ぼくは今、
小学校で不登校担当をしています。
ある日
不登校気味の子が、
登校してきました。
1時間目。
2時間目。
3時間目。
4時間目。
給食まで、
ずっと別室で過ごしていました。
折り紙をしたり、
少し話したり、
静かに過ごす感じです。
だからぼくは、
今日もこのまま、
一日を別室で過ごすのかな、
と思っていました。
昼休み、友達が来た
昼休みになると、
友達が遊びに来ました。
何人かで、
自然に話し始めて、
笑って、
そのまま遊び始めた。
ああ、
やっぱり子どもって、
友達なんだな、
と思いました。
そして、
チャイムが鳴って、
掃除の時間になりました。
ぼくは、
どうするのかな、
と思って見ていました。
するとその子は、
「掃除行きます」
と言ったんです。
そして、
友達に連れられるようにして、
もともとの掃除場所へ行った。
普通に掃除していました。
これ、
かなり驚きました。
出られないと思っていた
正直に言うと、
ぼくは、
掃除は難しいかな、
と思っていました。
別室に戻って、
静かに過ごすのではないか、
と思っていた。
でも、その子は出た。
みんなのいる場所へ行った。
しかも、
特別な感じではなく、
自然に。
人の心って、
本当にわからないです。
そして、内科検診にも並んだ
さらに驚いたのは、
そのあとです。
5時間目と6時間目は、
また別室へ戻ってきました。
そして、
内科検診がありました。
事前には伝えていましたが、
ぼくは、
たぶん難しいだろうな、
と思っていました。
人も多い。
周りの目もある。
空気もざわつく。
でも、
友達が呼びに来ると、
その子は、
しれっと並びに行ったんです。
自分の番号の場所に並んで、
普通に受診して、
また戻ってきた。
なんというか、
「え、行けるんだ」
と思いました。
でも同時に、
「じゃあ何なら行けて、何なら難しいのか」
やっぱり簡単にはわからない。
子どもの心は、一直線じゃない
ぼくは時々、
不登校支援って、
「できる」「できない」
で考えすぎると、
見えなくなるものがあると思っています。
出られる日もある。
出られない日もある。
昨日は無理でも、
今日は行けることがある。
逆に、
昨日できたことが、
今日は急に難しくなることもある。
かなり揺れる。
そして、
その揺れには、
本人ですら説明できない部分がある気がします。
人は、「安心できる誰か」で動く
今日、
ぼくがいちばん印象に残ったのは、
友達でした。
無理やりではない。
でも、
自然に誘いに来る。
「行こう」
と声をかける。
その空気が、
その子を少し外へ動かしていた。
人って、
理屈だけでは動かないんですよね。
安心。
関係性。
「この人となら大丈夫かもしれない」
そういうものが、
人を動かす。
大人も同じです。
最後に
掃除には行った。
でも、
授業には戻らなかった。
内科検診には並んだ。
でも、
また別室へ戻ってきた。
その動きは、
一直線ではありません。
だからこそ、
ぼくは、
子どもの心って、
簡単に説明できないものなのだと思います。
そして今日、
その子を動かしていたのは、
「頑張れ」
ではなく、
友達の存在だった気がしています。
教室を見ていると、
人は、
安心できる誰か
によって、
少しずつ外の世界へ戻っていくのかもしれませんね。





私も見守りの仕事をし始めて6年目ですがまだまだわからない事がいっぱい有ります。
朝、部屋から出られた!
席着く事が出来た!
もうそれだけでも十分
今日は来てくれるかな?