最近、よく考えています。
「学校は、本当に必要なのだろうか」と。
ぼくは今、不登校担当として仕事をしています。
学校に行きにくい子。
教室に入りにくい子。
学校とは別の場所に、自分の居場所を見つけている子。
そういう子どもたちと関わる役割をしています。
そして、ぼく自身もうつ病があります。
休職と復職を繰り返してきました。
学校という場所に助けられたこともあります。
でも、学校という場所に苦しくなったこともあります。
だからこそ、最近は少し立ち止まって考えるようになりました。
学校は必要なのか。
学校に行くことだけが、子どもにとって本当に正解なのか。
学校は必要です。でも、学校だけが正解ではありません。
最初に書いておくと、ぼくは「学校なんていらない」と言いたいわけではありません。
学校には、意味があります。
友達と出会う場所です。
先生と出会う場所です。
集団の中で生活する力を身につける場所です。
自分とは違う考え方に触れる場所でもあります。
給食があること。
生活リズムが整うこと。
家庭以外の大人が子どもの変化に気づけること。
そういう意味でも、学校には大きな役割があります。
ただ、学校が必要であることと、すべての子どもが毎日そこに行かなければならないことは、同じではありません。
ここは分けて考えたほうがいいと思っています。
学校は大事です。
でも、学校だけが人生の通路ではありません。
不登校担当として見えてきたこと。
不登校担当をしていると、学校に行っていない子どもたちの姿を見ます。
でも、その子たちが何もしていないわけではありません。
別の場所で勉強している子がいます。
家庭で学んでいる子がいます。
フリースクールのような場所で、人とのつながりを取り戻している子もいます。
好きなことに時間を使って、自分の得意を伸ばしている子もいます。
そういう姿を見ると、思うんです。
「この子は、学校に来ていないからダメなのだろうか」と。
いや、そんなことはないですよね。
学校に来られない日があっても、その子の人生は止まっていません。
むしろ、学校の外で、その子なりに前に進んでいることもあります。
ぼく自身、うつ病で学校を休む日があります。
休んだ日も、教師であることを忘れているわけではありません。
子どもたちのことを考えています。
でも、体が動かない日があります。
この経験があるから、学校に来られない子を、簡単に「甘え」とは言えません。
来たくても来られない。
行かなければならないと分かっているのに、体や心が動かない。
その感覚を、ぼくは少し知っています。
「学校復帰」だけをゴールにしなくてもいい。
不登校の支援をしていると、どうしても「学校に戻すこと」がゴールになりがちです。
もちろん、本人が学校に戻りたいなら、その支援は必要です。
学校に戻れるように環境を整えることは、大事な仕事です。
でも、学校に戻ることだけが正解になると、苦しくなる子がいます。
「学校に戻れない自分はダメだ」
「みんなと同じようにできない自分は弱い」
そう感じてしまう子がいます。
でも、子どもに本当に必要なのは、学校に戻ることだけではないはずです。
安心できる場所があること。
自分の存在を認めてもらえること。
学びを続けられること。
誰かとつながれること。
将来への希望を持てること。
それがあれば、場所は学校だけでなくてもいいのではないかと思います。
文部科学省も、不登校の子どもが学校外の施設で相談や指導を受けている場合、一定の要件を満たせば出席扱いにできる制度を示しています。
これは、学校の外での学びや支援も、社会的な自立につながるものとして見ていく必要があるということだと思います。
今は、選択肢が増えています。
昔は、学校に行けないということは、そのまま人生の選択肢が狭くなることに近かったのかもしれません。
でも、今は違います。
オンラインで学べます。
通信制高校があります。
フリースクールがあります。
地域の居場所があります。
動画でも、AIでも、アプリでも、学ぶことができます。
高校で言えば、N高やS高、R高のような「ネットの高校」もあります。
N高グループでは、大学受験やプログラミング、語学などに加えて、職業体験、ワークショップ、投資部、起業部など、普通の学校ではなかなか触れにくい学びも用意されています。
特に起業部では、起業家から学ぶ特別授業、イベントやコンテストへの参加、事業計画づくりなどが紹介されています。
高校生のうちから、起業を人生の選択肢の一つとして学べる環境があるわけです。
これは、今の公立小学校や中学校では、なかなかできないことです。
ぼく自身、小学校で社会科を教えています。
でも、お金の話や起業の話を、本格的に教えているわけではありません。
会社を作るとはどういうことか。
商品やサービスを作って、誰かの役に立つとはどういうことか。
利益を出すとはどういうことか。
税金や社会保険料とは何か。
そういう話は、子どもたちが将来を考えるうえで大事なはずです。
でも、今の学校教育の中では、まだ十分には扱えていないと感じます。
親としても、不安があります。
教師として学校に関わっている一方で、親として考えることもあります。
自分の子どもを、このまま普通に公立小学校、公立中学校、公立高校へ進ませるだけでいいのだろうか。
もちろん、それが合う子もいます。
学校が楽しくて、友達がいて、先生との関係もよくて、そこで伸びていける子もいます。
その場合は、学校はとてもいい場所です。
でも、全員にとってそうとは限りません。
集団が苦手な子。
自分のペースで学びたい子。
好きなことに深く取り組みたい子。
人間関係で傷つきやすい子。
朝起きることが難しい子。
そういう子にとっては、毎日同じ時間に、同じ場所に行き、同じ空間で過ごすこと自体が大きな負担になる場合があります。
それを「みんなやっているから」と押し切っていいのか。
ここは、もっと考えたほうがいいと思っています。
学校に縛られない教育を考えたい。
これから大事になるのは、「学校に行くか、行かないか」ではないと思います。
その子に合った学び方を見つけることです。
学校が合うなら、学校で学べばいいです。
学校が合わないなら、別の場所で学んでもいいです。
教室がしんどいなら、別室でもいいです。
通学が難しいなら、オンラインでもいいです。
集団が苦手なら、少人数でもいいです。
好きなことがあるなら、それを中心に学びを広げてもいいです。
学校は、選択肢の一つです。
でも、唯一の正解ではありません。
そして、大人の役割は、子どもを学校に戻すことだけではないと思います。
その子が安心して学び続けられる場所を、一緒に探すことです。
その子が「ここにいていい」と思える場所を、一緒に見つけることです。
その子が「自分にも未来がある」と思えるように、選択肢を見せることです。
学校の価値も、問い直されていると思います。
学校は、これからも必要です。
でも、今までと同じ形のままでいいとは思いません。
学校は、子どもを一つの型にはめる場所ではなく、その子に合った学びにつなげるハブのような場所になっていくべきだと思います。
学校の中だけで完結しようとしない。
地域とつながる。
オンラインとつながる。
フリースクールや教育支援センターとつながる。
家庭ともつながる。
民間の学びともつながる。
学校がすべてを抱え込むのではなく、子どもに合った場所へつなぐ。
そういう役割が、これからもっと大事になると思います。
休むことも、別の道を選ぶことも、失敗ではありません。
ぼくは、うつ病で仕事を休むことがあります。
休んだ翌日は、申し訳なさがあります。
それでも最近は、少しずつ考え方を変えています。
休んだ日も、人生は続いています。
そして、学校に行けない子どもたちも同じです。
学校に行けなかった日も、その子の人生は続いています。
その日を「失敗」と決めつけてしまうと、子どもは苦しくなります。
でも、「今日は別の形で生きていた日」と考えることができれば、少し呼吸がしやすくなります。
学校に行けることは、すばらしいことです。
でも、学校に行けない日があることも、その子の価値を下げるものではありません。
場所が変わっても、学びは続けられます。
道が変わっても、未来は作れます。
まとめます。
学校は必要です。
でも、学校だけが正解ではありません。
不登校の子どもたちと関わる中で、ぼくはそのことを強く感じるようになりました。
学校に来ることだけを目的にするのではなく、その子が安心して生きていける場所を見つけること。
その子に合った学び方を、一緒に探すこと。
その子が未来をあきらめないで済むように、選択肢を増やすこと。
これが、これからの学校や教師に求められる役割なのではないかと思います。
学校は、ゴールではありません。
子どもたちが自分の人生を歩いていくための、選択肢の一つです。
そして、その選択肢は、これからもっと増えていっていいはずです。














学校を否定せず、でも学校だけを正解にしないところに、現場の実感がありました。
「学校に行けなかった日も、その子の人生は続いている」という見方は、とても大事ですね。
出席か欠席かの前に、その日をどう生きていたかを見る大人が増えると、子どもはかなり呼吸しやすくなる気がします。
かめ先生
こんにちは😃
わたしも通信制高校で学びました。2年間は普通高校で1年間を通信制高校で学びました。良かったと思っています。歳をとってから通信制大学にも行きましたが、病気で断念しました。でも、今、少しずつですがAIで学んでいます。一日5分でも学べるのがいいですね。