任天堂は「映画の論理」ではなく、「ビデオゲームの論理」で『ザ・スーパーマリオギャラクシー・ムービー』を作ったのではないか

浅い歴史のなかにあるビデオゲームの流儀

任天堂は「映画の論理」ではなく、「ビデオゲームの論理」で『ザ・スーパーマリオギャラクシー・ムービー』を作ったのではないか
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映画『ザ・スーパーマリオギャラクシー・ムービー』を先行試写会で鑑賞しているとき、私の頭のなかにはどこかで見た映画評論家の言葉が浮かんでいた。

「映像は美しくとも深みはない」

確かにそうといえる。マリオたちが宇宙で大冒険する内容だが、ストーリーやテーマと呼ぶべきものは大してないからだ。

「これは任天堂の宣伝のようなものだ」

これも否定しがたい。マリオやルイージのみならず、任天堂のあんなキャラクターまで出てくる驚きは楽しい一方で、それも宣伝のうちといえなくもない。

「ゆえに、この映画は高く評価できない」

いや、ここは明確に意見が異なる。

たしかにRotten Tomatoesでは評論家の評価が低く、Metacriticのスコア表示も地獄の炎のように赤い。それでも私はおもしろく感じられたし、そもそもこの作品が何を狙って作られたかを考えてみると、その目的はきちんと達成できているのではないかと思えるのだ。

任天堂らしい驚きはたくさん、映画独自設定も増えた

画像は『ザ・スーパーマリオギャラクシー・ムービー』公式サイトより。

前作にあたる『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』は全世界興行収入13億6000万ドルを記録しており、控えめに言ってメガヒットだろう。続編の『ザ・スーパーマリオギャラクシー・ムービー』も記事執筆時点で全世界興収7億ドルを突破しており、まさに破竹の勢いだ。

『ザ・スーパーマリオギャラクシー・ムービー』は、タイトルからわかるようにWiiで発売された「スーパーマリオギャラクシー」シリーズが題材になっている。マリオ、ルイージ、ピーチ姫といったキャラクターが宇宙を舞台に冒険を繰り広げる。

当然ながらロゼッタやチコといった新キャラクターも登場するうえ、マムーやキャサリンといった意外な敵も出てくる。前作以上にイースターエッグが豊富で、まさかと思うようなキャラクターもかなりいる。

マリオたちが赤子になってヨッシーに乗り『ヨッシーアイランド』を思い出させたり、あるいは急に『ヨッシーのロードハンティング』のようになったりする。任天堂に関連した小ネタは山盛りだ。

ハックンなど『スーパーマリオUSA』のキャラも出てくる。画像は『ザ・スーパーマリオギャラクシー・ムービー』 最終トレーラー(日本語版) - YouTubeより。

ただ、前作とは少し方向性が異なる。たとえば、マリオが練習コースをクリアできるようになるまで何度もやられながらもトライするといった「ゲームプレイヤーの思い出を追体験する要素」はやや弱い。

完全になくなってしまったわけではないが、前作でおおむねやってしまったのは事実だろう。今回は派手な展開やジョークを緩急つけつつ90分間流し続けるといった作品であり、映画独自の設定も増えている。

妙に動きの遅い“アイツ”が出てくるシーンは意外すぎて笑えるし、クッパJr.が“子供らしいもの”を作っている場面はついニヤニヤしてしまう。ポップコーンを食べつつ笑いながら見る作品として評価できる。

とはいえ、本作にストーリーやテーマがないという指摘は確かだ。筆者が少し前に見た幼児向け映画『パウ・パトロール ザ・マイティ・ムービー』にすら「身体は小さくとも活躍できるヒーローになれる」といった壮大なテーマがあったりした。

しかしそもそも、「スーパーマリオ」にテーマやストーリーを求めるほうがどうかしているのではないか?

アクションゲームは4行で済むストーリーでよい

そもそも「スーパーマリオ」シリーズにおけるストーリーとはどのようなものか。筆者が好きな『スーパーマリオワールド』のそれを見てみよう。

『スーパーマリオワールド』(1990年)画像はNintendo Classicsのもの。

こんどのぶたいは きょうりゅうランド
なにやらあやしい このしまで
またもやピーチが すがたをけした。
こいつはきっと クッパのしわざ!

非常におもしろい。たった4行でほとんどすべてを説明しており、かつクッパが悪役という推測を含みつつ、テンポよくコミカルに書いている。実際に音読するとリズムがよくてさらにおもしろい。あまりにも雑で笑えてくる。

これは別にふざけているわけではなく、マリオのビデオゲームは多くがアクションゲームなのでストーリーを必要としていないだけだ。そもそもマリオの生みの親、宮本茂はビデオゲーム作りの足かせになるような設定を好まない。

もちろんゲーム機が進化して「スーパーマリオ」シリーズも導入のカットシーンが豪華になったりはするが、その内容はいつもあえて薄い。なぜかといえば、それがビデオゲームの流儀だからである。

ビデオゲームはジャンルによって大きく姿を変える

『Ghost of Yōtei』(2025年)は広い世界を冒険できるが、白い花で事実上の道が描かれていたりと、プレイヤーに対する誘導がかなり強い。

ビデオゲームの特徴というと何が思い浮かぶだろうか? プレイヤーが作品に介入できる(気がする)インタラクティブな要素は確かに重要だ。同時に、ビデオゲームはインタラクティブな要素が弱くとも受け入れられやすい。

たとえば『Ghost of Yōtei』はオープンワールド風の自由なアクションアドベンチャーに見えるが、実際は誘導が強いリニア(一本道)な内容になっている。映画的とすら表現してもいいだろう。

あるいは小島秀夫監督の『DEATH STRANDING』はオープニングと終盤に驚くほど長いカットシーンが含まれる。筆者はあまりにも長すぎると感じるし、同様の批判はありうるだろうが、しかしこれらの作品に対して「ビデオゲームではない」と否定する声はあまり多くない。むしろどちらも“高評価のビデオゲーム”だ。

結局のところ、ビデオゲームはジャンルが多種多様であり、それぞれの違いが大きい。そのうえハードの進化によって容易に形を変えるし、これまでなかった作品がインディーゲームとして登場して人気を博したりする。若くて変わり続ける文化ゆえか、いまのところまだ固定観念が弱い。

こうなると、ビデオゲームにおけるストーリーやテーマの位置づけは作品やジャンルによって大幅に扱いが変わる。

画像は『ザ・スーパーマリオギャラクシー・ムービー』公式サイトより。

「スーパーマリオ」シリーズのようなアクションを楽しませる作品においては、ストーリーや設定は基本的に軽視してよい。なぜなら、プレイヤーがアクションを楽しむのが主たる目的だからだ。

ゆえにマリオにストーリーやテーマはほぼない。『ザ・スーパーマリオギャラクシー・ムービー』のテーマは強いていうならば家族愛だが、それが時には毒になるような描写すらうっすらとしており、あまり推し進めてないほどだ。

そもそもストーリーやテーマは絶対に必要なのか? 前出の『パウ・パトロール ザ・マイティ・ムービー』ではテーマを盛り込んだせいで(日本語版は特に)話の焦点が合わなくなっていたし、アルフレッド・ヒッチコックの『鳥』のようなストーリー展開の因果関係をあえて描写しない映画はふつうに存在するだろう。

もちろん「うまくテーマが表現できているのを高く評価する」といった理屈はわかるが、作品の目的に応じてストーリーやテーマの必要性が変わるのではないか。と、ビデオゲームばかり遊ぶ側からしては思わずにいられない。

ひとついえるのは、映画評論においてはストーリーやテーマが描けていることが重要なのではないかと推測できる、ということだ。でなければ「マリオの映画に中身がない」という指摘は極めて的外れになってしまうからだ。そもそも「こいつはきっと クッパのしわざ!」などと言ってる作品なのに。

「映画」という言葉の裏に何かある気がしてならない

画像は『ザ・スーパーマリオギャラクシー・ムービー』公式サイトより。

銭清弘による書籍『芸術をカテゴライズすることについて 批評とジャンルの哲学』において、作品のカテゴライズが視聴者の鑑賞態度に大きく関係するといった指摘がある。

人を殴ったり斬ったりする描写、グロテスクな表現、大きな音といった要素はふつうに考えれば不快なものである。しかし、それがホラーというジャンルであると認識していればそれらは当たり前どころか、なくてはならないものになる。

あるいは、ビールの味はまずい。しかし酩酊状態の心地よさを知れば、アルミニウムを舐めているかのような苦い味もうまく感じられる。まさしく、知覚には解釈が含まれるのである。

おそらく『ザ・スーパーマリオギャラクシー・ムービー』を映画というジャンル、つまるところ特定の映画文化圏における歴史・伝統の文脈のうえで批評すると、足りないものがあまりにも多いのかもしれない。

画像は『ザ・スーパーマリオギャラクシー・ムービー』 最終トレーラー(日本語版) - YouTubeより。

ところが、これを「任天堂の映像作品」として考えてみよう。となるとこれがよいし、そもそも任天堂は“映画らしい映画”を作る必要はまったくないのである。

任天堂はビデオゲームを作る会社である。映像作品ではファンを楽しませると同時に、マリオの世界にもっと親しんでもらうのが狙いだ。別に「マリ泣き」してもらう必要はないし、たとえばヨッシーが仲間になるストーリーの流れも必要ない(ヨッシーが参戦すること自体が重要なのだ)。本作は便宜上映画と呼ばれているが、動画と表現したほうがいいかもしれない。

そもそも考えてみれば、昨今は映画館で上映されるものは映画ばかりではない。いまやライブビューイングがかなり人気のようだし、映画館で音楽ライブや舞台などを見る人も少なくないようだ。

何よりスマホを誰もが持つようになったいま、映画を見るハードルが下がったと同時に、YouTubeやTikTokといった動画に割かれる時間も増えた。つまり、視聴者は伝統的映画とでも呼ぶべきものを見る人ばかりではなく、動画という幅広いジャンルとして捉え、視聴する人のほうが多いのではないか。

ビデオゲームの柔軟さを見せつける一作

画像は『ザ・スーパーマリオギャラクシー・ムービー』 最終トレーラー(日本語版) - YouTubeより。

マリオとルイージが飛んで跳ねて、ヨッシーがスパイダーマンのようにスイングアクションを見せつけ、ピーチ姫が傘を振り回して大活躍し、背後で大爆発が起こる。いいじゃないか。少なくとも私は、そして多くの観客は、それを見に映画館へ行く。キャラメルポップコーンを買いながら。

もし次の作品で、いきなりストーリーやテーマが重要視されても別におかしくない。ジャンルに応じて形を変えられるのがビデオゲームのひとつの魅力なのだから。


『ザ・スーパーマリオギャラクシー・ムービー』は2026年4月24日(金)より公開中。

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