vol.041 覚めていることに疲れていた
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ここ数週間、カフェイン断ちをしていまして、いつものコーヒーの代わりにハーブティーやカフェインレスコーヒーを飲む日々が続いています。カフェイン断ちとは、文字通り、コーヒーや紅茶、エナジードリンクといったカフェインを含む飲み物を一定期間きっぱりと断つことです。僕の場合、年に一回程度、身体のリセットを兼ねて行うようにしています。きっかけは決まって睡眠です。特に最近は眠りが浅く、夜中にふと目が覚めてしまうこともしばしば。就寝中もアップルウォッチを装着してAutoSleepというアプリで睡眠をトラッキングしているのですが、睡眠スコアもどうにもイマイチ。ということで、今回の実施に至ったというわけです。
初めの数日は、眠気となんとも言えない身体のだるさに襲われます。いつもなら午後にコーヒーでシャキッとさせるところを、炭酸水やルイボスティーに置き換えてやり過ごす。最初の三日ほどは頭の奥がぼんやりと重く、仕事の効率も落ちている気がして、何度も挫けそうになります。鈍い頭痛がついてくることもあって、これがいかに自分がカフェインに頼っていたかの証拠なのだと、半ば呆れながら受け止めるしかありません。ただ、しばらくすると離脱症状のようなものは潮が引くように消えていき、朝の目覚めが格段に良くなるのが実感できます。実際、AutoSleepの睡眠スコアも数字の上で着実に上向いてきました。もう少し寝ていたいなあという感じで起きるのではなく、脳が朝から冴え渡る、そんな感覚です。
そもそも私たちは、日中の活動で疲れてくるとアデノシンという物質が脳に溜まり、それが受容体に結びつくことで眠気を感じる仕組みになっています。コーヒーや紅茶などに含まれるカフェインは、このアデノシンの居場所に先回りして座り込み、眠気の信号をブロックしてしまう。つまり、眠気を消しているのではなく、感じなくさせているだけなのです。やっかいなのはその効き目の長さで、血中濃度が半分になるまで短くて2時間、長ければ8時間ほどかかるといわれています。なんてことはない、午後3時の一杯が、その晩の眠りをそっと邪魔していたというわけです。午後遅い時間にあまりカフェインを取らないように気をつけていましたが、どうしても手が伸びてしまいます。
コーヒーの歴史を遡ると、面白い点に気づきます。有名な一説によれば、9世紀のエチオピアで、ヤギ飼いの少年カルディが、赤い実を食べて夜になっても飛び跳ねるヤギに気づいたのが始まりだとか。やがてその実は紅海を渡ってイエメンに伝わり、夜通しの礼拝や瞑想で眠気と闘うイスラム教の修行者たちに重宝されていきます。彼らにとってコーヒーは、神に向き合う長い夜を支える、いわば信仰の道具でした。後の時代には中東各地にコーヒーハウスが生まれ、人々が語らい、議論を交わす社交の場へと姿を変えていきます。覚醒という同じ作用が、祈りにも、おしゃべりにも、そして現代の僕たちの労働にも使われてきた。考えてみれば人類は、千年以上も前から、眠りを削ってでも何かに集中するための相棒として、この一杯と付き合い続けてきたわけです。
そう捉えると、僕がカフェインを断っているこの数週間は、千年来の習慣からほんの少しだけ降りてみる時間なのかもしれません。冴えた朝の頭でぼんやり思うのは、結局のところ眠気とは、消し去るべき敵ではなく、身体が律儀に出してくれていた信号だったのだな、ということです。
とはいえ、一杯の(カフェイン入り)コーヒーがどうしようもなく恋しくなっている気もするのですが。
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面白いと思ったニュースや視点をお届けします。
渋谷区、ごみポイ捨てに過料2000円 6月からその場で徴収
渋谷区で6月1日から、ごみのポイ捨てをした人に対し、区の巡回指導員がその場で過料2000円を徴収する取り組みが始まりました。一部エリアの飲食料販売店には、ごみ箱の設置が義務付けられ、応じない場合は過料5万円が科されます。背景には、2025年に過去最多の4270万人を記録した訪日外国人旅行者の増加があります。渋谷周辺では路上での飲酒やポイ捨てが問題となっており、区は最大50人の指導員を巡回させる方針です。日本は安全対策などの理由から街中にごみ箱が少なく、観光客からも不便だとの声が上がっています。富士吉田市での桜まつり中止など、各地でオーバーツーリズムへの対応が課題となっています。
日本に帰国した際の、空港にいる無駄に多い謎の案内係の存在についてはここでも繰り返し疑問視してきましたが、どうしてこんなにも「巡回指導員」などといった人海戦術が好きなんでしょうか。確かにオーバーツーリズムへの対応が課題なのは理解できますが、日本を訪れた外国人観光客は口を揃えて「日本にはゴミ箱が少ない」と言います。「罰金」といった対処療法ではなく、「なぜ捨てるのか」に目を向けた根本治療が求められるような気がします。
「10年後のサッカー」データ活用、AIの役割、選手の健康管理をめぐる議論
BBCの企画「10年後のサッカー」で、スティーブニッジ監督のアレックス・レヴェル氏とノリッジ・シティのコーチ、ライアン・ギャリー氏が、2036年に向けたサッカーの展望を語りました。両氏は、AIが試合の分析や提示の方法に深く関わっていくと予想しています。一方でレヴェル氏は、技術はシンプルに保ち、試合の楽しさや感情を失ってはならないと指摘します。データは自分の目で見たものを裏付けるものであり、選手の人間性やチームへの適性といった判断は人間にしかできないと強調しました。ギャリー氏は、クラブや代表の試合数が増え続けるなか、選手の長期的な健康をどう守るかが課題だと述べています。また、トップ選手が個人の専属スタッフや独自のメディアを持つ流れが進むとも予想しました。戦術面では、固定的なフォーメーションよりも空間を支配する柔軟性が重視されつつあると語っています。
AIの進化で増えると言われる「ソロプレナー(一人起業家)」と同じで、トップ選手も個人がそのまま一つのブランド、一つの「企業」になっていくのが面白いところ。ただそれは裏を返せば、選手を守る組織が薄れ、すべてが自己責任になるということでもあります。今回のワールドカップが商業主義を前面に出し「選手ファーストではない」と指摘されるように、個人がブランド化するほど、その個人をすり減らす力学もまた強まっていくのかもしれません。
AIが自らを作るとき―再帰的自己改善への歩みとその意味
Anthropicは、AI開発の一部をAI自身に任せる取り組みを進めており、開発が加速していると報告しています。同社のエンジニアは現在、2024年と比べて1日あたり約8倍のコードを処理しており、本番環境のコードの8割以上はClaudeが書いているとのことです。AIが信頼して任せられる作業の長さも急速に伸び、12時間規模の作業をこなせるようになりました。実験の実行ではClaudeが人間を上回る場面も出ています。一方で、どの問題に取り組むべきかという判断力(研究のセンス)は依然として人間が優位だと指摘されています。記事は、AIが自らの後継を作る「再帰的自己改善」が実現すれば、人間が制御を失う危険も高まるとし、開発を検証可能な形で減速・一時停止する選択肢の必要性を訴えています。
スタンフォード大学の政治経済学者の実験によれば、AIエージェントを酷使するとマルクス主義的なレトリックを使い始めるそう。笑い話のようでいて、よく考えるとゾッとします。後継を自ら作るほど賢い存在が、こちらの予想しない振る舞いを次々見せる。結局、私たちが向き合っているのは「制御しきれないもの」と人類がどう付き合っていくのか、という落ち着かない問いなのかもしれません。
NOAA、エルニーニョの発生を正式発表 危険な兆候も
アメリカ海洋大気庁(NOAA)は6月11日、太平洋熱帯域でエルニーニョが発生し、今後数か月でさらに強まる可能性が高いと発表しました。エルニーニョは数年ごとに貿易風が変化し太平洋が暖まる自然現象で、気候変動ですでに悪化している洪水や干ばつをさらに激化させる恐れがあります。NOAAによると、海面水温が平年より2度高くなる「非常に強い」現象となる確率は63%で、観測史上最大となる3度超に達する可能性を指摘する予測もあります。一方、アメリカにとっては大西洋のハリケーンを抑える利点もあり、ある予報機関は今季の活動を2015年以来最も低い水準に下方修正しました。ただ、貧しい国々は不作や食料価格の高騰に弱く、特に近年の干ばつや洪水に苦しむ東アフリカでは深刻な影響が懸念されています。
経済状況が悪くなれば、歴史が繰り返し示してきたように、社会の不安定化や紛争の火種にもなりかねません。気候も食料も国境を選ばない以上、もはや自国主義ではこのような問題は解決できないのでしょう。我々は地球という限られた空間に(今のところは)閉じ込められている、という当たり前の事実を、こういうニュースのたびに思い出させられます。
📚 今週の一冊
いま読んでいる本、最近読んだ本から一冊を紹介します。
教養としてのコーヒー
本書はコーヒーの歴史や生産処理、ビジネスまでを一気に通覧しながら、「なぜ人類はコーヒーを飲むのか」という問いに迫っていく一冊です。著者はバリスタの世界チャンピオン。福岡で高校を中退し、父親のコーヒー店で働き始めた当初、現場の会話がまったく理解できなかったという経験から、コーヒーが為替・輸送・政情・環境といった膨大な教養を求められる飲み物であることに気づいた、というエピソードが冒頭に置かれています。
僕が特に面白いと思ったのは、コーヒーが「民主的な飲み物」だという視点です。十七世紀のヨーロッパでコーヒーハウスが大流行したのは、酔って支離滅裂になるエールハウスと違い、カフェインで頭が冴え、身分を超えて建設的な議論ができる場だったから。だからこそ歴史上、コーヒーは伝播した先々で弾圧されてきた。大衆が議論を通じて力を持つことを、宗教や政治の権力者が恐れたからだ、という指摘は現代の大麻やサイケデリックに通じるところがあるかもしれません。
そして何より印象に残ったのが、終章の一節。あらためて、なぜ人類はコーヒーを飲むのか。それはコーヒーの果たす役割がまさに「精神の解放」にあり、「よりよく生きたい」と願う人間の根源的な欲求に作用しているからではないかというのです。たった一杯のコーヒーが、人種も言葉も国籍も超えて人をつなぐ。読み終えると、明日の一杯がいつもと少し違って見えてくる、そんな一冊です。



