vol.040 自分の値段を誰に訊くか
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今週は東京にいます。
先週滞在していたオレゴンはかなり肌寒い日が続きましたが、東京は半袖がちょうどいい暑さ。かと思えば台風がやってきたりと、季節の変わり目ですので、みなさん体調にはくれぐれもお気をつけくださいませ。
さて、先日お伝えしたとおり、僕は今、転職活動(というか、2年間まともに働いていなかったので、就職活動?)中でして、ようやく、大学時代にアメリカでインターンしていた企業のオファーをもらったということを報告しました。この企業はいわゆるベンチャーキャピタルの端くれなわけですが、創業10数年目のいわばベンチャー企業。制度が整っているとはお世辞にも言い難く、面接やオファーに関してのコミュニケーションも、こちらが催促しないと送ってこないという、まあアメリカらしい会社です。日本に本格進出したのは昨年末。まだ日本法人もなく、日本語を話せる社員もいないため、日本での採用は今回が実質的に初めて。そんな事情もあって、給与も契約条件も、すべて自分で確認し、自分で交渉しなければなりません。
オファーレターが届いて、まずやったのは給与交渉でした。アメリカでは、提示された額をそのまま受け入れる人のほうがむしろ少数派とされます。最初のオファーはあくまで交渉の出発点。交渉しないことが、自分の市場価値を理解していないと受け取られることさえあります。僕の場合、今回提示された額は日本の平均と比較すると決して悪い条件ではありませんでしたが、同業他社や同等ポジションの相場と比較するとやや低い。そこで初めて本格的な給与交渉に挑戦してみました。ええ、何ごとも経験です。
面白かったのは、その相談相手です。人事でもなければ、転職エージェントでもありません(今回エージェントは使っておらず、自らホームページから応募しました)。ClaudeやGrokといったAIでした。そもそも、AIに「あなたの職務記述書(ジョブ・ディスクリプション)に対して給与が低すぎる」と指摘されたのです(笑)。市場相場を調べ、交渉のロジックや金額を壁打ちしてもらいます。その結果、募集要項に記載されていた給与レンジよりも高い、提示額から30%上乗せした数字をこちらから提案しました。正直なところ、少し高めにボールを投げすぎたかもしれないと思っていましたが、返ってきたのはあっさりとした返事でした。
「了解。その条件で修正版を送るね」
あまりに簡単に通ったので、むしろ拍子抜けしたほどです。そこで改めて考えたのが、日本人と給与交渉の距離感でした。日本では給与交渉を経験したことがない人が少なくありません。転職時ですら、提示された条件をそのまま受け入れるケースが多いといいます。ある国際調査では、欧米では約7割の人が賃金交渉を経験しているのに対し、日本ではおよそ3割にとどまるとも言われます。もちろん、日本企業の雇用慣行も関係しているでしょう。長らく日本企業は、職務に値段をつける「ジョブ型」ではなく、人を共同体に迎え入れる「メンバーシップ型」と呼ばれる仕組みで動いてきました。ジョブ・ディスクリプションもなければ、明確な評価基準もない。どんな仕事をするかよりも、どれだけ長く組織に所属しているかが重視される。だから給与は交渉で決まるものではなく、会社が決めるものになったのです。
しかし、それ以上に大きいのは文化的な理由ではないでしょうか。
日本人の多くは、会社を契約相手というより共同体として捉えています。家族や学校の延長のような感覚がある。だから自分の取り分について声を上げることに、どこか後ろめたさを感じてしまう。一方でアメリカでは、会社はあくまで契約相手です。忠誠心より条件。感情より役割。だから給与交渉もごく自然な行為になります。日本の高度経済成長期は非常に特殊な時代で、会社に尽くせば昇給し、定年まで面倒を見てもらえる。その代わり、個人が自分の値段を主張する必要もありませんでした。
けれども、その前提はすでに崩れてはじめているように思います。
終身雇用も年功序列も少しずつ薄れ、転職は当たり前になった。2020年には経団連が日本型雇用システムの見直しを提言し、ジョブ型雇用を導入する大企業も増えてきました。つまり、これからの日本人は、自分の価値を自分の言葉で説明し、自分の値段を自分で決めることを求められるようになるのです。そして興味深いのは、その練習相手としてAIが存在していることです。
これまでキャリアの相談相手はもしかしたら、上司や先輩だったかもしれません。しかし給与の話だけは、意外と誰にも相談しづらい。お金の話はどこの国でも少し気まずいものです。 だからこそ、利害関係のないAIとの相性がいいのかもしれません。
会社に忠誠を誓う時代が終わり、自分の値段をAIに聞く時代が始まった。そんなことを考えながら、修正版のオファーレターが届くのを待っています。
🔭 越境ノート
面白いと思ったニュースや視点をお届けします。
AIの栄養アドバイス、鵜呑みは禁物
チャットボットを栄養相談に使う人が増えています。ニューヨーク・タイムズの読者調査では、献立のアイデア出しや栄養素の記録、食生活の改善に役立ったという声が多く寄せられました。心臓病の食事管理で減量に成功した例もあります。一方で専門家は、病歴を踏まえた判断ができないため、過度に制限的な食事をすすめたり、不正確で有害な助言をしたりする危険があると警告しています。実際、栄養関連の回答の七割以上が無効か有害と評価された研究もあります。チャットボットは万能ではなく、大きな食事変更や持病の管理については医師や管理栄養士に相談することがすすめられています。
確かにAIに丸ごと聞くのは最適解とはいえません。先日、全ゲノム解析遺伝子検査に申し込みまして、来月くらいには検査結果が返ってくるのではと待っているところです。これに加えて、60項目以上にわたる血液栄養検査の結果やアップルウォッチのライフデータなどを組み合わせれば(読み込ませれば)、ある程度パーソナライズされた健康管理がAIのサポートでできるのではと考えています。もちろん、健康の知識が本人にあることが前提ですが。次第にこういったムーブメントは増えてくるでしょう。
気づけばスマホを延々スクロール、あなただけではありません
多くの人が、スマホを少し見るつもりが一時間もスクロールしていた、という経験を持っています。ある調査では、英国の成人は一日平均四時間スマホを使い、そのうち三割以上が目的のない利用だと報告されました。専門家は、これは利用者の判断力の問題ではなく、技術そのものが没入させる仕組みになっているためだと指摘します。一方で、自己申告の利用時間は誇張されやすいとの注意もあります。それでも、自分の習慣に気づくことが管理への第一歩だとされています。専門家は、通知を初期設定でオフにするなど、企業側の設計を見直す必要性も訴え、デジタルから離れる時間を持つことをすすめています。
このような動きがある中で、欧米ではさまざまな形の「ブッククラブ」が静かに盛り上がっていると聞きます。たとえば、書店を巡る「ブッククロール」や著者と歩きながら語り合う「ウォーキング・ブッククラブ」、さらには公園やカフェで各自が持ってきた本を黙って読む「サイレント・リーディング・パーティー」など、読書をきっかけに人が集まる新しい形のイベントがロサンゼルスを中心に広がっているそうで、スマホ以外の時間をどのように設計するかということも今後問われていくかもしれません。
スペースX、評価額1.77兆ドルでIPOへ
イーロン・マスク氏率いるスペースXが、新規株式公開(IPO)の価格を一株135ドルに設定したことが、米証券取引委員会への提出書類で明らかになりました。この価格での評価額は1.77兆ドルに達し、テスラを上回って米企業で第七位の規模となります。同社は5億5560万株を売り出し、750億ドルを調達する見込みで、過去最大のIPOになるとされています。ナスダックへの上場は6月12日を予定し、銘柄コードはSPCXです。公開後もマスク氏が八割超の議決権を握ります。なお、AI企業のアンソロピックとオープンAIも上場を目指して動いており、アンソロピックは月曜日に目論見書を非公開で提出しました。
資本主義というのは、拡大を前提に設計されており、かつては植民地や新市場の開拓という形でした。今度は「宇宙」というフロンティアに人類が足を踏み入れた形で、過去最大のIPOというニュースは、その新しい拡大の号砲のようにも聞こえます。フロンティアが変わっても、それを動かしているのが同じ「拡大への欲望」だとしたら、次に問われるのは、その先で私たちが何を取り戻し、何を手放すのか、なのかもしれません。
外国人も一票を、韓国地方選が問う「移民社会」
韓国では、永住資格を3年以上持つ18歳以上の外国人が、地方選挙で投票できます。6月3日の統一地方選では、有権者となる外国人住民が過去最多の15万1千人に達し、制度が始まった2006年の約22倍に膨らみました。その約8割を中国籍が占めることもあり、議論は活発です。投票権は国籍や相互主義に基づくべきだという批判は根強く、韓国人が同等の権利を持てない国の国民への付与には約7割が反対しているとの調査もあります。背景にあるのは、世界最低水準の出生率と急速な高齢化です。移民を労働力不足への対応策と見る動きが進むなか、「どんな移民社会を目指すのか」という問いが、静かに浮かび上がっています。
日本でも出生率が過去最低を更新し、2025年の合計特殊出生率は1.14、出生数は67万人余りと、統計開始以来もっとも少なくなりました。労働力も社会の担い手も足りなくなるという点で、韓国がいま直面している課題は、数年先の私たちの姿そのものです。ただ、韓国の議論が突きつけているのは、移民を「労働力」として迎えるだけでは終わらないということ。一票という社会の意思決定の場を、どこまで分かち合えるのか。つまり、「誰がこの社会の一員なのか」という問いに、日本もそう遠くないうちに向き合うことになるでしょう。
📚 今週の一冊
いま読んでいる本、最近読んだ本から一冊を紹介します。
地域と人口減少の経済学
本書の出発点にあるのは、「人口オーナス」という考え方です。働く人が減ることで成長が制約され、貯蓄が減り、賦課方式の社会保障が立ち行かなくなる。人口減少がもたらす負の影響は、ほとんどこの一点に集約されると著者は言います。そして規模の小さい自治体ほど公共サービスの効率が悪くなり、コストが跳ね上がっていく。地方の現実が、データで淡々と突きつけられます。
僕が特に面白いと思ったのは、「東京一極集中」を著者が「多層的集中」と捉え直しているところです。全国に一つあればいいものは東京へ、ブロックに一つあればいいものは札幌や福岡へ、県に一つあればいいものは県庁所在地へ。しかも著者は、人々が移動するのは政策に導かれてではなく自分が幸せになるためであり、それを政策で押し戻すのは難しい、と一極集中是正論に批判的な立場を取ります。
そこで提案されるのが、書名にもなっている「スマート・シュリンク」です。「人口を減らさないようにする」のではなく、「人口が減っても国民一人一人の福祉水準を維持・向上できる」社会を目指す。人口減少にはむしろ集中こそが有効な対応策になる、という逆説も印象的でした。地域活性化を、真似のしにくい「劇場型」と、どの地域でも共有できる公共財的な「共有型」に分けて論じる視点も実務的です。
個人的にもスマート・シュリンクという考え方は、今後どうしても必要になってくると思います。ただ問題は、住民がどこまでこれを受け入れられるのか。縮むことを前提にした政策は、感情的には飲み込みにくいものです。だからこそ個人的には、地方での成功事例を旗印にした新しい政党や政治ムーブメントが盛り上がってくることを期待しています。まあ、おそらくあと十五年くらいはかかるでしょうが、その萌芽を読み解く補助線として、本書はとても良い一冊だと思います。



