坂本龍馬の妻・お龍。その激しすぎる愛と流浪の生涯
なんか日活映画みたいw
幕末の英雄・坂本龍馬の妻として知られるお龍(楢崎龍)。寺田屋事件で裸同然のまま龍馬の危機を救ったエピソードがあまりにも有名ですが、彼女の本当の凄みは、龍馬に出会う前の凄絶な少女時代と、龍馬を失ったあとの容赦ない現実の中にあります。名医の娘から極貧の難民へ、そして裏社会の噂へ。時代の波に翻弄されながらも、最後まで「龍馬の妻」としてのプライドを捨てなかった一人の女性の、剥き出しの生涯を追いかけます。
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お嬢様から一転、修羅場をくぐった少女時代
お龍は天保12年(1841年)、京都の格式高い医者の長女として生まれました。父親は皇族に関わるほどの名医で、本来なら何不自由ない「お嬢様」として人生を終えるはずだったのです。幼い頃から美人だと評判で、10代の頃にはいくつもの縁談が舞い込みました。しかし、お龍は「その辺のつまらない男に自分の人生を預ける気はない」と、すべての話をはねのけます。この頃から、並外れて勝気でプライドの高い性格でした。
そんな彼女の運命が暗転したのは、10代後半のことです。熱烈な勤王派だった父親が、幕府の弾圧(安政の大獄)に巻き込まれて投獄されてしまいます。まもなく釈放されたものの、父親は獄中で体を壊し、そのまま病死。大黒柱を失った楢崎家は、一瞬にして極貧のどん底へと突き落とされました。
20歳を過ぎた頃、お龍の「肝の据わり方」を証明する決定的な事件が起きます。困窮した母親が騙され、下の妹2人を大坂の遊カクに身売りする契約を結んでしまったのです。これを知ったお龍は激怒し、単身大坂の店へと乗り込みました。刃物を突きつけて脅してくるヤクザ者の男たちを前に、お龍は一歩も引きません。「妹を返さないなら、ここで私を殺せ! さもなくば役所に訴えてやる!」と凄まじい気迫で啖呵を切り、本当に力づくで妹たちを無償で奪い返して見せたのです。
しかし、京都に戻っても生活は限界でした。家族はバラバラになり、母親と末の妹は土佐の脱藩浪士たちの隠れ家で住み込みで働くようになります。お龍もまた、家族を養うために料理屋などで必死に働きながら、男性に対する強い不信感と警戒心を募らせていきました。
龍馬との出会い、そして束の間の幸福
そんな「誰も信用しない」と心を閉ざしていたお龍の前に現れたのが、坂本龍馬でした。元治元年(1864年)、母親の働く隠れ家での出会いです。
当時の男たちが「生意気だ」「可愛げがない」と煙たがったお龍のトゲトゲした勝気さを、龍馬だけは「まことにおもしろき女」「肝が据わっている」と大絶賛しました。そればかりか、楢崎家の貧しさを知ると、自分のツテを使って家族が安心して暮らせるよう裏で手配までしてくれたのです。お龍にとって龍馬は、人生で初めて出会った「心から尊敬し、甘えられる本物の男」でした。
慶応2年(1866年)、二人は事実上の結婚をします。その直後に起きたのが、あの有名な「寺田屋事件」です。お龍はいち早く異変を察知し、風呂場から裸同然の姿のまま飛び出して龍馬に危機を知らせ、その命を救いました。この命がけの恩返しを経て、二人は西郷隆盛らの勧めにより薩摩(鹿児島)へ療養に向かいます。これが「日本初の新婚旅行」と呼ばれる旅です。霧島山に登り、温泉に浸かり、ピストルで鳥を撃って遊ぶ――。それはお龍の生涯の中で、最初で最後の、最も輝かしい幸福な時間でした。
しかし、幸せは長くは続きませんでした。慶応3年11月15日、長州の下関で夫の帰りを待っていたお龍のもとに、龍馬が京都・近江屋で暗殺されたというあまりにも残酷な報せが届きます。お龍は27歳。最愛の理解者を突然奪われた彼女は、その場で自ら髪を切り落とし、深い絶望に暮れました。
龍馬なきあとの流浪、裏社会の噂
龍馬の死後、お龍の人生は再び荒れ狂う嵐の中へと巻き込まれていきます。
龍馬の遺言に従って土佐の坂本家に身を寄せたものの、お龍の自由奔放さと医師の娘としての高いプライドは、土佐の保守的な親族と激しく衝突しました。わずか3ヶ月で坂本家を飛び出したお龍を待っていたのは、明治政府のエリートとなった龍馬の旧友たちの冷淡な態度でした。「我が強くて扱いにくい」と周囲から煙たがられたお龍は、まともな支援も受けられず、京都、大坂、東京を転々とする流浪の身となります。
生きるために手段を選んでいられなくなったお龍は、大坂の盛り場や京都の裏社会と接点を持つようになります。この頃、世間では「お龍がヤクザ(侠客)の男の愛人になり、その家で暮らしている」という噂が流れました。男に頼るまいと生きてきた彼女が、裏社会の男の庇護を受けなければ生きていけないほど、その生活は困窮し、精神的にも自暴自棄に荒みきっていたのです。
その後、見かねた西郷隆盛らの手配で東京の政府機関で働く仕事を紹介されますが、ここでもお龍の高いプライドが災いし、周囲とトラブルを起こしてすぐに辞めてしまいます。当時の知識人は、落ちぶれた彼女の尊大な態度や荒い言葉遣いを見て、「とてもあの龍馬の妻だったとは思えない」と書き残しています。龍馬という心の安全基地を失ったお龍は、世界中を敵に回したかのように尖り、孤独の中でボロボロになっていきました。
静かなる晩年、胸に抱き続けた誇り
明治8年(1875年)、34歳になったお龍は神奈川県の横須賀へ移り住み、左官職人の西村松兵衛と再婚します。名前も「西村ツル」と変え、貧しい長屋で静かな暮らしを始めました。
しかし、彼女の心の中から「坂本龍馬」が消えることはありませんでした。お龍は日常的にお酒を大酒を煽り、酔うと松兵衛の前でも「私はあの坂本龍馬の妻だった人間だ」と涙ながらに昔話を語ったといいます。夫の松兵衛は、そんな妻の姿を責めることもなく、いつも黙って優しく話を聞いてあげていました。
明治39年(1906年)、お龍は横須賀の長屋で、66年の激動の生涯を閉じました。彼女の死後、横須賀の信楽寺に建てられたお墓の墓碑には、再婚相手の「西村」ではなく、本人の強い願いと、彼女のプライドを理解していた周囲の手によって、こう刻まれました。
「贈正四位阪本龍馬之妻龍子之墓」
お嬢様からどん底の難民へ、英雄の妻から裏社会の噂へ。お龍の人生は決して綺麗事だけでは語れません。しかし、どんなに泥にまみれても、彼女は最後まで自分の芯を曲げず、龍馬を愛した自分自身のプライドを生き抜いたのです。
おりょう、めちゃくちゃ魅力的なキャラクターに出会いました。



