「有益なことが書けない」と思っている人ほど、Substackに向いています。
「途中の人」の発信が、読まれる時代になってきた話。
有益なことを書こうとして、書けなくなっていた
Substackを始める前、
「有益な記事を書かなきゃ」
とずっと思っていました。
専門知識を整理して。
役立つ情報をまとめて。
読者の役に立つ完成した記事を出さなきゃって。
でも、
書こうとするほど止まるんですよね…
これは誰かにとって有益かな。
まだ調べ足りないんじゃないか。
もっと「ちゃんと」してから、
出すべきなんじゃ…
そんな声が頭の中に増えていって、
結局な~んにも書けなくなる。
有益にしようとして、書けなくなってた。
それが、あの頃のわたしの正直な状態でした。
読者は、完成した人だけを求めているのか
少し視点を変えてみると、
読者って本当に完成した人の話だけを求めてるのかな?
って思ったんです。
たとえば、わたしがSubstackで読みたくなるのって、
すごい人の成功体験よりも、
同じくらい悩んでいる人の正直な話だったりします。
「わかる」
「それ、わたしも同じだった」
そんな瞬間を探して読んでる感じでしょうか。
完成した情報より、
今まさに途中にいる人の言葉のほうが
心に響くことがある。
AIが情報を量産できる時代になって、
その差はさらに大きくなってる気がしてます。
整った情報ならAIでも作れる。
でも途中の人の感覚は、
まだその人にしか書けません。
一番価値があるのは、少し前の自分の話
最近感じてるのは、
発信で一番価値があるのって、
「少し前の自分が知りたかったこと」
なんじゃないかな、ってこと。
完全に解決した人の話は、
ちょっと遠すぎて…届かないことがあります。
でも、
同じところでつまずいていて、
こうやって乗り越えた。
そんな話は、
今まさにその手前にいる人に届く。
わたしが絵本を作り始めた頃、
AIで何十回試しても、なんかしっくりこない。
そんな話を書いたことがあります。
解決策を書いたわけではありません。
ただ、途中の感覚を正直に書いただけでした。
それでもコメントをもらえました。
途中だからこそ、
書けることがあったんです。
途中だから書けることがある
ポケモンでチコリータ以外を選んではリセットしていた話。
自作キャラのくろにゃんの耳を何十回も描き直した話。
これ、わたしが最近Substackで公開した記事です。
そこに有益な情報はありません。
でも、この感じ好き。
そんな言葉をいただくことがありました。
完成したから届いたのではなく、
完成していなかったから届いた。
途中の人が書けることは、
完成した人には書けないんですよね。
迷っていること。
まだわかっていないこと。
やってみたけどうまくいかなかったこと。
そういう話を正直に書けるのは、
今まさに「途中にいる人」だけです。
有益な人になる前に、書き始めていい
もし今、
有益なことが書けない。
そう感じてるなら。
それは有益な情報がないんじゃなくて、
途中の自分の話を発信していいって
思えていないだけかもしれません。
有益な人になってから書くんじゃなくて、
途中のまま書き始めていい。
むしろ、
途中の感覚を言葉にできる人ほど、
Substackに向いている気がしてます。
途中だからこそ、書けることがある。
こういう話を、これからもここで書いていきます。
よければ登録して、
続きを読んでもらえたら嬉しいです。
有益じゃないから書けない。
そう感じた経験はありますか。
よかったらコメントで教えてください。
たぶんその感覚を書いた記事が、
一番「誰か」に届きます。



私が今その最中です。
いい記事を書こうと意気込むと、いろいろ考えたり調べたりので無限ループに陥ってホントに手が止まります。それだけじゃなくて、だんだん描くことがなくなってきますね。