わらないんだよね」みたいな相談を受けることがあるのですが、そのときに私は「不安な方が安心する人もいるんですよ」という話をしています。
相談される側からすると、せっかくアドバイスしてるのに聴いてもらえてないと感じるのは、寂しいことだと思います。
でも、相手はアドバイスを求めているのではなく、ただ「不安を抱えている自分を聴いてほしい」「このまま受け入れてほしい」と思っているのかもしれません。
相談される側の人にも届けられたらいいなと思って、今回この話を記事にしてみました。
私たちはついつい、白黒をはっきりつけたくなってしまいますよね。
そしてAIがあることで、判断や答えを出すスピードはどんどん速くなってきています。
だからこそ、結論を急がず、答えを保留する力が、人としてますます大切になっている気がしています。
あってもいいし、なくてもいい。
白でもなく黒でもなく、グレーでもいい。
わからないまま生きててもいい。
「曖昧なものを曖昧なまま、ふわっと包み込む力」
それが、変化の激しい現代を生きていくための智慧なのではないでしょうか。
みなさんは不安とどう付き合っているでしょうか?
良かったらコメントで教えてもらえると嬉しいです。



めちゃくちゃ共感です!正直、簡単に解決策とか答えを出す方が楽なんですよね。だけどこの考え方でコツコツいけば、ありのままの人生が豊かになるし、不安があろうがなかろうが生きる力になるよなあ、と思いました🌱
すごく心に沁みました
ボクは、長くダンスをやっていて、人生ってダンスから学ぶこと多いのですが、バレエに不安定の安定って言葉があります
それに違い考え方?