kimuchiです!本日も記事をコツコツ書いてます!
突然ですが「半身で働く」という言葉ご存知でしょうか?
これは三宅香帆さんが提唱している言葉で、仕事に全部を投げ込まない。
残りの半分は、別のものに残しておく。そういうニュアンスの言葉です。
これは仕事の話だけじゃなく、生き方そのものの話として広く読める言葉です。
全身で生きる:人生の主軸(多くは仕事)に、すべてを投げ込む
半身で生きる:仕事は半分でいい、その分を別の何かに残す
ここ数年、明らかに半身側を選ぶ人が増えています。
今回は「半身で生きる」について整理していこうと思います!
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なぜ「半身」が広がっているか
ここ数年、脱資本主義的な本が、ビジネス書のコーナーで明らかに増えました。
斎藤幸平さんの『人新世の「資本論」』が代表ですが、似た方向の本がずっと売れ続けています。
この流れは「資本主義の恩恵が、もう返ってこなくなった」ことの裏返しだと私は思います。
「もっと働け、もっと稼げ、頑張れば報われる」という新自由主義的な世界観は、頑張った分のリターンが返ってくる前提で成り立っていました。
頑張れば給料が上がる。家が買える。子育てもできる。老後も安心になる。そういう前提でした。でも、その前提が、もう崩れています。
頑張っても給料は上がりません。家は買えません。年金も減ります。物価だけが上がり続けます。
全身を捧げても、想定していた報酬は返ってきません。
だから、全身で生きる理由が、減っているのだと思います。
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「降りる」が「選ぶ」に変わった
20代・30代のあいだでも、第一線から降りる生き方への憧れが、確実に広がっています。たとえば、東出昌大さんのように、芸能界の中心から離れて山で狩猟をしながら暮らす生き方。
地方に移って米作りを始めた元会社員。会社を辞めて、書くことだけを残した人。
そういう生き方を、いまの若い層は「降りた」ではなく「選んだ」と読みます。
10年前、20年前なら「お前そんな生き方で大丈夫か」と言われていたものが、いまは「そういう選択もあるよね」で済みます。
これは、明らかに変化です。
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半身が空っぽだと、半身は半身にならない
半身で生きる人を見ていて、ひとつ思うことがあります。
うまくいっている人は、「何に半身を残すか」をちゃんと選んでいます。
本、家族、地域、趣味、健康、信仰、創作。
仕事じゃないほうの半身が空っぽだと、半身は半身として成立しないんです。
ただ仕事を減らしただけでは、残された時間が手持ち無沙汰になります。
そこに、もう半身を投げる先がなければ、それは「半身で生きる」ではなく、ただの「縮小」で終わります。
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半身は、諦めることじゃない。賭けることだ。
ここまで書いてきて、思ったことがあります。
「半身で生きる」は、人生の半分を諦めることではありません。
もう半身を、何に賭けるかを選ぶことです。
全身で頑張る場所は、これまで会社が決めてくれていました。
決まった場所に、決まった量を投げ込めば、それで報われる時代でした。
半身で生きるということは、もう半身の行き先を、自分で決めるということです。
本でも、家族でも、地域でも、創作でも。
ここがいちばん難しい問いです。
全身か、半身か。選べる時代になりました。
もう半身を、どこに賭けるか。
そこが、今の時代に問われているのではないかと思います。
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半身が空っぽだと、半身は半身にならない、と言う言葉。
凄く納得してしまいました。
どちらも満たされていたいですね。