なぜ、わたしはSubstackで書くのか?
生きていてもいいと思える言葉を届けたい理由
改めて、なぜわたしがここで書くのか?
今まで動き出したいと思った私の根本にあるものは何なんだろう、私はどうして文章を書いて届けていきたいのかを、自分なりに深掘りしてみました。
わたしは、発信がしたいから。
わたしは、文章を書くのが好きだったと改めて思ったから。
わたしは、人とつながりたいから。
私の中では、どれもわたしを動かす理由でした。
でも、これってある意味、私にとっては表面的な理由だったんだなと深堀りをしていくうちに気づかされました。というのも、深堀りすればするほど、自分の過去と向き合わなければいけなかったんですよね。わたしの奥の奥にある、ずっと蓋をしてきたものを開ける感覚です。
私の子どものころの記憶は、ほとんどありません。思い出そうとしても思い出せないんです。なんとなく、ふわぁ~とした嫌な感覚の記憶しか残っていませんでした。
この深堀りをしていくうちに、このふわぁ~とした嫌な記憶がわりとはっきり鮮明になる感覚がありました。わたしの感情と向き合う感覚。それは、小さなわたしが必死に親の目を引こうとして作り上げた「良い子」です。家族がいるのに、わたしはこの世に生まれてきてはいけないんじゃないかという不安を打ち消すために、とにかく親のために「良い子」でいることに必死でした。親の手伝いをし、お母さんが機嫌がわるくならないように言われたことはすぐにやる。母のわたしに対する無関心を気にしないようにする。そう、母におかえり、今日学校どうだったって声をかけてもらうことすらありませんでした。そんなことは、当時のわたしにとってわがままのひとつだったんですよね。
でも、その気持ちを誰にも言えませんでした。苦しいとも言えなかった。ただただ、友達の親がうらやましかった。学校で聞く友達のママがね、パパがさーという声がただただ私にとってはうらやましい限りでした。当時はそれがうらやましいなんて思ってません。なんで、うちは違うんだろう。くらいにしか。
今思うと、あの頃の私は、母からの言葉を待っていたのかもしれません。
「おかえり」「今日、どうだった?」「今度一緒におでかけしようか」みたいなそんな言葉を。
でも、その言葉を当時は受け取ることはできませんでした。受け取らないまま大人になってしまった私は、大人になって母が私の子どもたちに声をかけている姿を見ると、何をいまさら子育てしようとしてるの?昔、やらなかったんだから、今やろうとしないでよ。っとココロの中で思っていました。シングルマザーになり、母が一緒に住んでくれたことには、感謝しかありません。でもその裏では、わたしはそんなことを感じていたんですよね。今振り返ると、母に感謝している気持ちと、子どもの頃に満たされなかった気持ちが、私の中に同時に存在していたんだと思います。表面的には感謝している。でも、心の奥では寂しかった。その両方が本当の気持ちでした。表面的には感謝する。だけど、それは心からの感謝なのかといったら、疑問符がつく。
事件は起きました。
一緒に住んできた父方の祖母は、今でいう、うつ病になっていました。そんな祖母に母は一生懸命いろいろと世話をしていたんだと思います。そして、母から、必ずおばあちゃんには、行ってきます。ただいまを言いなさいと。私は祖母が寝ている部屋までいき、毎日、「学校に行ってくるね、おばあちゃん」、「ただいま、おばあちゃん」と声をかけていました。そんなある日、祖母は母に言われて挨拶にくる私に嫌気がさしていたんでしょうね。
「お前なんか嫌いだから、もう言いに来なくていい」とひと言、言われたんです。
言われたときはショックでした。それを母に言いに行ったら、そのことには触れず、それでも毎日挨拶だけはしなさいと。言われました。それから私は、祖母の部屋の前まで行き、小さい声で、祖母に聞こえないように「行ってきます」と言う。帰りも聞えないように「ただいま」と。その頃の私は、小学生で担任の先生から、もっと大きな声で発表するようにとよく注意されていました。でも、大きい声を出すことすらできなかったんですよ。今思えば。
-----—
そして厄介なのは、言葉そのものより、その言葉から作った物語が残ることです。
私は愛されない。私は邪魔なんだ。私は迷惑なんだ。私は頑張らないと価値がない。そんな物語。
----—
だからなのかもしれません。
今の私が書いている理由は。言葉で救われる人がいる。言葉で傷つく人もいる。私はその両方を知っています。だからこそ、傷ついた人が帰ってこられる場所を作りたい。
生きることに疲れた時。
自分を責めてしまう時。
どこへ行けばいいかわからなくなった時。
そんな時に、ふと立ち寄れる場所を作りたい。私は特別なことは言えません。立派な成功体験もありません。でも、私というフィルターを通して、生きていてもいいと思える言葉を届けたい。
だから私は今、Substackで書くことで、同じような体験を持つ人の小さな力になれたらと思っています。
暮らしのこと。こころのこと。立ち止まる日のこと。読んだ人が少しだけ呼吸しやすくなるように。そして、昔の私にも届くように。
やっと、「なぜ私は書くのか」
その答えに自分なりにたどり着けた気がします。
なので、プロフィールも変えました。整えて、また動き出すから、ココロのやすみ処にしました。少しでも皆さんの気持ちがホッとできますように🌸
今日は自分の気持ちと向き合いながら、そのまま書いてみました。最後まで読んでくださりありがとうございました🌸
このまま、見守っていきたいなって
思ってくださる方とつながれたらうれしいです。



はなももさん、ありがとうございます☺️
私の奥にも同じような痛みがあります。
これからも楽しみにしていますね。
はなももさん、こんばんは。
心の奥底にある気持ちと向き合われたんですね。
なかなか文字にして誰もが見れる環境に出すのは勇気も必要だったかもしれません。
でもどこか、最後はスッキリされたようにも映りました。
僕も自分の根底にある自分に向き合わなきゃなと思いました。
ありがとうございます😊