ここ数年、子どもとの「距離感」について考えることが増えたように感じます。
ここで言う距離感というのは、仲がいいとか、友達みたいに話すとか、そういう意味ではありません。
もっと物理的な距離の話です。
話しかけるときに、顔をかなり近くまで寄せてくる。
体がくっつくくらい近いところに立つ。
先生を見上げながら、ほとんど密着するように話す。
友達同士でも、距離が近すぎて「もっと離れてよ」と言われ、そこからけんかになる。
やたらとくっつきたがる。
そういう場面が、以前より増えているように感じています。
これは、あくまでぼくの現場感覚です。
データを取ったわけではありません。
だから、「今の子どもはみんな距離感がない」と言いたいわけではありません。
でも、日々子どもたちと関わっている中で、「相手との適切な距離を取ること」が難しい子が増えているように感じるのです。
距離感は、自然に身につくものではないのかもしれません。
ぼくが教師になった頃にも、距離感が近い子はいました。
支援が必要な子
発達の特性がある子
人との距離を測ることが苦手な子
そういう子は、以前からいました
でも最近は、特別に何か大きな遅れがあるように見えない子でも、かなり距離が近いことがあります。
話すときに、顔が近い。
並ぶときに、体が近い。
友達との距離も近い。
先生との距離も近い。
「もう少し離れて話そうね」
「手を前に伸ばしたくらいの距離を空けようね」
「相手にも安心できる距離があるよ」
そういう声かけをする機会が増えたように感じます。
ここで思うのは、距離感というものは、自然に身につくようで、実はそうではないのかもしれないということです。
昔は、きょうだい、近所の子、親戚、地域の大人など、いろいろな人との関わりの中で、体感として覚えていたのかもしれません。
近づきすぎたら嫌がられる。
触りすぎたら怒られる。
相手が一歩下がったら、近すぎたのだと気づく。
そういう小さな経験の積み重ねで、人との距離感を学んでいたのだと思います。
でも今は、その経験が減っている子もいるのかもしれません。
遊びの場も変わりました。
地域の関係も薄くなりました。
家族構成も変わりました。
オンラインでのやりとりも増えました。
そうなると、「相手の体の近くに入る」ということの感覚を、実際の場面で学ぶ機会が少なくなっている可能性があります。
愛着の問題だけで片づけないほうがいいです。
距離が近い子を見ると、「愛着の問題かな」と考えることがあります。
もっと大人に見てほしい。
受け止めてほしい。
安心したい。
そういう気持ちが、体の近さとして出ている子もいると思います。
それはあります。
ただ、全部を愛着の問題で説明するのは、少し危ないとも思っています。
発達の特性が関係している子もいます。
人との境界線を理解するのが苦手な子もいます。
相手の表情や体の向きから、「今は近すぎる」と読み取るのが苦手な子もいます。
単純に、これまで教わってこなかっただけの子もいます。
だから、「この子は愛情不足だ」と決めつけるのは違います。
教師がやるべきことは、原因探しより先に、安心できる関わり方を教えることだと思います。
「近いよ」と叱るだけでは、たぶん伝わりません。
子どもが近づきすぎたときに、
「近い」
「離れて」
「やめて」
とだけ言っても、あまり学びにはなりません。
もちろん、とっさに言うことはあります。
でも、それだけだと子どもは、
「怒られた」
「拒否された」
と感じてしまうことがあります。
特に、くっつくことで安心しようとしている子には、強い拒絶として伝わる場合があります。
だから、伝え方が大事です。
「先生は話を聞きたいから、これくらい離れてくれると聞きやすいよ」
「相手が安心できる距離があるんだよ」
「近すぎると、びっくりする人もいるよ」
「手を前に出したくらいの距離で話そうね」
こういう言い方のほうが、子どもは理解しやすいです。
ポイントは、人格を否定しないことです。
「あなたが嫌だ」ではなく、「距離の取り方を覚えよう」という話にする。
ここが大事です。
プライベートゾーンの話だけでは足りないです。
学校では、プライベートゾーンの話をすることがあります。
水着で隠れるところは、自分だけの大切な場所。
勝手に見ない。
勝手に触らない。
嫌なときは嫌と言っていい。
これはとても大事です。
でも、日常の距離感は、それだけではカバーしきれません。
話すときの距離
並ぶときの距離
遊ぶときの距離
友達とふざけるときの距離
先生に相談するときの距離
これらは、毎日の生活の中で教えていく必要があります。
「触ってはいけない場所」だけではなく、「近づきすぎると相手が困ることがある」という感覚を育てる必要があります。
これは、性教育でもあり、人権教育でもあり、コミュニケーションの学習でもあると思います。
距離感は、相手を大切にする力です。
距離を取るというと、冷たい感じがするかもしれません。
でも、そうではありません。
適切な距離を取ることは、相手を大切にすることです。
相手の体を大切にする。
相手の安心を大切にする。
相手の「近すぎると困る」という感覚を尊重する。
それは、やさしさです。
逆に、仲がいいから近づいていい。
好きだから触っていい。
自分が大丈夫だから相手も大丈夫。
こう考えてしまうと、トラブルになります。
友達同士のけんかも、ここから起こります。
「自分は遊びのつもりだった」
「でも相手は嫌だった」
こういうことは、学校でよくあります。
だからこそ、距離感はちゃんと教えたほうがいいです。
教室でできる小さな指導です。
ボクは、難しい言葉で教えるより、具体的に伝えるほうがいいと思っています。
たとえば、
「話すときは、手を前に伸ばしたくらい」
「相手が一歩下がったら、近すぎるサイン」
「相手の体に勝手に触らない」
「嫌と言われたら、すぐやめる」
「自分はよくても、相手は嫌かもしれない」
このくらいでいいと思います。
低学年なら、もっとシンプルでいいです。
「自分の体は自分のもの」
「友達の体は友達のもの」
「近づくときは、相手が大丈夫かを見る」
これを何度も確認する。
一回の授業で終わりではなく、生活の中で何度も扱う。
距離感は、知識というより習慣です。
だから、繰り返しが必要です。
大人側の距離感も問われています。
子どもに距離感を教えるなら、大人側も自分の距離感を見直す必要があります。
教師が子どもに近づきすぎていないか。
必要以上に体に触れていないか。
仲のよさを理由に、境界線を曖昧にしていないか。
ここは、かなり大事です。
教師と子どもの関係は、対等ではありません。
教師には権力があります。
だからこそ、大人側がより慎重である必要があります。
子どもが近づいてきたときにも、ただ受け入れるのではなく、安心できる形で距離を整える。
「先生は話を聞くよ。でも、これくらいの距離で話そうね」
そう伝えることは、冷たいことではありません。
むしろ、子どもを守ることです。
そして、自分自身を守ることでもあります。
これは、子どもを責める話ではありません。
最後に、ここは強調しておきたいです。
距離感が近い子どもを、責めたいわけではありません。
「最近の子どもはおかしい」と言いたいわけでもありません。
ただ、現場にいると、人との距離感を学ぶ機会そのものが減っているのかもしれないと感じることがあります。
もしそうなら、学校で教える必要があります。
家庭でも話す必要があります。
地域でも、大人がやさしく伝える必要があります。
人には、人それぞれ安心できる距離があります。
近づきたい気持ちがあることは、悪いことではありません。
でも、相手にも心地よい距離があります。
そこを学ぶことは、人と生きていくために大切な力です。
子どもたちに必要なのは、「近いからダメ」と怒られることではありません。
自分も相手も大切にできる距離を、少しずつ覚えていくことです。
そして、ぼくたち大人の役割は、その距離の取り方を、冷たく突き放すのではなく、安心できる言葉で教えていくことなのだと思います。









