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「NPOなんかいらない」

「NPOなんかいらない」という声が高まっているのを、ここ数年、肌で感じています。この業界にきたのはおよそ8年前でしたが、その時とは風景が、かなり、違うように思います。

当時、社会問題を事業で解決する、といえば、NPOの土俵という気がしていましたが、現在では、企業が事業を興そうとするとき、それはなんらかの社会問題解決を志向していることが、ほとんど当たり前になっています。いわゆる、インパクト・スタートアップも、かつてなく盛り上がっています。

そして、そういった企業が、市場原理で解決できない社会課題については、行政が担うべき、という意見もあります。ゆえに、行政が担うべき事業をNPOに委託すること自体が、批判の対象です。いわゆる、「公金チューチュー」と揶揄されるものです。

このようなNPO不要論について、しばしば「ペストフの三角形」が、そのアンサーとして用いられます。

政府・企業・共同体(地域コミュニティ)がそれぞれ担っている領域がありつつ、いずれもアプローチできない、空白地帯がある、という話です。そこが、第三セクター、すなわち、NPOのフィールドとされています。

画像出典:大和証券(2006)「ペストフの三角形

これは、「そうだよな」とは思います。

私は、もともと民間企業の出身で、政府にもいたし、現在はNPOにいるので、それぞれの立場から、この三角形を眺めてきました。

政府にも、企業にも、そして共同体にもカバーできない社会課題領域、そこで困っている人々は、確かに存在します。企業、そして政府にいたとき、そこからではどうしても手が出ないこの空白を、誰からも手を差し伸べられず苦しむ人々を、強く意識しました。だからこそ、私は今、NPOにいるのです。

でも、この三角形は、NPOの存在意義の説明として、いささか消極的であるように感じていました。というのも、政府や企業、そしてコミュニティが、より積極的に公共にコミットすればするほど、NPOの活動フィールドが狭まる図に見えるからです。

でも、そういうことで、いいんだっけ?

およそ8年間、社会課題の最前線で実際にやってきたことと、ちょっと違う気がしたのです。

そんなとき、何気なく日経新聞を読んでいたら、元厚生労働次官の村木厚子さんのコメントが、目に飛び込んできました。

0を1にするのはNPOの仕事。1を10にするのは学者の仕事。10を50にするのは企業の仕事。50を100にするのは公務員の仕事。

村木厚子(2026)「村木厚子 私の履歴書(28)退官 元厚生労働次官」日本経済新聞

我が意を得たり、というのは恐れ多いですが、でもまさに、「ほんとこれ!」という感じ。

それぞれのフィールドで、個別にプレイヤーが活動するのではなく、各々の特技を持ち寄って連携する事例が、現場ではすでに、たくさん生まれています。個別に社会課題にアプローチする(=Individual Inpact)だけでは、どうやったって、解決できない問題があるのです。

私が政府に転職するきっかけとなった小児性暴力を防止するための政策提言も、まず、私たちNPOが当事者の皆さまと共に声をあげ、それをアカデミアや有識者の皆さまと相談・リサーチし、具体的な政策に落とし込むところから始まりました。

この活動は、1円の利益も生み出さないどころか、時間と人件費がドバドバ流れ出ていくだけのものです。そこを、企業を含めた、多くの寄付者の皆さまに支えていただきました。その結果、政治・行政に接続され、(壮絶な)立法プロセスを経て、私たちの政策は、具体的な法案に落とし込まれ、衆参両院で「こども性暴力防止法」として全会一致で可決。本年12月末に施行される予定となっています。

また、今まさに事業責任者として取り組んでいる「こども冒険バンク」は、現時点でおよそ50社のパートナー企業各位とともに、子どもたちに、未知の「冒険」を届ける事業です。アカデミアと連携し、子どもたちのwell-beingを定点観測しつつ、政策提言の可能性を模索しています。

これは、従来のIndividual Impactに対して、ステークホルダーと連携して共通の課題解決に取り組む、Collective Impactといわれるアプローチです。この枠組みで、NPOが担うべき役割の重要性は、強調しすぎることはできません。

では、上記の村木さんのコメントにあった、NPOの仕事とされる「0を1にする」とは、どういうことか。

これは勝手な解釈ですが、私は、人々を苦しめている根本的な要因・構造を可視化し、そのソリューションを実践する、ということだと考えています。

例えば、先ほどの性暴力対策の事例では、子どもたちに対する性暴力が現場で頻発していることは、関係者の間では、周知の事実でした。そこに厳然としてあるのに、誰の目にも映らない隠された理不尽、その構造をまず浮き彫りにすること、そして、それに対し、「日本版DBS」というソリューションを提示しました。それを発信することで、社会の注目を集めます。それが、社会を変える原動力となるからです。

しかし、このプロセスには、様々なリスクがあります。

最も深刻なものとして、本当にその「浮き彫りにした」問題は、あっているのか?という点です。

ドラッカー曰く、「Nothing does as much damage as the right answer to the wrong problem / 誤った問題に対する正しい答えほど有害なものはない」

もし、社会に対して喧伝した問題設定が、そもそも間違えていたなら、それは、当事者はもちろん、その問題を取り巻くステークホルダー、ひいては社会全体にとって、悲劇です。自分で提言した政策を自分で法律にするプロセスで、それを痛感しました。

その問題意識がそもそも誤っていたとしたら、鋭い批判を免れることはできません。その軌道修正には、気の遠くなるような時間とリソースが必要になります。

これはNPOに限ったことではありませんが、私たちは、自分たちの問題提起が正しいのか、批判に耳を傾け、常に自問自答しなければならないと思います。

でも、年々複雑化する社会課題に対し、どうすれば、自分たちが間違っていなさそうと確認できるのか——答えは、当事者にしかありません。

そういう意味で、NPOが当事者との接点であったり、現場感を失ってしまったとしたら、そのとき、NPOはその存在意義を問われることになると思います。

これが、社会の中で、重要な役割を担う意思と力があるNPOにとって、大切な姿勢なのではないかと、考えるようになりました。


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